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もう20年前になるのですが、高校時代、クラブで一緒だった女性が、医師になり、現在は大学病院勤務になっていると知りました。
かなり悪質ないじめ・嫌がらせを繰り返した、ろくでもない女なのですが、医師になっていることに正直強い怒りを感じます。
どうしようもないのですが、どうしたらいいのでしょうか?

A 回答 (18件中1~10件)

怒りのマグマが


ボコボコと音を立て始めてしまったのでしょうか。

無関心でいた方が
御自分の為だとも思います。
苛々する原因を御自分から呼び覚ます事もないと思います。
今は忘れたくても忘れられない過去なのでしょうが
それでも事実を知るまでは
心の奥底へ沈められていたのでしょうから。

現在大学病院勤務との事。
きっと今は其の方が
想像を絶する“虐め”にあっておられる事でしょう。

色んな意味での確執や恐れを感じながら
生活をされていらっしゃると思いますよ。

其の方に対して無関心でいらっしゃる事。
それが何よりです。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。

>現在大学病院勤務との事。きっと今は其の方が想像を絶する“虐め”にあっておられる事でしょう。

はぁそういうものですか・・・・。

お礼日時:2008/11/06 19:31

#17です。

お礼文拝見しました。
>ご回答どうもありがとうございました。お礼が遅れてすみません。今現在を100%全力投球して生きるとは、過去を忘却することによってはじめて可能なのです。人間はそのようなことは無理ですから、半分以下しか今の自分を生きていないことになります。大人であるというのは半分は死んでしまったような自分であるということです。

過去を忘却するとは、つまりいじめに遭ったその記憶を忘れるということでしょうか。そのような事は無理、忘れられないというのですか。つまりそのに煮えたぎる憎しみの炎から抜け出すのは自分には不可能であると。最初からそういう認識な訳ですか。
その苦しみに気を取られていなければならないから、今現在目の前にある諸問題には半分しか心血を注げない。大人というのはそもそも過去の記憶にとらわれて目の前の事には半分しか集中出来ないものだということですか。

憎しみの炎そのものをなくすことは、何百年たってもなかなか出来るものではありませんよ。生きている間には無理でしょうね。相手の愚かさを完全に理解して、自分が相手より完全に高次のレベルに辿り着き、相手を包含しなければならないので。

しかし、消すことは出来なくても避けることはできるのです。つまり考えないようにするのです。それなら気の持ち方次第で出来るようになりますよ。
そこは無理ではないのです。思い出さないように自分の精神をコントロールするのです。前向きな気持ちで、過去を見ずに未来を見るのです。
それは出来ます。無理だというのは不可能なのではなく望んでないと言うだけです。その憎しみの炎から自分が抜け出したくないという事です。執着です。

憎しみの炎を消さなくても、避ける事が出来たら、今の生活に全力投球出来ます。私だって過去に嫌な言葉ばかり投げかけられて、憎んでいる輩は五万といますよ。どうやって拳銃を入手して、どうやって暗殺しようかと妄想したこともありますよ。後ろからバットで殴りつける妄想もしましたよ。
そいつらは今もしかしたら出世しているのかも知れない。でも出世しようがすまいが、そいつである事に変わりはない。私は決して許してはいないから思い出せば怒りが湧いてくる。

でも、その記憶にとらわれていても仕方がないんですよ。いつかは封印しないと、目の前を前向きに生きれなくなってしまう。
消すことは出来ない、しかし、封印する事は出来る。経験者が言うんだから間違いありません。あとは自分が憎しみの炎から抜け出したいかどうかだけです。過去を見ずに未来を改善する方向に精神を持って行けるかどうかという事です。

ちなみに相手に報復するというのは別段カルマの自然な解消ではなく、新しいカルマの発生によって自分の首を絞めることになります。カルマの悪循環です。だから、記憶を封印するしかないのです。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。

お礼日時:2008/12/06 18:16

お気持ちがすごくよくわかります。



私も小中学のとき、同級生にいじめをしていた女がいました。
いじめも彼女1人でしていながらも、何人もを精神的に追い込んでいました。身体障害を抱えていたある同級生の子には、祖父母から貰った大切にしていた筆箱を笑いながら3Fの教室の窓から落としていました。

