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明治時代末期、日本で資本主義が発達した頃、労働者などの社会主義の運動を、明治政府がとても厳しく取り締まった理由は一体なんだったのでしょうか。詳しく教えて下さい。

A 回答 (3件)

温和な労働組合運動も厳しく取り締まったそうですから、社会主義運動による国家の転覆を恐れたのかも知れません。


国体護持は政府の至上命令でしたから。
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この回答へのお礼

わかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/27 16:26

まずツッコミから。

ビスマルクの政策が意外、と書いてありますが、鉄血政策によって富国強兵を推進する彼にとって国内の労働者は兵士になる人材であるので、彼らが愛国心を失い民族意識に燃えなくなるのは問題がありました。なので社会政策によって労働者を保護することで労働者の愛国心を高めようとしたわけであり、富国強兵に繋がる政策であり決して意外ではありません。悪しからず。(ビスマルクの写真的にもそういうイメージはありますが、彼の若いときの写真だと優秀な外交官という感じがします)

取り締まった理由は天皇制を守り、日本の国体を護持をするためです。社会主義の運動は革命によって体制を覆すことが目標でありますし、なにより資本家にとってはやってられない訳なので、政府と結託して(言い方は悪いが)社会主義を排除していったわけです。

詳しく書けなくて申し訳ないです。
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この回答へのお礼

いえいえ。ありがとうございます。経緯がわかりました。

お礼日時:2009/01/27 16:22

まず、同時期の列強ではすべて労働運動を弾圧しています(フォードは特に労働者に対して厳しい会社でした)。

これは、社会混乱防止、国体護持、富裕層による社会主義政体構築への恐怖からきています。
ですが、弾圧するだけでもよくないわけで、この時期から国民健康保険、労災、等々の社会制度が整い始めてきます。現代とは比べ物にならないほどお粗末ではあったかもしれませんが、国家が民草を救済したほうが、革命・ゼネストおこされるよりマシ、という発想です。また、労使の関係がよければ、国が発展するのだとわかっている政治家もいました。
そのなかの一人がビスマルクです。意外ですが当時のドイツは厳格なくにでしたが、社会保障が欧州一進んだ国でもありました。
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございました。

お礼日時:2009/01/27 16:25

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