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説明がうまくできないので短くなってしまいますが、どういったところがボーダーなのかと聞きました。『衝動のコントロールができないとか。』と言われました。治しかたは『自分で意識して気をつけるしかない。』と言われました。病気ではないので薬でどうにかなるとは思っていません。リストカットやODは一切ありませんが、怒り出した時が恐いのです。怒りをどこへぶつけていいか分からずただはらわたがにえくりかえってる感じです。本当は物とか投げたいし、物とかに当たりたいんです。けれど以前そういうことをして家族が恐がったりしたのでなんとか抑えてる感じです。でも抑えてることは誰かに話さないとおさまりません。短くなると言ったのに、結構長くなってしまいすみません。お伺いしたいのは、自分で意識して気をつけて治ったかたはいらっしゃいますか?またアドバイスなどあったら教えてください。お願いします。

A 回答 (4件)

質問者さんは、親に本当の自分を見せたことはありますか?


質問者さんも気が付いている通り、怒りそのものの根源に薬は効きません。
質問者さんの意識を支配してしまう、激しい怒りは、自分一人で鎮めるのには限界があります。
普通のうつ病とまた違って苦しいのは、自分の中にどす黒い感情があるからです。

これそのものは自分一人ではなかなか消せません。
だって、これは家族病だから。
親に自分の中にある本当の悲しみと怒りをぶつけないと、いつまでたっても燻って苦しいままだと思います。
ほんの少しでも汲み取ってもらえるよう、向き合うことも必要だと思います。

子どもにとって親は完ぺきであって欲しいものです。
でも、実際は違う。子供の自分もそうであるように。 
自分が完璧ではないように、家族、他人も完璧ではない。
勝手に優劣をつけて苦しんでいるのは自分なんです。

人に完璧を求める者は、自分も人も許せないようになってしまうものだと思います。
許すということは、存在を認めること。
その人をコントロールしようとしないこと。

自分の思ったとおりに相手も思わなくてはいけないと思うから
余計に怒りが湧くんです。余計に悲しくなるんです。
どのような存在も自由を求める気持を持っていて、その人なりの苦しみを持っている。
人が自分のことを完全には理解できないように、自分もまた人を完全には理解できないものです。
誰もがその点では平等なんです。

だから、相手を無理にコントロールしようとしてはいけないんです。
理解してもらうこととコントロールしようとすることは違うんです。
相手に怒りを抱いても、はたして自分自身、相手のことを理解できているのか?
自分で世界を歪めているだけかもしれないのに。その怒りは幻影に対してのものなのかもしれないのに…。

僕個人は、ボーダーはACの人が多いと思う。
でも、ACは成育歴に引きずられやすい傾向であって、必ず病的になってしまうというものではないと思う。
その後に大きな愛情を得て、もしくは失ったりして本当の愛情というものに気が付いたり、自分の歪みに気付くことが出来た人は社会に適応できると思う。
ACのことは自分を客観視するために、勉強の意味で調べるのならばそれもいいと思います。
でも、ACだからと自分を憐れむだけで終わるなら逆効果だと思います。

自分を形作った記憶はなかなか消せません。記憶そのものは生まれ変わりでもしない限り一生ものです。
だから落とし穴に落ちやすい性質も一生ものかもしれません。
でも、気付きが出来る人はそれを克服する術を身につけて行けると僕は思っています。

http://questionbox.jp.msn.com/qa4684512.html
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。

お礼日時:2009/02/18 11:14

初めまして。


私も5年ほど前、ボーダーの診断を受けています。

ボーダーでない方が言う「怒り・衝動」と、ボーダーの人の「怒り・衝動」は、度合や種類が全然違うと思っています。
一般的な方が社会生活の中で経験する「怒り・衝動」は、我慢したり気を逸らしたり愚痴を言ったり物に当たったり趣味で発散したり…そういうことで紛らわしたり解消したりして、いずれ忘れられるようです。
でも私の場合は、宇宙人に身体を乗っ取られたような感じ…質問者様も書かれていますが、はらわたが煮えくり返って何をしてもおさまらない、我慢しようとすると震えがきたり、もう思考や人格そのものが「怒り」に圧倒されてどうにもならなくなってしまいます。