この彼女が数年前、警察官(刑事)と結婚して子どもも生まれたと聞きました。結婚した相手の方は全く関係ないと理解しつつも警察官のイメージが私の中ですごく悪くなってしまいました。そういった事件や問題を解決する人の身近にいじめをしている者がいるなんて・・・と。

この家族には一生かかわりたくないと思いました。
なのでsimonsaysさんの気持ちがよくわかります。私もそんな医者がいるというのが怖いです。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。お礼が遅れて本当にすみません。魚や虫がどのような不快なことをしたとしても、本気で怒る人間はいません。結局いじめをやるような人は魚や虫のような自我しか発達していない人間以前だと言うことができます。

お礼日時:2008/11/30 21:34

いじめを犯したカルマは必ずいつか自分に返ってくる事によって、心のレベルが成長します。

それは今世中に起きる具体的な苦悩として返ってくる場合もあれば、死後における反省の苦しみである場合もあるでしょう。罪を犯す事でさえ進化向上の営みの一つです。

ですので、あなたがいきり立って怒る必要はどこにもなく、罪を犯すそれ自体が罰でもあるのです。

また、医師というのは確かに社会の権威的存在であり、外部から見たら良さそうかも知れません。しかし、現世など何をしていても所詮は修行する地獄に過ぎません。何をしたってそれなりの苦しみがあります。その相手はその中で、やはり自分なりの修行をしていると言えます。
医師になろうが何になろうが、同じことです。だから、医師になったからといって怒ることもありません。

もし、その相手が医師であることを鼻にかけて、また偉そうな態度でいたら、死後にそれ相応の恥ずかしさが襲ってきて苦しむことになるだけです。罪はそれ自体罰なのです。
だからあなたが怒る必要もありません。そんな下らない他者の罪の為に神経をすり減らす必要はありません。20年前の記憶に、足を引っ張られる必要はありまあせん。
私は、いじめる者はその者が成長したと分かるまで決して許しませんが、思い出しもしません。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございました。お礼が遅れてすみません。今現在を100%全力投球して生きるとは、過去を忘却することによってはじめて可能なのです。人間はそのようなことは無理ですから、半分以下しか今の自分を生きていないことになります。大人であるというのは半分は死んでしまったような自分であるということです。

お礼日時:2008/11/30 21:32

当時は酷いことされたんだと思いますが


いまでは立派な働きをしてるかもしれません

一度、彼女に会ってみるのもいいかもしれません
子供のころのいじめはお互い未熟ですから
相手が改心して社会貢献してるのでしたら
ある意味逆に救われるところはあると思います

でも、ろくでもない医者でしたら
社会のためにも成敗してやりたいところですね…
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。正直あのような人間には二度と会いたくないし、病院に近寄るのも嫌ですね。傷つかない人だから他人の気持ちなど分からないだろうし。

お礼日時:2008/11/19 10:17

回答No6です。


お礼の書き込みありがとうございました。

さて、私の問い
>質問者さんはどうしたいのでしょうね・・

に対して
20年前ですから報復は不可能なので、忘れるしか無いです。

とありましたが。
実際問題として、忘れる事は出来ないですよね・・
忘れようとして忘れる事ができるなら、誰も苦労しません。
所謂トラウマも恨みなども、忘れる事が出来るなら誰も持たないはずです。
それが、簡単で有効な手段がないから、多かれ少なかれ、皆さん苦しんでいるのです。
いじめとまでは行かなくとも、無責任な言葉や、無遠慮な言葉、態度行動などで傷ついたりしても、直ぐ忘れることが出来たなら、この世はハッピーハッピーなのでしょう。

特に「いじめ」となると、これほど理不尽な事はありません。
いじめを受けている期間も辛いです・・悲しいです。
が、学校などですと、何とか耐えている内に、卒業などの時期が来ていじめの相手とは縁が切れます。

