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疑問に思うことがあるのですが、
自分の意見を言う時にも「思われます」を使う場合がありますよね。
例えば
「今後について一度真剣に考えてみる必要があると思われます。」
と言うように。

この場合の「思われます。」にはどんな働きがありますか。
普通に「思います。」と言った時とどう違いますか。

よろしくお願いします。

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A 回答 (8件)

「れる」「られる」には、受け身、可能、尊敬以外に、もう一つ大変重要な用法として、自発というのがあります。

質問者さんの例は、まさに自発の「思われる」です。その意味は、自分で意識してそう考えようとしているわけではないのに、自然にそうなってしまう、と言う意味です。

この自発の用法は、日本独特のものだそうで、少なくとも西洋の言葉には存在しない用法なのだと聞いたことがあります。西洋人には無い用法があるとは、何を意味するのでしょうか。それは、日本人には、西洋人と同じ様に、受け身、可能、尊敬という物の見方があるのですが、それに加えて、もう一つ別の物の見方、あるい世界観を持っていると言うことです。物理学や数学の世界で、1次元、2次元、3次元などという言葉を聞いたことがあるでしょう。数学の世界では次元が1次元増すと、その次元の分だけ自由度が増え、それより低次元の世界では不可能なことや、見えないものが見えてきます。「れる」「られる」に関して、西洋人はいわば3次元の世界に住んでいるのですが、日本人は4次元の世界に住んでいるのです。したがって、日本人は、この独特な自発の「れる」「られる」を持っているお陰で、西洋人達には見えないものがみえ、感じることができると言う自由度を持っているのです。

ところが、残念なことに、近年になって、何でも西洋のことが優れていると思うような人が増えてきて、「れる」「られる」の用法の中から、自発の用法が消えかかって来ているとのことです。自分たちの折角持っている、この世界の見方の独特な自由度を減らしてしまうのは、もったいないと思います。質問者さんは、是非この日本人の優れた用法を意識して、世界に誇るべき日本人の財産をなくさないようにしてほしいです。
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#6です。


>動作(行為)主体を隠す意図が(無意識に)有る場合に使います。

日本人が自らの経験を通して気が付いた人間の心理の深みの中には、どうやら西洋人には気が付かなかった側面があるようです。「隠す」という意図を意識的だろうが無意識だろうが表現していると捉える発想が、そもそも、その人間の興味ある「自発」という脳活動の存在を認識できない、したがって、人間の心の動きのある自由度が制限されており、心のある可能性や多様性を制限された発想だと思います。

確かに、「隠す」場合もありましょうが、それ以外に、私には「見える」、「考えられる」、「思われる」等の言葉の中に、自分で隠しているわけではなく、そのように表現しなければピッタリしない、自分の意志や意図を超えた状況を心の中に感じる時があります。私は、数学的論理を使う自然科学系の研究を生業にしておりますが、研究者の世界は、自分の主張を論理的に説明して相手を納得させなければ、生き残れない世界です。ですから、私にとっては、言葉の表現の多様性や自由度を広げる可能性があるかないかは、論理の世界に生きている私にとって、生き死にの問題です。そんなとき、例えばこの例のように「自発」という、実際に私の中に起こっている心象を表す自由度や可能性を持っている日本語の多様性に、私は感謝しています。事実、私達の世界は、単に1+1=2等と言う途轍もなく単純な論理だけを使って、すなわち、時系列的かつ局所的な整合性の組み合わせだけを使ってその正しさが表現できるような現象ばかりで出来上がってはおりません。我々を取り囲んでいる自然界や人間界では、もっと高度に、空間的や時間的な長距離相関に着目して非局所的な論理を使って理解する必要のあるような複雑な現象の方のが圧倒的に多いのです。言葉の多様性は、私達が現に埋めもまれているそんな現実の世界を説得力ある形で誤解なく論理的に説明する場合の、一つの自由度を与えてくれているので、私はそんな多様性に感謝しております。

要は、自発という心象を持っているかいなかの問題です。そのような座標軸を持っていない人にとっては、自発とは言い訳がましく「隠している」という以外にその意味を理解できないというのも、これまた論理的に納得が致します。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
とても参考になりました。^^

