プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は体育の授業でドッジボールを強制することについて懐疑的です。
ドッジボールでは、ボールが顔に当たり鼻から出血するというケースは珍しくありません。更には、その結果鼻骨が曲がる、眼鏡が割れて失明する、といった最悪の事態さえ起こりかねない危険なスポーツです。それを学校教育上生徒に強制することは如何なものなのでしょうか?私が高校生の頃、体育の時間に「自分は眼鏡をしている為、ボールが顔に当たり眼鏡が割れて失明する可能性がある。だからドッジボールには参加したくない。」旨を体育教師に伝えたところ、「くだくだ言うな。みんなやっていることだ。」と一蹴されました。その時、その余りにも理不尽な対応に非常な憤りを感じた事を覚えています。これが正義とは私には到底思えませんでした。
中には、こういった反論があるかもしれません。
「大きな怪我をする可能性なら他のスポーツでも同じだ。ドッジボールに限ったことではない。」
しかし、それに対して私はこう思います。
「ドッジボールはボールを他人に当てる事を目的としたスポーツである。野球やサッカーでも怪我をする可能性は否めないが、それらは他人に害を与えることを目的としたスポーツではない。しかし、ドッジボールはその性質上他人に重大な被害を与える可能性が比較的大きい。数あるスポーツの中からそういった危険なスポーツを選択し生徒に強制する理はない。他の選択し得るより良い手段があるならばそれに依るべきである。」
少し、理屈っぽかったかもしれませんが、以上が私の思うところです。
皆さんはこの事についてどうお考えでしょうか?
皆さんのご意見をお聞かせください。

A 回答 (11件中1~10件)

#7です。



お礼、読みました。別に納得できなければ、反論されても良いのでは?議論したいだけかどうかぐらいは、文面を読めば、大体推測できるでしょう。^^

>そんなソフトなボールがあるんですか?

ありますよ。クッションボールとかバルーンボールとか。大きさは、バスケットボール大からもう少し大きいのまで。元々子どものドッチボールゲーム用として作られたものかも。

>だとしたら確実に判断違いでしょう。そもそも、どんな人間でもボールを本気で投げればそれなりの威力があるものだと思いますが。

バスケットバールならば、力のない者が投げてもかなりの威力がありますが、バレーボールぐらいならば、国体選手級の背筋力がなければ、怪我なんってさせれませんよ。まぁ、不幸な事故が絶対にないとは、誰にも断言できないのですが。^~^
それに、あなたや私と違って体育教師は今までの経験や、その場にいた者の運動能力情報をかなり把握しています。でなければ、まずいでしょう。何かあった場合、責任を負うのはその教師なのですから。

>ましてやそれを人に当てるのですから危険である事は言うまでもないのではないでしょうか。

だからこそ、あえて行い「顔に当てない」などのルールを学ばせるのでは?

この回答への補足

いずれにしても、バルーンボールなるものを使えば最悪の事態を防ぐことは出来そうですね。参考になりました。ありがとうございます。

補足日時:2009/03/30 04:25
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>クッションボールとかバルーンボールとか。

調べました。
なるほど、確かに当たっても痛くなさそうですね。
しかし、実際にこの様なボールを使っている学校がどれ程あるのか疑問ですね。

>バスケットバールならば、力のない者が投げてもかなりの威力がありますが、バレーボールぐらいならば、国体選手級の背筋力がなければ、怪我なんってさせれませんよ。

いや、そんなことはないでしょう。
バレーボールでも顔面に思い切り食らえば鼻血が出ますよ。

>それに、あなたや私と違って体育教師は今までの経験や、その場にいた者の運動能力情報をかなり把握しています。

いや、それはないでしょう。
体育が得意かどうか位はすぐに分かるでしょうが、「その人間が本気でボールを投げて怪我をさせられるかどうか」まで把握はしてないでしょう、どう考えても。現に、体育の授業中に怪我をする生徒なんてたくさん居ます。私の友人にも、体育の授業中に顎を割った生徒がいました。大体そんなことを一々把握するなんて幾ら有能な教師でもかなり難しいでしょう。

>だからこそ、あえて行い「顔に当てない」などのルールを学ばせるのでは?

