ここ最近で、はっきりと記録に残ってる剣士だと南京戦で中国兵百人相手と戦い勝利、戦後報復裁判で絞首刑になった日本兵がいますが。
鉄砲や弓矢などの飛び道具を除く刀、槍、素手などで彼らの記録に並ぶ、もしくは超える歴史上の人物ってどんなのがいますか。
国は日本でなくてもどこでもいいです。
宮本武蔵や岡田遺贈は伝説のような話が多いのですが、有名ということは信頼性のある記録分だけでも南京戦の記録を超えていたりするんでしょうか。
実力でなくても強くなくとも極めて幸運な人物できわめて都合よく戦闘が展開した奇跡のような例でもいいので一次資料や二次資料などの公式記録に残る戦績を持つ実在の剣士がいたらどこの国のどんな人物か教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

直接質問と関係のない話、失礼します。


質問者さまは勘違いされているようですが、
>中国兵百人相手と戦い勝利、戦後報復裁判で絞首刑になった日本兵

というのは嘘ですよ。
いくら百人倒そうと、戦闘で斬ったのならそれは戦闘行為であり、犯罪ではありません。
その日本兵が死刑になったのは、「農民や捕虜をすえもの斬りした」容疑です。
死刑になる直前まで、その兵士は「戦闘行為で百人切ったんだ!」と主張しましたが認められずに銃殺刑になりました。
    • good
    • 0

ソ連がフィンランドに侵攻した時期に


フィンランド軍の狙撃兵士のヘイへと
ラロッカという狙撃の名手がいて
この二人のヒット数は合わせると千人ぐらい
にもなるといわれています。
また、ヘイへのほうは、狙撃いがいで
どこかの陣地を死守したさいサブマシンガンを
使って、フィンランド兵士数名だけで
数百人もいたソ連軍の侵攻をシャットアウトし
何百人もソ連側は犠牲になったという話が
あります。
フィンランドは起伏の富んだ地理で
ソ連が自慢の戦車部隊を中々つかえない所で
また、フィンランドはロシア人も寒がるほどの
極寒の土地でフィンランド軍はソ連と激しく
戦ったためフィンランドは領土の割譲は
されてしまったがソ連の属国化を阻止できたと
いわれています。
戦後、ソ連は赤軍兵士を大量に殺傷した
ヘイへやラロッカを戦犯として引き渡すよう
要求したが、ときの大統領マンネルヘイムは
断固拒否しソ連も諦めたそうです。
この大統領はソ連がフィンランドに侵攻した
ときフィンランド軍の将軍で
講和交渉では予想外の健闘をしたといわれています
    • good
    • 0

戦争の指揮官としての強さと、個人としての戦闘能力のどちらかを重視するかで決まってくると思います。



戦争の指揮官としての強さであれば、近代までは中央アジアの遊牧民族が最強でしたので、
・匈奴の冒頓単于
・モンゴル帝国のチンギス・ハンとバトゥ
・ティムール帝国のティムール
のいずれかになるかと思います。

個人の戦闘能力については、三国志の呂布といいたいところですが、1800年も前のことなど確認しようがありませんし、数百年前のことでも客観性をもって測定するのは無理です。
個人的には、銃の時代になっても新政府軍に対し刀で最後まで戦い続けた新選組の近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八か、北辰一刀流千葉道場の塾頭だった坂本竜馬を推します。幕末はせいぜい150年ほど前なので、信頼できる資料は山ほどあります。
    • good
    • 0

武田勝頼の家臣、土屋右衛門尉昌恒。


「片手千人切り」といわれているので、誇張したとしても百人以上の敵と戦い勝利したと思われる。

彼の子孫は徳川家の大名となっているので、信頼の置ける事例だと考えられる。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B% …
    • good
    • 0

確かな記録、がどこまでを指すのかがわかりませんが…


映画”スリーハンドレッド”はご存じですか?
またはオデッセイアのアキレスなんかはどうですか?
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q戦争から帰ってきた侍(兵士)

戦争から帰ってきた侍(兵士)
戦争から兵士が帰ってきた(戦国時代なら侍、一揆とかなら百姓、近代の世界大戦なら兵士)場合、彼らの取り扱いは果たして普段通りだったのでしょうか?