お礼日時:2009/05/06 09:27

「「思われる」の「れる」の働きの文法的な分類は「自発」ということになっております。


しかし、動作(行為)主体側であることを(記述は省略してもなお)明示している「思う」にくらべると
動作(行為)主体を隠す意図が(無意識に)有る場合に使います。

この自発用法は自然現象の表現に使う場合は良いのですが、
話者の行為に対して使う場合には日本人の民族性の欠陥たる「無責任さ」が出ている用法です。
実際には話者が「思う」に決まっているにもかかわらず、
「私ではありませんよ、誰か知らぬ他の人が思っておりますよ」と言っていることになりますから無責任表現であります。

まさに有名な「あいまいな日本の私」です。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
とても参考になりました。^^

お礼日時:2009/05/06 09:27

「思います」と言ったら、「私は私の発言内容に責任を持ちます」を含意している。



「思われます」と言ったら、反論された時の「逃げ」を用意している。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
とても参考になりました。^^

お礼日時:2009/05/06 09:30

報告書や論文でよく使われる表現で、その場合はある程度の客観性を持つという意思表示になります。



文法的には、「思う」の未然形+助動詞「れる」で、この場合の、「れる」は、「自発」(自然にそうなるという意味)を表します。

単純な、「思う」と比較すると、十分な根拠をしめし、これだけの根拠を示せば、自ずと、かくかくしかじかの結論が出るという意味合いを示すものになります。

ですから、「……であると思われる」とした場合、「その根拠は」と問われたら、当然回答しなければなりません。
それに対して、「……と思う」であれば、「いや、そう思っただけです」というも、ありです。

なお、現時点では、手元の辞書(学研国語大辞典、明鏡国語辞典とも)「れる」の意味としては、「受身・可能・自発・尊敬」を挙げるのみです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
とても参考になりました。^^

お礼日時:2009/05/06 09:30

この場合は、受け身でもなく、尊敬表現でもなく、


「思います」という言い切りの強い表現を、柔らかくした、
婉曲表現です。「思えます」も、可能ではなく、婉曲的な表現ですね。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
とても参考になりました。^^

お礼日時:2009/05/06 09:29

はじめまして、つい熱が入って中傷してしまうことがありますがどうかお許し下さい。



違いです。

>思われます:何かの例がありそれにもとづいて思うこと

>思います:自分の主観の考えで思うこと

わたしの考え方でした。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
とても参考になりました。^^

お礼日時:2009/05/06 09:29

国語的な定義はちょっとわかりませんが、


印象としては客観的な意見として提案しているように感じます。
「思われます」→ 一般的にそうじゃないですか?
「思います」 → 私はそう思います
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
とても参考になりました。^^

お礼日時:2009/05/06 09:28

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最近、日本語で論文を書かなければいけないので、学者や日本人の書いた文章を読んで論文の書き方を身につけようと、日本語の論文を読み始めました。

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ex:
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もし、exの文は、その論文の筆者の自分の意見であれば、なんで段落の最後は、「取り入れるべきではないかと思う」や「取り入れるべきではないかと考える」ではなく、「取り入れるべきではないかと思われる」ですか?

また、よく論文の中に、「~と言われている」と書いてあるのですが、このような表現は「~とされている」、「~と思われている」とは、どう違いますか?

さらに、「~と思う」と「~と考える」をどう使いわけばいいかわからないのですが、教えていただければありがたいです

最後に、論文を書くときに、自分の意見・観点を述べるとすれば、やはり主観的に「~と思う」という書き方を避けたほうがいいのでしょうか?

長い質問で、すみませんでした。
どうか、よろしくお願い致します

最近、日本語で論文を書かなければいけないので、学者や日本人の書いた文章を読んで論文の書き方を身につけようと、日本語の論文を読み始めました。

読んでいるうちに、「~と思う」「~と思われる」「~と考える」「~と言われている」「~とされている」の違いが分からなくてなってきました。

ex:
「準備レッスンで取り上げた談話技能(FACT)をその直後に行われるビジターセッションというコミュニケーションの場で実際に使用し(ACT)、その後の反省会でそれについて考えるという授業の流れを繰り...続きを読む

Aベストアンサー

こんばんは。

>>>
もし、exの文は、その論文の筆者の自分の意見であれば、なんで段落の最後は、「・・・ではないかと思う」や「・・・ではないかと考える」ではなく、「・・・ではないかと思われる」ですか?

