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戦前の軍部はなぜ暴走したのですか?
張作霖爆殺は、なぜ軍の指揮権を持つ天皇に許可無く行われましたか?
そして、その実行犯を天皇が罰しろと言ったのに、罰せられませんでしたか?
柳条湖事件、満州事変、盧溝橋事件、日中戦争と、軍部と天皇との関係も教えてください。

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A 回答 (8件)

もともと戦前の日本の軍制は政治と軍の統帥を明確に分離するものでした。


これは明治政府の権力基盤が不安定であったことから、反政府勢力と軍が結びつくのを恐れた結果です。
当然ながらこのような軍事と政治を分離した体制は、対外戦争において非効率的なものですが、日清・日露戦争では伊藤博文や山形有朋などの元老が言わば超法規的に軍と政府の意思統一を図ったため、問題は表面化しませんでした。
ですが皮肉にも日清・日露戦争の勝利はこの体制の「正しさの証明」となってしまい、加えて共産主義革命に対する恐れから、戦前の日本では本来過渡的な体制であったはずの明治体制の抜本的な変革は、さしずめ戦後日本における改憲のごとく、タブー視されるようになってしまいました。
しかしながら元老のカリスマ性に頼った体制が長持ちするはずが無い事は自明の理であり、このために大正期は「軍の統帥権とはあくまでも純粋な作戦面に限定される」という言わば「解釈改憲」でこの問題を乗り切っていたのです。
しかしながら抜本的な改革が行われなかった結果、軍と政府の分立状態は次第に亀裂が大きくなり、張作霖爆殺事件でも真相究明ではなく田中義一内閣総辞職で幕を引く結果となりました。
そしてロンドン軍縮条約調印時、野党であった政友会は政府を攻撃するために「海軍軍令部の同意の無い軍縮条約の調印は統帥権の干犯である」と非難し、軍の統帥権を一気に拡大解釈してしまいました。
この結果、これ以降に政府や議会が軍の行動を統制しようとすると「統帥権の干犯だ」と揚げ足を取られる事になってしまいました。
(当時の書籍を読むと現役の軍人でも「統帥権の独立は時代遅れであり、国家の将来に禍根を残す」と激しく非難している例もあります)

そしてもう一つ重要なのは、当時の日本では中国大陸に有していた利権(いわゆる「特殊権益」)は「日露戦争で多大な犠牲の末に獲得したものであり、絶対に手放してはならない」という、これまた戦後の日本における一時期の憲法九条のように、その是非を論じる事の出来ない不可侵の存在であるかのように評価されており、その利権の保持を目的とした武力行使は世論やマスコミの強い支持があったのです。
この為に満州事変では軍中央の意向に逆らって占領地を拡大し、現地軍が勝手に満州国建国を行った事をマスコミがこぞって支持し、軍中央も政府も暴走を追認してしまいます。
当然ながらこの結果として「軍中央や政府を無視しても戦果さえ挙げれば認められる」という「下克上」の風潮が生まれ、その後の日中戦争においてズルズルと占領地を拡大する現地軍を止めることが出来なくなってしまいます。

総じて言えば本来、過渡的な体制であった筈の明治維新体制が、皮肉にもその成功故にこそ維持され、時代に合わなくなった状態で行われた普通選挙による民主化が、党利党略しか考えない近視眼的な政治家を生んでその問題を拡大し、また政府及び軍中央が武力行使を支持する世論に阿って誰もが責任を取ることを回避していった結果だと言えるでしょう。
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歴史視点からは言われるとおりでしょう。



家庭的には人口爆発なのにおいしい所が全て年輩層が持っていた。
江戸時代にあった職業や就職の社会補償は明治政府がぶち壊したので自己責任の時代になってしまいました。
成人しても職の保証が無い。野宿生活ですね。
更に、大家族なので飯を食わせれない家庭が出てきてまともな家庭に育っていない人間が大量発生した。

明治初期の工業化と景気のお陰で何とか持ったけど、不景気と言われるような無能な官僚で益々自己責任が強まった。

自己責任を全うするには実力行使。
心の拠り所である宗教をぶち壊したしね。
それによってカルト宗教が出てきたしね。
そんな心がぶち壊れた人間が権力だの武装化したらどうなるかは世界大戦もそうだけど、最近でも良く分かると思いますが。
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これは日本人が持つメンタリティによるものが大きかったと思います。

最近ややそういった傾向は少なくなっていますが、かつては日本社会では「下が頑張る。上は黙って見ている」これが最も理想的な上下関係でした。これは今でも日本企業に色濃く残っているところがあって、何か不祥事があると「それは部下が勝手にやったことだ。私は何も知らされていなかった」と社長がよくいいます。これが欧米なら「部下が何をやっているのか把握していない時点で管理者失格」となるのですが。

