図書館で読んだ書物にフランス人はヨーロッパ土着のケルト人と残留ローマ人との混血人種である、という記述があったのですがフランス人のルーツ(特に王家)や成り立ちについて興味を持ち始めもっと詳細に知りたくなりました。

また、同じローマ人の末裔であるイタリア人との共通点や相違点なども挙げて頂けると嬉しいです。

ヨーロッパの歴史に詳しい識者の方のご回答をお待ちしております。
宜しくお願いします。

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A 回答 (5件)

まず、前提として、整理しておかなければならないことがあります。


民族と人種の違いです。
民族は必ずしも血が濃くなくても継ぐものです。文化とかアイデンティティーのようなものがわかりやすい部分です。
それに対して人種とは、単純に血の濃さや、混血具合に注目する部分です。

例えば、いわゆる「ラテン系」と言うのは、そもそもローマ付近の都市国家の構成員だった民族の影響を受けた文化、及び民族です。主にローマが都市国家の時代に実権を握り、文化的に多数派となり、ローマ帝国になってローマ文化、ローマ語を帝国内に広めました。また、ローマ人の兵も各地に駐屯しました。

ローマ帝国時代、フランスはガリアと言われケルト系の民族の土地でした。そこに征服者として、ローマ人が兵隊や官僚として派遣、駐屯しました。これがフランスのみならずラテン系言語を話すヨーロッパの国々の基本形です。

その後、アジア方面の遊牧民などの圧力や、人口の問題が原因などと言われていますが、いわゆるゲルマン民族大移動が始まります。
フランスにも色々はゲルマン人が移動し、あるものは定住、あるものはさらに違う土地へ出て行きました。最初はローマ帝国が傭兵として呼んだとも云われています。ゲルマン人は人種で言うと移動の途中に色々な人種と混ざったようです。その中でも後のフランス王国に繋がる王家がフランク族出身のメロヴィング朝フランク王国で、パリに首都を定めてローマ帝国から独立しました。フランク族もゲルマンの文化を中心としながら、ケルト人やローマ人、イラン系の遊牧民もいた集合体と言われています。

その後メロヴィング朝下で宰相の家系であったカロリング家が王国を乗っ取りフランス革命まで王家は全てカロリング家の末裔です。

まとめますと、ケルト人を征服したローマ人の土地にゲルマンの酋長が王として統治するようになり、文化的にはローマ化したガリアの文化を土台としたフランス文化が発展した。と云う感じでしょうか。
征服者が被征服民族化していくのは、征服者が混成集団だったり、少数だったり、被征服者の方が文化的に上だったりする場合によくあることで、ブルガリアや中国の清などの場合と同じです。

一口でフランスと言っても均一ではなく、パリを中心とした地域の文化がフランス文化の中心とされ、南部はイタリアなど地中海の影響が強いです。その他、西のブルターニュ半島はイギリスから追い出されたケルト人の文化が残り(古来の大陸ガリア人ではなくブルトン人です。)、東のアルザス地方はドイツ文化が残る地域です。

ちなみに蛇足ですが、フランス文化の花形とも言えるフランス料理はヴァロワ朝時代にフィレンツェのメディチ家から嫁いだ王妃とその専属料理人が持って来た様です。ローマ帝国からフランク王国へ繋がる伝統とは異なりますが、フランス料理もイタリアの文化を基本に作られました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ローマ帝国から独立できなかったら今のフランスはなかったんですね!

後半実に分かり易くまとめて頂き有難うありがとうございました。

お礼日時:2009/05/23 11:57

ユダヤ人の血もあるかも、しれない

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ユダヤの血統もマイノリティながら入ってるかもしれませんね。

