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大学で、「~を哲学せよ」というの課題が出たのですが、これはどのように考えたらいいのでしょうか?

授業は、歴史上の有名な哲学者の考えを紹介する、という形だったのですが、それを踏まえて自由に思ったことを書きなさい、ということでいいのでしょうか?

~の部分には、意味の分からない文や単語が入ります。(レポートの課題文を全部書くのは差し障りがあるので、「~」とさせてください。)

問題の考え方というか指針を教えていただけないでしょうか?

A 回答 (5件)

「~」のところに意味の解らない・無い言葉が入るのであれば



それを観て感じたことから始めてみては如何でしょう。

まず「解らない」と言う所から。

解らないとは何だろう。知らないということ。無知と言うこと。
無知によっていかに失敗しやすくなるか。それによって我々はどのように苦しみ悩んでいるのか。

「解らない」と事実を認めることなく、気付くことなくそこに勝手に価値判断したり概念によって何か決め付けたりしたらもっと苦しみ悩むことにならないだろうか。自分達はそのようにしていないだろうか。

価値概念を自分勝手に判断しないようにしたらどうなるだろう。

もう一つ。

「解らない」と言うところから「我々は本当にわかっているのだろうか」といろいろ分析するのも楽しいかもしれません。

五感と意識の六根がどのように働いているのか。
全ては対象の物質が感じる範囲であるものに触れる(変化する)ことによって感じる(感触・味・匂い・概念・考え…など)それぞれ変化することで感じることが出来る。

六根とは何だろう同じが止まったように続くと感覚は苦痛に感じる。
次に他の感覚などに移ると苦痛が無くなり楽を感じる。またしばらく同じ感覚が続くと苦しくなる。

結局は皆本質的には苦しみで苦しみの誤差によって「楽」を感じていると言のでは。

我々はなぜ止まることなく動いているのだろう。

止まると苦しいから。

情報を得たとき本当にそのままのデータを見ているだろうか。好き嫌い退屈に振り分けて、そこに妄想概念のトッピング、決め付けのかたどりをして、はいないだろうか。その捏造した情報によってその現象を引き入れたり撥ね退けようとしたりして、欲怒りの感情を出してはいないだろうか。現実と妄想の誤差に自他を痛めつけてはいないだろうか。

我々の悩み苦しみの原因はこの捏造にあるのではないか。それをなくせば心の悩み苦しみはなくなるのではないか。

この問題解決こそが全ての問題の解決につながる道ではないか。

感覚は本質的に苦だが、心は限りなく軽く生きれるのではないか。

…ブッダの考察を参考にざっと書いてみました。

お役に立てば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「わからない、ということはどういうことか」「本当にわかっているのか」など考えてもみませんでした。「哲学的な視点」というのは、そういうことなのですね。
考えてみると、「意味不明な問題には答えることなどできない」という思い込みで、問題を「考えてみる」ことすらしてなかったのかな…と気づきました。

レポートの期限までは、まだ余裕があります。回答を参考にさせていただき、もう一度「よく考えて」みたいと思います。

お礼日時:2008/07/19 15:31

 自分として真理を追究して、レポートしなさいということでしょう。


 哲学とは、真理とは、自分とは、追求とは 何とは何かと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ただ「真理を追究する」ということがわからないのです…「思ったことを書きなさい」ということでいいのでしょうか。

お礼日時:2008/07/19 15:19

経験的に今まで日本でであった「哲学」の先生で、


柔軟な考えの人はいません。
ベンヤミンの専門家の方は、柔軟だったが、思考力がなかった…。
前項回答者の方策はあくまで、「危険」な回答策…

講義のレポートとしては、
無難にXXの提言をした哲学者と、(そんなひとがいればですが、)
その直接の後継者の「表題議論」をめぐる関係
/そういう人がいなければ、
テーマになっている哲学者が、
レポート表題の提言をするに至った経緯を
歴史的に述べれば、哲学したことになるようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やっぱり、ちょっと危険ですか(笑)
世界史の大学入試のときも思ったのですが、「考えを述べなさい」という問題でも、模範解答を見ると、歴史的な経緯をまとめたに過ぎないものが多く、「これで考えを述べたことになるのかな」と疑問に感じていました。

「考えを述べるなさい」「哲学しなさい」といっても、脱線しすぎてはいけないし…難しいところですね。

お礼日時:2008/07/19 15:18

質問者さんは、言葉の飾り的な側面ではなくて、言葉によって意味される本質に興味があるという、それこそ「哲学する」ことに興味をもっておられる方とお見受け致しました。

そこで、ちょっと危険なアドバイスをしてみます。

優れた教育者は、単に人に教えるばかりでなく、人から教わる機会を待ち望んでいるものです。貴方は大学で学んでいるのですから、このレポートの成績という目先のものにこだわるだけではなくて、ここで貴方の個性を先生にぶつけてみるのも面白いかもしれません。例えば、先生の言葉の使い方に違和感があるならば、先生の出したレポート演題に対して
   「『~を哲学せよ』を哲学する」
と題して、先生が書いた「意味のわからない文や単語」をおよび「哲学せよ」のなどを、肯定的にも否定的に感じたことからでも構いませんし、または意味論からでも構いませんから、分析してみるのも一考かもしれません。

そう言うレポートを書くには勇気がいりますが、これぞ哲学者としてのありうべき姿だ、元気のいい学生に久しぶりに会った、とその先生が面白がってくれたら、その方は本物だと言えるでしょう。貴方にとっても大学でのよい思い出になるかもしれません。

大学とは知識の切り売りをするばかりのところではありません。場合によっては先生に挑戦することも大切なことなのです。

また、若気の至りと言って、未熟で詰まらないことや大変深いことが共におもちゃ箱をぶちまけたように頭の中で渦巻いているのが、若者である証拠なのです。本物の先生なら、貴方のレポートを読んで、へエーと思うかもしれませんし、または、自分の若かった頃の未熟さを思い出して、好意的な懐かしさを抱くかもしれません。私もそんな度量の大きい先生のようになりたいと努力している、巷の馬の骨の一人です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おもしろい視点ですね!!考えもつきませんでした。ちょっと勇気がいりそうですが…いつかそんなレポートを書いてみたいです!

お礼日時:2008/07/19 15:13

「~を哲学せよ」とは、ある事象を哲学的な観点から論述しなさい。


というような意味に私は解釈しました。
ですから自分なりに、哲学的知識を以って自由に(たとえば分析的な哲学的観点から)「~」を論述されたらいかかでしょうか。
これはあくまで私見ですので、誤用や誤解釈がありましたらご容赦願います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはり自由に考えたことを述べていいのですね。ただ「哲学的観点」というのが難しいです。
以前、「ソフイーの世界」という本を読んだときに、「この世界についてもし何も知らなかったら、という視点が大切」というようなことが書いてあったと
思うのですが…これが「哲学的」な思考の始まりということなのでしょうか。

お礼日時:2008/07/19 15:10

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