推しミネラルウォーターはありますか?

明治維新をあまり知らないのですが、当時、倒幕のための戦いをしていた薩摩藩や長州藩の人達は大政奉還の後、明治政府の今で言う、総理大臣、経済産業大臣、厚生労働大臣などになったのですよね?
てことは単に力ずくで名誉が欲しかったので倒幕戦争を起こしたということでしょうか?
坂本竜馬だけがそのようなものに興味がなかったというのも聞きました。
わかる方よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

>単に力ずくで名誉が欲しかったので倒幕戦争を起こしたということでしょうか?



基本的には、質問者さまの考えで正しいでしようね。
徳川家に対する積年の恨みを晴らすとか、低下した幕府を改革するとかは「後世に誕生した話」です。
江戸時代は、徳川家を盟主とする各藩の連合国家です。
各藩は、一種の独立国家ですね。
そうすると、力のある藩は「弱体化した幕府に代わって、政治を行ないたい」との考えが生じます。
その為には大義名分が必要ですから、天皇家が望む「攘夷」に便乗(当時の多くの藩は、攘夷は不可能と考えていました。明治新政府が、すばやく国際化を目指した事でも理解できます)したようです。

幕府を倒し、明治新政府が誕生しても、政府内では「出身藩毎に政争」が多かったようです。
これも、政府内での藩を基準とした主導権争いです。

>坂本竜馬だけがそのようなものに興味がなかったというのも聞きました。

竜馬の考えは、人材を藩の枠を超えて登用する事を考えていました。
この考えは、当時の倒幕派にとっては危険な思想でした。
特に、薩摩藩では怒りが心頭したようですよ。

竜馬暗殺犯人は?
幕府・新撰組又は関係者というのが定説ですね。
ですが、当時の(京)都で囁かれた説で「黒幕=薩摩藩」があります。
犯人は「チェストー」と叫び一太刀で竜馬を斬ったとの事。
チェストーは、薩摩示現流。示現流と言えば殺しの○次郎。○次郎といえば薩摩藩士で西郷ドンと盟友。
当時の神官・坊主の日記に記述があるそうですが、真相や如何に?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/14 16:38

幕末の境目は黒船で、阿部正弘が諸大名に意見を求め、従来は幕政に関与できなかった御三家の徳川斉昭を、松平慶永や島津斉彬の推薦で海防掛参与にしたことに始まります。


つまり、この時点までは日本では幕府が絶対的な権威を持っており、譜代大名や旗本が幕政に関与し、御三家、親藩、外様大名は政治には一切関与していなかったのが、これにより政治に関心を持ってしまったわけです。
長州、薩摩の両藩ですけど、最初から幕府と仲が悪かったわけではなく、長州藩でも長井雅楽が「公武合体政策を支持し外国との折衝を幕府
主導にて行い、緩やかな開国を目指す」という航海遠略策を出しておりますし、先に出した島津斉彬も幕政の再建を考えています。
寧ろ初期には水戸藩が一番過激に動いていたと思います。
倒幕ですけど、藩として考えるのではなく、身分闘争と考えた方がすっきりすると思います。
維新の主役はほとんどが下級の身分で、革命を経なければ絶対に世の中に出られない身分です。
つまり、下級身分の人間が幕末の混乱を見て、世に出るチャンスと考えたのが討幕運動で、坂本竜馬が名声を求めなかったのは、彼の目が商業に向いていて、商業立国を目指したということだからと思います。
要は商人的な発想で、自由な商業活動が出来る国を作り、欧米と対等に貿易をやりたい、そのためには幕藩体制ではダメだという考え。
維新後に薩長の藩士が高位高官になったのは結果論であって、当初は固定された身分を打ち破るということであって、倒幕佐幕は関係なかったようです。
関ヶ原の恨みはどうなんでしょうね?
上杉家はあれだけの仕打ちを受けましたが、最後まで佐幕でしたし、幕末の各大名家は一橋本家(慶喜)と水戸家を除けば全て一橋家の血筋が藩主であり、今更でしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/14 16:37

1600年に関が原の戦いで三成方の西軍についた薩摩と長州が、260年経って、念願の徳川打倒できたということです。


長州の藩主が、代々年始に家臣と、徳川打倒について語っていたと言うのは有名な話です。
外国の強引な外交で、徳川政権の外交力の弱さが露呈されたことをきっかけに、政権交代がなされたということです。
坂本竜馬にせよ、もともと西軍の長宗我部家(関が原の後に取り潰される)の家臣の子孫ですから、徳川幕府を潰す理由は十分です。
ただ、竜馬の場合は、一郷士という立場をわきまえていたことと、勝海舟という怪人物に篭絡されてしまったので、ハト派になって、幕府を武力討伐することに反対したということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/14 16:36

日本が危ない



今の幕府じゃ対応できない(薩長の主観において)

自分らがやるしかない(薩長の主観において)

幕藩体制の代替は過去に経験した朝廷システムだ

王政復古

となります。
それで、
1:力づくで名誉が欲しかった
→ 日本を守るためには権力を持った人間が必要で、それは自分らがするしかない(主観的には)とした。その権力の一部として権威・名誉がついてくる。
2:坂本龍馬
→ 明治維新前に、権力や名誉などを自分が欲しいと言った人物はいません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/14 16:36

江戸幕府の統治能力の低下だけでなく、皆さんご存じの黒船来航により、


外的への危機感が高まりました。周辺諸国の帝国主義に対抗するため
ではと考えています。(結果論ですが)

アヘン戦争あり、太平天国の乱あり、産業革命あり。
こんな時代に、何もしなかったら占領されていたでしょう。

歴史上、正しいかどうかは、後世の人間が評価してくれるでしょう。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB% …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/14 16:35

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