ルールを忠実に守る生徒ばかりではないですよ。
それに、ルールがどうなっていようと「顔面にボールが当たって鼻から出血」という事故は起きます。私の友人にもドッジボール中に眼鏡が壊れた者、鼻骨が曲がった者、目が腫れた者が居ました。鼻血を出したものは少なくありません。特にスポーツ推薦で入って来た人間の腕力は相当です。顔以外に当たってもかなり痛い。第一、怪我をしなくとも高校生が本気で投げたボールが体に当たればかなり痛いです。生徒が確実に痛い思いをするスポーツを教育上強制する事にはやはり懐疑的にならざるを得ません。
そもそも、例え宗教に入っていなくとも個人的な信条で「人に痛い思いをさせたくない。人に何かを投げつけるという様な野蛮な行為はしたくない。」と思っている生徒もいるはずです。私は無宗教ですがそう思っています。そういった生徒の「優しい感情」を無視し、他人にボールを当てる、という野蛮な行為を強制し、それをスポーツの名の下に正当化する。
矢張り、私にはまだドッジボールを体育の授業で強制することの必要性、許容性といったものが理解出来ません。

お礼日時:2009/03/30 04:02

>しかし、実際にこの様なボールを使っている学校がどれ程あるのか疑問ですね。



あなたが経験した学校数と、教員である私が経験した学校数は違いますよね。私は、いくつかの学校で現物を見ています。それでも、その情報が信じられないのならば、話にはなりませんね。

>体育が得意かどうか位はすぐに分かるでしょうが、「その人間が本気でボールを投げて怪我をさせられるかどうか」まで把握はしてないでしょう、どう考えても。

あれ?あなたの学校は、体力測定を行わないのですか?
体育は、かなり科学的な側面を持った教科ですよ。きちんとデータを取り教授法なども研究した体育専攻科の教員が指導しているはずですが。(昔は小学校などで、体育を専攻していない教師が精神論で指導していた所が多かったですが)

>ルールを忠実に守る生徒ばかりではないですよ。
そう、だから「あえて」なのです。社会に出るまで、危険のないルールの緩い学習ばかりしていては、社会でどんな無謀を冒すか分かったものじゃないですよね。若者は無謀な者です。
ですから、あえて少しばかり危険を冒させて「どんな些細なルールにも理由がある」「ルールを破れば、事故に繋がる」と学習させるのでしょう。

この回答への補足

論点が変わりそうなので、この質問はこれ締め切ります。
皆様、ご協力ありがとうございました。

補足日時:2009/03/30 14:32
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>あなたが経験した学校数と、教員である私が経験した学校数は違いますよね。私は、いくつかの学校で現物を見ています。それでも、その情報が信じられないのならば、話にはなりませんね。

ということは公立の教員なのですね。
私の友人にも公立の教員がいますが、定期的に転勤を繰り返していて大変そうですね。しかし、そんなことをネット上で言われても何にもならないのでソースを提示して下さると助かります。

>あれ?あなたの学校は、体力測定を行わないのですか?
体育は、かなり科学的な側面を持った教科ですよ。きちんとデータを取り教授法なども研究した体育専攻科の教員が指導しているはずですが。(昔は小学校などで、体育を専攻していない教師が精神論で指導していた所が多かったですが)

なるほど、体育測定がありましたね。
高校を卒業して久しいもので忘れていました。
申し訳ございません。
しかし、だとすれば尚更その教師は判断違いという事になりますね。実際にその授業のドッジボールで怪我をした生徒が何人もいたのですから。

>そう、だから「あえて」なのです。社会に出るまで、危険のないルールの緩い学習ばかりしていては、社会でどんな無謀を冒すか分かったものじゃないですよね。若者は無謀な者です。
ですから、あえて少しばかり危険を冒させて「どんな些細なルールにも理由がある」「ルールを破れば、事故に繋がる」と学習させるのでしょう。

申し訳ございませんが、これは全く意味が分かりません。
具体例を示して頂けますか?