が、いじめの理不尽さは、実はその後にも続くのです。
何かのきっかけで、いじめのことを思い出すと、いじめられた辛さをあれこれ思い出します。
それと同時に、いじめられても何も出来なかった自分の不甲斐無さを責めたりもします。

また、学校などで受けていたいじめは、多くの場合は卒業とともに終わる事でしょうが、この事実を昇華できないと、何時までも自分の心を痛めつけ続けます。

いじめは誰かがしたのです・・・自分ではない誰かがです。
しかし、いじめによるトラウマと言うのか、悔しさと言うのか・・は分かりませんが、それを克服するのは、自分なのです。
いじめをした張本人は、もう知らん振りです。
最も、いじめを受けた事を話す(話会う)チャンスが出来たとして、相手は深く反省して、謝罪の言葉を述べたとしても、こちらとしては、その程度の言葉では受け入れられない・・感じがあります。
が、その場では大人の態度として、謝罪を受け入れるかの如く装うでしょう。

しかし、相手と別れた瞬間から、葛藤の渦に巻き込まれます。
本当は簡単には許せない・・はずなのに、簡単に応じてしまった、自分の不甲斐無さ・・・
あるいは、許さなかった場合は、相手が謝罪しているのに、許せない自分の心の狭さ・・・などなどの感情が渦巻く事でしょう。

こうなると、最早相手がどうのと言うよりも、自分の心の在り方の問題となってきます。
いじめは相手がしたのにも関わらず、自分を納得させたり、自分の心を見つめたりしなければ、自分が納得など出来ません。
それが理不尽だと私は思うのです。

原因は他にあるのに、結果の消去と言うのか、昇華させる作業は自分なのです。
全くバカバカしい話です。

が、そうは言っても、自分で自分を納得させる作業をしなくてはなりません。
それが、いじめだけではありませんが、他人から傷つけられた・・と感じたことに対する、処理の仕方なのです。

私は、いじめとそれ以前から虐待を受けていました。
ある時期は同時進行だったのです。
今は完全にそれらの呪縛から開放されています。
取り組み始めてから開放されるまでに7年、いじめや虐待が自分の人生に大きな影を落としている事を知るまでに、40年かかりました。

現在はいじめや虐待の呪縛からは開放されていますが、忘れることはありません。
何かのきっかけがあれば思い出します。
例えば今回の様ないじめと言う文字には反応します。
しかし、反応はしますが、怒りや悔しさなどは出てきません。
適正に処理が出来るのです。

さて、その方法とは
出来るようになれば、実に簡単です・・・
それは相手を「ゆるす」と言う事です。

が、簡単には「ゆるす」事など出来ません。
ゆるす事が出来ない大きな原因の一つは、「ゆるす」と、相手の行為をチャラにしてしまうことなのか・・・と言う思いが心のどこかに潜んでいるからなのです。

ゆるすと言う事は、相手の行為を無かった事にすることではないのです。
それは、厳然とした事実としてあるのです。
(他人が何と言おうと、自分の中ではそうなのです)

しかし、良く考えて見てくださいね。
質問者さんがいじめを受けていたのは、20年前の事なのです。
でも、気持ちの上では今も「いじめ」を受けているがの如くでしょう。

では、現在を基準に考えれば、どう言う事かと言えば、記憶の中での出来事なのです。
もう、いじめは20年前の過去の出来事なのですが、脳の中では現在進行形で続いているかの如くなのです。

では、ゆるすとはどういうことか・・と言えば、
記憶でしかない事を現在も続いているかの如く感じてしまう・・

アレッそれって、少しおかしくない??と思い始める事なのです。
過去の記憶手放す・・握り締めている手を広げる・・と言うことなのです。


ここに書いた事は、私が様々な作業をした結果の一部を書いたに過ぎません。はしょってもあります。
私のやり方が万人共通のものとも思いません。

が、言葉で言えば、ゆるすと言う事なしには、いじめなどの事実から派生した、痛みや恨みやつらみなどを解消する事は出来ない事でしょう。

その名もずばりの「ゆるすということ」という本があります。
アマゾンなどで、かろうじて手に入るかと思います。

私はその本は何十回となく読みました。
最初は多分腑に落ちません・・
時期を見て読み返す・・一つでも良いから実行をする・・・

今の私の心境は、虐待をした人も、いじめをした人、共に感謝しています。
それは、自分と向き合うと言うチャンスをくれたからですし、あの酷い事実がなければ、平穏な心・静かな心の感じと言うものも知りようが無かった様に思うのです。

