No.1
- 回答日時:
「なかったからなかったのだ」というのが答のように思います。
逆に言うと、「どうしてダイナミックな視点を持たなければならないのか」
という問題になります。
日本画における、となっていますが、
西洋美術でも、顔のアップというのは、近代以前はあまり思い出せません。
あるのかもしれませんが……。
日本での肖像画はだいたい全身を描きますが、
西洋の肖像画はバストアップも多いようです。
これは、クローズアップということではなく、
椅子とテーブルがある生活で、相手の顔を見る状況を絵にすると、
バストアップが自然な構図になるのでしょう。
日本の場合、床や畳に直接座るので、バストアップでは中途半端になります。
「バストアップ」はもうちょっとで「顔のアップ」になりそうですが、
やはり違うと思います。
構図は、その時代の人の視点に影響を受けるのではないでしょうか。
たとえば、近代以前の人間が「顔のアップ」を視る機会は、ほとんどなかったと思います。
一人の人の顔が、視界の全部を占めるというのは不自然な事で、人生のうちでもそうそうありません。
恋人とキスをするときぐらいじゃないでしょうか。
今の我々は、顔のアップの絵を見ても特に奇異な感じは受けません。
しかし、それは、写真・映画によって、様々な構図を見慣れているからでしょう。
それがなければ「こんな視点は無いんじゃないの?」と思うのではないでしょうか。
もっともだと思います。
生活習慣によって多少左右されるでしょう。
西洋画の肖像との決定的?なさを感じまして、それは、視線が交わっていないということがある気がします。日本画の人物は決して画家の方を向いてないですよね。この辺の消極性も気になるところです。
No.2
- 回答日時:
アップは習作ならあるでしょ。
習作は作品として人前に出さないし。絵巻物は質問者さん自体が絵巻物って書いてる時点で、絵巻物は
文章が主で絵は説明する図ってなぜ気づかないか逆に不思議だね。
情報量は多いほうが説明しやすいわけで、地図が上空からみた図を記号
で描いてあるのと同じと考えれば分かり易いですか?
逆に絵本がアップばっかりだったら意味わかんないと思いますけど。
それとタブロー(日本語なら画面かな)を区切られた世界と考えた場合
その枠内からはみ出していると画面の外へ(タブローの正面から外ね)
対象物が飛び出してるわけで、遠近を表現する場合それは欠陥なわけ。
空間が外へ湾曲してるわけだからね。線や形体が開いちゃうし。
アップで表現するという場合は抽象的な形態のみを扱う表現でないと
破綻する可能性が高いからなんですよ。
それに、日本の美術は対象物の周りの空間を宇宙や世界を感じさせる
ために余白を使って表現するし、盆栽ですら空間を重んじる精神が
あるわけで、それから考えると空間が詰まってると品のねぇ作品
と感じちゃうのかもしれないのかな。
視点を変えると言うのも画面に湾曲が出やすい表現方法の一つで
画面における空間の湾曲を悪と取ってた意識が強いと考えられるんじゃ
ないかな。
(日本画なんかに視点による遠近の表現なんてねえだろとか言わないでね。)
それと、様式美を重んじる日本画だからそれから規格外にはみ出る作品は
ウンコみたいな扱いしかされないわけでね。実験的な作品なんてオナニー
は現代の美術ぐらいでしか評価されないでしょ。歪んでようが
なんだろうがいいもんはいいっていうのは分からなくもないけど、
守るべき作法っていうか愛すべきマンネリって必要だと思うけどな。
だから昔のお偉いさんがそんな変わったもの重宝するなんてことは考えられないわけですよ。
作家もお金もらって描いてるわけだから死活問題です。
横山大観ですら最初はボロクソに言われたくらいだしね。
習作といいますが、本作品にかかわらない習作なんてあるんでしょうか。絵巻物の情報量といいますが、あまりにも固定化した構図というのは、頑固頑迷という印象です。空間美もいいのですが、それを表すのに、鳥瞰図ばかりでいいのでしょうか?
空間の湾曲、その多様性を認めないという精神ですね。これがどうも解せないとこです。遠近表現は、ほとんどないとあえて書きたいです。
No.3
- 回答日時:
「大首絵」というのがありますが?
