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世の中には弱者を虐げて省みない悪人が存在する。
神はミラクルを起こしてこの悪人を善人に変えることができる。それなのに悪人を悪人のまま放置しているのはなぜだろうか?

上記の問題は神議論の問題と言ってよいでしょうか?

御回答よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

悪人を悪人と判断するのは人間です。



神にとっては悪人ではないからでしょう。
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【補足要求】


「神はミラクルを起こして悪人を善人に変える事が出来る」
と断言できる論拠は何でしょうか?
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マリア・フワポヨです。



神議論の基本中の基本ですよ。
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[神はミラクルを起こしてこの悪人を善人に変えることができる。

それなのに悪人を悪人のまま放置しているのはなぜだろうか?]

宗教を学ぶ者の多くが持つ疑問の一つですね。この答えは至高神(創造主)にしかわからないのですが、至高神の弟子として答えることにしましょう。
おそらく誰しもこの問題にあたるとき、自身の人生という枠で見るわけですが、80年ほどの人生の時間枠で見る問題では回答はないことは確かですね。
悪人といえばあの有名なサタンですが、この方が地上に生きた時代は1億年以上前の話です。サタンは死後天国に戻れずそれから今まで1億年以上にわたって地上に生まれたことはありません。天国の一部の神に反抗して地獄霊界をつくり帝王として君臨しています。このサタンというお方は地上に生まれる前は7大天使の1人でルシフェルと呼ばれていました。非常に聡明なお方だったようです。
この例でなにをいいたいかといえば、2つあります。1つ目はどのような方でも億という歳月の転生の中で「悪人」となった経験が何度もあったということですね。これは7大天使の1人でも悪人になるぐらいですから普通のお方はいわずもがなということですね。2つ目は、確かに「悪人中の悪人は」地上に生まれることはないということです。サタンがいまだに地獄にいることで理解されるでしょう。
では何故、至高神(創造主)は地獄界を消してしまわないのか、消せば地獄に落ちるような人間もいなくなると考えるお方もいるでしょう。
誰しも一度や2度は地獄の経験があるとすると、地球上から人類や人霊はいなくなってしまうことは容易に推測できるでしょう。現に現在の地獄の人口は50億を超えています。地上の人口と同じぐらいな規模なんですね。
ここまで述べると消されなくてよかったと思いませんか? 至高神(創造主)が人霊を創造したのは6億年も前の話です、以来、辛抱強く見守っているというのが本当のところですね。
至高神曰く;地上の幼稚園ではおいたする者もいるがみんな幼稚園の園児だからね。;だそうです。
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 悪人にも善人にも ひとしく雨を降らすということを ひとが分かるようになるためだというのですが。

・・・

 悪人の存在を知ることによって わたしが 自己の善なる存在に 思いを致し そのこころが さらになお 清められるためであるというのですが。・・・

 悪をただしく知って その悪論を 言われているところの悪人に伝えることが われわれに出来ることです。
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あったことはありませんが創造主みたいな神様がいたとしましょう。


普通に人間の父親でも立派な人は兄弟を差別したりしません。
その創造主が人間並みに公平なら善人に肩入れしたりはしないでしょう。
それから悪人は改心したいと思っているのでしょうか?
もしそうならそれを手伝うのは姿の見えない創造主でなく同じ時代を生きる私たち自身です。
この手の問題にいちいち神頼みを持ち込むのはいかがなものかと思います。
悪人も人間ですから人の心が判らない人でなしが善人なら神頼みも説明が付きます。
それはただの偽善者でしょうね。
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 神から見ての悪人、それはいない。


 人、それぞれの都合や価値観、考えなどにより、人から見ての悪人とはの相対的となる。
 救う神もある。
 神は要求も強制も必要ない。
 その方に存在している、意識として自ら変わっていく。
 自由と判断というプロセスを経ながら。

 ということです。
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神義論の問題といってよいと思います。


たとえば古代オリエント文学や旧約聖書のヨブ記などに
みられる神義論の問題では、

1)神は全能者である
2)この世には悪がある
3)それゆえ神は義ではないか、あるいは全能者ではないかのどちらか
でなければならないのではないか?