この世は相対二元の世界なのです。
善だけでは善は存在できないのです。
悪があって初めて善が存在できるのです。
全てがその様になっています。

私が心落ち着いている・びくびくしないで日々を送れると感じられるのも、あの虐待やいじめがあったからこそなのです。

その様な事感じられなくとも良い・・人は、それはそれで幸せな方です。
その様な方と言い争う気もありません。

自分の心は納得・あるいは手懐けるには、長い時間がかかることでしょう。
が、取り組む価値もある様にも思います。
そのきっかけは、20年前のいじめにあるのかも知れません。

分かりづらかったと思います。
疑問な点は補足でお願いします。

一日も早く、平穏な心となられます様に・・・
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この回答へのお礼

長文のご回答どうもありがとうございました。お礼が遅れてすみません。いじめに遭うのは理不尽ですが、いじめの場合は「被害者が悪い。いじめに遭うような人間には問題がある」という考え方が根強く、被害者が受ける精神的ダメージに対する配慮が足り無すぎるように思います。「ゆるしが大切だ」と言っても、いじめの場合は痴漢と違って被害者が自分を責める期間が長いので、ゆるすまでには相当の葛藤と懊悩を経過しなくてはなりません。

お礼日時:2008/11/19 10:21

相談者さんは、医師という職業を上層階級に見ていませんか。

でも実際は、連中はただの労働者です。しかも、3Kに近いと思いますよ。
本当に上層階級なら、銀行のVIPルームに通されて、利子だけで遊び暮らしていると思いませんか。そんなに美味しい思いもしていないと思いますよ。しているとしたら、学生で親の庇護があった時期だけでしょう。
現実に働いているなら、世の中の厳しさも、大変さもわかっていますよ。
よく連中のお昼を観察していると、ろくなものを食べていないのを目撃します。愛妻弁当ならまだいいほうで、出前のラーメンとか、ファーストフードのハンバーガーとか、私の通っている精神科の先生なんて、実は、私が手作りパン(イギリスパン)を持っていったら、「これお昼に食べるから、お茶入れて」といって、午前中、五十人ぐらい診察した後、食べていました。
つまり、あなたのようなオフィス街でランチを享受できるレディとは違うのです。
患者の焼くパン(しかも精神科の)を食べなきゃならない環境なんて、恵まれてないと思いませんか。
またよくても、病院の食堂です。
恵まれなくても、連中は働いているんです。境遇の差というのは、人生で大きいですよ。
日本は、成績上位者から順番に、医師になっているわけではありません。職業選択の自由がある国です。
なにを羨ましがるのか・・。報復なんて、彼女は一杯受けていると思いますよ。そんなこと考えないで、美味しいランチでもいってらっしゃいな。その美食が、報復です。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。お礼が遅れてすみません。

>相談者さんは、医師という職業を上層階級に見ていませんか。しかも、3Kに近いと思いますよ。

医師は3Kではありません。年収レベル・地域社会で受けているリスペクトという観点から考えて。本当に3Kの人が聞いたら怒りますよ。

お礼日時:2008/11/19 10:23

1.仕返しをする


メリット:すっきりする(かもしれない)
     理不尽をそのままにしないで済む
デメリット:相手よりも自分に害があるかも…(訴えられたりしたら)
      自分にとって実益がない
2.怒りを抑える
メリット:実害がない
デメリット:理不尽が残る(怒りは消えているとしても)

仕返しをするリスクは非常に大きい割に得られるものが少ない気がします。だからといって、怒りを抑えるのは並大抵のことではないと思います。理不尽を許す必要は全くありませんし、怒るのも当然と思います。