海外のいろいろな民族について聞くところによると、戦争で人をころしたり血をながしたりした人は清めの儀式やら隔離やら、非日常的な待遇を数日から数ヶ月とられていたようです。食事等の制限もかかったりと。帰ってきてからのみならず出発前も制限がかかったりと。

日本では、時代劇を見る限り、またはとある時代小説を読んだかぎり、戦争前後の戦士の取り扱いは普通っぽいですが、実際はどうだったのでしょう? 血まみれでかえってきた家の人は、どばっと五右衛門風呂にでも入って血を落としてあとは多少殺した相手の血の匂いが体に残っていても普段通り周りの人と日常生活を送れたのでしょうか。

それともやはり何か清めや避忌の慣習があったのでしょうか? 例えば、現在の葬儀後、帰宅して家に入る前に塩をまく慣習のように、戦争からかえってきて家に入る時は塩をまいたとか、そういう些細な慣習でもかまいません。


よろしくおねがい致します。

戦争から帰ってきた侍(兵士)
戦争から兵士が帰ってきた(戦国時代なら侍、一揆とかなら百姓、近代の世界大戦なら兵士)場合、彼らの取り扱いは果たして普段通りだったのでしょうか?

海外のいろいろな民族について聞くところによると、戦争で人をころしたり血をながしたりした人は清めの儀式やら隔離やら、非日常的な待遇を数日から数ヶ月とられていたようです。食事等の制限もかかったりと。帰ってきてからのみならず出発前も制限がかかったりと。

日本では、時代劇を見る限り、またはとある時代小説を読んだ...続きを読む

Aベストアンサー

補足に対する、回答したいと思います。

村民の殆どは、戦に行った人を暖かく迎える人と言う事は
余り無く、村の全体で生還者を厄介者として迎える事が多かったそうです。

村の殆どは、戦=悩みの元と言う思考が殆どで、戦場に近い村民ほど
戦の後遺症と呼べる敗残兵に悩まされていたようです。

戦から帰ってきた者を一度、神社やお寺に集めて身元確認をして、
夕餉を開き村長や長者様達と話しをして、村民を確認します。

村民以外のモノは役人に引き渡して、報奨金か年貢の軽減の恩赦のどちらかを
選択します。

もしも、村民で無い者を匿った事が知れると、村自体が焼かれるという処罰も
あったそうなので、村としては確認作業は村を守るというよりは、自分の命を守る
作業と言う方が正しいかもしれません。

戦の後遺症となる問題はまだまだ沢山あり、その解決は政府や領土を管轄する
役人に賄賂などを納めなければ、解決はしてくれませんでした。
色々と戦には村民を苦しめる後遺症となる事案が多く、その解決には人手も足りないし、
金子の用立ても出来ませんし、戦が起こる度に村民が苦しむという歴史の教えは
この辺からだと思えます。

因みに、兵士の徴収は3つあり、村民や町民に告知して参加者を募る場合と、
強制的に徴収される場合と褒章の受託にて徴収される場合があります。
募集の場合には、仕えていた場所を失った野武士や、力や剣技に覚えがある
人が多く居たとされており、強制は文字の如く村人や罪人を強制的に参加させていましたが、
村民の参加の殆どは、褒章の受託による一種の人身売買での参加が多かったそうです。

つまり、褒章の受託と言うのは、村民一人につき米一表と引き換えに年貢の年貢の軽減や、
金との引き換えなど色々とありましたが、生きて帰ってくるという保障は無く、
もしも 生きて帰ってきた場合には半分は返すという約束を強いていた事があり、
その約束事にて、生存者の帰還には家族といえど歓迎してもらえないと言う事情がありました。

徴収をされた村民の殆どは、この事を知って戦に参加しますが稀に家族が内緒にして参加させるという
事案もあったそうで、生存して帰ってきた家族を、その夜に殺してしまうという事もあったそうです。


