明治維新のことが、よく理解できていません。
薩摩、長州、坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、
桂小五郎、新撰組、尊王攘夷、倒幕などなど、明治維新の図柄がよく分かりません。
どういう構図になっているのかを知りたいです。

明治維新のことを分かりやすく書いた小説はありませんか。
ご紹介ください。

よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

はじめまして、こんにちは。


質問者様がどの程度の事についてお知りになりたいのか
(予備知識的か・歴史に忠実にか)
分からないのでうまくアドバイスできるか分かりませんが
出来ればお力になりたいと思います。

No.2さんの意見のように『最低限の知識の下地』は必要だと思うので
図説などを参考に勉強なさってください。
ただ、もし今後日本史を専攻される予定でしたら
歴史小説の類を使っての勉強は避けられた方が良いと思います。
歴史小説に『ノンフィクション』は存在しません。
特に『尊王攘夷、倒幕』というキーワードですが
『勝てば官軍、負ければ賊軍』と言われていただけに
研究者の中にもその感情を拭えぬまま書物を書く方もいます。
(どちらかの気持ちに偏りすぎた表現を使うという意味です)
こういった知識をつけて大学などで日本史を研究すると
ご自身が恥ずかしい思いをすることになると思います。
ですから、もしきちんとした知識をつけられたいとお考えなら
日本通史を読むことをオススメします。(小学館など多社から出版)
ただ、あくまでも予備知識程度とお考えでしたら
やはり一番面白くわかりやすいのは司馬遼太郎先生の作品と思います。

長くグダグダと書きましたが…良ければ参考になさってください。
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この回答へのお礼

有難うございます。
「図解」「図説」で最低限の知識を身につけて後、出来れば日本通史を読みたいと思います(別に日本史を研究したいわけではありませんが)
ときどき息抜きに司馬作品を読みたいです。

お礼日時:2008/08/04 04:07

今の状況ですと、小説を読んでも理解できずにかえって混乱すると思います。

やはり最低限の知識の下地がないと、小説の面白味などもなくなりますから。

「図解」「図説」もので基礎を学んでから司馬遼太郎作品を読むと最高だと思います。
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この回答へのお礼

有難うございます。
そうしたいと思います。

お礼日時:2008/08/03 12:21

幕末ものは面白いので、手当たり次第に文庫本を読んだ時期がありました。


小説ですからある程度はフィクションが入りますが、できるだけ史実に沿った内容のものを選びました。
まず、「安政の大獄」あたりを扱った小説から読み始めるとよいと思います。

吉村昭 桜田門外ノ変 上・下
http://www.amazon.co.jp/%E6%A1%9C%E7%94%B0%E9%96 …


早乙女 貢 敗者から見た明治維新~松平容保と新撰組
http://www.amazon.co.jp/%E6%95%97%E8%80%85%E3%81 …
3冊目は、歴史の流れから考えて、江戸城無血開城のいきさつが分かる勝海舟か西郷隆盛を主人公とする作品が良いのですが、小説では思いつきません。

私は、勤皇・佐幕の地で育ったので、明治維新を賛美しすぎているような印象を受ける司馬遼太郎氏の作品は除外しました。
しかし、司馬氏の作品では、高杉晋作、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、勝海舟と有名人が総出演の『11番目の志士』が面白いです。

読書カテで同様の質問が出ています。司馬氏の作品が推薦されています。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa438324.html
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この回答へのお礼

有難うございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/08/03 12:19

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Q【明治維新150周年記念年】現在に残っている明治維新を触れられる観光スポットを教えてください。 来年

【明治維新150周年記念年】現在に残っている明治維新を触れられる観光スポットを教えてください。

来年の2018年は明治維新150周年を迎える記念の年である。


来年の2018年は明治維新を記念する行事が行われる。

あなたは明治維新とは?と聞かれたら何と答えますか?

明治維新とは?

---------

質問:

現世に残っている明治維新を触れられる観光スポットを教えてください。

Aベストアンサー

五稜郭(榎本、土方ら) 函館中島(中島親子) 江差(開陽丸)

Q明治維新で長州藩,田布施一味に日本が乗っ取られた?

→以下、コピペですが、真実なのでしょうか?長州藩とユダヤとは?田布施一?誰ですか?