お礼日時:2009/03/30 14:05

No1です


確かに他にも敏捷性を養うものは有るかもしれませんが
ボールが大きい事によって認証しやすく、避けやすい
皆で遊び心を持って出来る≪小学校で休み時間にやらなかったですか≫
意外とボールが大きいので、ボール自体のスピードがでないので高校生ぐらいの腕力でも避けやすい≪ボールが小さいほどスピードが付いてより、よけにくい≫
以上から考えて小学校でもやっていると思います
私が高校生の時にはドッジボールはやらずにサッカーでしたがあれも真剣になれば人同士がぶつかったり、ねんざしたりしてドッジーボールより危険ですよ(^^)投げるより、蹴る方が勢いも有りますし
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

敏捷性を養う事が出来るスポーツが他にあるならばそれに依るべきだと思います。生徒に対する危険度と敏捷性を養う必要性の二つを利益較量した際に、前者を優先して考えるのは学校教育上当然の前提ではないでしょうか。

>私が高校生の時にはドッジボールはやらずにサッカーでしたがあれも真剣になれば人同士がぶつかったり、ねんざしたりしてドッジーボールより危険ですよ(^^)投げるより、蹴る方が勢いも有りますし

それも個人の経験によって区区でしょう。
私に関して言えば、サッカーで怪我をした生徒は一人か二人見た程度ですし、私自身は一度もありません。そういった個人の経験で話をすると水掛け論になるので、先ずは客観的に確定できる目的の話をしています。明らかに他人に害を与える事が「目的」であるスポーツを学校教育上強制するのは如何なものかと。

お礼日時:2009/03/30 13:56

>ドッジボールでは、ボールが顔に当たり鼻から出血するというケースは珍しくありません。



 そうですか?
 一度も見た事無いな。体育の時間に鼻血を出した人も覚えがありません。
 前提が違うので結論も違っちゃいます。
 質問者様はドッチボールは、

>その性質上他人に重大な被害を与える可能性が比較的大きい。
>数あるスポーツの中からそういった危険なスポーツを選択し生徒に強制する理はない。

 と思ってるんでしょうが、大抵の人はそうは思っていません。
 危険予測は必要ですが、まずは本当に「重大な被害あるスポーツなのか?」をクリアしないと平行線でしょう。
 補足いただけるなら「100試合で何回重大な被害があった。他の球技のサッカーやハンドボールは○○回に比べても多数である。」と、具体的に数字を頂けませんか?
 もっとも、いじめで特定の子を狙うことができるのですべきではない。なら、納得なんですけどね。確かにそのような事が出来る競技ですし。

 この質問文を読んだ限りでは、

>その性質上他人に重大な被害を与える可能性が比較的大きい。

 とは、私の経験上は思えません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そのような統計データはありませんので提示出来ません。
申し訳ございません。
私の経験と貴方の経験には大きな差異があるようですね。
確かに、個人の経験を前提に話をすると単なる水掛け論になってしまう可能性がありますね。

しかし、どうでしょう。
やはり、ボールを他人に当てることが目的である以上統計など取らなくともその程度の事は予測がつくことだと思いませんか?何かを主張する為に一々統計が必要ということもないでしょう。また、私の他の質問者様に対するお礼内容も読んで頂けましたでしょうか?それらも勘案されて下さい。

お礼日時:2009/03/30 13:48

no2のお礼で


図画工作や家庭科の授業はカッターやハサミで指を切ることが目的なのでしょうか?

とあるのですがドッジボールも人に当てる当てるのが目的としても鼻血を出さすことが目的ではないと思うのですが・・・

no8のお礼の
ルールを忠実に守る生徒ばかりではないですよ。

とありますが、それをいうと野球でわざとデッドボール投げる子がいるかもしれないし、マラソンでわざと足引っ掛ける子がいるかもしれないですよね・・・

それに、ルールがどうなっていようと「顔面にボールが当たって鼻から出血」という事故は起きます。

というのも調理実習で指切るのもサッカーでボールが当たって出血も変らないと思うのですがどうでしょうか?

他のスポーツなどと比較して事故が多い という議論ならわかるのですが人に当てるというだけでダメというのは違う気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>図画工作や家庭科の授業はカッターやハサミで指を切ることが目的なのでしょうか?
とあるのですがドッジボールも人に当てる当てるのが目的としても鼻血を出さすことが目的ではないと思うのですが・・・

確かにそうですね。
しかし、怪我をさせる事が目的でなくともボールを人に当てることが目的ならば、その分他のスポーツに比して怪我をさせる蓋然性が高いと思われるのですが。私が言いたいのは、ドッジボールより危険度の低いスポーツが幾らでもあるのに、敢えてドッジボールを選択して生徒に強制する理はないのでは、ということです。

>とありますが、それをいうと野球でわざとデッドボール投げる子がいるかもしれないし、マラソンでわざと足引っ掛ける子がいるかもしれないですよね・・・

そうですね。
しかし、私が言いたかったのはルールを作っても守るとは限らないという前提事実だけです。ここは大した論点ではないでしょう。

>それに、ルールがどうなっていようと「顔面にボールが当たって鼻から出血」という事故は起きます。
というのも調理実習で指切るのもサッカーでボールが当たって出血も変らないと思うのですがどうでしょうか?