お礼日時:2009/05/23 11:50

フランス人のルーツ(特に王家)や成り立ちsという事ですが、かなり複雑です。


ケルト人は、南ドイツを中心とした地域に住んでいた人達で、ヨーロッパでもっとも古くから鉄器を使用した部族です。
そのひとたちが、西ヨーロッパに広がってゆきます。
ケルト人がフランスに拡大する以前にフランスやイギリス、スペインなどに既に巨石文明を持つ先住民がいました。
(カルナック石群やストーンヘッジを造った人達)
フランスにいたそれらの人達と、ケルト人が交じり合ったのが、ガリア人になります。
そのガリア人ですが、フランスでは、北部・中部・南部文化圏が分かれていました。
おのおののガリア人とラテン系の人達(ローマ人)と交じり合い、フランス人の先祖となる、オック人、オックオイル人、オイル人が形成されてゆきます。
ゲルマン民族の移動により、オック人の地域には、主に西ゴート族が、オックオイル地域にはブルグンド族が、オイル地域には、フランク族が進出してきます。
そしてそれらの地域が、最終的にフランク族が統一し、その後フランク王国が3分割(フランス、ドイツ、イタリア)となり、現在のフランスへとつながります。
フランス王家の元は、西フランク王国にあり、西フランク王国の有力家臣であるパリ伯のウードが、カロリング家のシヤルル1世に代わって王位につき、ウードの弟ロベールをフランス公とし、そのロベール1世の孫のユーグ・カペーが、フランス国王になり、その後のフランス王家の元になります。
(ウードの後再びフランク王位はカロリング家のものとなり、カロリング家が断絶後ユーグ・カペーが王位につきフランス王国となります)

フランス人とイタリア人のちがいですが、イタリア人には、ケルト人の影響がごくわずかで、ギリシャ人との結びつきが強いのが特徴です。
またゲルマン人との関係も薄くなっています。
そのため言語的にフランス語が、ケルト語やゲルマン系の影響を受けたロマンス語なのに対して、イタリア語は、純粋なロマンス語系言語になります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ケルト人よりも古い先住民がいたんですね。
そしてケルトの人々と交じりガリア人になったんですね。
とても勉強になりました。

オック人、オイル人というのは初めて聞きました!

イタリアの人々はケルトの影響がごく僅かなんですね。
これまた勉強になりました。

お礼日時:2009/05/23 11:49

フランス人という人種はいない


http://ja.wikipedia.org/wiki/地中海人種
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルプス人種
まぁ数万年前から混交しているのだから、どれがどれ?なんてことは、学術的には不可能でしょう。

フランク族とかそういったゲルマンの中の「強い親分のもとに集まった仮想的な氏族集団」程度なので、DNAで明確にということはできない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かにフランスの人々は碧眼、色白ながら南欧系のとても濃い顔立ちで地中海人種とアルプス人種の両方の特徴が見受けられますね。

お礼日時:2009/05/23 11:41

ひねりも何もない感じなのですがフランク族というのが


フランス人の先祖、ケルト人という、民族くくり、は
地理上・広範囲に渡るところに住んでいて、ローマが拡大
していった地域の以外のところの西洋人は全部ケルト人と
いってもいいくらい大雑把な感じでケルト人は今の英国本島に
いたしフランスにもいたしドイツのへんにもいたし
フランク族もケルト人と移ってきた民族との衝突や混血で
できていった感じらしい、このフランク族が一杯いた地域の
東部にライン河があってライン河流域東岸以東はゲルマン諸族が
いました、もっともフランク族とゲルマン諸族も衝突や融合を
繰り返していて重複するところが多かった部族でしたが
ローマの将軍シーザーがガリアを征服して
ただし、すんなりとした征服戦争ではなくてガリア人の
ヴェルキンゲトリックスが反乱を起こしてシーザーも苦戦したが
何とか征服を成した、このガリア反乱の首謀者は記録上もっとも
古いフランス人の歴史人物かもしれません
ガリアの主な住民のガリア人フランク族を統治した時点で
ガリア人はローマの領域
ゲルマン人はローマ以外の地域の人間と区別が明確になった。
シーザーの数代後のローマ初代皇帝オクタビアヌスはゲルマンも
ローマ影響圏に組み込もうとして遠征をしたがガリア総督ヴァルスが
ガリア人とローマ人の混成軍団を進軍中にゲルマン諸族の
首領アルミニウスの伏兵集団の奇襲にあって全滅して以降
ローマはライン河より東へは攻められない敗戦講和を締結して
以降この状態は続いたそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ケルト人はローマ領以外のところに広く分布していたんですね。
ヴェルキンゲトリックスなる人物がフランス有史上の最古の人間の可能性があるんですね。
勉強になりました。

お礼日時:2009/05/23 11:35

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Q外人の髪の毛の色でルーツがある程度わかりますか?

白人の髪の色って金髪と茶色、黒などありますが、イギリス系はこの色とかイタリア系のルーツならこの色とかある程度ルーツがわかるのでしょうか?

