いちばん失敗した人決定戦

あなたがたは、「無」の精神あるいは本質を、知的な分析によらず、
自己の存在の内奥を探ることによって発見しなければならない。

しかも、概念や理論や抽象的な説明によらずに、生きた真実として「無」を理解したことを、
私に具体的にいきいきとしたかたちで示してほしい。

単純ゆえに最良の公安は「無」の公安である。
「無」とは生きて作用するダイナミックな精神を表現した言葉。
「無」は通常の認識力では理解できない。
老子からこの「無」の公安が与えられる。この場合の「老子」は自然である。
自然は言葉による説明をほどこさない。謎を提示するのみである。
全存在をかけて、直接的に把握すべきだということを肝に銘じておいてほしいのである。


1)おまえの本来の顔は何であったのか。親がお前を生む前にもっていた顔は?

2)両手をたたけば音がする。では、片手ではどんな音が?

この公安はユニークな解答がそれぞれに存在し、「真理の把握は完全に修行者に任されている」ということらしいですが
私はこの論理的に現象学的に無理な公安?に無為状態となります。

基本的な質問かとも思いますが、パラドックスの意味は「思考の罠」ということですか?

上記の1)、2)の公安についての考え方や何かヒントとなるだけでもください。

A 回答 (36件中31~36件)

 補足をお願いします。



 《この論理的に現象学的に無理な公安?に無為状態となります。》

 〔A〕ここで《この》とおおせられているのは、
  《1)おまえの本来の顔は何であったのか。親がお前を生む前にもっていた顔は?
   2)両手をたたけば音がする。では、片手ではどんな音が?》、 という二点のことでありましょうか?
 〔B〕論理的に無理というその論理的とはどういうことなのでしょうか?頭の思考の中での話の運びのようなものでしょうか?
 〔C〕現象学的に無理というその現象学を言い換えることはできないでしょうか?
 〔D〕「無為状態になる」というのは、miko-desi様が所謂《公安?》に対して、「無為状態になる」、という意味でしょうか?
 〔E〕無為とはなんでしょうか?行為がない、ということでしょうか?行為しないということでしょうか?
 〔F〕無為状態でないことは、行為状態なのでしょうか?
   行為とは何でしょうか?
  
 ★実は私も無行為ということ長く関ってきております。できればお教えを賜れば、多少ともご参考の投稿も出来るかもしれませんので。

この回答への補足

補足させていただくことが出来て質問者も今頃誤りに気付けた次第です。私の頭の構造のことをトンチンカンといいますが、公安ではなく【公案】ですね!!。交通安全と禅は無関係ではない気がしますが、やっぱり無関係かもしれません。天然も計算あってだろうとか、なんとも人の性で関係を作りたくなるもの。

この公案を出したのは老子ではなく中国の禅僧、じょしゅう(漢字変換できませんでした)のところに来た【案谷老師】でした。!!老子と老師って名前と敬称の違いなんでしょうか。

この質問は「タオ自然学/ F・カプラ」第一部、第三章「言語の彼岸」P56からまんま搭載させていただいたもの。この本も何度読んでも知識や血肉にしがたい内容です。成長期も過ぎ年のせいかも。

アドバイス全て何度も読ませてもらってます。ありがとうございます。近日中に何かかけると思います。あんまりアテにならないことを絶望せず。絶望しないことにも絶望せず。というと希望と同義だろうか?微妙には違う。これも一人でしてる禅問答。

補足日時:2009/01/31 12:23
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 1) そんなものは ありません。

それが 無です。

 2) 風を切る音くらいはするでしょう。くだらん問いだという答えを添えるでしょう。

 (1)のほうは さまに成っているように見えますが これも くだらない質問です。
 ★ 「真理の把握は完全に修行者に任されている」
 ☆ のですが 《恣意性》という自由に気づかせるだけでは 《無》の問題に到る気遣いはありません。誕生以前あるいは死後 このようなことに 想像力を発揮しても たいした成果は 得られません。その思惟のいとなみは 切りがないという性質のものだからです。占いと同じです。あっ 処世術は身につくのかも知れません。