「考える」「思う」のフィーリングは、勿論ご存知と思いますが、
「思われる」は、筆者が主観的に思う前に、ある程度の客観性を持っているという意味の表現です。
つまり、筆者の意思としては、「思われる」より「思う」の方が若干強く、客観性としては、逆に、「思う」より「思われる」の方が強いです。
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>>>
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これは、「思う」が感情に近く、「考える」が論理的思考に近いという違いがあります。
ただ、明らかな差があるということでもなく、たとえば、「思う」という言葉を「考える」と同等に用いている例は散見されます。
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>>>
最後に、論文を書くときに、自分の意見・観点を述べるとすれば、やはり主観的に「~と思う」という書き方を避けたほうがいいのでしょうか?

なるべく、「考える」を優先的に使うのが無難です。


>>>
「~と思う」「~と思われる」「~と考える」「~と言われている」「~とされている」の違いが分からなくてなってきました。

・「~と思う」、「~と思われる」、「~と考える」 → 上述したとおりです。
・「~と言われている」 = 事実、そう言っている人が多い
・「~とされている」 = 事実、そういう定義ないしは認識が定着している


以上、ご参考になりましたら。

こんばんは。

>>>
もし、exの文は、その論文の筆者の自分の意見であれば、なんで段落の最後は、「・・・ではないかと思う」や「・・・ではないかと考える」ではなく、「・・・ではないかと思われる」ですか?

「考える」「思う」のフィーリングは、勿論ご存知と思いますが、
「思われる」は、筆者が主観的に思う前に、ある程度の客観性を持っているという意味の表現です。
つまり、筆者の意思としては、「思われる」より「思う」の方が若干強く、客観性としては、逆に、「思う」より「思われる」の方...続きを読む

Q「あくまで」「あくまでも」の意味

「あくまで(飽くまで)」「あくまでも」という副詞の意味ですが、辞書をひくと「物事を最後までやりとおすさま・徹底的に」とあります。例文も「あくまでもがんばる、あくまでも主張を貫く」などとあります。

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Aベストアンサー

あくまでも、という意味の「徹底的に」という所から転じて、「完全に」とか「中途半端ではなく(どこまでも)」という様な意味合いも持っています。


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完全に個人的な

「あくまでも噂です」
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「あくまで一例です」
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「あくまでの話です」
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Q「ご連絡いたします」は敬語として正しい?

連絡するのは、自分なのだから、「ご」を付けるのは
おかしいのではないか、と思うのですが。
「ご連絡いたします。」「ご報告します。」
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文法上は参考URLをご覧ください。

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Q「~になる」と「~となる」の使い分け

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よろしくご教示のほどお願いいたします。

Aベストアンサー

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「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。
「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」
「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。
「すったもんだの末、結局彼が村長となった。」
「すんなりと彼が村長になった」
あなたの会社の報告であれば:
「計算の結果予算は○○円になりました。」
「いろいろ審議を重ねて検討した結果○○円となりました。
また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。

参考URL:http://okwave.jp/qa1126103.html

Q「~やら~やら」と「~とか~とか」の違い

物事を複数並列する時に「~やら~やら」と使っていますが、
最近の若者がよく使っている語で、同じようなものに「~とか~とか」があります。
「~やら~やら」と「~とか~とか」は、どう違うのでしょう?
なんとなく用法が違うとは思うのですが、正確にはわかりません。
以前から気になっています。どうぞ御教示ください。

Aベストアンサー

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?

ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、
私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。
「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。

これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。
1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。」
2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。」
1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。
2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。

1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。」
2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。」
これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。
2は素直な人が話しているなら単なる並列。
ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。

とまあ、こんなところです。
前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。
色々な回答がつくといいですね。

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?
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Q自発動詞・可能動詞・受け身動詞と自発・可能・受け身の意味の助動詞

日本語の文法には、自発動詞・可能動詞・受け身動詞、また自発・可能・受け身の意味の助動詞がありますが、それらの見分け方と使い方に混乱しています。
「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」という文の「考えられる」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。
また「その場面は、昨日のことのように思い出された」という文の「思い出された」は、どんな文法でどんな意味でしょうか。

Aベストアンサー

最初に、ウィキより要点のみ抜粋してみます。
『自発の助動詞』
⇒【動詞の未然形に助動詞「(ら)れる」をつける方法は、特に主観的な考え・感覚などを示す動詞に用いられる。】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_(%E6%96%87%E6%B3%95)#.E8.87.AA.E7.99.BA.E5.8B.95.E8.A9.9E
『自発動詞』
⇒【動作主は重要でなく(もしくは不明で)、それよりも被動者を強調したい場合に、活用形式を変えて自動詞化(脱使役化)したものが用いられる。】
例:
建てる→建つ
掛ける→掛かる
置く→置ける(「気が置けない」)
沸かす→沸く(「風呂が沸く」)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_%28%E6%96%87%E6%B3%95%29
『可能動詞』
⇒【現代日本語(共通語)において五段活用の動詞を下一段活用の動詞に変化させたもので、可能(行為をすることができること)の意味を表現する。「書く」に対する「書ける」、「打つ」に対する「打てる」の類をいう。】
例:
会う・買う・扱う→ 会える・買える・扱える
行く・書く・歩く→ 行ける・書ける・歩ける
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD%E5%8B%95%E8%A9%9E
--------------------------------------------------------------------------

1.「その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」
:
上にお示ししたウィキの定義から考えるに、「考える」は五段動詞ではないので可能動詞ではない。
また、「主観的な考え・感覚などを示す動詞」と言えるから、下一段動詞の未然形「考え」+助動詞「られる」 の組み合わせと考えて良さそう。
むろん、五段活用動詞であれば 未然形+助動詞は「れる」。
以上は、動詞か助動詞かの見分け方のひとつに(とりあえずは)なるように思います。
次に問題になるのは使い方(用法)ですが、これは、シチュエーション次第ですべての可能性があると言わざるを得ません。
我々が実際に遭遇する頻度の高い(と私が思う)順にならべてみました。(厳密な区別ではありませんが())
・可能⇒「その問題に対しては、(可能性として)さまざまな答えがあると考えられる」
・自発⇒「(誰もが知っていることだが、)その問題に対しては、(自ずと)さまざまな答えがあると考えられる」
・受身⇒「その問題に対しては、(大勢の人々から)さまざまな答えがあると考えられる」
・尊敬⇒「(専務はひとつの答えしかないと考えるようですが、社長は、)その問題に対しては、さまざまな答えがあると考えられる」
受身の場合は、「その問題は」とするほうが文として違和感がなくなるでしょう。
尊敬の場合は、「考えられている」「考えておられる」などとするほうが自然な文になるかと思います。

2.「その場面は、昨日のことのように思い出された」

こちらも助動詞で、理屈は1とほぼ同じです。
頻度の高い(と思う)順に並べてみます。
・自発⇒「その場面は、昨日のことのように(自然に)思い出された」
・受身⇒「その場面は、昨日のことのように(わたしの頭の中で)思い出された」
・可能⇒「その場面は、昨日のことのように思い出せた」と可能動詞を使うのが自然でしょう。
助動詞で可能を表わす場合、「その場面は、昨日のことのように思い出される」と現在形にする必要があると思います。むろん、「思い出せる」とすることもできる。
・尊敬⇒「あの場面はなかなか思い出せないようでしたが、その場面は、昨日のことのように思い出された」

最初に、ウィキより要点のみ抜粋してみます。
『自発の助動詞』
⇒【動詞の未然形に助動詞「(ら)れる」をつける方法は、特に主観的な考え・感覚などを示す動詞に用いられる。】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_(%E6%96%87%E6%B3%95)#.E8.87.AA.E7.99.BA.E5.8B.95.E8.A9.9E
『自発動詞』
⇒【動作主は重要でなく(もしくは不明で)、それよりも被動者を強調したい場合に、活用形式を変えて自動詞化(脱使役化)したものが用いられる。】
例:
建てる→建つ
掛ける→掛かる
置く→置ける(...続きを読む

Q「感じる」と「感じられる」の差

自然を身近に感じる生活。
自然を身近に感じられる生活。

彼は怖そうに感じる。
彼は怖そうに感じられる。

景気は底打ちしたように感じる。
景気は底打ちしたように感じられる。


上記の例文のようなケースでは、「感じる」と「感じられる」にはどのようなニュアンスの差があるのでしょうか?