ここも大した論点ではないと思います。単に一つの事実を提示しただけなのでその主張に大した意味はありません。その文章で私が言いたかったことは後半部分です。それに、ドッジボールで怪我をする確率と調理実習で指を切る確率が同じだとは思えません。私が申し上げているのは蓋然性の問題です。可能性ならば貴方が例に挙げたもの全てに共通して存在するでしょう。しかし、それを言ったら貴方の仰る通り出来る事が少なくなってしまいます。繰り返しますが、私が申し上げているのは蓋然性の問題です。

お礼日時:2009/03/30 13:41

なかなか、面白い見方をする方ですね。



ドッチボールって、公式球でしたんでしょうか?それともサッカーボール、バスケットボール?
それならば、あなたの抗議は正当だと思えますよ。
ただ「めがね・・・」は、理由にはならないでしょう。外せばいいのですから。それで、全くボールが見え無くなるのであれば「めがねを外すと、ボールが全く見えなくなって怖いです。出来れば、めがねに当たっても壊れないソフトなボールに変えてもらえませんか?」と相談は出来るでしょうね。
「うだうだ・・・」云々で、引き下がっては行けません。自分が正当だと思うのならば、穏便な手段で主張しましょう。それが出来るのも、学生のうちです。(社会では通じない手ですので、通じるぐらいにロジックを鍛えましょう)^~^

それと教師の立場から言えば「そこに参加した生徒は全員、ボールを当てても相手に怪我をさせるような腕力の者はいない」と判断したからこそ、させたのでしょうね。

ちなみに#2の方が書いている

>指を切る可能性があるので、
カッターやハサミは図画工作で使わせない、

これ、実際に一時期、言われましたよ。美術で鉛筆を削らせたり、竹籤細工が出来なくなったりしたことが、ありました。(今は少しは緩くなってますが)今時は、肥後守なんて物もトンと見あたらず、カッターナイフ持っているだけで、お巡りさんに補導されるぐらいですからね。はぁ~
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「めがねを外すと、ボールが全く見えなくなって怖いです。出来れば、めがねに当たっても壊れないソフトなボールに変えてもらえませんか?」と相談は出来るでしょうね。

そんなソフトなボールがあるんですか?

>「そこに参加した生徒は全員、ボールを当てても相手に怪我をさせるような腕力の者はいない」と判断したからこそ、させたのでしょうね。

だとしたら確実に判断違いでしょう。
そもそも、どんな人間でもボールを本気で投げればそれなりの威力があるものだと思いますが。ましてやそれを人に当てるのですから危険である事は言うまでもないのではないでしょうか。

何だか、反論ばかりしている形になっていますが単に議論をしたいのではありません。おかしいと思うところを素直に申し上げているだけですので、ご指摘ありましたらお願いします。

お礼日時:2009/03/30 01:26

元々ドッジボールなど避ける球技は敏捷性を養うための物ですそれを危険だからと言っていたら、野球もサッカーも出来ませんよ


敏捷性が養えればそれはすなわち危険回避にもつながると思います
その辺を考えて考慮して下さい
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

敏捷性を養う事が目的ならば、より危険度の低いスポーツをやらせれば良いと思います。ドッジボールはその性質上危険度が余りにも高いと思うのですがどうでしょう。

お礼日時:2009/03/30 01:07

最近増えてますよね、危ないからやらない、不公平だからやらない・・・っていう競技や科目。


精神的にも体力的にも弱い子が育ちそう。

スポーツなんだから多少のケガは仕方ないと思いますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>スポーツなんだから多少のケガは仕方ないと思いますね。

