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ここ最近で、はっきりと記録に残ってる剣士だと南京戦で中国兵百人相手と戦い勝利、戦後報復裁判で絞首刑になった日本兵がいますが。
鉄砲や弓矢などの飛び道具を除く刀、槍、素手などで彼らの記録に並ぶ、もしくは超える歴史上の人物ってどんなのがいますか。
国は日本でなくてもどこでもいいです。
宮本武蔵や岡田遺贈は伝説のような話が多いのですが、有名ということは信頼性のある記録分だけでも南京戦の記録を超えていたりするんでしょうか。
実力でなくても強くなくとも極めて幸運な人物できわめて都合よく戦闘が展開した奇跡のような例でもいいので一次資料や二次資料などの公式記録に残る戦績を持つ実在の剣士がいたらどこの国のどんな人物か教えてください。

A 回答 (5件)

直接質問と関係のない話、失礼します。


質問者さまは勘違いされているようですが、
>中国兵百人相手と戦い勝利、戦後報復裁判で絞首刑になった日本兵

というのは嘘ですよ。
いくら百人倒そうと、戦闘で斬ったのならそれは戦闘行為であり、犯罪ではありません。
その日本兵が死刑になったのは、「農民や捕虜をすえもの斬りした」容疑です。
死刑になる直前まで、その兵士は「戦闘行為で百人切ったんだ!」と主張しましたが認められずに銃殺刑になりました。
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ソ連がフィンランドに侵攻した時期に


フィンランド軍の狙撃兵士のヘイへと
ラロッカという狙撃の名手がいて
この二人のヒット数は合わせると千人ぐらい
にもなるといわれています。
また、ヘイへのほうは、狙撃いがいで
どこかの陣地を死守したさいサブマシンガンを
使って、フィンランド兵士数名だけで
数百人もいたソ連軍の侵攻をシャットアウトし
何百人もソ連側は犠牲になったという話が
あります。
フィンランドは起伏の富んだ地理で
ソ連が自慢の戦車部隊を中々つかえない所で
また、フィンランドはロシア人も寒がるほどの
極寒の土地でフィンランド軍はソ連と激しく
戦ったためフィンランドは領土の割譲は
されてしまったがソ連の属国化を阻止できたと
いわれています。
戦後、ソ連は赤軍兵士を大量に殺傷した
ヘイへやラロッカを戦犯として引き渡すよう
要求したが、ときの大統領マンネルヘイムは
断固拒否しソ連も諦めたそうです。
この大統領はソ連がフィンランドに侵攻した
ときフィンランド軍の将軍で
講和交渉では予想外の健闘をしたといわれています
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戦争の指揮官としての強さと、個人としての戦闘能力のどちらかを重視するかで決まってくると思います。



戦争の指揮官としての強さであれば、近代までは中央アジアの遊牧民族が最強でしたので、
・匈奴の冒頓単于
・モンゴル帝国のチンギス・ハンとバトゥ
・ティムール帝国のティムール
のいずれかになるかと思います。

個人の戦闘能力については、三国志の呂布といいたいところですが、1800年も前のことなど確認しようがありませんし、数百年前のことでも客観性をもって測定するのは無理です。
個人的には、銃の時代になっても新政府軍に対し刀で最後まで戦い続けた新選組の近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八か、北辰一刀流千葉道場の塾頭だった坂本竜馬を推します。幕末はせいぜい150年ほど前なので、信頼できる資料は山ほどあります。
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武田勝頼の家臣、土屋右衛門尉昌恒。


「片手千人切り」といわれているので、誇張したとしても百人以上の敵と戦い勝利したと思われる。

彼の子孫は徳川家の大名となっているので、信頼の置ける事例だと考えられる。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B% …
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確かな記録、がどこまでを指すのかがわかりませんが…


映画”スリーハンドレッド”はご存じですか?
またはオデッセイアのアキレスなんかはどうですか?
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