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幕末の、雄藩連合構想ってなんですか?
倒幕勢力と比べるとどうゆうものですか?

A 回答 (2件)

雄藩連合思想が確立した背景や意味等、だいたいのことは他の方がご説明してくださってるので、私はあえて詳細は省いて極めて簡単に回答いたします。


雄藩連合とは佐幕派にとっては江戸幕府生き残りの構想として、公武合体派にとっては新しい政治の理想像の1つとして唱えられた公議政体論です。内容は徳川が頂点のピラミッド型ではなく、各藩参与型の政治構想。つまり、幕閣のみによる政治運営ではなく各藩も政治に参与し閣僚になれるという平和的改革です。しかし倒幕派が力をつけてくると少しずつ変化していきます。

●雄藩連合構想の変化
→[徳川幕府が中心の各藩主参加政治](安部老中や幕末の四賢候が目標とした雄藩連合の原型)
→→[幕府ではなく天皇中心の各藩(徳川含め)の合議政治](坂本竜馬等が薦めた雄藩連合)
→→[徳川を排除した薩長中心政府]

これらはすべて雄藩連合と言えますが、急激な時代の変化によって雄藩連合の形は変化していったのです。
大政奉還した後も閣僚のポストを狙い徳川家の生き残りを図った佐幕派ですが、小御所会議で完全に排除されました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。よく分かりました。

お礼日時:2009/05/06 14:05

回答します。



前に大河ドラマの「篤姫」だったかな?では出ていませんでしたが、「歴史が動いた瞬間」では解説していた気がします。

雄藩連合構想とは、簡単に云えば「徳川幕府」を存続させるための一つの方法論だったと思います。「征夷大将軍職」を朝廷に返納し、その代わりに新たな官職を設定し、その官職に将軍職が代わること。つまり、征夷という海外勢力との戦争を指揮するのではなく、海外勢力とも「融和」もしくは「交易」などを通じて平和的に解決するための政府を作るということ。

倒幕勢力の場合には、基本的に「攘夷」と「尊皇」で最初は固まりましたが、「長州戦争」や「薩摩戦争」などを通じて、「攘夷」を下ろし、「尊皇」中心で新しい政府を作るということに代わりました。

これを紐解くと同じことなのですが、「倒幕勢力」は「二重権力構造」の破壊と「新政府」の設立を目指し、「幕府」側では朝廷の権威によって「二重権力構造」を維持することが目的であったとする説が有力視されています。その最大の理由としては、政治勢力というものは、「人事を尽くして天命を待つ」という故事にも云われるように、幕末疲弊しきった幕府の人事を代え(老中・大老・大目付などの有名な職どころか、殆どの幕府内官制も全て世襲)、新しい政府を興そうとしたことにあるような気がします。

では。
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この回答へのお礼

詳しくて、分かりやすい回答ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/06 11:25

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