喜多川歌麿
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2008/0601/in …
東洲斎写楽
http://www.aurora.dti.ne.jp/~k-manabe/ukiyoe/sya …
達葛飾北斎
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/hokusai.html
こういうのは、様式として近世にでてくるようですね。でも、やっぱり視線をこちらに向けているわけではなくて、なんというか、対象物としての価値観から離れられないですよね。
No.5
- 回答日時:
こういうアップがあるのをはじめて知りました。
が、西洋画と根本的に精神が違うなと思うのは、画家と精神的交わりがないという感じです。
No.6
- 回答日時:
それともう一つ、職業画家は技術で飯を食っているわけで、
安易なアップは手抜きと捉えれれる危険性があるということだろうな。
細かい書き込みや、きらびやかな色彩(高価な絵の具や画材)で
作られた芸術作品は教養があろうとなかろうと人を納得させる
力があったと言えるってことだろうね。
また、飾る場所や鑑賞する空間にあわなければ選択しないね。
典型的な写実的に描かれた絵を絵を描いた経験が少ない人が無条件で
うまいなーと褒めるのを考えれば分かるように分かり易く、人を
満足させるパターンとして残ったそういった構図の作品の数が増える
のは自然の流れであるのは当然でしょう。
だから下手人の人相書きは用途から考えてアップを描いたり
身体的な特徴の部分を切り取って描いていたはず。
長い間、ふるいにかけられて残った様式にはそれなりの理由がある
わけで、その点を踏まえずにただ似たようなものばかりと考えるのは
ちょっともったいない気がしますね。
たとえば、織田信長が本当に芸術にも革新的であったら、自らの肖像画を、なにかポーズを取って、こちらを指差しているとか、もちろん視線を交じり合わせるとか、画面の中で主張するという方法を思いつかなかったものかと。
おっしゃるところの、細かな距離を持った描写しか要求されないとすれば、なんと日本人の芸術的感性の貧しかったことかとも言えますよ。
そういう固定概念を崩すことがなかったという、鑑賞側製作側両方の停滞ぶりがある気がします。
No.7
- 回答日時:
え~っと、ド素人の出しゃばりは嫌われるんでしょうけども。
日本画と西洋画の違いって、形の捉え方ではなかったろうかと想像します。
人物のアップが無かったことも、構図に変化が乏しいことにも共通してあるのはシルエットの重視じゃないでしょうか?
日本画って、背景を描かなくていいものという認識があって、「余白の美」とかいうものも鑑賞したりするんじゃなかったですかね。つまり、余白も含めて一枚の絵だと。その意味では、空白の有り様も含めて画面をデザインすることに腐心していたと考えてもいいんじゃないでしょうか。
また、絵巻物などは、シルエットを活かす、つまり、重なって形状が分からない部分を減らすにはちょうど良かったと。絵そのものに強いデザイン性があったりもするんでしょうけど、意図的に隠す場合でなければ、陰に入って判然としないってことは無かったように思います。
雷門だったかにある仁王像が、下から見上げた時によりよく見えるように造形されている点を考えても、形へのこだわりってのは強いと思うわけです。さらに、能や狂言の舞台背景も、とても簡素なものです。しかし、そこに背景が無いということではないわけでしょ?
で、そう考えると、日本画の細密画とボタニカルアートの表現方法がとても良く似ているってのが興味深いです。
純粋に、その形状だけで事実を記録するという形式ではありますが、自然のままにその形状をとらえるという意味では、日本画にもリアリズムは存在したと思うわけですね。
これは、西洋画でのリアリティーと違っているのではないでしょうか?
何故ダイナミックな視点を持たなかったか、については、たぶん、必要ではなかったんだと思います。
実際のところ、日本家屋で絵画を飾るスペースはかなり少ない上に、絵画すらも部屋の一部分に取り込むという部分では、絵が突出することを望まなかったろうと思うので。
一休さんの虎の屏風じゃないけれど、どこに何を置き、どう見せるのかってのは計算されていることだったろうし、寺院の天井画だってそうでしょう。
西洋画が画面の中だけにダイナミックさを求めたのに対して、日本画は、それを見るシチュエーションも含めてデザインされていたのではないかしらんと思います。
鑑賞姿勢が西洋とは違うということらしいです。そういうものからあえて飛び出そうとしなかった、革新を起こそうとしなかったという、芸術的な停滞というものがあった気がします。停滞を安定といってもいいのかもしれません。シルエットと空間性の重視という意味合いで鳥瞰というのがもっとも合っていたということらしいですか。
No.8
- 回答日時:
西洋でもあえて様式から飛び出そうとした動きが活発になったのは
19世紀後半から。日本だけが停滞していたと考えるにはちょっと
どうかなと思うね。
実際、西洋画古典絵画では風景画は圧倒的に少ない。背景の習作として
研究家がどこからほじくり出してきたものが多数ですね。
それに、日本の浮世絵や工芸品に魅了されて評価し、たぐいまれなる
技巧に驚嘆したのは西洋人だからね。革新的だったら日本みたいな
様式はとっくに存在してて、それほど驚かなかったんじゃないの?