村民が戦場で、手柄を挙げるコトは稀で、敵武将の首を持ち帰って来ても、
参加側の大名や野武士などにころされて、手柄を横取りされると言う事は多々あったそうですし、
ドラマや時代劇などで村民が手柄を立てて、生存して帰ってきたとしても歓迎されるコトは
余り無いとされています。

多分、自分が聞いているコトと貴方がお知りになりたい事にズレがあると思えますが、
何等かの手助けになれば良いと思います。

補足に対する、回答したいと思います。

村民の殆どは、戦に行った人を暖かく迎える人と言う事は
余り無く、村の全体で生還者を厄介者として迎える事が多かったそうです。

村の殆どは、戦=悩みの元と言う思考が殆どで、戦場に近い村民ほど
戦の後遺症と呼べる敗残兵に悩まされていたようです。

戦から帰ってきた者を一度、神社やお寺に集めて身元確認をして、
夕餉を開き村長や長者様達と話しをして、村民を確認します。

村民以外のモノは役人に引き渡して、報奨金か年貢の軽減の恩赦のどちらかを
選択します...続きを読む

Q【日本史】「織田信長が豊臣秀吉を秀ねずみと呼んだ記録は残っているが猿と呼んだ記録は残っていない」 な

【日本史】「織田信長が豊臣秀吉を秀ねずみと呼んだ記録は残っているが猿と呼んだ記録は残っていない」


なぜ記録にないのに豊臣秀吉は織田信長にサルと呼ばれていたという話が広がったのでしょう?

Aベストアンサー

信長が猿と呼んだかどうか記録に無くとも、以下の通り多くの文献に秀吉は猿のような風貌をしており、多くの人々から猿と呼ばれていたことが記載されている。 よって、直属の上司である信長が秀吉を猿と呼んだことは想像に難くない。

『太閤素生記』では秀吉の幼名を「猿」とし、また秀吉の父が亡くなったとき、秀吉に金を遺した一節に「父死去ノ節猿ニ永楽一貫遺物トシテ置ク」とある。また松下之綱は「猿ヲ見付、異形成ル者也、猿カト思ヘバ人、人カト思ヘバ猿ナリ」と語っている。毛利家家臣の玉木吉保は「秀吉は赤ひげで猿まなこで、空うそ吹く顔をしている」と記している。秀吉に謁見した朝鮮使節は「秀吉が顔が小さく色黒で猿に似ている」としている(『懲毖録』)。ルイス・フロイスは「身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主で、片手には6本の指があった。目が飛び出ており、シナ人のようにヒゲが少なかった」と書いている。また、秀吉本人も「皆が見るとおり、予は醜い顔をしており、五体も貧弱だが、予の日本における成功を忘れるでないぞ」と語ったという。秀吉が猿と呼ばれたのは、関白就任後の落書「まつせ(末世)とは別にはあらじ木の下のさる関白」に由来するという説もある。また山王信仰(猿は日吉大社の使い)を利用するため「猿」という呼び名を捏造したとの説もある。

信長が猿と呼んだかどうか記録に無くとも、以下の通り多くの文献に秀吉は猿のような風貌をしており、多くの人々から猿と呼ばれていたことが記載されている。 よって、直属の上司である信長が秀吉を猿と呼んだことは想像に難くない。

『太閤素生記』では秀吉の幼名を「猿」とし、また秀吉の父が亡くなったとき、秀吉に金を遺した一節に「父死去ノ節猿ニ永楽一貫遺物トシテ置ク」とある。また松下之綱は「猿ヲ見付、異形成ル者也、猿カト思ヘバ人、人カト思ヘバ猿ナリ」と語っている。毛利家家臣の玉木吉保は「秀...続きを読む

Q美少女戦士セーラームーン

美少女戦士セーラームーンの戦士は最終的に何人いたのでしょか?