 ご質問に対するこれほどの暖かい批判は ないでしょう。
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この回答へのお礼

暖かい批判ありがとうございます。
 
「風の良寛」という本でで良寛さんに拘ってきた作者(中野孝次さん)は良寛さんの詩や歌に共感を覚え、その分かりやすさに親しみを感じるのに、良寛さん自身を認識しようとすると遠のいて見えなくなるという。存在の根源のところで常に相対していて見ようとすると見えなくなるそうです。切りがないほど取り出せて使い勝手がいい、なのに底がなく空っぽという。究極の処世術を持っている人なのでしょう。

お礼日時:2009/02/01 13:44

 公案にしないで、公安(警察)にした理由はないですよね。


 一応念のために。
 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B8%F8 …
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%A1%88
 老子が公案を与えたのですか?
 確か、老荘の祖とされる、謎の存在ですよね。
 公案って師家から弟子に、というものですよね。
 多分、臨済宗の特徴でもあったと存じますが。
 どうも頭が混乱してしまいまして、ご補足いただけるとありがたいですが。後学のために。
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この回答へのお礼

ご指摘に先に補足していたのでお礼欄にあれやこれや思いつきと拾い読みしてる本のことやら書きます。
参考URLありがとうございます。ご指摘で私の後学に有意義を覚えます。(反省してない?)

混乱させたのはすみませんでした。けれども疑ってくれて、自発的に信じようとしてないのもいいものだ。分別を考えながら信じよう、信じさせようとすることは矛盾だという意見がある(哲学事典/W・クワインより)。獲得しようと努めながら睡魔に襲われ倒れるようなものでしょうか? 分別ないのは無知じゃないの?悟者も結果そうなるというならどこに違いをつければ!?差はやっぱり行き着くまで凄く考えた行動力ですかね。

テルトゥリアヌス「不可能故に我信ず」信じていると連ねた言葉より雄弁なのが行動。考えに不可能はない動詞で行動力。

体はじっとしていても深く考えたり疑ったり(指摘含め)想像力も行動力で、肉体の行動力よりダイナミックかも。時空次元からも自由ですし。

お礼日時:2009/02/01 13:07

ユニークな解答がそれぞれに存在しうる、ということは正解はないわけだ。


しかし、「無」を認識していることを匂わせないと未熟者扱い、なんでしょうね。

とりあえずいろんな方法がありますが、問いの構造を利用して反問してみては。
あるいは問いを比喩として置換してみるというのも。

>1)おまえの本来の顔は何であったのか。親がお前を生む前にもっていた顔は?

この問いの本来の意図は何であったのか。あなたがこの問いを考えつく前に持っていた意図は?

>2)両手をたたけば音がする。では、片手ではどんな音が?

正義が衝突すれば騒がしい。では、一つの正義のもとにある世界では?


本当はこういうことは公案「無し」で済ませたい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私の存在というより存在がヘンテコな私をしているところにかけて答えてみますと・・・

>この問いの本来の意図は何であったのか。あなたがこの問いを考えつ前に持っていた意図は?

私の人生の問題は生理整頓です。この問いは無をどう認識しているか示せですよね。

使い勝手の悪いもの、有効利用されていないものが家に溢れてます!「勿体無い」は捨てることが悪いとしたのではなく、使わないのに持ってる無駄のことですよね。

家の状態は頭の状態とも重なるそうで、古いのはいいのですが、スッキリさせたいとずーと思いながら、一旦手にすると処分するのは難しいものがあります。買わない勇気、捨てる勇気も必要ですよね。

もっと自由な頭を持てて楽できたらなぁ。清貧に憧れてもいます。贅沢なものなくてもセンスがいいような。生活スタイルでも会話でも。単純化され飽きないもの。無でいいのに僅かで在る奇跡を感じたい。忘れ無い。そうなりたい自分自身、こんな意図かもしれない。

>正義が衝突すれば騒がしい。では、一つの正義のもとにある世界では?