Aベストアンサー

「感じる」の方が「感じられる」より主観的、自発的要素が強いです。つまり、感じる主体に重きがある。
「感じられる」は、より一般論的な感じの時に用いる、一般的に自然とそう感じられるというニュアンスだと思います。

Q「該当」と「当該」の違い

辞書には、「該当」・・・その条件にあてはまること。「当該」・・・その事に関係がある。
・・・とあります。
“あてはまる”と“関係がある”、微妙に違うようで似ているようで、お恥かしいのですが私にははっきり区別ができないのです。
該当とすべきところを当該としたら、意味はまったく違ってくるでしょうか?
わかりやすく両者の違いや使い方を解説していただけませんか?宜しくお願いします。

Aベストアンサー

よく似た意味の言葉(名詞)ですが、

○該当…「する」をつけて「当てはまる」という意味の動詞として用いることができる

○当該…主に他の名詞の前につけて「今議論の対象になっている、まさにそのもの」という意味で内容を限定する形容詞的な形で用いる

といった違いがあります。逆の用法はありません。

・この条件に当該する人は申し出てください。

・○○事件につき、該当被告人を有罪に処す。

いずれもおかしな使い方で、反対でないとアウトです。

ご参考になれば幸いです。

Q「基」と「元」の使い方

経験を"もと"に話す。
上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?>

「基」になります。

1.「経験を"もと"に話す」とは言い換えれば「経験にもとづいて話す」ことと同じです。

2.「もとづい(て)」は「もとづく」の連用形です。

3.「もとづく」は「基づく」という漢字しか存在しません。

4.従って、ここでは元、本、素などの漢字は適切ではありません。


ご質問2:
<経験を"もと"に話す。>

1.「~をもとに」という語感が「~を元に戻す」といった語感になるため、「元」の漢字を想定されたのだと思われます。

2.しかし、ここで使われる「もと」とは「土台」の意味になります。

3.他の漢字「元」「本」などには「土台」「ベース」といった意味はありません。

4.従って、ここでは基が適切な漢字となります。

以上ご参考までに。

Q「を通じて」と「を通して」の使い分け

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。

「を通じて」
1.秘書を通じて社長との面会を乞う。
2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。
3.テレビを通じて広告をする。
4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。

「を通して」
1.書物を通して世界を知る。
2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
3.仲人を通して娘の縁談を進める。
4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。

 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。どうか、よろしくお願い致します。

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を...続きを読む

Aベストアンサー

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。)
なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。
・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない(#4のご回答でも指摘がある。)
・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。

私なら、もっと軽い感じに、
「実践的な臨床経験を積み重ねる。」
「臨床経験を積み重ねる。」
「臨床の経験を重ねる。」
「臨床の実践経験を積む。」
などなどでもよさそうに思います。


#4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、#2と#4は、似ているようです。
特に、思うのは、

>4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。
→このとおり「つうじて」
>2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
→「つうじて」
>3.仲人を通して娘の縁談を進める。
→このとおり「とおして」

この三例は、#2と#4で同じですし、自分が改めて考えても、この通りでおさまりがいいと思います。
改めて、いくつか意見を述べておきます。

一つ目は、
「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、
「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、
ということです。
(短めの漢語は、中間。)

二つ目は、
「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。
「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、
もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。

三つ目は、
「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。
「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。

四つ目は、
「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、
「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。

これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。

改めて考えても、#2#3も、#4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。

#4では
>「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの#3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.)
とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。
#3では
>「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、
>(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。)
>具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、
>ということです。

「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」
というのは、"単なる" に意味の重点があって、
「秘書に重きをおかない」という意味です。


ところで、質問では、
「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。」
とありますが、
この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど...続きを読む


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