仕事でも人間関係は良好だし、友達にも非常に恵まれています。
でも私の場合、母親に対してのみボーダーの症状が表れます。
普段は普通に生活していますが、今では年に何回か、母との会話の中で突然火がつき幼少期に心理的虐待を受けたことまで芋づる式に出てきて、どうにも自分を抑えられなくなってしまいます。
今は内科で軽い安定剤(デパスとレキソタン)をもらっていて、普段は飲みませんが、そういう状態に陥った時だけ10錠くらい飲んで無理やり寝てしまうようにしています。

「治る」というのは難しいですよね…性格に起因してる部分もあるでしょうし。無理に抑えようとすると蓄積されたり反動などで、次の時に2倍に爆発してしまうこともありますし。
世の中にはボーダーでなくてもトラブルメーカーな人もたくさんいるので、ご質問者様のようにご家族を気遣えるような優しい方でしたら、無理に治そうとするほどではないのかな?と思ってしまいます。

回答になっていなくてごめんなさい。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。

お礼日時:2009/02/18 11:16

すみません。

すごい長文になってしまいました。
ボーダーに詳しくないので、参考にならないのかもしれませんが…。

私も過去に二回ほど激しい怒りの波を抑えきれなくて、どうしても頭から消せなくて、鬱々とした日々を送るのはもう沢山だと思い、怒りの正体を知りたいと思いました。

この怒りは何故消えないのか?
以前は同じ様なことがあっても抑えられたのに、何故出来なくなってしまったのか?
こんなもののせいで…怒りの念に振り回されて、以前の自分を見失ってしまったのは何故なのか?

怒りの正体はいったい何なのか考えるようになりました。
たまたまgooを利用するようになり、AC(アダルトチルドレン)の生育歴を持つ者は、慢性的に抑鬱傾向を示すことが多いと言うことを知りました。
http://homepage3.nifty.com/bansoukou/index.htm
http://www.ac-kaifuku.com/kinoufuzen.html

ACと言う言葉自体は嫌いだったし、何か後ろ向きな人が自分を肯定しようと勝手に作った逃げの言葉だと思っていました。
が、…実際に読むと、そこに書かれているのはまるで実家の家族のことで、自分のことのように思えました。
認めたくはなかったけれど、全部は当てはまってはいない様にも思えるけれど、でも自分という人間も、父も母も姉もその中にいるように感じました。
(妹だけは、あまりそれっぽくはない感じはしますが。)

実家は父親が酒乱です。母は少女時代に父親(私から見れば祖父)を亡くし、忙しい女親(同じく祖母)に変わって幼い弟妹達を自らを犠牲にするようにして面倒をみてきた人です。
父親自身も男親(同じく祖父)が酒乱でしたので、実家は原義の条件を満たしたACの家だと言えそうです。

私は、母にはいつも罪悪感を植え付けられていたような気がします。
くだらない、価値のない人間だと繰り返し言われてきたと思います。
母のことは10年ほど前から薄々トラウマのように感じていましたが、母が4年前、私の息子に取った態度――暴言は、正に幼い頃の私に投げつけられた毒を持った呪いのように聞こえました。涙をこらえている息子が幼い頃の自分の様に思えました。
自分のことなら我慢できましたが、もう駄目です。その晩も信じられない言葉が母から私と息子にぶつけられて、私は怒りをコントロールできなくなりました。(ここにその言葉は辛すぎて書けません)
でも、子供の頃から抑えて隠してきた怒りをやっとぶつけることが出来ました。母は完全には理解は出来なかったようだけれど、私にも抑えがたい怒りや悲しみがあることは理解してくれたようです。

私は次姉とも折り合いがあまり良くはありません。
幼い頃からこちらから折れるというのがおきまりのパターンです。
母も次姉も自分の都合の良いように過去のことは作り替えて話します。
次姉はそれが顕著です。母はまだ、母であろうという気持ちがあるので少しは耳を貸そうという態度も示しますが、次姉は自分のプライドを保つためならば、自分の子供を利用してまでも作り話をする人です。

次姉は頼られると期待に応えようと頑張る人ではあるし、実際相談にも乗ってくれたり頼れる人でもありますが、何故か子供の頃から私を使って長姉に悪口を言わせようとしたり、母や長姉に大袈裟に失敗を告げ口したり、幼稚園で作った私の紙工作を目の前で破り捨てたりと理解に苦しむことをする人でした。
昨年はもういい大人なので、久しくその様な場面に遭遇することもなかったし、いくら何でもそのようなことはないだろうと思っていたのに、またもや嘘です。次姉はどんなに証拠が揃っていても、証言できる人がいても聞く耳など持ちません。大声でわめき散らし、口汚く罵って終わりです。
自分のプライドを保つためならば、人のことは実の妹であろうとどうでもいいのです。