Aベストアンサー

えっと知っている数で答えると
まずうさぎたち5人(うさぎ、亜美ちゃん、レイちゃん、まこちゃん、美奈子ちゃん)にせつなさんたち4人(せつなさん、はるかさん、みちるさん、ほたるちゃん)あとちびうさ(セーラーちびムーン)のために新しく生まれたセーラー戦士たち4人(アマゾネスカルテットという4人がいましたよね?敵に。いつかちびムーンが新たに地球の女王となるとき守るセーラー戦士<うさぎでいう亜美ちゃんたち4人ですね>眠っていた所をむりやり従わされていたのです。あと名前を忘れてしまったのですがもう一人いました。最後の敵?だっけ?あれもセーラー戦士だったはずです。
でも、主要キャラは10人ですね。太陽系の惑星がセーラー戦士になるのでアマゾネスカルテット達は小惑星だったかな?
このくらいしか知らないのですがどうでしょう?

Q日本史上最強の実在剣士

武蔵とかいろいろいますけど
誰なんでしょうか?

Aベストアンサー

江戸柳生を打ち負かしたと言われる、尾張柳生の
柳生連也斎でしょうね。
石州斎より腕は上のようです。
人物としては下ですが。

連也斎が武蔵と行き合って、お互いに凄い奴と
感じ合ったという伝説があります。

室町、戦国時代より剱聖と呼ばれる剱士が何人も
おりますが比較する物差しがないので、剣術が
技術的に進んだ江戸時代以降の人にになります。

Q風の谷のナウシカ って 英語の題名は?

風の谷のナウシカ って 英語の題名は?
ウキペディ だと
Warriors of the Wind(風の戦士たち)が 改変バージョンで有るらしいのですが
本来のも、こう言うのでしょうか・

よろしく
 

Aベストアンサー

惜しい。Wikipediaを調べたのならもう一歩進めて日本語版の記事の左側からリンクされている英語版の記事へ進むべきでした。

正解はNausica? of the Valley of the Windです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Nausica%C3%A4_of_the_Valley_of_the_Wind_%28film%29

Q南京侵攻時の日本軍の兵数は?

日中戦争の南京侵攻時の日本軍の編成と兵数を教えて頂けませんか。
又、南京陥落後の弾薬の残りや補給が可能だったのかもお願いします。

Aベストアンサー

南京攻略戦では主兵力は中支方面軍3個師団半、第十軍3個師団半でその他に包囲部隊が参加しており約12万と見られています。
上海戦での消耗もあり無理な急行軍を強行してきたので第一線の実兵力は編成より下回っていたとおもいます。

これに対する中国軍は兵力10~8万と見られますが、編成と兵の士気、装備がまちまちで、精鋭部隊は訓練、装備、士気とも優秀でした。
幅画陣地により頑強に抗戦しました。

当時日本軍には首都を攻略すれば戦争は勝利で終わるという幻想を抱いていたのは事実と思われ、弾薬の節約などは行われなかったと思われます。
南京には航空機による空爆支援もありました。

補給の配慮は事実上なしに近く、南京占領後食料の確保に苦しみ、これが捕虜、避難民を保護出来なかった原因の一つでした。

Q悲しくなりました、旧FF14極イフを倒して入手したレリックが久々にログインしたらIL80、

旧FF14→2年ブランクで新生FF14に昨夜ログインしました。
2年で変わったことを目の当たりにして悲しくなって泣いてしまいました



できれば旧FF14をご存知のかたに答えていただきたいと思っておりますが、
新生FF14(蒼天FF14)を廃人並みにプレイしているかたでも構いません。

現状の新生FF14とはどのようなもの(雰囲気)なのでしょうか?
3つ質問まとめたのですが、それ以外でも構いません、
どうかよろしくお願いします、


1)
旧FF14で入手難易度高だったレリック(ゲイボルグ)を見たら、
アイテムレベル80(IL80)でした、
現在、蒼天のイシュガルドではIL230の武器があるそうです。

ゲイボルグはもはやゴミみたいなものなのでしょうか・・・? ★
  

2)
旧FF14のとき、禁断装備をかなり作っていました。
もちろん昨夜ログインしたときもその装備のままです。
はじめましてのLSメンバーに、一言「その装備じゃダメやね^^」と言われました。
(その人は旧FF14は知らないそうです)

