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中年の一人暮らしの男性です。

毎日、生きていること自体がつらい状況にあり、
近い将来、精神錯乱を起こす危惧すら感じます。

心療内科で処方された薬で何とかしのいでいますが、
既述の不安は消えません。(診断はうつ病)

ここに書けないことを今すぐにしようとは思いませんが、
その手前まで来ていることはたぶん間違いないです。

中年前後で、精神的な危機を経験して乗り越えた方、渦中にある方、
些細なことでもかまいません。是非、建設的なアドバイスをお願いします。

A 回答 (5件)

人は何のために生きているのかわからなくなると、生きている意味が見いだせずに苦しくなるのだと思います。


たいていの人は意味が見いだせなくても、そんな自分を誤魔化してなんとか生きているのだと思います。
わたしは、人は自分のために生きるのではなくて自分以外の何かに自分を活かすことができると心が満たされると感じています。
わたしはこれまで自分のことばかり考えて生きてきましたが、そんな自分では虚しいと感じるようになり、今は他のために自分にいったい何ができるのか?を考えるようになりました。
人生はいつ終わるのかわかりませんが、その最後の瞬間まで自分を活かしたいと思っています。
どんな人でも何か役立てることが必ずあると信じています。
そのために生まれて今ここにいるのだと思います。
質問者様も、今まで生きてきたわけですから、その経験、今の苦しさの体験を他の誰かのために役立てることができるのだと思います。
生きていれば、これから、たった1人の人、小さな何かでも役に立つことができます。その積み重ねで、心が満たされていくと思います。
どうぞ命を大切にいかしていただきたいと思います。
わたしは中年ではありませんが、何か役に立てればと思います。

この回答への補足

親切な皆さんに御礼したいのですが、特に希望について書かれたお二人にポイントを付けさせて頂くことをご容赦ください。

補足日時:2008/11/26 23:08
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この回答へのお礼

>どんな人でも何か役立てることが必ずあると信じています。
そのために生まれて今ここにいるのだと思います。
質問者様も、今まで生きてきたわけですから、その経験、今の苦しさの体験を他の誰かのために役立てることができるのだと思います。
生きていれば、これから、たった1人の人、小さな何かでも役に立つことができます。その積み重ねで、心が満たされていくと思います。
どうぞ命を大切にいかしていただきたいと思います。

sinsen1さんがここに書かれたことを、これから心の糧にさせて頂きます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/11/25 17:52

不安はあることが普通のことです。



不安を消したいと思えば不安について不安が消えるまで考え続ける
ようになります。
でも、不安は消えることはないの堂々巡りの中から抜け出せなくなるのです。

不安はあってもいいではないかと思えるのならば、消す必要はなくなります。
そうすれば不安について考える必要はなくなるので、他のことに使える
時間が大幅に増え、いまの自分のために使えるようになるでしょう。
そして不安について考えないことが不安を解消していることに気付ける
ようになると思います。
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この回答へのお礼

hamakkotarouさんのことは以前から知っていました。

失礼ですが、今回よりも糧になる回答を、以前ほかの方に回答されたもので参考にさせて頂いたことがあります。
今回と合わせ本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/11/25 18:05

貴方の心理状態が良く分かる者です。

私の場合にも貴方と同じ事に悩んだ事が有ります。そうして解決できた経験が有ります。長い時間が掛かってしまいました。ですがこの事の解決方法は有ります。そうして完全解決と云う事になります。信じられないかも知れませんが、読み進んでみて下さい。

人間は悩むように出来ています。是は私が言うまでもなく過去の歴史で証明されています。悩み苦しむのが人間の特権と云っても良いものかと思います。それは貴方も例外ではないと云う事です。ですから貴方だけが生き難い想いで生きている訳ではない事を理解して下さい。

人間が悩むようになった事を、聖書では「知恵のリンゴを食べた」と云う事で、天国から追放されてしまった。と云う言い方をします。是は貴方の今の心理状態の事です、仏教でも同じ事を云います。「迷い、或いは妄想の中で地獄の火に焼かれている」と云うのが今の貴方の状態です。

この人間はどうして悩んでしまうのかを追及してみて下さい。是は人類が不安の解決を望んできた歴史と重なってきます。この歴史こそが宗教文化の発展を促している事を裏付けています。

処で貴方の悩みは、貴方自身が、自分で自分を悩ませています。この事は全てが「意識」している事によってなされています。意識すると云う事が「人間の悩みであり苦しみになっています」この事を簡単に説明してみます。