その典型としてノモンハン事変を挙げたいと思います。ノモンハン事変であの悪名高い辻政信を始めとした現地若手将校はソ連領への爆撃を敢行します。得意満面で「大戦果です」と報告した彼らは中央(東京)から「何が大戦果だ、バカモン!」と怒鳴られます。
これは考えてみれば当然で、あくまで地域紛争にしか過ぎなかったノモンハンの軍事衝突でソ連領に爆撃なんかした日にゃ全面戦争にもなりかねません。そんな重大事を現地の判断で勝手にやられては困るのです。
しかし、現地はこれに大反発しました。辻氏の回顧録によると「命をかけて任務をこなした兵士達にそれはないだろうと思った。こういうときに『大戦果は立派だが、こういうときはちゃんと事前に話してくれよ』といってくれれば私たちもハイわかりましたとなっただろう。中央は現場をわかっていないと私たちは憤懣やるかたなかった」と、かなり都合のいい言い訳をしています。
結局のところ彼らが罰せられることはありませんでした。「確かに勝手に爆撃したのは不埒だが、本人達はよかれと思ってやったことだし(←ここ重要)結果的に全面戦争にもならなかったんだから」というようなものです。

ここらへんのところは今でも変わらないところがあって、例えば官僚でも実際に動かしているのは課長クラスで、官僚の最高位である次官は半分名誉職みたいなものです。その上の大臣ともなると、官僚が出した書類に黙ってハンコを押せばいいんだと官僚は思っているでしょう。

また天皇の統帥権というのは、かなりそれを利用する人たちによって都合がいい解釈がされたものです。対米開戦を前にいわゆる御前会議が開かれたのですが、確かに御前会議で決まったものは国家としてゆるぎない決定事項となるのですが、それに対しての天皇の発言権はほぼ皆無でした。天皇は御前会議では「よきにはからえ」と承認するのが慣例だったのです。対米開戦に反対する昭和天皇は本来ただ承認するだけの場である御前会議で質問したいと言い出して侍従長たちを慌てさせています。侍従長たちは「御前会議で天皇自らがご発言されるのは穏やかではない」と天皇を諌めています。
もちろん戦後の東京裁判では御前会議で最終的に決定されたんだから昭和天皇にも戦争責任があるはずだとの声が上がったのですが、国体護持を求める日本側と天皇に責任を追及することによって人心が乱れることを恐れたGHQによって不問にされました。実際問題、手元のカードに「承認」しか持たされなかった昭和天皇にそこまで責任が問えるかというと厳しいと個人的には思っていますけどね。
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軍部と天皇の関係ですが、天皇は統帥権を行使して軍を統率するのですが、君主が直接軍を主導するのはせいぜい19世紀までですので、君主を輔弼する参謀総長が実質的に軍を指導するわけです。

勘違いしている人もいると思いますが、あくまで形式上は命令権は天皇にあり参謀総長は補佐役にすぎません。これが、ドイツやイタリア、ソ連といった独裁国家であれば独裁者が強力に軍を統制しているので軍が暴走することはありませんし、アメリカやイギリスといった文民統制が機能している国でも同様です。日本は天皇が絶対君主ではなく、立憲君主なので軍を強力に統率することもできませんし、政府と軍が完全に独立しているので文民統制も機能しませんでしたので軍の暴走を止めることができなかったのです。さらに軍も上層部が現地部隊の暴走を止めることもできなかったのです。日本は実権が無きに等しい(政府も軍も天皇が権力を行使するのを好まなかった)天皇の下に政府と軍が並立して、さらに軍も陸軍と海軍に分かれ、さらに軍政と軍令に分かれていました。これが満州事変などで現地部隊の暴走を止められなかった原因ではないでしょうか。
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田母神氏のような考え方の人が、軍部の実権を握り、それに反する人を次々と粛清していったからです。


日本人を教育の場で、洗脳していったため、日本人が自然と田母神氏のような主張を正しいと思うようになった事も理由です。

統帥権の独立は、建前上天皇が最高指揮官ですが、実際は軍部の独裁であり、手苦悩には、なんの実権もありませんでした。
軍に対する政府の干渉を排除するために、統帥権の独立が言われたにすぎません。

>柳条湖事件、満州事変、盧溝橋事件、日中戦争と、軍部と天皇との関係も教えてください。

回答者の立場により見解が異なりますので、ご自分で調べることをおすすめします。
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226事変の後、それまで皇道派(天皇を至上と仰ぎ、民を救済する趣旨)と統制派(国家全体主義、ナチズム的思想)が陸軍の2大派閥でしたが、226は皇道派の勇み足と挫折に終わり、これを好機に統制派が全実験を握ります。

これは思想そのものが対外戦を主眼とするものですから、当然ブレーキがかからずに対外戦に一直線と言うことになります。
つまり、226ですべて邪魔になるものをつぶした、陸軍の一派独裁がさせた技です。

それから、この派は、「天皇は統帥権を持つがそれは便宜上のものであり、実験は軍部が握ってかまわない」という下種の集団であったため、天皇を完全に飾り物にしてしまいました。
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満州を植民地にしていた当時の日本の財政面から調べてみたらどうでしょうか。

現在でも戦争はお金によって起きていることがほとんどだと思います。一見お金とは関係がないように見えても特に長期にわたって戦争がやまない裏にはお金が絡んでいると思います。
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まずは自分で調べてみましょう。

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