ILもよくわかっていなかっただけにどこがダメなのかもわからず、
また(頑張って作った)禁断装備だっただけに、悲しくなりました。

現在のFF14では、
旧FF14の廃人装備はもはやゴミみたいなものなのでしょうか・・・?★



3)LSチャットもFCチャットも挨拶だけ。むしろ挨拶すらしない雰囲気?
旧FF14では雑談をたくさんしてました。
嬉しいことながらLSメンバーは変わっていませんでした。
しかし、

【旧FF14】
A:LSメンバー集まってきたからどこいこうか!
B:ガルーダ行ったことないからいきたい!
A:いくひとー!ノ
C:ノ
D:ノノ
E:ノノノ 
A:じゃ、◯◯に集合ーー!!  


【現在のFF14】
A:こんにちは
B:こんにちは
A:おちますー
C:おつー
D:おつかれー。


旧FF14で仲よかったフレンドさんには、
「メンバー変わってないけど、もうあの頃のような雰囲気は戻れないと思う」
「もはや挨拶チャットに化している、」などと教えてもらいました。
(そのフレンドさんも、雑談やバカ話などできない雰囲気で楽しくない、
 でもFFは好きなのでログインは週1だったり、アップデートしたときだけ、と言ってました)


今は、
雑談(今日の夕飯などたわいもない話)などすると痛い子とみられることもあるそうです。

新生FF14では このような(コミュニケーションがほとんど無い)プレイスタイルが
当然なのでしょうか? ★



長文ですみませんが、
以上3つのうち、1つでもいいです、  

旧FF14と新生FF14の雰囲気をご存知のかた、教えていただけませんか?
よろしくお願いします。、

旧FF14→2年ブランクで新生FF14に昨夜ログインしました。
2年で変わったことを目の当たりにして悲しくなって泣いてしまいました



できれば旧FF14をご存知のかたに答えていただきたいと思っておりますが、
新生FF14(蒼天FF14)を廃人並みにプレイしているかたでも構いません。

現状の新生FF14とはどのようなもの(雰囲気)なのでしょうか?
3つ質問まとめたのですが、それ以外でも構いません、
どうかよろしくお願いします、


1)
旧FF14で入手難易度高だったレリック(ゲイボルグ)を見た...続きを読む

Aベストアンサー

旧から初めて新生2年保たずに引退したものです。

1)旧で最強装備だったレリックについて

新生FF14では装備の強さ=ILの高さになります。
クエストで多少強化していくこともできますが、マーケットボードで買った方が早いです。

またレリックに限らず、現在最強の装備もパッチにより新しい装備が追加されるとゴミに
なります。

2)禁断装備に関して

旧では禁断装備作成時に失敗すると装備毎失っていましたが、新生では緩和され禁断で追
加するはずだったマテリアのみ失うため、禁断装備作成の難易度は下がっています。
一方、強化できる上限はILに比例するため、ILの低い装備にいくら禁断をしても、ILの高
い装備よりも性能は低くなります。
また、ほとんどの装備の強さは
 【ダンジョンで拾える装備 > 禁断可能な装備】
で、禁断してやっと同じ程度の強さになるかどうかといったところです。
(一部のステータスに特化することはできますが、強いかというと…)

3)チャットに関して

旧では蛮神戦やIDに行くのに、LSメンバー集めたり掲示板使って募集していましたが、
新生ではコンテンツファインダー(以下CF)という方法で、自動マッチングが行われま
す(一部高難易度コンテンツを除く)
CFは現地へ行く必要もなく気軽に参加できる反面、ユーザー間での関係性が乏しく、攻
略に失敗するとすぐ解散→またCF登録という繰り返しになっています。
旧では(全てではないにしろ)制限時間の中で攻略法をみんなで考えたりといったこと
がありましたが、新生ではほぼ皆無です。
(それどころか、動画サイトで予習して来いと言われるほどです)

FC・LSでのチャットに関しては、雑談しているところはしているという印象ですが、
旧に比べ戦闘中はチャットがしづらいため、会話は少なめですね。


最後に個人的な意見ですが、新生では8人程度の固定メンバーで最新コンテンツを攻略
していくスタイルが主流で、野良で活動していくには厳しいです。
また、会話も少なく、デイリーやウィークリーのノルマを達成するために黙々とコンテ
ンツを周回することになります。
FCメンバーでワイワイと攻略法などの雑談をしながらプレイするといった「MMO」
を望むのであれば、新生FF14は向いていないと思います。