自民党清和会の源流。

「心に青雲」より引用。

鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、

日本国家の真相は、明治維新で長州藩,田布施一味に国家を乗っ取られた

ということであることが解る。

 長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。
ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。

大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などであ

る。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。

 小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。
鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。

小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。
小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。

 ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。
ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。
例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。

 『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。
 「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京

都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。

尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものでは

なかった。
かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換え

てしまうほかなくなる。

 わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだ

ろう。

奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。
もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。
志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。
今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」

 益田勝実は長州の国家老一族である。
だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。

その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉とな

り、明治天皇となった真相を突いたのだ。

 『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八

助は一族である。

また宮本顕治(日本共産党)も一族。
そして、木戸幸一も系図に入ってくる。
京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。

そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。
この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。
また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。
あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。

……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。
むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)
 明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。

 鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。
そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。
「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。

いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。
 源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島

に“鉄器を持って”漂着した部族であった。

その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から

放逐したのがあの源平の戦いである。

だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた



当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平

家らは撤退せざるを得なかった。
だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。

 それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込ん

だ。

おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。

その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作ったのではないか。

田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」と鬼塚氏は書いている。

あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。
権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒に

しようとした痕が、田布施の寺の群れなのだろう。

 鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。

ということは大室家が平家ではないことを意味している。
平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。
鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋

三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても

韓国系の体型だったと言っている。

田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。

安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。
明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。

 終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。
本名は朴茂徳である。
鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。
だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。

東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。

東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。

 先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家と

は親族だという。

安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。

言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。
これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。

 さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。

阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外

相)は国東半島出身。

大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。
この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。

つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。

 こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整

備を徹底的に施し、“内鮮一致”を押し進めたかがわかる。

つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。
また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。

権力者どもにとっては同族だからだ。
わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。
総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやって

いるのだから、闇は深まるばかりだ。

 さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。
明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。

ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。
http://cosmo-world.seesaa.net/article/

→以下、コピペですが、真実なのでしょうか?長州藩とユダヤとは?田布施一?誰ですか?

自民党清和会の源流。

「心に青雲」より引用。

鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、

日本国家の真相は、明治維新で長州藩,田布施一味に国家を乗っ取られた

ということであることが解る。

 長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。
ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。

大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮...続きを読む

Aベストアンサー

>日本の富を朝鮮半島につぎ込んだとの見解は、成立しません。
乞食生活から抜け出せると考えれば、自称天皇が朝鮮半島へ日本国の富を継ぎこんだ事に肯定が出来ますし、オーパーツ(竹内文書)に第122代明治天皇から第125代平成天皇までが韓国人 李家である事が暗号で記述しています。

>東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。
これならば、マタイによる福音書 24章40節以降に記述された内容に沿っています。

> 鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。
>ということは大室家が平家ではないことを意味している。
昭和19年から昭和20年6月までに、昭和天皇が平家ではないことを皆神山発掘で正体が露見している。その後、宮内庁らは、戦争責任を回避しながらニセ天皇を匿った。
なお、皆神山は、タイムマシン2機により、山を光らした事で、地元に不思議な伝承が今もなお、伝承している。

そのタイムマシンとは、これ。
UFO Flying Over China July 9 2010!!! REAL
http://www.youtube.com/watch?v=YnszlJC8iGs
本来、水平飛行が主体で飛ぶ装置だが、姿勢を垂直にさせ、飛び立たないように前面に照射させながら飛行プログラムを走らせていた。


源氏について、清和源氏本家に確認するまで保留。
なお、当方は清和源氏の分家であり、ふたりめの安倍晴明の転生である。
土御門家の書物に説明があればいいのですが.....ね。

>日本の富を朝鮮半島につぎ込んだとの見解は、成立しません。
乞食生活から抜け出せると考えれば、自称天皇が朝鮮半島へ日本国の富を継ぎこんだ事に肯定が出来ますし、オーパーツ(竹内文書)に第122代明治天皇から第125代平成天皇までが韓国人 李家である事が暗号で記述しています。

>東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。
これならば、マタイによる福音書 24章40節以降に記述された内容に沿っています。

> 鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之...続きを読む

Q日本は明治維新の際、なぜ外国からの借款を必要としなかったのですか?

