街中で見かけて「グッときた人」の思い出

最近世界情勢に少し興味を持ち始めたところ、ふとこの素朴な疑問が浮かびました。

憲法で侵略戦争をしないと明記した国は世界中で日本以外にないと聞いたことがあります。世界は2度も大きな大戦を経験したにもかかわらずなぜ各国はこのことが出来ないのでしょう?
 
これについてみなさまのご意見を広くお待ちしております。

A 回答 (8件)

あの、事実誤認では。



「侵略戦争」の放棄を明文で憲法に記した例は他にもあります(例えばイタリア)。
そもそも、国連憲章で自衛以外の武力行使は禁じられているので、事実上、全ての国が侵略戦争を明文で放棄しています。さらに、1928年の不戦条約で当時の殆どの有力国は侵略戦争を放棄しています。

日本が9条1項で放棄しているのも侵略戦争と解するのが通説です。日本国憲法がユニークなのは、2項で戦力を持てない以上、自衛戦争もできないように読める点です。これは大抵、多くの国は自衛の名目で侵略戦争を行ってきたから、と説明されます。実際、日本は満州事変(1931)を侵略戦争でない(不戦条約違反になる)と強弁しましたし、イラクのクウェート侵攻も旧領回復名目です。
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございます。

>あの、事実誤認では。
そのようですね。勉強不足で申し訳ないです。


>これは大抵、多くの国は自衛の名目で侵略戦争を行ってきたから、
と説明されます。

9条がこれまで多くの議論を呼んだのはそういった背景からなんですね。

おかげでこのトピックについて勉強する取っ掛かりができました。
ありがとうございます。

お礼日時:2001/02/20 15:50

「世界は2度も大きな大戦を経験~」ですが、


大抵の国は勝ったからです。
日本の「平和憲法」もアメリカの押し付けです。
(あれはあれでいいとは思いますが)
条文の「侵略戦争を認めない」とは誰が認めないのかということも考えられます。

日本はアメリカによる一種の実験対象であり、
成功かどうかは・・なんともいえません。
もう一つの実験国家「ソビエト」は失敗に終わりましたけど。

ちなみに「軍」を持たない国家はあります。
南米にある「コスタリカ」です。
ただし、この国は地政学的にも経済的にも価値が無いため、
わざわざ攻めてまで我が物にする必要がないためで、
他のほとんどの国ではそうはいかないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございます。
コスタリカが軍を持たない国家だとは知りませんでした。

お礼日時:2001/02/20 15:32

戦争行為も、政治手段の一つとして国際社会に認められています。

良かったのか、悪かったのか、日本はGHQにより戦争放棄を押し付けられただけだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございます。
今後もこれについて勉強していきたいと思います。

お礼日時:2001/02/20 15:06

「対立」とは読んで字の如く対となるモノが並び立つ状態を指します。

今までがそうであった様に現在の人間のレベルにおいて「戦争」を消滅させる事はまず不可能に等しいでしょう。せいぜい政治的利害に基づく「休戦」なり「一時的停戦」の状態を構築するのが限界なのです。

人間の意識下、無意識下の領域には安定を願う心と共に変化を願う心も叉存在しています。変化とは即ち「刺激」「高揚」「熱意」を指し、それらは一様に「闘争」という形に結実しています。そして結果としてそこから「征服」「支配」といったモノが形成、更にそれを是とし「肯定」「賞賛」していく傾向が「願望」「真似」「実践」として広範囲化していってるのです。

もし、真に戦争を含めた全ての「闘争」を「人間社会」からの根絶し、「人間」の存続を図ろうというのなら方法は一つしかありません。

それは「対立」という言葉自体存在し得なくする事。即ち、たった一人の人間を残しそれ以外の人間全てをこの世界、否、この宇宙から確実に「消滅」させる事です。伝承で言う「最初の人間」でなく「処女生誕」がもはや可能となった今日では問題無く行えるでしょう。絶えず一人しか「人間」が存在し得ない状況を構築すれば、間違い無く「人間」は永らく存在し得る事が出来るでしょう。

この方法以外に具体的な方策があるのでしょうか?
地球には時間はもうありません。
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございます。

戦争つまり対立することについて考えていくと
人間の種の存続や人がなぜ「生きる」かというにまで発展して考える
ことができるのですね。勉強になりました。

お礼日時:2001/02/20 15:39

例えば、隣接国で核ミサイル他兵器が開発され、その目標が自国に向いていて、今まさにそれが発射されようとしている時に、そのミサイルが飛んでくるまで見ているとか、飛ばされて命中させられても、その国の基地を攻撃できない、報復攻撃できないという事を憲法・法律で限定しても良いものなのでしょうか?