Aベストアンサー

髪の毛の色で、イギリス系とかフランス系などを判断できません。

ヨーロッパにおいて、混血が進んでいるため、親や兄弟間でも異なる場合が多々あります。

基本的に金髪(透き通るような)の場合、北欧系のスエーデン、ノルウエー、フィンランドなどが多いですが、ロシア、ポーランド、デンマークなどにもいます。
この手の人は、ストレートヘアが多いように思えます。

光るような金髪の場合、北ドイツ、デンマーク、ポーランド、チェコ、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、オランダ、イギリス、北フランスなどが、多くなります。

茶色がかった金髪の場合、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、北イタリア、チェコ、ポーランド、ロシアなど、多岐にわたります。

スペインやイタリアなどは、北ほど金髪の割合が多く、南ほど黒髪が多くなります。

ただし、最近髪を染めている人が多く、外観では見分けがつきません。

出身を見るには、相手の行動を見ていると、かなりの確率で、おおよその地域が分かります。
よく見ていると、あの人は、イギリス人なのかアメリカ人なのかは、簡単に分かります。

髪の毛の色で、イギリス系とかフランス系などを判断できません。

ヨーロッパにおいて、混血が進んでいるため、親や兄弟間でも異なる場合が多々あります。

基本的に金髪(透き通るような)の場合、北欧系のスエーデン、ノルウエー、フィンランドなどが多いですが、ロシア、ポーランド、デンマークなどにもいます。
この手の人は、ストレートヘアが多いように思えます。

光るような金髪の場合、北ドイツ、デンマーク、ポーランド、チェコ、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、オランダ、イギリス、北フラン...続きを読む

Qフランスのブルボン王家についてうかがいます。

フランスのブルボン王家についてうかがいます。
同じブルボン家で何故、王の名がルイ、フランソワ、アンリ、という具合にばらばらで統一しないのでしょうか。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

ヨーロッパの王家は・・・王家だけでなく一般人もでしたが、
一族の中で幾つかの名前を順繰り順繰り使ってるんですよ。
おじいさんの名前をもらったとか、おばあさんの名前をもらったとか、親類の誰それの名前とか。
だから1つの名前に統一するわけではないです。

でも家系図を見ると同じような名前ばかりでバリエーションが少なく、○○何世とか言って、誰が誰やら判りにくいです。

Q「日本語のルーツは古代朝鮮語ではない」という説の論拠とは?

こんばんは。
いつもお世話になっております。

イ・ヨンヒさんなどが、日本語のルーツは古代韓国語にあると主張しておられますが
それに対して安本美典氏などが日本語のルーツは古代韓国語ではないと主張しておられるようです。

で、質問です。

(1)「日本語のルーツは古代韓国語ではない」という説の論拠とはどのようなものでしょうか。

(2)(1)の説はどなたの説でしょうか。
もちろん、ご自身の説でも構いません。

※私が知りたいのは、「日本語のルーツは古代朝鮮語ではない」とする論拠のみで、どちらが正しいのかを問うているわけではありません。

※研究者の批判・悪口などはお控えください。

Aベストアンサー

 No.13です。

 お許しが出ましたので 李寧煕説の批判にかかります。
 その当時 かのじょに宛てて書いた文章を載せます。

 《あくたい・もくたい》――「記紀・万葉の解読通信」No.11所収――の議論について少し異なった解読の余地があるのではないかと考え 筆を執りました。
 ちょうど今 トゥングース諸語を勉強中で アクタイに関しては これらの諸語に 
 ○ アクタ: 去勢された〔トナカイ・馬・牛〕
 ☆ という単語があることを知ったのです。

 ○ akta- :トナカイを去勢する( кастрировать оленя)=(α)とする。
 1. エヱ゛ンキ語:(α)
  ○ aktakaa:去勢されたトナカイ=(β) / トナカイを去勢する術を
   知っている人
 2. ソロン語:去勢馬・去勢牛
 3. エヱ゛ン語:aak-:(α)/ (β)(騎乗用)
 4. オロコ語:xakta(ハクタ):(α)
 5. ナ-ナイ語: akta mori(n)-:去勢馬
   ○ xakta-:(α)(トナカイに限らず)
     xaktato:去勢された
     xaktoaxa:馬
 6.マンチュー(満州)語:去勢馬
   ○ aktala-:(α)(トナカイに限らず) / 罪びとを去勢する /
   馬に乗る / 〔荷を背に〕負い分ける / 容器に弓形の把手耳をつける
 * 〔以下は トゥングース・マンチュー語派のほかのいわゆるアルタイ語族〕
 7. モンゴル語:agtala- :(α)(トナカイに限らず)
   ○ agt :去勢馬
 8.ヤクート語: at:去勢された
   ○ attaa:(α)(トナカイに限らず)
    attaki / attiki:去勢された