という問題を扱っています。1と2は、naritokuさんもそうして
いらっしゃるように前提とされているのです。これを解決するために、
1か2が否定されたり、神は義ではないと結論されたりする。
あるいは1と2は正しいけれども人間にはそのふたつがどのように
調和するかわからない、などと議論されます。
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何故神様は人が悪をやるのを阻止しないのか。


全能者だからなんでもできるはずなのに。
実際に悪人が野放しになっているってことは、神様は実は全能者じゃないんじゃないか。


という主張に反論するには、こうしたらいい。


人はすべてを知ることはできず、神の計画の一部を見ただけで、悪人が神に裁かれないでのさばっている と思ってしまう。

つまりA-Zにするという神の計画があって、それを神は進めている途中段階において、短絡的に「なーんだ 結局悪人を野放しにするしかない無能者神なんだ」と思うことは、視野が狭いからそう思ってしまう ってことらしいです。


ヨブ物語で不思議なのは、サタンと神様が談合して、ヨブを不幸にしてしまうってこと。

逆なわけで、義人で、信仰が深いヨブを神はいじめるんですね。
息子を殺して、家畜を殺して、家を焼いて、ヨブ自身重い皮膚病にかかる。

良い人なのに、報いが災い。
友人たちは、「気づかないうちにとんでもないことをしたんじゃないか。じゃなければ神はまったくの善なので、間違えたことをするわけがない。 お前 とても悪いことをきっとしたんだよ。」とか言うわけですが、ヨブは心当たりが無い。

で、心当たりが無いヨブは、内省のしようがないので、神様の前にとうとう立った。

「馬鹿な私は自分のどこに落ち度があったのかわかりません。 場かな私にどうかその理由を教えてください。」

って言ったんですね。

それに答え、とうとう神のおでまし。

「貴様の分際で 俺に者を言うとは。貴様 俺がこの世を創造したとき どこにいた! 言えるものなら 言うてみい!」


これが答え。


ヨブははっとなり、身を引いた。

神の計画のすべてを知りえない自分だから、その一部を見て、「あなたのやっていることは間違えている。」と思ってしまった。
神と自分では違い、全部を見通せる神のやっていることを、一部しか見れない自分があれこれ言って疑問を持って反感を持つのは間違えとる。

と悟ったことになっております。


コーヘレトになると、神の計画のすべてを人間は知ることはできないということは、もう承知しているわけで、それでも一時的な災いにどう対応するのか って考察がされているんですね。

神の計画に文句は言わないが、空しさを感じる。
で、神のやっていることは間違いとも正しいとも そこらには触れず、一部しか認識できなず不幸感をぬぐえない自分だが、その障害においても、神が許していることはある。

自分が労苦したことに対し、結果はどうであれ、「自分 がんばった。」と満足すること。
これだけは、すべてを見通せないという障害を持つ人間に許された贅沢。

とユダヤ文学は展開していくんですね。

ヨブの作者もコーヘレトの作者も、熱心なユダヤ教の信者だったようで、神のやることに不平をたれても、何も益はなく、悪の存在は神の計画のために必要なことかもしれないが、それにしても、、、とあれこれ言っているより、そういったことに囚われず、自分の道を満足して歩むってことじゃないか と。


私に言わせれば、すべてを見通せない人間なので、障害があるわけで、例えば 人間は相対的にしか物事が見れないので、自分から見て対象を悪だと思っていたとしても、向こうから見れば彼らがやっていることは善なわけで。

同じものをみても 片方は善だという認識で、片方は悪だという認識。

ただし、殺人などの場合、相対的で見方によっては善になる とは言い切れない。


例えば<罪と罰>では、ラスコーリニコフは、ナポレオンは大量虐殺をやったが英雄と呼ばれた。ってことは、金貸しの老婆はみんなから嫌われ、借金を返せない人から恨まれており、彼女が死ねば多くの人たちは負債から解放されるので、彼女を殺した人は善になりうる として、一線を踏み越えたわけです。

ラスコーリニコフは善のために殺人を犯した。
殺人をやっても許される高みの者になろうとして殺人をやった。

で、ユダヤ教の場合、隣人が借金を返せなくても、利子ととらずに質に入れたものを返せと解いている。
じゃあ 老婆はユダヤ教では悪になるか?

ならない。
なぜならユダヤ教が言う隣人とは、イスラエルの子孫のことだから。
したがって老婆は間違えたことはしてはいなかった。

それを大義の元 殺してしまったが、それは世の中のためというおり、自分を高みの者にするため。
つまり 自分を神にするため。


って感じですね。

まっ ともかく悪人を野放しにしていると一部を見て憤怒するのをちょっと待ち、物事に囚われない心を持つのが理想ですが、私はできた人間じゃないので、理不尽! とか思ちゃいます。笑

信仰を持ちなおかつ深ければ「ちょっと神様 これはないんじゃない 理由を言ってよ」とつっかかるかも。
ただし、私神とか信じていないので、つっかかる対象が無いとわかっているので、無いものにはつっかかりようがない。
まあ 神の存在など信じていないので、ちょっと神様! やりすぎ! とかそういう思考もしませんが。
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