道を歩いていて、人に殴られひったくりされても、追いかけて相手を殴り、物を取り返す事を最初から放棄、及び禁止してもいいんでしょうか?

又、2度も大戦したと言ってもそん時の指導者は別人だし、どの国も本気で反省なんてしてないでしょうから無理じゃないんですかね。

過去に「殺人」という犯罪は2度どころではなく幾度と無く行われてきましたが、人々はそれが悪い事、悲しい事だと理解していても、何度も繰り返しています。法律で禁止されていてもです。人として道を外れていようが、法律で禁止されていようが、やっちゃうんですよ。戦争は国としてやっちゃうんで、自国を正当化する為に憲法で決めておかないんでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございます。

>過去に「殺人」という犯罪は2度どころではなく幾度と無く行われて
きましたが、人々はそれが悪い事、悲しい事だと理解していても、何度も
繰り返しています。

確かにそうですね。「戦争」も「殺人」と同様にこの世から決して無くならない
ものなのでしょうか?

お礼日時:2001/02/20 15:21

理想として世界の国々が一斉に武器を捨てて、もう戦争やめよう。


戦争は人間同士を不幸にするだけだ。そうだ。そうだ。
となれば、めでたしめでたしですが、人間の中には、武器を捨てない人
捨てたくないがいるために(例えば北朝鮮などなど)その防衛手段のために、
武器を持たざるをえない。こんな所ではないでしょうか。
人間は誰しも平和を望んでいると思います。その一方人より良くありたい
優位に立っていたいと想うものです。その心が武器を取らせるのだと思います。
例えば、クラスの全員と仲良く平和にありたいと想ってもどうしても
馬の合わない奴、嫌な奴、あいつだけは、許せないと思う奴が、居ると思います
自分がそう想っているのなら他人もそう感じているはずです。
自分を含めそういう人間の集まりが国であり世界ですから、なかなか
戦争は無くならないのだと思います。
さらに、その国の歴史や宗教なども深いものだと思います。
しかし、どんな理由があっても人と人が傷付け合うのは、どう考えても
良くないことなのでやってはいけないことだと思います。
自分を含めて心が平和でありたいと願いますね
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございます。
たしか日本は平和を求める理念を持ちながら、防衛予算は
世界でも指折りだとか。人は誰しも平和を望みながら一方で
人より優位に立ちたいと思うものとはまさにそのことかもしれませんね。

お礼日時:2001/02/20 14:46

侵略戦争って言うのは「お前等、死にたくなかったらゆうこと聞きなさい!!!」って事なんですよね。


日本がその条文を持ってるのは原爆打ち込まれて、GHQからの指導なんですよね。
 それぞれの国は国の領土が広がることに越したことはないですよね。
自分の国の人民の為だけに働くか、自分の子供達の為に働くか、地球人類皆兄弟なんて、議論しようとした日本の首相て今までいたっけ?
 まだまだ人類は青二才なんだよね~~(引用ー六田登先生)
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございます。
今後もこれについて勉強していきたいと思います。

お礼日時:2001/02/20 14:38

えーと、まず、侵略戦争は意図して行なわれるものではありません。


戦争を行なう国は、侵略が目的ではなく、自国の防衛の為など最終手段という感覚に近いと思います。(少なくとも現代では)
つまり、侵略戦争を仕掛けようと思う国が無いのですから、わざわざ憲法に明記する必要を感じないのではないでしょうか。
ただ、当事国以外(特に攻められる国)からみると侵略戦争に見えることもあるでしょうね。
この場合、当事国以外が参戦して侵略のように見える戦争を鎮圧するようです。

この回答への補足

ご回答頂きありがとうございます。
確かに現代では侵略が目的で行われた戦争というのはあまり多くはないと思いますが、では湾岸戦争の場合はどうなるのでしょうか? やはりこれも単に当事国以外(特に攻められる国)からみると侵略戦争に見えるもので実際には侵略戦争ではなかったのでしょうか?

補足日時:2001/02/20 14:34
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