  (以上は 『トゥングース・マンチュー語派比較辞典』ナウカ1975より引用)

 これらを見ると 李寧煕女史の解読と 語義がそっくりです。つまり 現代韓国語の
 ○ アクテ( aktae )→
   アクテ‐マル:去勢馬
   アクテ‐ソ:去勢牛
   アクテ‐ヤング:去勢羊
 ☆ と意味が同じです。
 また アクタ( akta )だけではなく aktakii(エヱ゛ンキ語)や attaki(ヤクート語)の語形もあるので これらから -k- が脱落して アクタイになる可能性があります。
 次に 馬を意味する語の mori(アルタイ語族)が 韓国語のマル( mal )と対応すると思われるごとく akta- も あるいはおっしゃるように アグ‐タイ=子供‐もぎ取り という語源に分解することができるのかも知れません。
 これは akta- が そのトゥングース諸語で 語源として明らかでないので いまひとつはっきりしません。ただしまた ぎゃくに xakta-(あるいは hakta- )のごとく 語頭に x- ( h- )が現われる形態も見られ それは アガ・アグと対応するかどうかは 分からなくなるかもわかりません。(むろん h- は フランス語のごとく 落ちやすいようですが)。

 日本では 中国から宮刑の制度をおおまかに言って採り入れず 宦官をつくることがなかったと見られます。また一般に動物の去勢の習慣もあまり行なわれていないと言われます。ので このアクタイが 去勢に関係した語としてなら 日本語に固有のものではないと おおよそはっきりしています。

 いまはまだ 議論の余地があると考えられること このことのみをお伝えしようという趣旨です。すなわち アクタイが 去勢者の意味の語として韓国から入って来たとしても その語源また出自は まだ韓国固有の語だというまでには 明確ではないと言うべきでしょう。

 わたしは古代韓国語とそして古代日本語とが 互いに似通っていて さらには一つの基層としては同じ一つの言語であった部分を持つのではないかと考えている者ですが もう少し議論の余地があるのではないかと思う点を もう一・二例 挙げたいと思います。

 同じトゥングース諸語に
 ○ aksa-:侮辱を感じて立腹する / 侮辱する(つまり いわゆる悪態をつく)
 ☆ という語があるようなのです。

 ○ aksa-:侮辱を感じる( обидеться)=(γ)
 1. エヱ゛ンキ語:(γ)
   ○ aksan:侮辱・無礼・腹立たしさ・いまいましさ / 争い・けんか
 2. エヱ゛ン語:aas-:(γ)
   ○ aasan:=エヱ゛ンキ aksan
 3.以下 語例を省略します。
 
 ☆ つまり アクサが アクタやアクタイ(悪態)に変わることはあり得ます。例として ふさぐ(塞ぐ)=ふたぐ。

 こう見て来ますと いろんな可能性が考えられます。偶然の類似から 借用語である場合や 果ては 同源の語である場合などです。
 ただこれらはまだ 基礎語彙であるとは言い難いようにも思われます。
 長くなりますが もう一点 別のことがらで考えてみます。たしかに日本の相撲は モンゴル相撲(ボフ)や韓国のシルムから来たのかも知れません。つまり後者は 言葉も同じです。(ルが取れて シムからシモ→スモとなる)。
 と同時に 聞くところによりますと ポリネシア・ミクロネシア(いわゆるアウストロネシア語族)にも 同じように すもうの習慣があったと言います。あるいは 日本で独自に発明されたかも知れません。(格闘技ですから 似たり寄ったりでしょう)。
 すなわち以上のことから言えることは 言語と生活習慣のすべてを韓国から持って来たと考えることには少々無理があるのではないでしょうか? すなわち可能性があると同時に つねに別の可能性もあり得て まだまだ説明不足の感をいなめないのではないでしょうか?