旧から初めて新生2年保たずに引退したものです。

1)旧で最強装備だったレリックについて

新生FF14では装備の強さ=ILの高さになります。
クエストで多少強化していくこともできますが、マーケットボードで買った方が早いです。

またレリックに限らず、現在最強の装備もパッチにより新しい装備が追加されるとゴミに
なります。

2)禁断装備に関して

旧では禁断装備作成時に失敗すると装備毎失っていましたが、新生では緩和され禁断で追
加するはずだったマテリアのみ失うため、禁断装備作成の難易度は下が...続きを読む

Q南京戦での中国兵が鎖で繋がれていたという話について

>そうそう、南京大虐殺の話で、中国人が奴隷をくさりでつないで逃げられないようにして、って話、あれ、機関銃とかはないんです。地下や小屋にくさりでつながれてた奴隷を日本軍が一方的に殺したってだけの話。
まぁ、真実など・・


という記述の、この掲示板で見たのですが本当なのでしょうか?
よろしければお教えください。

ちなみ私の知っている話は、南京攻略戦に参加された元兵士が、敵の塹壕を攻略すると中国兵が鎖で繋がれていて塹壕から逃げられないようにされてあったという話です。

Aベストアンサー

A:>>そうそう、南京大虐殺の話で、中国人が奴隷をくさりでつないで逃げられないようにして、って話、あれ、機関銃とかはないんです。地下や小屋にくさりでつながれてた奴隷を日本軍が一方的に殺したってだけの話。
まぁ、真実など・・

B:>という記述の、この掲示板で見たのですが本当なのでしょうか?

回答B:嘘だと思います。(理由は後述)

Bですが、Aの記述がある「この掲示板」とは↓でしょうか。
役に立つ回答を求めるなら、質問の元となる資料は提示していただきたいですね。
(私は、それらの努力は質問側の義務であり、回答側に探させるのは傲慢な思い上がりだと思っています)

C:【第二次大戦中、日本軍が撤退まぎわに台湾軍属のアキレス腱を切って連合軍が使えないようにしたってホント?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9201355

↑の質問では、私はAが事実であるという根拠は全く示されていないように思います。



D:>ちなみ私の知っている話は、南京攻略戦に参加された元兵士が、敵の塹壕を攻略すると中国兵が鎖で繋がれていて塹壕から逃げられないようにされてあったという話です。

「塹壕」ではなく「トーチカ」ではなかったのでしょうか。
(Aの回答では、トーチカとなっています)
不正確な引用は、悪意のある者に揚げ足を取られる元になります。


E:
https://www.youtube.com/watch?v=OHaZh901LqA
(2:25 戦いが終わって、敵のトーチカを検分して見た。
するとトーチカの中国兵は足を鎖で繋がれており、中から出られず、死ぬまで機関銃を撃ち続けるように強制されていた。

2:55 敵はトーチカの外部を鎖で巻き施錠してあった。
内部の守兵にとっては墓場となっており、人道上許し得ない暴状であったと述べている)


↑の動画に「銃声がしなかった」という証言から→反撃をしない中国軍を虐殺したという意見があるようですが、
動画では以下の内容になっています。

2:20 南京雨花台は激戦だった。第三大隊は最左翼を進み敵の機関銃をまともに受けた。
4:10 (南京滞在中)銃声など聞かれましたか?一発の銃声も無かったと思います。


私は↑からは、南京攻略時の戦闘は激しかったが陥落後は平穏だった という解釈しかできません。
(少なくとも、無抵抗な兵士を虐殺したという内容には思えません)
「奴隷」がいたとも思えません。

そのようにお考えになれる方は、どのような貴重な資料をお持ちなのでしょうか。



確かに、Eの動画の証言が嘘である可能性はあります。
(ゼロでない=可能性がある というならですが)
しかし、仮に嘘であったとしても、それが虐殺があったという証明にはなりません。
「あったかなかったかわからない」という状態になるだけです。

