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こんにちは!

お世話になります。

次の歌は、照山元瑶という尼僧のものです。

●残らむは うきものとこそ 思ひしに そめしや何の 水くきの跡

この世に残るようなものは、浮世のうっとうしさがあって、なくもがなと思っていたのだが、ではこうやって書いた私の墨書はいったい何のつもりなのだろう

ということかなと思ったのですが、自信がありません。特に、「そめしや何の 水くきの跡」は、語法的にどうなっているのでしょうか、分かりやすく分析していただければありがたく思います。

A 回答 (3件)

 和歌の解釈の場合、詞書や前後の文脈、時代背景が分かると、その理解に役立ちます。

が、もう一方でそういうことを一切顧慮せず、その一首の和歌だけから解釈して行くことも必要です。

『「そめしや何の 水くきの跡」は、語法的にどうなっているのでしょうか、』と書かれているあたり、共感を覚えました。ほかに「残ら『むは』」「思ひ『しに』」で、室町~江戸の作、という感じがしました。古歌なら「思ひしに」ではなく「思ひしか」かな、という具合でした。
その時受けた感じは、補足説明を見て、はっきりしてきました。さしずめ
 とどまるはうきものとこそ思ひしかうたて染めにし水茎の跡
といったところです。
 この世に残って(晴れがましく)生きていくのはいけないことだと思っていました。それなのにこんなふうにして(自分の絵姿に自賛の)墨を染めるなんて。
 「染めしや、何」の「水茎の跡」 何の為の出家なの? という意味合いもあるのでは?

 普明院の宮照山元瑶法内親王は、後水尾天皇の第8皇女(光子内親王)。父帝の没後35歳で出家、林丘寺(臨済宗)の開山、との由。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。分かりやすくご解説頂き、たいへん参考になりました。またよろしくお願いいたします。

お礼日時:2008/12/25 15:17

 ありがとうございます。


 一般的には「水くきの跡」は書、和歌に用いられる表現ですね。
 絵画はよくわかりませんが…

 この世に残るようなものがあることは、ただつらいものと思っていたが、ではここになぜ、和歌など書いているのだろうか。

 …まあ、書いてみましたが質問者様の仰った訳と大差はありません。
 水くき、は「浮き」の縁語として用いられているのでしょうね。

 尼僧であれば、この世に何か執着を持つことは避けたいはずです。
 しかし自分の肖像画が描かれ、そこに書を入れたとなれば執着の原因になってしまう恐れもあります。
 そのためにこのような和歌を書いたのではないでしょうか。

 補足要求をした上でこの程度の意見しか述べられず、申し訳ありません…
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。二度までご解説頂き、たいへん参考になりました。またよろしくお願いいたします。

お礼日時:2008/12/25 15:18

 go_urn様の訳は特に問題ないと思われますが…


 解釈の場合、和歌集に載っているものであれば詞書、物語に出てくるものであれば前後の文脈がその理解に役立つと思います。それらがあれば、また変わるかもしれません。
 それと、この出典やいつの時代のものかも教えていただけると助かりますが、現時点で補足として考えられるのは…
・「残らむは」は、「残るようなことは」と訳せないか。
・「思ひしに そめしや」という表現から、「思ひを初む」の意はないか。
 くらいでしょうか…

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

照山元瑶(1634-1727)の1705年ころの歌です。彼女に関する論文の中にでてくるものです。

(論文の)その前の部分では、「晦翁(かいおう)という僧が、元瑶尼は、性圭(しょうけい)という尼僧が描いたとされる彼女の肖像画が軸装されたとき、それに歌を記すよう求められた、と言っている」とあり、それに続けて、この歌が引用されています。

今、ふと「水くきの跡」というのは、肖像画のことも指せるのか?と思ったのですが、どうなのでしょう。

よろしくお願いいたします。

補足日時:2008/12/22 22:35
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