過剰も不足もない静寂。ではどうでしょうか。

お礼日時:2009/01/31 21:06

この公安って「隻手の音」ですよね?


「なんでも鑑定団」に偽者が良く出てくるだるま絵の作者の
白隠慧鶴が提唱者じゃないでしょうか?(勘違いだったらすみません)


ヒントや考え方を、ということなので答えを避けて書きますが
何かと何かが合わさって出来るものについて、
(1)両手で音を出したときとの音を考えます。
(2)片手で音を出す方法を考えます。ただし、反対側の片手は使いません。
(3)その結果、何が起きたかを考えます。




(2)は特に、全力でやっちゃってください。
それでこそ(3)に意味が出てきます。




蛇足ですが、老子は道徳教の1章で

道の道とすべきは、恒の道にあらず。
名の名とすべきは、恒の名にあらず。
無名は万物の始めなり。有名は万物の母なり。

と言っているので、そもそも説明できるものに価値を見出していない
と思いますよ。これもヒントかな?

この回答への補足

「轅(ながえ)を北にして越にむかはむと思はんが如し」『道元/正法眼蔵』
仏(悟り)は他に何かあるのでなく、即心是仏、すなわち我心なるものに他ならない。なにか特別にこしらえたものでないのを心にとどめなければならない。心の外部にある経典の文字を通じて仏を求めてはいけない。それでは車を北に向けて南に行こうとするもの。どうして目的地に行き着くことがあろう。

片手で手を打つのも心がそうしたいからし、心の中で音は聞かされるだろう。私が聞かせ、私が聞いている。与えながら拾う。

役立つとか価値とか差異を見出す頭の働きをmindという。移ろう様子や大切さを感じるのはheartがするのだという。良寛さん無一物を貫いて捨てるほども物も持っていないのに、ハート的充足していたので妙音(?)という収入(?)で静かでも物足りなさもなかったのだと思う。

でもしかし、無碍に自家発電装置があるので共認回路は要りませんから、としてしまうのも万物的な視野から遠のくものだし、需要と供給のバランス、リズムも自然にはあるでしょうし、自然は難しいことを簡単にしている、人間は簡単なことを難しくしてもいそう。心と脳の折り合いですね。

補足日時:2009/02/04 09:04
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この回答へのお礼

ありがとうございます。衝撃音ではないですが、誰かと一緒に笑い声を出したとします。そこから広がるものってあると思う。

一人だけ笑ったとします。気が済むまで、納得(?)しつくすまで笑えたとしても、その後人に伝えるのを我慢できますか?ワクワクを我慢できませーん。お笑い道に価値があるものでも意味もなく?

白隠慧鶴の「隻手の音」ですね。さっそく探ってみます。

お礼日時:2009/01/29 22:54

1)おまえの本来の顔は何であったのか。

親がお前を生む前にもっていた顔は?

これ公案? そのままのように思いますけどね。「親がお前を生む前にもっていた顔は?」でわからなければ前世がわかる江原さんに聞けばいいだけでしょうね。つまり生まれる前の皮袋(肉体)の持ってた顔という意味ですね。立派な人は顔さえないこともありますが凡人は必ず前世があるから、金髪の美男子とでも答えればいいんじゃないでしょうか。

2)両手をたたけば音がする。では、片手ではどんな音が?
音はしてもしなくても正解でしょうね。音がするなら適当な音でいいんじゃない。片手じゃしないと思うならしないんでしょうね。

以上、適当な公案には適当な答えしかないのですね。
参考までに

この回答への補足

補足欄をお借りします。

「パラドックス」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9% …
色んなパラドックス(罠?)がある。
罠にかかるまいとするより、建設的なのは「罠にかけられてみましょう」とするのも突破口となるかも。一見は百聞に如かずで(違?)。

補足日時:2009/02/02 22:11
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この回答へのお礼

ありがとうございます。機会がなくとも江原さんやそういった能力のある方に伺いたいです~。

お礼日時:2009/01/29 22:44
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