↑は逆に考えれば、日本を非難したいなら「虐殺があった」という事を証明する義務があるということです。
しかし、私はここでの過去の質問で、虐殺肯定派が明確な証拠をだした例を知りません。

虐殺肯定派が出した「証拠写真」は捏造と判定されています。

【南京事件で使用される・ニセ写真】
http://www.history.gr.jp/nanking/photo.html

【最新!「南京事件」関連資料】
http://www.history.gr.jp/nanking/new.html

【大虐殺派のウソ写真と証言】
http://www.history.gr.jp/nanking/lie.html

【南京大虐殺のそぼくな3つの疑問】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=CIuPz7zrVX0



よく議論の場で「なかったという証拠もない」という屁理屈を叫ぶ方がいますが、公の場でそれを言ったら笑いものになるだけです。

無実の場合は「していない」という証拠自体が存在しないので、それを証明する事は不可能です。
(これを【悪魔の証明】といいます)

その為に、裁判では、原告が被告の犯罪の証拠を出す義務があります。
これを【告発側の立証責任】といいます。

↑の主張(無罪だという証拠がない=有罪)が認められるなら、裁判では常に原告が勝ってしまいます。



数を問題にする意見もありますが、
そのような方は たくさんのひとがしにました = 虐殺 と短絡的に思い込んで思考停止して、「虐殺の定義」については(故意に)無視しているように思います。

戦時中の「戦闘」で兵士が何人死んでも「戦死」であって、(国際法上の)「虐殺」ではありません。
である以上、殺した方の責任でもありません。
そんな犠牲が出るような戦闘をした(させた)方に問題があるだけです。

南京では占領後の戦闘による死者が出た事はありますが、それはゲリラ(中国では便衣兵)の掃討であって虐殺にはなりません。
国際法では、作戦中の兵士は軍服の着用が義務付けられています。
それをせず、民間人の服装で、一般人に紛れて作戦行動をすればゲリラやスパイと見做されます。
実際、南京陥落後、逃げ遅れた中国人兵士が、降伏勧告に従わず市街に潜伏しゲリラ活動を行いました。
それらを掃討する時に、民間人に犠牲者が出たこともあったかも知れませんが、これはゲリラ側の国の責任です。

中国側は南京以外でも、このようなゲリラ戦を行っており、民間人の犠牲を避けようとする日本兵の方が苦労をしていました。

A:>>そうそう、南京大虐殺の話で、中国人が奴隷をくさりでつないで逃げられないようにして、って話、あれ、機関銃とかはないんです。地下や小屋にくさりでつながれてた奴隷を日本軍が一方的に殺したってだけの話。
まぁ、真実など・・

B:>という記述の、この掲示板で見たのですが本当なのでしょうか?

回答B:嘘だと思います。(理由は後述)

Bですが、Aの記述がある「この掲示板」とは↓でしょうか。
役に立つ回答を求めるなら、質問の元となる資料は提示していただきたいですね。
(私は、それらの努力は...続きを読む

Qフランス語で「戦士」は?

フランス語で「戦士」はどう言えば(書けば)良いのでしょうか?

女性戦士、男性戦士で違いはありますか?

できましたら、カタカナで、読み方も(だいたいでよいので)添えてください。
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