 たとえば
 ▲ いかなるプロセスを経て韓国語が日本語になり変わってきたのか。(p.5)
 ▲ 日本語のルーツである韓国語。(p.6)
 ▲ 日本語が どのような方程式を通じて韓国語から変貌してきていることばなのか。(p.15)
 ☆ といった見方は――もちろんそれを具体的に研究し その裏付けを発表されて来ているわけですが―― ほかの見方もあり得るだろうということをもはや閉ざすかのような発言ないし口調に響きます。
 あらためて 日本語のあくたい(悪態)が韓国語のアグ‐タイから来ているとしても 今ではその語源が 日本語では分からなくなっているのが現実です。アグ・アゴは 阿児として解読できますが タイ(タ)=取る・摘むなどという語は 日本語からは解明できないものです。
 ということは なるほど韓国語起源だと仮りにしましても その起源のことばが 日本語として日本の地で一定の方程式とプロセスを経て用いられ保存されてきたというその反面で じつはそれは このアクタイという一つの語の問題なのであるに過ぎないということも考慮しておかねばならないはずです。
 もしおっしゃるように
 ○ アクタイ(悪態)← 子供(アグ)‐もぎ取り(タイ)
 ☆ という起源であるとしますと それは日本人から見て〔と代表のごとく発言しますが〕 きわめて違和感のある発想であり語の成り立ちだと思います。つまりもしこの起源にもとづくなら おそらく日本語にとってこの語は外国語であると考えます。つまりむしろ一つの借用語だとなります。
 つまりは 借用関係の証明がせいぜいであって 言語の同系を言うには百歩も千歩も勇み足であろうと考えますが いかがでしょう。   

 No.13です。

 お許しが出ましたので 李寧煕説の批判にかかります。
 その当時 かのじょに宛てて書いた文章を載せます。

 《あくたい・もくたい》――「記紀・万葉の解読通信」No.11所収――の議論について少し異なった解読の余地があるのではないかと考え 筆を執りました。
 ちょうど今 トゥングース諸語を勉強中で アクタイに関しては これらの諸語に 
 ○ アクタ: 去勢された〔トナカイ・馬・牛〕
 ☆ という単語があることを知ったのです。

 ○ akta- :トナカイを去勢する( к...続きを読む

Qヨーロッパの王家の継承について

ヨーロッパでは他の地域とは違い、キリスト教の教義上側室制度や
後宮が認められず、離婚ですら簡単には許されませんでした。
しかし現実問題、一人の女性が生涯で生める子供の数などは限られて
いますし、昔は乳幼児死亡率が高いですから成人できる子供も必ずしも多くはありません。
一夫一婦制に固執していれば直系はすぐに絶えてしまうのではないでしょうか?
もちろん直系が絶えたことにより傍系に王位が移行して、王朝交代というのは英仏で幾度かありますが、
まがりなりにも一つの王朝で十代かそこらは続いているようです。
いったいに上記の問題をどう解決していたのでしょうか?
ヨーロッパの女性がありえないくらい多産なのでしょうか?(そんな事なさそうですが)
それとも側室禁止というのは建前で、実際は側室がいたのでしょうか?

Aベストアンサー

側室の制度はありません(一部の国にはある)が、
公然の愛人が多数いました。(ほとんどすべての王侯はなんらかの愛人を持っていた)
キリスト教会も、これを黙認していたばかりか、
教皇を含め、高位の聖職者も多数の愛人を抱えていて、
子供がいたりと、笑えない状態だったのです。
逆に離婚は確かに困難を伴ったのですが、
これはもっぱら継承権が絡んでくるので、宗教的な制度以前に、
簡単に分けられなかったわけです。

ウィリアム征服王(ウィリアム・ザ・コンカー)は、
もともとウィリアム・ザ・バスタードという渾名で、
これは庶子王と言うほどの意味。要するに正妻の子ではありません。
愛人の子でした。
ウィリアム征服王の例は、一番有名な例ですが、
ヨーロッパの王侯のなかにはこうした愛人の子だったり、
逆に公表できない聖職者の子だったりする人が何人も居ます。

また王侯の妻は多産を強要されるので概して短命であり、
体が成長しきってない十代から産み続けて、
出産のせいで亡くなる人は少なくありませんでした。
そのため王侯は、沢山の後妻を娶っています。
とっかえ、ひっかえ、新しい妻を娶っていたといって過言ではありません。
さらにもし新妻が子を産めない体であるとわかった場合は、
結婚は無効にできましたから、全く問題なかったのです。