意識が人間の生活を邪魔してしまう事が有ります。是がいわゆる人間苦、或いは、精神疾患の大本を成しています。どうしてこうなってしまうのか、と云う事を言う前に、大本を成しているという事を書いてみます。

人に会う事を自我意識が意識して、自我意識だけでこれをこなそうとしている姿が「対人恐怖」と云うものです。

自分の気分を自我意識が意識してしまって、自我意識だけで対応しようとしている事が気分変調症や、鬱や、感情を表す症状と云えます。

自分のやっている事を意識してしまい、自我意識だけで自分の体を動かそうとしているものが、書痙や、吃音や上がり症と云っても良いかと思います。

その他にも人間は意識します。不安を意識して自我意識だけで不安に対抗しようとした場合には「不安障害」と云う事になります。その不安を嫌なものとして殊更に心から排除しようとした時には、初めは小さな不安だったものが大きくなって、恐怖にまでなってしまいます。是が「パニック障害」と云うものの正体です。

全てが自我意識が意識をしてしまう事が発症の起源になっています。この事の解消が、精神疾患の解決と云う事になります。すなわち「流れる心」と云う事の獲得と云えます。心の固着が精神疾患の大本を作っているという事になります。

この事の解消方法が日本には二つほどあります。

一番目は森田療法と云うものです。これは人間の心の動きを教えています、症状が在ったままそのままで目の前の必要な事に手を出してゆく、と云うものです。「症状が、在ってはいけないもの」と云う考え方」が症状を作っています。症状を無くしたいと云う心の動きが症状を固定させています。ですから「症状」は一切不問と云う事になります。行動の中に解決の糸口を見つけてゆくという事になります。

二番目が禅と云うものです。禅匠と云う人達の若い頃は不安になり易い性格の人達です、その不安の解決を禅の中に見出そうとして禅門に入っています。そうして禅問答に取り組んでその解決を図って来ました。

森田療法と禅がどうして人間の不安の解決につながっているかを説明してみます。人間の普通の暮らしは、意識して行動しているように見えますが、本当は意識が関与していない事が大半を占めています。

例えば歩いている時などでも「今は右足を出している。今は左足」なんて云う事は意識にはありません。半ば無意識で歩いています。自転車に乗っている時でもそうですが、自転車に乗ってしばらくした場合には自転車に乗っている事さえ忘れてしまう場合が有ります。これでも転んだりはしません。

人間は自我意識で生きているという事を勘違いしている場合が有ります。例えば眠る時には自我意識は眠ろうとはします、その時にはすっと意識がなくなっています、そうして無意識になってしまいます、そうして無意識状態から眠りに入っています。

処が自我意識が自我意識だけで眠りに入ろうとする場合が有ります、是は眠りには至りません。眠れないと云う事になります。不眠症と云う事になります。精神疾患の原因は自我意識だけで生きているという勘違いから生じています。

貴方の場合の解決と云う事も同じ事になります。自我意識と無意識の意識の心の対立と矛盾に貴方は苦しんでいます。心は二つあります。この事を聖書では幼子が天国に一番近い存在と云う言い方をしています。仏教でも同じ事です、赤子の心で生きて行きなさい。と云う事を解いています。

他の言い方をするならば、分別を捨てろという言い方になります。貴方の場合はその分別に苦しみが有ります。分別を捨てた時が問題の解決すると云う事になります。分別して計らって人間は苦しんでいます、その分別と計らいが尽きた時に「禅問答」が解けるようになっています。

人間の自我意識では禅問答は解けません。無意識の力がでてくるように仕組まれています。その無意識が人間生活を再生させています。貴方が学んでいって貴方が掴む他は誰でも貴方の代わりには出来ないようになっています。不安の解決は本人以外では成就出来ない事です。
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この回答へのお礼

>処で貴方の悩みは、貴方自身が、自分で自分を悩ませています。この事は全てが「意識」する事によってなされています。意識すると云う事が「人間の悩みであり苦しみになっています」

>全てが自我意識が意識をしてしまう事が発症の起源になっています。この事の解消が、精神疾患の解決と云う事になります。すなわち「流れる心」と云う事の獲得と云えます。心の固着が精神疾患の大本を作っているという事になります。

>一番目は森田療法と云うものです。これは人間の心の動きを教えています、症状が在ったままそのままで目の前の必要な事に手を出してゆく、と云うものです。「症状が、在ってはいけないもの」と云う考え方」が症状を作っています。症状を無くしたいと云う心の動きが症状を固定させています。ですから「症状」は一切不問と云う事になります。行動の中に解決の糸口を見つけてゆくという事になります。