日本は明治維新前は、封建社会で、農民の移住・職業選択の自由がありませんでした。
明治維新後、資本主義社会になり、市民的な自由の実現が前提条件となりました。
以上のことを踏まえて、日本は明治維新の際、なぜ外国からの借款を必要としなかったのですか?
曖昧な質問かもしれませんが、答えてくださったら嬉しいです。

Aベストアンサー

金や銀がたくさん取れたから。。。
日本は江戸時代の初期には金は世界有数の産出量
銀は(たぶん)世界一位の産出量だったと思われます
幕末のころには金脈や銀脈がやせ細ってきていましたが
それでも それまでの蓄積がありますから金銀は日本国内に
豊富でした
二つ目の理由は
薩摩は琉球、中国などとの貿易で
長州は朝鮮などとの貿易で お金をもうけため込んでいました
この2藩は地場産業も盛んでした
その軍資金でもって明治維新が実現したわけです
外国から軍艦や小銃・大砲を現金(金・銀)で支払いしています
借款するまでもない金持ちの藩だったのです
幕府は家康以来ため込んでいた金貨がだんだんと減ってきたため
フランスから借款することも検討しましたが徳川慶喜が官軍との
戦争をやめたため、借款する必要がなくなりました
三つ目の理由は
反官軍の諸藩が借款してまで徹底抗戦しようとしなかったことです
そのためあまり長期にわたっての戊辰戦争はありませんでした
最後まで抵抗したのは榎本武揚の函館・五稜郭軍ですが
外国もこの軍が勝てるとは思えないということで借款を
提供しなかったのでしょう

金や銀がたくさん取れたから。。。
日本は江戸時代の初期には金は世界有数の産出量
銀は(たぶん)世界一位の産出量だったと思われます
幕末のころには金脈や銀脈がやせ細ってきていましたが
それでも それまでの蓄積がありますから金銀は日本国内に
豊富でした
二つ目の理由は
薩摩は琉球、中国などとの貿易で
長州は朝鮮などとの貿易で お金をもうけため込んでいました
この2藩は地場産業も盛んでした
その軍資金でもって明治維新が実現したわけです
外国から軍艦や小銃・大砲を現金(金・銀)で...続きを読む

Q明治維新の「維新」について

選挙で「維新」と多く聞きます
その語源?である「明治維新」について質問です

明治維新の「維新」はその革命改革の時点で使われていた言葉なのでしょうか?
歴史を振り返って名づけられたものなのでしょうか?
よく歴史に出てくる戦争や革命などは 振り返ってつけられたと思います
(例えば大政奉還以降に維新革命党とかあったら判りやすいのですが)

また「維新」という言葉は明治以前からあったのでしょうか?

教えてください
よろしくお願いいたします

Aベストアンサー

確か、幕末に水戸の藤田東湖が作った造語だったと思います。
革命というと、君主まで変わってしまうことになりますが、日本の場合はそういうことは無く、
天皇陛下が治める日本国の政治体制を全く新しくするという意味で作ったものだと思います。

Q明治維新とは何だったのか、が分かりません。

明治維新のことが、よく理解できていません。
薩摩、長州、坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、
桂小五郎、新撰組、尊王攘夷、倒幕などなど、明治維新の図柄がよく分かりません。
どういう構図になっているのかを知りたいです。

明治維新のことを分かりやすく書いた小説はありませんか。
ご紹介ください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

はじめまして、こんにちは。
質問者様がどの程度の事についてお知りになりたいのか
(予備知識的か・歴史に忠実にか)
分からないのでうまくアドバイスできるか分かりませんが
出来ればお力になりたいと思います。

No.2さんの意見のように『最低限の知識の下地』は必要だと思うので
図説などを参考に勉強なさってください。
ただ、もし今後日本史を専攻される予定でしたら
歴史小説の類を使っての勉強は避けられた方が良いと思います。
歴史小説に『ノンフィクション』は存在しません。
特に『尊王攘夷、倒幕』というキーワードですが
『勝てば官軍、負ければ賊軍』と言われていただけに
研究者の中にもその感情を拭えぬまま書物を書く方もいます。
(どちらかの気持ちに偏りすぎた表現を使うという意味です)
こういった知識をつけて大学などで日本史を研究すると
ご自身が恥ずかしい思いをすることになると思います。
ですから、もしきちんとした知識をつけられたいとお考えなら
日本通史を読むことをオススメします。(小学館など多社から出版)
ただ、あくまでも予備知識程度とお考えでしたら
やはり一番面白くわかりやすいのは司馬遼太郎先生の作品と思います。

長くグダグダと書きましたが…良ければ参考になさってください。

はじめまして、こんにちは。
質問者様がどの程度の事についてお知りになりたいのか
(予備知識的か・歴史に忠実にか)
分からないのでうまくアドバイスできるか分かりませんが
出来ればお力になりたいと思います。