様式の純度は日本のほうがある時期までは上だと確信しているよ。
あくまで純度だけだけどな。
ヨーロッパとくにフランス絵画は第一次世界大戦以後その様式を引き継ぐ
機関が崩壊して新しい様式に移行せざるえなくなった外的な要員も
大きいからね。同じことが日本でも第二次世界大戦以後に起きている。
上から下へ伝統を受け継いでいく流れが途切れてしまったことを、
手放しで喜べるほどいいことだとは思えない。
革新性を追及する西洋が日本の伝統文化に理解を示し賞賛し、逆に日本が
伝統に縛られているからこそ、革新性に憧れてアプローチを展開する。
その土地や人間によって考え方や価値観はちがうさ。気に入らなかったら
今は海外に住んじゃえば良いんだよ。
どっちが上とか下とか考えたことはないね。停滞と考えるかそうじゃない
かはあなたが決めてください。わたしは興味がないんで。
西洋画の伝統的スタイルを言っているので。肖像画がこっちをみているでしょ。そしてあの描写力。写真がない当時の歴史的資料値があります。この精神性の違いは何なのだろうか。
腕はともかく、画家がモデルに向かうスタイルですね。
西洋が日本に感心するのは、その精神性までは達していなくて、表面だけだろうと思う。だから、モデルがそっぽ向いている絵しかないということに賛同するやつはほとんどいないでしょう。
No.9
- 回答日時:
それともう一つ、視線を画面外の一定方向に向けている西洋画っていう
のは実は少ない。こちらを見ているようで瞳が分散しているパターンが
多い。斜視っていうのかな一度調べて見たらどうです?
昔のアイドルもわずかな斜視のほうが人気が高かったとか・・・。
画面の方向に視線を向けないっていうのはのぞき窓から相手を見ている
と考えれば作為的なポーズではなく自然な振る舞いがいいと感じてるって
ことになりますね。ポーズに作為っていうものを嫌うってのもあるんじゃ
ないかな。日本は慎ましさを美徳って感じるもんね。
まあ矛盾するけど、そういうポーズは取ってもらってるんだろうけどね
肖像画なら。
西洋画は図像学のようにポーズにメッセージを込めることがあるので
その影響が強い、ボディーランゲージの強い国ならではだよね。
ニュース映像とかもインタビューの素材では視線はカメラじゃ
なく違う方向が多いですね。覗いているという意識とともに、どちらか
に顔が傾いているほうが顔として認識しやすくヘンな影が出ない
ていう理由もあります。理由は一個じゃなくていろいろあるんですよ。
結論は急がずにゆっくりいきましょう。
注視していなくても、画家との関係性というか、モデルの存在感が圧倒的。日本画は空気の中の人物でしかない。いかにアップの(胸像)肖像であろうと。そういうのは、美徳なのかそれとも精神性の弱さなのか私にはわかりませんが。わたしは、つつましさとか、ボディランゲージの強弱とか言う些細な問題でなく、本質的に芸術に対するアプローチが違うように思える。深いところでね。これは、現在もマスメディアやその他のスタイルに影響しているのかもしれませんが、西洋のそれを輸入したものだから微々たる差でしょう。しかし、日本独自の芸術であった時代、けっして画材対象と関係性を結ばないという姿勢があったような気がしてなりませんね。で、それが、質問のはじめのほうから言っている、絵巻の決まりきった偏執狂的俯瞰構図に最も印象的です。
No.10
- 回答日時:
最初の回答で答えたとおりなのですが、絵巻物がモチーフと画家との
関係性を結ばないのは、アナタ、絵巻物限ったことですが
創作話や御伽噺を扱っているというところを忘れてないですか?
そのような想像を描くのだから現世との現象の共通点や、構成上必要の
ないものを入れる積極的な理由は見当たらないと思いますが。
あなたが思ってることは無駄だってことかもしれません。
(現に絵巻物では屋根が描かれていません俯瞰図なのに)
共通点を必要していないのはその絵巻物を楽しむその時代の人がその
想像の世界に入り込むのであって、私どもの世界(現世)に置き換える
必要があまり無いからでは無いでしょうか?
想像の力を借りて読む(見る)ことで自由度が増す。しかしディテール
はほしいそれを満たした描き方が俯瞰図という考えは無いでしょうか?
そして、それがスタンダードになり他を必要としなくなった。
どうもアナタは作品全体の構成とか空間における形体の重要性や作品に
存在する細やかな演出を見分けることをぞんざいに扱ってますね。
視線なんかもそう。なぜ必ず画面方向に視線をや顔を送らねばならない
のでしょう?造形において無駄な形や視線がジャマになるという
考えがアナタは逆に無いだけではないでしょうか?
でそれがアナタは目に付くと。
それと、アナタは視線恐怖症の気がありますね。
ひょっとしたらアナタは美術鑑賞に向いていないのも知れません
どちらかというと芸術家タイプで創る側なのかも知れないですね。
絵や彫刻でも始めたらどうです?
たとえば、現在の絵本だって創作御伽噺の一種であり、それらはいろいろな構図、スタイルで描かれています。なぜ、1000年前から500年前か200年前かまでか知りませんが、そうはしなかったのか?
素材の見せ方はいろいろあると思いますよ。当時の画家だって日常生活では、柿を見るのだって、アップで見てディテールをつかんだり、遠くにに柿木を見て風景と溶け込ましたり、いろいろ考えたのではないかと思うのですが、「絵」というスタイルがそれらのアイディアを奪ってしまったように思います。
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