側室の制度はありません(一部の国にはある)が、
公然の愛人が多数いました。(ほとんどすべての王侯はなんらかの愛人を持っていた)
キリスト教会も、これを黙認していたばかりか、
教皇を含め、高位の聖職者も多数の愛人を抱えていて、
子供がいたりと、笑えない状態だったのです。
逆に離婚は確かに困難を伴ったのですが、
これはもっぱら継承権が絡んでくるので、宗教的な制度以前に、
簡単に分けられなかったわけです。

ウィリアム征服王(ウィリアム・ザ・コンカー)は、
もともとウィリアム・...続きを読む

Qレゲエのルーツ&カルチャーとは?

ルーツ、カルチャーとはなんでしょうか?ルーツが生演奏と聞いたことがあります。カルチャーとはJAHについて歌ったものを言ったりするのでしょうか?
また、ラヴァーズとは曲調や歌詞が違うのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ラヴァーズの曲調等についてはわかりませんが、レゲエのルーツは「スカ」と言う音楽です。Jahと言うのは、ラスタファリズムと言う一種の宗教的なものの中で崇拝されている神様のことです。
詳しいコトはウィキペディアで調べてみるといいですよ。

Q島のケルトはケルト=イベリア人のことですか?

質問させてください。

近年のDNA鑑定によって、島のケルト(ブリタニア、アイルランド、スコットランド)と
大陸のケルトは血脈が無く、島のケルトはむしろイベリア人の遺伝子が濃厚ということが
判明しましたが、このイベリア人というのは、ケルト=イベリア人のことでしょうか?

ケルト=イベリア人は、大陸のケルトとイベリア半島の原住民が混血したものですよね?
ということは、大陸のケルトの遺伝子情報も残りますよね。血脈が無いということには
なりませんよね。

島のケルトに、大陸のケルトの遺伝子がない(?)ということは、イベリア半島の原住民が
ブリテン島に移住したということでしょうか?でもそんな歴史の記述は読んだことがありま
せん。。。

紀元前900年頃にイベリア半島に移住したガリア人が、原住民と混血していくうちに
イベリア人のほうの遺伝子が濃くなって、ブリテン島に定住したころ(紀元前2世紀頃
?)にはほとんどイベリア人の血になっていた。。。ということでしょうか。

なんだかとってもスッキリしません。
どなたかご教授お願い致します。

よろしくおねがい致します。

質問させてください。

近年のDNA鑑定によって、島のケルト(ブリタニア、アイルランド、スコットランド)と
大陸のケルトは血脈が無く、島のケルトはむしろイベリア人の遺伝子が濃厚ということが
判明しましたが、このイベリア人というのは、ケルト=イベリア人のことでしょうか?

ケルト=イベリア人は、大陸のケルトとイベリア半島の原住民が混血したものですよね?
ということは、大陸のケルトの遺伝子情報も残りますよね。血脈が無いということには
なりませんよね。

島のケルトに、大陸のケルトの遺伝子が...続きを読む

Aベストアンサー

元ネタは
http://www.bradshawfoundation.com/stephenoppenheimer/origins_of_the_british.php
http://www.amazon.com/The-Origins-British-Genetic-Detective/dp/0786718900

この辺ですね。

オッペンハイマーのDNA調査によると

それまでの通説
島のケルトと大陸のケルトがいた
島のケルトは、ブリテン島においては後発のアングロサクソンに虐殺されブリテン島はアングロサクソン系になり、ウェールズやアイルランドにケルトが残った。

DNAで分かったこと
1 ブリテン島は氷河期にはヒトはいなかった。
2 暖かくなると、イベリアからヒトが北上して、ブリテン島に住みだした
3 ケルト人が農業を持ってブリテン島に来た(けど少数派)
4 ベルギエ人の一派が英語を持ってやってきた すごーく少数派
5 アングロサクソン人がやってきた これまた少数派

遺伝子グループで考えると

グループ A イベリアを出発した集団
約16,000年前から約7,500年前くらい ※ 7,500年前にイギリス海峡ができて、ブリテンが島になる
グループ B ロレーヌ地方あたりのケルト人発祥の集団
約6,000年前から約3,700年前くらい
グループ C ベルギー発祥のベルギエ人の集団
グループ D アングロサクソンの集団