No.2さんの意見のように『最低限の知識の下地』は必要だと思うので
図説などを参考に勉強なさってください。
ただ、もし今後日本史を専攻される予定でしたら
歴史小説の類を使っての勉強は避けられた方が良いと思います。
歴史小説に『ノンフィクション』は存在しません。
特に『尊王攘夷...続きを読む

Q明治維新について理解したいのですが

恥ずかしながら学生時代にまったく勉強もせず大人になったものです。今更ながら歴史の勉強をと思い小学生向けの本を買い込んで読むのですが意味がよく解りません。(勿論、私なりに解らない語句は調べるのですが)出来れば明治維新について理解したいのですが大名や将軍、幕府など何となくしか理解できず悩んでいます。40にもなって本当に恥ずかしい話です。どなたかこんな私にでも理解できるような回答を宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

本文だけだと、確かに「自分で勉強すべき」としか書けません。No.2さんへの補足がありましたので、回答できます。

分かりやすさを重視して多少大げさに書くと。
・大名
今でいう道県知事のこと。
ただし、地域内の立法・司法の大部分・警察・徴税・軍事等の権限があり、領地内では大きな権限がありましたし、中央政府が弱くなれば、中央に対しても相対的に大きな力を持ち得ました。

・将軍
江戸幕府のトップで、実質的には、現在でいう首相の役割です。ただし、立法も司法も担当していました。なお、幕末期では一部の将軍を除き、実際の政治は大老(常設ではない)・老中以下の幕府役人が政治を動かしていました。

・明治維新は、江戸幕府を倒して、朝廷が直接政治をする革命でもあります。過程においては、江戸幕府は当然登場します。

Q江戸時代と明治維新時代

すみませんですけど、昨日の質問がいい加減です。
江戸時代と明治維新時代の区別が、例えば、江戸時代の将軍さまが社会の最高権力者、明治維新時代社会の最高権力者が天皇さまです。それから、まだ何か重要な区別ありますか?
どうも

Aベストアンサー

根本的に違います
身分制度、士農工商/四民平等
和魂洋才
富国強兵
廃藩置県
納税方法

明治もどこまでを指すかによって違います。

小学校6年生や中学校の歴史の教科書にいろいろ書いていると思います。

Q明治維新の頃の日本の全人口と士農工商の人口分布は、どれくらいだったので

明治維新の頃の日本の全人口と士農工商の人口分布は、どれくらいだったのでしょうか?参考サイト等も教えていただければ幸いです。

Aベストアンサー

明治4年戸籍法制定、同5年各戸歴訪人口調査

 表1    明治5年族籍別人口
皇族、華族       0.29     0.01%
士族、卒族、他  183.6      5.5   
神官、僧、他     29.3      0.9 
平民        3100.0     93.6

計(総人口)   3313.1万人  100%

明治6年に就業者の職業別統計もとりました。

 表2    明治6年職業別人口
農   1520.7万人   79.2%
工     67.2       3.5
商    126.7       6.6
雑    175.1       9.1
雇人    30.0       1.6

計   1919.8万人  100% 

関山直太郎著 「日本の人口」日本歴史新書 より

表2は職業別人口とありますが、正しくは職業別就業者数
でしょう。これと表1の平民人口から、職業別人口が推定
できるでしょう。

Q女性の地位(江戸から明治維新)についての質問です。

江戸時代から明治時代にかけて、明治維新の中で女性の地位の変化があったと思いますが、実際、女性の地位は明治維新により向上したのでしょうか?それともさらに低くなったのでしょうか??

Aベストアンサー

 基本的に江戸時代は武士では朱子学が主流的な倫理ですから、男尊女卑的な傾向が強いと考えるべきでしょう。
 しかし、公家・庶民の倫理感では朱子学が支配的とは言えず、女性の地位が低かったという論証の証拠はありません。
 これは封建社会における一般的傾向ですが、支配階級では独特の倫理感から男尊女卑が見られますが、庶民は性差を確認することができません。 それは、封建主義は女性労働力への依存度が以前として高いことにあり、同時に生産力として頭数(人口)が重要な経済因子として考えられることが指摘できます。つまり、女性は子供を産む存在であり、育てる存在である限りは、生産力の逓増のためには、女性を無視することができないという部分があります。
 世界史的に指摘すれば、近世の政治革命であるフランス革命では、制限的ながらも女性人権が確認されますし、男性上位の制度にしても、女性が顕著に劣位とされたとは言えないでしょう。
 