…と、ここまで言っておいて、具体的な解決策が思いつかないのですが…すみません。なんで、いじめられた側が泣き寝入りしないといけないといけないのでしょうね。おかしな世の中だと思います。

自分の心を強く持つことでしょうか。いじめに屈せず、理不尽は許さず、でも仕返しという方法は選ばない。抵抗がなければ、宗教的な考え方を取り入れてみるのもいいかもしれません。

とてもまとまりのない文章ですみません…。
質問者さんを応援しています。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。そうですね、20年過ぎると時効も何もなくなってしまいますよね。仕返しすればこちらが犯罪者になってしまいます。だから「報復なんてくだらない」と言う気には全くなりませんが。世の中には耐え難い理不尽とか不公平ってありますからね。

お礼日時:2008/11/12 11:24

私の同級生にも、女医になっている友達は何人かいますが・・。


でも、医学部に行き、留年しないように、勉強し続け、国家試験を受かるということは、並大抵の努力ではありません。むしろ、性格がよくないと、こんな仕事には就けないのではありませんか。
もちろん、両親が医師で、なっているお嬢さんもいますが、わたしが在学中いじめられているといっていたら、「被害妄想じゃありません?」で、一括でしたね。きっと、この言葉で、医者の子供なら、片付けると思いますので、あまりいろいろ言って行かない方が得策です。
高校ぐらいになると、力関係の強弱で、言動を翻します。あなた自身、少数派か、弱い立場だったから、というだけで、本当にあなたが憎くて、嫌がらせをしていたわけではないと思います。
おそらく、同窓会で会ったとしても、けろりとして、懐かしがってくれると思いますよ。
不思議ですが、受験などの利害関係がなくなると、あっけらかんと、話せるものです。
私自身の思い出ですが、成績は、高校時代も予備校時代も、よくなかった友人でしたが、医科大学に進み、二十五の時、友人の結婚式で再会したとき、まるでアイドル歌手のように美しくなっていたのを覚えています。高校のときは、何かきつい感じのことを言う子だな、と思っていましたが、見事メタモルフォーゼしていたのは驚きでした。
高校なんて、三年程度のことです。そんな短い期間に、人生のすべてを語れるわけ無いです。
まあ、高みの見物で、同窓会に出て御覧なさい。かつての仇敵が、見事付き合い良いオバサンになっていますから。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。お礼が遅れてすみません。

>むしろ、性格がよくないと、こんな仕事には就けないのではありませんか。

そういうことは全く無いと思います。

>わたしが在学中いじめられているといっていたら、「被害妄想じゃありません?」で、一括でしたね。きっと、この言葉で、医者の子供なら、片付けると思いますので、あまりいろいろ言って行かない方が得策です。

ああいう連中がこの国の支配階層になってしまっているのが当方をうんざりさせている原因かもしれません。

お礼日時:2008/11/12 11:22

20年という歳月を経ても悪質ないじめをされた側からすれば怒りのやり場に困ってしまうのでしょうね。


ただ人は成長するものです。
その彼女も20年という歳月の中であなたの知らない悩みや苦しみを経験して成長されたかも知れません。
だからこそ現在は医師という職業についたとは考えられませんか?
あなたにとっては憎くてたまらない対象でも、現在の患者などにとっては感謝する対象かも知れませんよ。
ろくでもない女と、ろくでもなかった女とは違うでしょ。すべては過去の事。
何の努力もしないでは医師になんかなれません。

むしろ私が気になるのは「昔は悪質ないじめをした彼女が」→「医師になんてなっているなんて」という部分です。
これが彼女がやくざの情婦に転落しているなどのように明らかにあなたより不幸な環境ならそんなに強い怒りを感じなかったのではありませんか?

ならば彼女に対して怒りを忘れるにはあなたがもっと幸せになることではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。

誤解を招いているようですが、彼女が医師になったのは、父親が医師であるのと、彼女自身の勝ち組思考の結果であって、回答者様方が書いているような理想を追求するような生き方の結果ではありません。

お礼日時:2008/11/06 19:17

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