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漢字が遣隋使が持ち帰った書物や経典により伝わったのは解るのですが、
でも、それ以前は、日本には文字はなかったのか?気になり出したら堪りません。
中学や高校の授業でも習った記憶がありませんが、そんなことも知らずに、
60歳を越えた今日まで毎日、漢字・かなを使って来たとは情けない...。
神代文字というのがあったとする説は、ウンと後世の、たしか江戸時代に唱えられたが、
今では国粋文学者たちのでっちあげとされており、
漢字の音をあてがった万葉仮名は、当然、漢字が伝わって初めて出来ることですよね?
勿論、遣隋使以前に、民間の非公式交流はあっただろうとは創造に難くないので、
漢字は既に伝わっていたとしても、さらに遡ると、亀甲文字のような記号を使っていたのでしょうか?
或る日突然、日本では漢字が使われ出したなどとか考えられないのでねえ...。

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A 回答 (9件)

大島正二「漢字伝来」岩波新書 が参考になります。


それによると、日本では「古語拾遺」(807年)に
「上古の世未だ文字あらず・・・・・くちぐちに相伝え・・・存して忘れず」とあります又、
中国では6世紀頃の「隋書」(倭国伝)に「・・・文字なし、ただ木を刻み縄を結ぶのみ、・・・・百済において仏教を求得し、初めて文字あり」とあります。
ただ大島氏は日本人が漢字と初めて接触したのは、1世紀頃と推察しておりますが、もっと古い可能性もあるでしょう。
普及するのに数百年掛かりました。
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この回答へのお礼

ありがとう!そこまで言い切った学説は信用したいです。
かなり心がスッと鎮まりました。
やはり、ちゃんと本で文字を読まないとダメですねえ。反省。
...となると、太古の原始日本人はどんな様子だったかも知りたいが、
何らかの物証が発掘されないでしょうから、北方と南方から渡来した複数人種であり、
いわば南北戦争で北方が勝ったと想像を巡らすしかないでしょうねえ。
でも渡来人以前の原住民も居たはずで、それがアイヌやサンカなんでしょうか?
すみません!これは、別の質問になりますね。

お礼日時:2008/07/11 11:53

 ANo.5です。


 私の投稿への関連で、ANo.8のお教えがあり、勉強になりました。
 日本は湿気の文化で、且つ、香りの文化だと日ごろ存じており、
湿気はものを無形に、痕跡がないようにしていく性格がありますね。
 そして香りも、私の勉強するヒンドゥ哲学では、非常に消えやすいものでもありますし、無視やなくされるものでもあります。
 ANo.8さんのお言葉をお借りすると、文化汚染の被害をこうむりやすいと存じます。
 だからこそ、少しでも痕跡のあるものを、あれはだめ、これはこう、と確固と確然と仕切るより、あいまいにしながら、視野の隅にいれておいて、不確かなものや変なものも何かと拾っていく方がよいとも存じております。ANo.8さんのお教えのようなご投稿は、私も予測はしておりましたが。
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この回答へのお礼