>他の言い方をするならば、分別を捨てろという言い方になります。貴方の場合はその分別に苦しみが有ります。分別を捨てた時が問題の解決すると云う事になります。分別して計らって人間は苦しんでいます、その分別と計らいが尽きた時に「禅問答」が解けるようになっています。

>人間の自我意識では禅問答は解けません。無意識の力がでてくるように仕組まれています。その無意識が人間生活を再生させています。貴方が学んでいって貴方が掴む他は誰でも貴方の代わりには出来ないようになっています。不安の解決は本人以外では成就出来ない事です。

私なりに要点を選択させて頂きました。意識の問題はとても難しいですね。
森田療法は以前から知っていて実践経験もあり、一定の効果はあると思っています。
それ以外の文章についてはもう少し勉強させて頂くことにします。

たいへん長文の回答を頂き、申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/11/25 18:01

50歳の誕生日の時に、定年まであと10年どう生きようか考えました。


出世競争に神経を磨り減らすことも、ばからしいと思いました。それ
では、どう生きていくか悩みました。ちょっと黄昏症候群だったかも
しれません。夕暮れ時に日が沈み気分がメランコリーになるのを、人
生の黄昏時に例えてこう呼ばれています。

ある心理学の本を読んでいたら、この時期の発達課題として自我の再
統一があるそうです。今まで歩んできた自分をもう一度振り返り、新
たな自分を見直す時期だそうです。それを読んだときに、ハッとしま
した。小さいころに夢見たことがあります。それは、すっかり忘れ去
れて、無意識化にしまい込まれていました。それが、この時期になっ
てポッと浮かび上がってきました。あと10年夢見たことが実現できる
かどうか分かりませんが、それに向かって努力していこうと思いました。

黄昏症候群もそうですが、子供達が巣立っていって虚無感にとらわれ
る空の巣症候群、熟年期になって環境が大きく変わって起こる初老性
鬱病などは、この熟年期の危機を上手く乗り越えられなくて起こるの
ではないでしょうか。

ところで、質問者は小さいころ夢見たことはありませんか。その夢を
今から追いかけてはどうでしょうか。実現はなかなか難しいと思いま
すが、結果が重要でなくその経過が大切だと思います。人間が生きて
いく上には、夢が必要だと思います。

「夜と霧」という本があります。これはナチの強制収容所に入れられ
た心理学者が収容されている人を、心理的に観察したものです。ガス
室に送られる前に亡くなってしまう人とそうでない人との相違は、夢
を如何に持ち続けるかどうかということだそうです。「明日必ず助け
に来てくれる」という希望を持っていた人が生き延びたそうです。

この回答への補足

親切な皆さんに御礼したいのですが、特に希望について書かれたお二人にポイントを付けさせて頂くことをご容赦ください。

補足日時:2008/11/26 23:07
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この回答へのお礼

私も心理学のCS番組でその話を聞いたことがあります。
ただし若い時にアイデンティティを十分確立していないと、hipotamaさんのように順調に自我の再統一が出来ず、
中年になった時に精神的な危機に直面すると言っていました。私の場合はそちらに該当するのです。

小さい頃の夢ですか。そうですね。結果が重要でなくその経過が大切だと思えばいいのですよね。

希望は、この年になるとなかなか持つことは困難ですが、
引用された「夜と霧」の話のように、出来る限り希望を持つように心掛けたいと思います。

丁寧で明快な回答をありがとうございました。

お礼日時:2008/11/25 17:42

私も同じような環境の者です。


中年になると、若い時と同じようには生きれなくなり、
そのギャップもいろいろと悩むことになります。
うつ病になると、目先のことに目が行くようになりますが、
悲観的なことを考えがちになりますが、質問者様は、呼吸は浅くなっていませんか?
私は、スポーツクラブでヨガをやってみました。
ゆっくりした動き、継続的な呼吸が身体に優しく感じました。
自分の出来る範囲で好きなことをやってみるのは如何でしょうか。
お大事になさってください。
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この回答へのお礼

中年とか、うつ病とか、若い時には考えもしませんでした。
最近はろくに体操もしませんが、やはり身体を動かすことは必要ですね。参考にさせて頂きます。

>自分の出来る範囲で好きなことをやってみるのは如何でしょうか。
お大事になさってください。

ありがとうございます。ささやかであっても親身な御言葉は嬉しい限りです。

お礼日時:2008/11/25 17:18

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