一般的な兵士、un(e) soldat(e)以外にも

un guerrier (アン)・ゲリエ
une guerriere(eの上にアクセントをつけてください)
(ユヌ)・ゲリエール

というのもあります。軍人の総称とか昔の戦士の意に使います。

un(e) combattant(e)コンバッタン(ト)
は闘士、戦闘員、軍人などに。
アクセント、詳しくは辞書を見てください。

Q戦国の百兵戦闘について

鈴木正哉さんの書いた「鉄砲隊と騎馬部隊」という本をよく読みました
さんの論旨を見れば、戦国時代の死傷者というのはほどんど(60~80%ほど)鉄砲あるいは弓矢より出た、と思いそうです
その根拠として「軍忠状」をあげています。なるほど、当時の死傷者の調子とは、鉄砲と弓矢と代表された「遠射」による被害がもっとも多いそうです。さんはこれを統計として見せます
でも、1984年、「武器の進化(The Evolution of the weapons and warefare)」という本を書いたTrevor Duppyさんによると、各々の武器でできた「致命傷指数」の程度は下にあります
刀あるいは槍ー23%
火縄銃(arquebus)ー10%(日本のことにもっと近かったです)
火縄銃(musket)ー19%
もちろん、この資料は西洋の場合でしょう。でも、常識的に思うとも、乱射のうちに一つ、二つの弾丸と矢のすれる場合(遠射戦)がある一人の敵兵を狙って攻撃する場合(百兵戦)に比べれば、どちらの戦闘方式がもっと威力的なのかは明らかに触れてあります。
即ち、鈴木さんはその統計を根拠によって、「戦国には鉄砲と弓矢が戦いの主軸だった」と論じていますが、「質実的な戦闘力被害」の方だけ見ると、むしろ確かな殺傷のできた「百兵戦も大切な戦力だった」と取り上げることも可能ではありませんか

鈴木正哉さんの書いた「鉄砲隊と騎馬部隊」という本をよく読みました
さんの論旨を見れば、戦国時代の死傷者というのはほどんど(60~80%ほど)鉄砲あるいは弓矢より出た、と思いそうです
その根拠として「軍忠状」をあげています。なるほど、当時の死傷者の調子とは、鉄砲と弓矢と代表された「遠射」による被害がもっとも多いそうです。さんはこれを統計として見せます
でも、1984年、「武器の進化(The Evolution of the weapons and warefare)」という本を書いたTrevor Duppyさんによると、各々の...続きを読む

Aベストアンサー

 東洋だろうと西洋だろうと、人は死にたくないし怪我もしたくないものです。だから、「遠戦志向」と言いますが、白兵戦よりも少しでも距離を取れる槍を使いたいし、槍よりも飛び道具を使いたいという傾向が必ず出てきます。
 なので、おおむねベトナム戦争より前の戦争では、戦争はまず遠くから一方的に撃つか、撃ち合うことで始まります。陣形が崩れて指揮系統が乱れ、接近戦でも自分が怪我をしないで済みそうなときに、突撃が行なわれるのです。どちらも崩れなかったら、お互いそのまま引いて、翌日に持ち越し、というパターンになります。

 ここからがポイントですが、撃ち合いによる死者は、あなたもあげているように、たいした規模にはなりません。兵士の多くが驚いたり、指揮官が死んだりうろたえたりしなければ、治療可能な負傷の比率も多いので、負傷兵の再参戦率も低くありません。が、陣形が崩れて突撃を受けたとき、本当に大量殺戮になります。
 勝った側の死者は数人とか数十人で、負けた側の死者が数千人などという比率がよくあるのですが、これは、突撃された側はほとんど何もせずに逃げ出していて、一方的な殺戮になっていることを意味します。これは、洋の東西を問いません。

 纏めると、戦闘に負けないためには、撃ち合いができる戦力が必要ですし、止めを刺して蹴散らすには突撃のできる戦力が必要です。篭城しているならともかく、両方無ければ戦場での勝利を掴むことはできません。
 結論として、遠戦と白兵戦は、いわば右足と左足のような相補的な関係で、両方とも戦争における戦闘要素として重要であり、どちらがより重要という話ではないということです。

 東洋だろうと西洋だろうと、人は死にたくないし怪我もしたくないものです。だから、「遠戦志向」と言いますが、白兵戦よりも少しでも距離を取れる槍を使いたいし、槍よりも飛び道具を使いたいという傾向が必ず出てきます。
 なので、おおむねベトナム戦争より前の戦争では、戦争はまず遠くから一方的に撃つか、撃ち合うことで始まります。陣形が崩れて指揮系統が乱れ、接近戦でも自分が怪我をしないで済みそうなときに、突撃が行なわれるのです。どちらも崩れなかったら、お互いそのまま引いて、翌日に持ち越...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報