皆さんのお陰で、多種多彩なご回答が集まったトークフォーラムのようでした。
眠りかけていた知識欲も呼び醒まされた気がします。
改めて、ありがとうございました♪

お礼日時:2008/07/11 12:20

#4です



近代になってからも、孤立した部族コミュニティというのは人類学者や民俗学者によって発見されています(異論はありますが)。
で、これらの集団で文字の使用例はほとんど報告されていません。シンボルはあります。有名なのはドゴン族のポ・トロやニャントロの記号ですが、これは、シンボルであり、文字ではありませんでした(ドゴン族についてはかなり厳しい反論もあります)。
また、独自の文字に近い物が報告された場合でも、文化汚染によってあっという間にアルファベットに転換されています。小集団で守ってきた伝達手段はよりシステマティックで効率的な手段の前には抵抗力はありません。日本において、漢字以前の文字があったとしても、同じことが起こったでしょう。漢字周辺の地域でもこのようなことが起きています(金族、満州族や朝鮮族)。
これらの民族は後に独自にカナに相当する文字を生み出します。余談ですが、朝鮮でハングルが広く使われるようになったのは皮肉にも日本統治時代で、それ以前には漢文を正文、ハングルを諺文として差別していました。
で、日本でも初期はこれと同じ状況でした。支配階級と官僚が漢文を使っていましたが、これは広く使われていたわけではないのです。カナが生まれるまでは漢字は支配階級の物でした。では、被支配階級が伝達シンボルを持っていなかったというと、それはわかりません。前発言のように、保存される記述手段がなかったので、考古学的にはわからないのだと思います。ただ、この頃は日本として一枚岩ではないですから、蝦夷と熊襲では違うシンボルを使っていたでしょう。

なお、サンカ文字は閉鎖集団において閉鎖性を維持させるために意図的に作られた文字であり、音韻学的には近世以降の成立であることは明らかで、文字と言うより、符丁というべきものです。神代文字のほとんど(多分、全部)がこれと同じといっていいと思います。
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この回答へのお礼

多角的多面的にお教えいただき、ありがとう!
遣隋使が持ち帰った経典が日本人が文字を使い始めた起源...
という一般的な認識は、それ以前のアンフィシャルな事実を
スッ飛ばして単に解りやすくした教えだったようですね。
こうして沢山のお教えをいただいて、
漢字の原典となった象形文字はじつに良く出来ていると改めて驚愕!
今の若者コトバが広辞苑に集録され始めた現代ニッポン...
言葉とその意味は時代とともに変遷して来たという事実があるにせよ、
漢字・かなの歴史は一体どうなることやら.....?
最近のTVで知識・歴史・薀蓄モノの番組の視聴者が多いことが
その時代的反動であって欲しいものです。

お礼日時:2008/07/11 12:10

邪馬台国関係の書籍を読めば 既に文字(漢字)使用されていたことが判ります(魏志・東夷伝・倭人条にはっきりと記されています)


また 授与された鏡にも漢字が記載されていました
さらに古墳時代の遺物(鉄剣等)にも  有名なのはさきた稲荷山古墳の鉄剣の銘

王仁博士は千字文を伝えたと記録されています

ですが それ以前の「文字」については そのような記録や遺物は見つかっていません
(「小さな子供が書く絵文字」のようなものは有った可能性は否定はできません)

さらに 漢から授与された金印も漢字で記載されています、
授与を受けた使者は、その内容を理解していたはずです

ですから 漢字の使用は、質問者の想定よりも数世紀遡れるでしょう
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この回答へのお礼

ありがとう。なるほど...です。
日本のオフィシャル使節より以前に、大陸との交流があったのは想像に難くないので、
当然、漢字もそれ以前の亀甲文字も既に日本には伝わっていて、
意味も理解されていたでしょううねえ。
道理で...初めて持ち帰った経典の漢字が、さしたる難もなく
すぐに読めて理解されたワケですね。

お礼日時:2008/07/11 11:31

 お聞き及びでしょうが、サンカの方にはサンカ文字とかがあったとか。


 また忍者などは文字というか、伝達の標識群があったときいております。
 そしていわゆる古史古伝の類では日文とか神代文字とか。
 もちろん否定する方も多いのですが。
 インターネットで検索するとたくさん出てきます。
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この回答へのお礼

いえ、このお教えで初めてサンカを知りました。ありがとう。
アウトローは古代から居たんですねえ...驚きです。
さしずめ現代のサンカはNET難民かオタクデイトレーダーでしょうか?^^
意志や情報の伝達手段は文字のみでは無いということですね。
そういえば、音も狼煙もありましたねえ。

お礼日時:2008/07/11 11:06

わかっていません、現状では、漢字伝来以前に遡るものとしては、銅鐸のパターン化された文様くらいですが、これが伝達意図を持った文字かどうかは不明です(ほぼ、否定的)。