アイルランド:グループAが主体
※ アイルランド人がケルト人の末裔というのは間違い
ブリテン:グループAが主体でグループBが少数派、グループC,Dは極少数
※ 後発のアングロサクソンなどによる虐殺はなかった
イベリア:グループAが主体にブループBが重なる
山間部に残ったグループAがバスク人など

ということらしい。

このイベリア人というのは、ケルト=イベリア人

ここでのイベリア人というのは直系の子孫としては、バスク人あたりを想定して、バスク人=グループA としている。

元ネタは
http://www.bradshawfoundation.com/stephenoppenheimer/origins_of_the_british.php
http://www.amazon.com/The-Origins-British-Genetic-Detective/dp/0786718900

この辺ですね。

オッペンハイマーのDNA調査によると

それまでの通説
島のケルトと大陸のケルトがいた
島のケルトは、ブリテン島においては後発のアングロサクソンに虐殺されブリテン島はアングロサクソン系になり、ウェールズやアイルランドにケルトが残った。

DNAで分かったこと
1 ブリテン島は氷河期にはヒトはいなかった。
2 ...続きを読む

Q蝦夷の刀 蕨手刀はどこがルーツ?

日本刀のルーツとなったのは、蝦夷の蕨手刀といわれていますが、その蕨手刀はどこがルーツなのでしょうか。

Aベストアンサー

蕨手刀子ってのがあったようです。刀子(とうす)ってのは一寸(30cm程度)に満たない小刀というかナイフのようなもので、こちらは全国的に見つかっているようです。また半島からも見つかっていることから、(やはり?)中国あたりから来たものかもしれません。

この蕨手刀子が東北のほうで大型化して蕨手刀になるわけですが、なぜ東北で大型化したのかなどは、よく分かっていないようです。

Qフランスの貴族と王家

フランスの貴族と王家には、具体的にどんな違いがあるんでしょうか?(フランス革命のあった時期)
暮らしぶり、位の継承の仕方などに違いがあったのでしょうか。
第三身分と直に関わることもあったのでしょうか。

分かりにくい質問ですみません。

Aベストアンサー

王家も貴族の一種ですから、国王と王太子以外の王族は、ただの貴族と変わりません。
国王とその後継者である王太子は、重要な役職であり特別な地位であると言えると思います。

(革命前の)フランスは、国王の親政が基本という国家ですから、国王は絶対君主としてあらゆる権限を有しました。王太子は場合によってはその権限を代行する摂政になることができたわけです。(王妃の摂政権限は革命の途中で破棄された)

貴族は、封建領主としての経営者としての立場と、宮廷貴族として俸給・年金に依存する官僚としての立場、あるいは軍人としての立場などに分かれます。
たいがいの貴族は、土地を持っており、直接に耕作はしないまでも何らかの形で農業に携わるかその収益を得ています。フランスには革命までは封建制度が残っていたので、貴族の領地は、国内国のような独自の存在であり、裁判権などの諸権利や、領主税をとっていました。よって王領よりも、貴族領の農民の方が税が重かったりしたので、革命が起こるとすぐに、封建的特権の廃止をもとめた大規模な一揆(大恐怖)が起こるわけです。
官僚としての貴族の中には買官制度で役職を買い取ったブルジョワも含まれますが、様々な権益のからむ役職を世襲的に相続するものもおり、膨らむ年金額は王室の財政を悪化させた原因の一つです。しかし一方で官僚が国家を動かすわけですから、必要でもあるわけです。
軍人としての貴族は、特に士官以上は貴族で固められたこともあって、主要な勤め先ですが、特に上級の役職が固定的に世襲されて、実務には当たらないということが(他国も同様)行われていて、忠誠心という意味では一定の貢献はありますが、軍の質の向上にはあまり貢献しませんでした。しかし時代を経れば経るほど貴族の子弟は増えるわけですから、軍は中流以下の貴族の就職先として必要なポストだったといえます。ほとんどの貴族は軍籍に入るのが一般的でした。

暮らしぶりですが、貴族と一言でいっても、経済状態は様々で、農民のような暮らしをしている人もいれば、豪勢な暮らしをしている人もいます。オルレアン家、エギヨン家、タレーラン家などは、国王に匹敵する財力や土地をもっていたことで知られますが、全体から見れば裕福な貴族は一握りで、ほとんどの貴族は官僚や軍人であるので、いわばサラリーマンであったといえます。