多少で済まないから問題だと言っているのですが。
その他のスポーツを通じて十分体力的に強い子が育ちますから大丈夫だと思いますよ。

お礼日時:2009/03/30 01:04

こんにちは。



確かにドッジボールは人にボールをぶつけることを目的としていて
粗暴であるという点は否めません。
「他の選択しうるより良い手段」を取るべきというのもうなずけます。

ただ、私はそれでもドッジボールをすることに賛成です。

理由の一つは、ドッジボールに粗暴な性質があったとしてもそれは社会的に許容される範囲内であるからです。
一般にドッジボールは子どもの遊びとして許されています。
日本全国でドッジボールが行われているのにそれを特別に禁止するような運動がないことがその証左です。
危険だからダメと言うのではなく、その危険が許されるレベルかどうかを見極める必要があるのではないでしょうか。

また、ドッジボールのルールは簡単・分かりやすいため小学生のスポーツとして授業に取り入れやすいという面も理由となります。
サッカーや野球のルールを小学校低学年の子に説明し、実際に実技で行うことは難しいのではないでしょうか。
子どもの成長に合わせたスポーツとしてドッジを評価できるのではないでしょうか。

以上、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>一般にドッジボールは子どもの遊びとして許されています。

だからこそ、より一層問題なのだと思います。
誰もその事について声を上げない事こそが問題だと思うのです。
皆が現状に疑いを持たず、常識を疑わずに生きている。日本人は常識を盲目的に正しいと考えている人間が多いようですが、多数派が認めているから正しいとは限りません。そんなことは歴史が証明してきました。その事について真剣に悩み、考える人間がいるならば、その人たちの声に親身になることが大切ではないでしょうか。「みんながやっているから良いんだ」は問題の本質を無視した暴論だと思います。

>また、ドッジボールのルールは簡単・分かりやすいため小学生のスポーツとして授業に取り入れやすいという面も理由となります。
サッカーや野球のルールを小学校低学年の子に説明し、実際に実技で行うことは難しいのではないでしょうか。

そうなのでしょうか。
算数の授業の方が余程子供たちに難しいのではないかと思うのですが。
頭を使わせることが教育上重要だとも思いますし。

お礼日時:2009/03/30 01:01

ドッジボールが「ボールをぶつけること」を前提とした競技と言うのがそもそも間違い。


ドッジボール=dodge ball であり、「ボールを避けること」を前提とした競技です。
受ける・当てるはそのオマケにすぎないのです。

さて、あなたの考えを広く解釈すると、
他人を投げ飛ばすことを前提とした柔道、
他人を竹刀で殴ることを目的とした剣道、
などのいわゆる格技などもってのほか、と言うことですよね。
さらに広げてしまうなら、指を切る可能性があるので、
カッターやハサミは図画工作で使わせない、
同様に指を切るかもしれない、やけどをするかもしれないので、
家庭科の授業はやらせない。
挙句、のどを痛めるから、と言って歌わない。
なんてこともアリと言う理論ですよね。

学校で出来ることが物凄く少なくなっちゃいますね^^;
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>ドッジボール=dodge ball であり、「ボールを避けること」を前提とした競技です。

なるほど、そうでしたか。
ならば、私の前提が間違っていました。
申し訳ございません。
それでも、ドッジボールをする人は相手チームの人間にボールを当てる事を目的としていますよね。ドッジボールというスポーツの目的が「ボールを避けること」でも事実上それを行う人間の目的が「ボールを当てる事」ならば、実質的に考えてやはり危険なスポーツと言うことが出来ませんか?

>他人を投げ飛ばすことを前提とした柔道、
他人を竹刀で殴ることを目的とした剣道、
などのいわゆる格技などもってのほか、と言うことですよね。

はい。
現に「エホバの証人信徒原級留置処分事件(最判平8.3.8)」という判例もあります。論点は違いますが、こういった問題について考える参考資料にはなるかもしれません。時代の考えは変わって来ているようです。

>さらに広げてしまうなら、指を切る可能性があるので、
カッターやハサミは図画工作で使わせない、
同様に指を切るかもしれない、やけどをするかもしれないので、
家庭科の授業はやらせない。
挙句、のどを痛めるから、と言って歌わない。
なんてこともアリと言う理論ですよね。

質問文をきちんと読んで頂けましたでしょうか?
図画工作や家庭科の授業はカッターやハサミで指を切ることが目的なのでしょうか?音楽の授業は喉を痛めさせることが目的なのでしょうか?極端に過ぎると思います。「何でも広げて行けば理論上あり」というのは明らかにおかしいです。法律の勉強をすればそれ位の節度は分かると思います。

お礼日時:2009/03/30 00:51

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