ペトログラフ(ペトログリフとは違います)というのを主張している在野の研究家もいますが、説得力はありません(トンデモさんに近い)。
神代文字については、せいぜい中世の創作であろうというのが音韻学での結論です。

また、大きな理由として文字を必要とするような継続的で大きなコミュニティが、当時の日本には無かったであろうことが考えられます。
又、あったにしても記録手段がありません。日本には土器に文字を刻む習慣はなく(漢字伝来以降もないことを考えるとそれ以前にもなかったと考えられる)。木簡や筆の文化もありませんでした。せいぜい布に炭で描いたり地面に描くくらいでしょう。ですから、この当時に文字やシンボルが使われていた(文字を持たなくても共通シンボルで意思伝達をしていた事例は民俗学的に事欠きません)としても、残っていることは期待できないのです。

なお、漢字伝来は王仁博士以前に伝わっていた可能性が指摘されています。というより、王仁の実在も疑われています。韓国の全羅南道霊巌郡には王仁博士生誕の地というのがありますが、これは、日本からの逆輸入で、ほぼ観光施設と考えて良いでしょう。なお、大阪の枚方には伝王仁塚として墓が残っています。
まあ、徐福伝説みたいなもんですね。
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この回答へのお礼

ほうほう...これは説得力のあるお教えで、ありがとう。
ダダの虫が少し鎮まりました。
そう、紙はまだ無かったし、紙に文字を書いて伝達せねばならないほどの
コミュニティも無かったというわけですか。
たしかに縄文土器の文様もエジプト文明に見られるように記号っぽくないですね。
弥生土器に至ってはのぺらぼうで、ここで顕かに日本人類の大移動か、
大陸文明移入による大革命があったというのを高校時代に習った記憶が微かに蘇ります。
でも文明発祥地で見られるような牛馬や鹿の壁画も当時の日本人は描かなかったのでしょうか?
尤も、壁画が情報伝達手段であったのか、人類固有の芸術性なのか...
また新たな疑問が湧き出るので、今夜はこれにて床に就くとしますが、
夢に出て来そうです^^;

お礼日時:2008/07/11 00:45

今のところ、漢字以前に使われていた文字は発見されていません。


それ以前に、何等かの目印などとして簡単な記号等が使われていた可能性は否定できませんが、体系的に整えられた「文字」が使われるようになるのは、やはり漢字の移入以後であると思います。
また、日本が文字などを記録していくほどの文明を獲得したのは早くて弥生時代頃だと思われるので、その頃には漢字が出来上がっており、亀甲文字を用いるようなことはないと思います。
漢字の伝来自体は遣隋使よりも古く、少なくとも5世紀ごろには一部で使用されていました。
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この回答へのお礼

ありがとう...なるほど...
難波宮跡だったか...発掘された5世紀頃の木簡に僅かな数だけど
文字の痕跡が認められたという報道もありましたねえ。
文明らしきものが生まれた弥生時代には、大陸渡来人が既に漢字を使っていたのかも?
でも、それまでは、人々は文字を持たずにアーウーと口伝で
コミュニケーションを図っていたなんて、やはり想像し難いんです。
...なんてダダを捏ねても仕方ない事実なんでしょうかねえ。

お礼日時:2008/07/11 00:28

文字はなかったというのが定説となっています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3% …
口伝えであったものが、漢字の音を借りてきてようやく残せるようになったといったところでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
そう言われてますが、どうも信じられないんです。
中国大陸やエジプトやインカでは記号めいた文字が太古の昔からあったのに、
日本では遣隋使まで無かったなんてねえ...。
信じられないというより、悔しいのかもしれません^^;

お礼日時:2008/07/11 00:17

『漢字以前』と検索したらいくつかホームページが出てきましたよ。


私も興味を引かれるのでいろいろ見てみようと思います。
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この回答へのお礼

早速、ありがとう!

私も色々とNET検索をしたのですが、
明解に答えているものは見つかりませんでした。
でも、なるほど...もういちど「漢字以前」で検索してみます!

お礼日時:2008/07/10 01:05

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