 さて、質問の回答ですが、残念ながら女性の相対的地位は下がったというべきでしょう。
 それは、明治維新が既存の朱子学的倫理による支配を目指したことからも明白でしょう。
 教育勅語は朱子学的見地が強く、男尊女卑的見地が多々見られます。そして、家長制度の普及によって女性の地位は下がります。
同時に皇権でも、明治22年皇位を男系男子に限定し、女性皇族の即位を否定した旧皇室典範が制定されるなど明治維新は男尊女卑を加速化させる傾向にあります。
 ただし、革命期を除けば世界的に近代通史は男尊女卑の傾向にあります。
 男女同権という倫理感が支配的になったのは、第二次世界大戦後の話と言えます。

 ちなみに、歴史で食べている人間として言うならば、女性の影響力は非常に大きいことは言うまでもありません。
 その根本は女性だけが子供を残せるという特異性につきます。女性が多産である家は家名を残し、繁栄させる重要な要件です。
 むしろ、女性権力が局所的に強い歴史ほど、影響力が強いと言えるでしょう。
 ハプスブルグなどは女性なしには到底語れない歴史です。ナポレオンも女性なしには語れませんし、伊藤博文も同じことです。

 ちなみに、庶民と武士・公家と分けて考えることをお薦めします。

 基本的に江戸時代は武士では朱子学が主流的な倫理ですから、男尊女卑的な傾向が強いと考えるべきでしょう。
 しかし、公家・庶民の倫理感では朱子学が支配的とは言えず、女性の地位が低かったという論証の証拠はありません。
 これは封建社会における一般的傾向ですが、支配階級では独特の倫理感から男尊女卑が見られますが、庶民は性差を確認することができません。 それは、封建主義は女性労働力への依存度が以前として高いことにあり、同時に生産力として頭数(人口)が重要な経済因子として考えられる...続きを読む

Q【歴史・日本史】日本は明治維新前まで6曜日だったそうですが、月、火、水、木、金、土、日という7曜日の

【歴史・日本史】日本は明治維新前まで6曜日だったそうですが、月、火、水、木、金、土、日という7曜日のこの月、火という漢字を決めたのは誰ですか?誰が考えたんですか?

6曜日のときはどのような漢字を使っていたのでしょうか?

Aベストアンサー

六曜は、先勝(せんがち)→友引(せんがち)→先負(せんまけ)→仏滅(ぶつめつ)→大安(たいあん)→赤口(しゃっこう)の順で繰り返す曜日の事で今もなごりがあります。

また、旧暦の各月の1日は以下から始まると決められています。
旧暦の1月・7月:先勝から始まる
旧暦の2月・8月:友引から始まる
旧暦の3月・9月:先負から始まる
旧暦の4月・10月:仏滅から始まる
旧暦の5月・11月:大安から始まる
旧暦の6月・12月:赤口から始まる

なので、6月30日が、仏滅の場合でも、7月1日は先勝になります。
1日には前の続きでは無く、リセットされる訳です。

7曜日に関してはもの凄く長くなるので、発祥の時のエッセンスのみにします。

7曜日の概念は古代バビロニアで形成され、エジプトやギリシャ、古代ユダヤに伝わって完成されたと伝わっています。

天動説において地球の周りを巡る7つの大きな星(天体)を「動きの遅い順」に並べると、 [土]→[木]→[火]→[太陽(日)]→[金]→[水]→[月]の順番になります。
これを1時間毎に繰り返すと、7日(168時間)で1週します。

1日目:土|木|火|日|金|・・・・
2日目:日|金|水|月|土|・・・・
3日目:月|土|木|火|日|・・・・


これを縦に採って来ると[土]→[日]→[月]→[火]→[水]→[木]→[金]が繰り返されます。

六曜は、先勝(せんがち)→友引(せんがち)→先負(せんまけ)→仏滅(ぶつめつ)→大安(たいあん)→赤口(しゃっこう)の順で繰り返す曜日の事で今もなごりがあります。

また、旧暦の各月の1日は以下から始まると決められています。
旧暦の1月・7月:先勝から始まる
旧暦の2月・8月:友引から始まる
旧暦の3月・9月:先負から始まる
旧暦の4月・10月:仏滅から始まる
旧暦の5月・11月:大安から始まる
旧暦の6月・12月:赤口から始まる

なので、6月30日が、仏滅の場合でも、7月1日は先勝になります。
1日には前の続きでは無...続きを読む


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