なんだかもう、嫌になってしまいました。
母とのことはかなり修復されて来たと思っていたのに、次姉との関係は姉妹故に根深いものを感じました。
いつまで経っても、上下関係だけで話を通そうとされるのには、もう、うんざりです。大人になってまで、あの人は自分のプライドだけが大切で、人のプライドなどお構いなしなのです。

私を結果的に無気力に走らせる、この荒々しい怒りの正体がひもとける鍵が、ACという言葉の中に隠れていました。
そして、私は母も次姉も、そして自分自身も普通の家とは異なった環境で、持って生まれた個性と折り合いを付けながら、それぞれが生き延びるために役割を演じてきたのだと解りました。
母と次姉のことを憎むように思い詰めるのは愚かしいことだと悟りました。

ここで回答していると、思わぬヒントをもらうことがあります。
ACもそうです。私がうつ傾向を示しやすいのはもう諦めて付き合っていくしかないと思います。でも、ACの本当の意味を理解できれば自分を甘やかすことなくバランスを上手く取れる様になれそうな気がします。
多少は受け入れながらも、逸脱した人格にならないように気をつけて行きたいと思います。

思わぬヒントはもう一つここで質問という形でみつかりました。
「人を許した時が、自分を高めるとき」これは、誰の言葉か?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4210061.html

私はきっとこの答えが出せれば、私は怒りをコントロールできる。
以前の自分を取り戻せると思いました。
そして、回答を真剣に書きました。
nonameになっていますが、No.4が私です。

――強いて原点をたどれば、聖書の「汝の敵を愛せよ」ではないでしょうか。自分を苦しめた相手を憎み続けてより深い苦しみで自らの心を苛むよりも、その恨みから解放され心の安定を取り戻せたとき、以前より成長した自分になれるのだ。

そう回答しました。回答できたら少し気持ちが楽になりました。
直ぐには完璧にコントロールできなくとも、方向が解ればいつかはまた元のように心の平安を取り戻せると思いました。

更に一歩踏み込んだ回答はここでもしています。No.1が私です。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4425283.html

「汝の敵を愛せよ」の愛とは“許すこと”です。
仲間にせよという意味ではないのです。そのままで受け入れなさいという意味なのです。

――この許しの対象は単純に“敵”を意味するのではないと考えました。
過去の憎しみに囚われて、いつも相手を呪うこの行為自体も自分を苦しめていることになります。この自分を苦しめている思いがまた自分が作り出した敵なのです。
自分の敵を許した瞬間、自分自身も怒りの念に囚われることなく、穏やかな心を取り戻すことが出来るのです。この行為によって許されるのは自分でもあるのです。


怒りの正体、それは自己愛だそうです。肥大した自己愛は攻撃に向かうのだそうです。なぜなら、攻撃は最大の防御だからです。
…ずっと闘っていては自分も周りも心が休まらないですよね。
http://shinkeishitsu.cocolog-suruga.com/blog/200 …
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。

お礼日時:2009/02/18 11:20

<怒り><攻撃><プライド>の心理学的な意味を知ってみましょう。



鋭く・深く、知ることで、回避というか、そうしたこととは
縁を断てるようになるでしょう。

※これまでの爆発の状況を克明・詳細に文章に書いて、鋭く分析し、
なぜ爆発・暴発・誘爆したのか、どのようにすれば避けられたかを
ノートの整理しながら極限思考してみることで、見えてくる
何かがあるでしょう。

※感情の抑制・抑圧はマイナスのエネルギーのストックになるので
宜しくありませんので、<よかったこと日記>をつくり、違った色の
ペンで、そうした感情を書きつけましょう。そうすることで、
脳髄の中での堂々巡りがなくなり、リフレッシュするでしょう。
その後で、なぜ爆発的に感情が昂揚したのかを分析し、それも書いて
おきましょう。<日記>は、セルフ・コントロールのための貴重な
言語データになるでしょう。 
(PCで書くより、紙にペンで書くほうが宜しいです。できれば
利き手でないほうの手で書くと刺激になっていいかもしれません)

※お気が向かれた折に、<アシュタンガ・ヨガ>
<クンダリーニ・ヨガ>で心身をやわらかにしてみませんか。
ヨガは検索すれば動画も観られます…… Good Luck!
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2009/02/18 11:11

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