爵位の継承は、世襲制ですから、親から子に引き継がれます。管理する役所があ、届け出ることになりますが、血縁以外に引き継ぐなど特別な場合以外は普通に承諾されます。爵位は私有財産であり、役所が管理するのは詐称などを防ぎ、記録して留めるためです。

役職のなかには世襲的に引き継がれるものがありましたが、これは制度ではなく、縁故によって任命されるものであるため、日頃の付き合いなどからくるものです。

国王の継承は、古くからの継承法が決まっており、フランス王には男子限定で、年長順ということになります。女性には継承権は完全になく、女性の配偶者も同様です。

平民のなかにも、一代貴族になるものは大勢おり、貴族と平民との垣根はそれほど高くはありません。また上流貴族と下級貴族では、さっき言ったように生活水準もスタイルも大きく異なるため、一概には言えません。この時代の礼儀としては、知り合いが知り合いを紹介するという、知遇を得ていくという社交スタイルのため、誰か上流社交界の一人と知り合いになれれば、そこからさらに多くの知り合いができます。使用人以外でも、多くの平民が貴族との交流をもっていて、特に禁止されているわけではないです。例えば、ジャック・ネッケルなんかは貴族でもなんでもない、ただのスイス人です。彼のような人が(財務総監にはなれなかったが)財務長官になれるわけですから、平民でも特に問題はないのです。

王家も貴族の一種ですから、国王と王太子以外の王族は、ただの貴族と変わりません。
国王とその後継者である王太子は、重要な役職であり特別な地位であると言えると思います。

(革命前の)フランスは、国王の親政が基本という国家ですから、国王は絶対君主としてあらゆる権限を有しました。王太子は場合によってはその権限を代行する摂政になることができたわけです。(王妃の摂政権限は革命の途中で破棄された)

貴族は、封建領主としての経営者としての立場と、宮廷貴族として俸給・年金に依存する官僚として...続きを読む

Q日本文化のルーツを調査した本はありませんか?

神道の鳥居のルーツは中国にあったように(中国の元祖鳥居はあの形の上に鳥が乗っている)
また能や歌舞伎のルーツが朝鮮半島にあるように、日本の文化や芸能に限らず様々なものはどこから来たのかを調査研究した本はないでしょうか?

Aベストアンサー

 文化のルーツというより、事物の起源をお求めのようですね。WIKIで「事物の起源」を検索してはいかがでしょうか。

https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ADRA_jaJP472JP472&q=%E4%BA%8B%E7%89%A9%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90#q=%E4%BA%8B%E7%89%A9%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90&hl=ja&tbo=d&rlz=1T4ADRA_jaJP472JP472&ei=SPj_ULH0LMKWkwWdkIGQCw&start=0&sa=N&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&bvm=bv.41248874,d.dGI&fp=6a6044ea13565c31&biw=1050&bih=1414

Qヨーロッパ文明はギリシア文明とキリスト教の混血???

ヨーロッパ文明はギリシア文明とキリスト教の混血???

ヨーロッパ文明に影響を与えたものは多くあると思いますが、
ヨーロッパ文明に決定的に大きな影響を与えたものは、
キリスト教とギリシア文明と考えてもいいのでしょうか。

上記二つ以上に、現代ヨーロッパの源泉となったものはあるでしょうか。

Aベストアンサー

そのような考え方があるのは事実です。
正確にはキリスト教、ユダヤ教をあわせてヘブライズムと呼び、ギリシア由来であるヘレニズムと対比されたりします。

例えば神への信仰に重きを置いた中世はヘブライズム。人間中心のルネサンスはへレニズム。
宗教改革はヘブライズム、というように、ヨーロッパの歴史はこの二つのせめぎあいの歴史ともいえます。

しかし、ルネサンスがアラブ文明を吸収したものでもあるように、この二つのみがヨーロッパ文明を構成すると考えるのは乱暴です。
なぜなら東洋(特にアラブ、イスラム)に対してのヨーロッパの優越意識によるバイアスがかかっているからです。
こういった考え方は、非常にヨーロッパ中心的ですので、どういう文脈で用いられているのかに注意しなければいけません。

日本で例えるなら、縄文(アニミズム由来の宗教的文化)と弥生(大陸由来の理性的文化)の対比のようなものだとお考えください。


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