ここ最近で、はっきりと記録に残ってる剣士だと南京戦で中国兵百人相手と戦い勝利、戦後報復裁判で絞首刑になった日本兵がいますが。
鉄砲や弓矢などの飛び道具を除く刀、槍、素手などで彼らの記録に並ぶ、もしくは超える歴史上の人物ってどんなのがいますか。
国は日本でなくてもどこでもいいです。
宮本武蔵や岡田遺贈は伝説のような話が多いのですが、有名ということは信頼性のある記録分だけでも南京戦の記録を超えていたりするんでしょうか。
実力でなくても強くなくとも極めて幸運な人物できわめて都合よく戦闘が展開した奇跡のような例でもいいので一次資料や二次資料などの公式記録に残る戦績を持つ実在の剣士がいたらどこの国のどんな人物か教えてください。

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A 回答 (5件)

直接質問と関係のない話、失礼します。


質問者さまは勘違いされているようですが、
>中国兵百人相手と戦い勝利、戦後報復裁判で絞首刑になった日本兵

というのは嘘ですよ。
いくら百人倒そうと、戦闘で斬ったのならそれは戦闘行為であり、犯罪ではありません。
その日本兵が死刑になったのは、「農民や捕虜をすえもの斬りした」容疑です。
死刑になる直前まで、その兵士は「戦闘行為で百人切ったんだ!」と主張しましたが認められずに銃殺刑になりました。
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ソ連がフィンランドに侵攻した時期に


フィンランド軍の狙撃兵士のヘイへと
ラロッカという狙撃の名手がいて
この二人のヒット数は合わせると千人ぐらい
にもなるといわれています。
また、ヘイへのほうは、狙撃いがいで
どこかの陣地を死守したさいサブマシンガンを
使って、フィンランド兵士数名だけで
数百人もいたソ連軍の侵攻をシャットアウトし
何百人もソ連側は犠牲になったという話が
あります。
フィンランドは起伏の富んだ地理で
ソ連が自慢の戦車部隊を中々つかえない所で
また、フィンランドはロシア人も寒がるほどの
極寒の土地でフィンランド軍はソ連と激しく
戦ったためフィンランドは領土の割譲は
されてしまったがソ連の属国化を阻止できたと
いわれています。
戦後、ソ連は赤軍兵士を大量に殺傷した
ヘイへやラロッカを戦犯として引き渡すよう
要求したが、ときの大統領マンネルヘイムは
断固拒否しソ連も諦めたそうです。
この大統領はソ連がフィンランドに侵攻した
ときフィンランド軍の将軍で
講和交渉では予想外の健闘をしたといわれています
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戦争の指揮官としての強さと、個人としての戦闘能力のどちらかを重視するかで決まってくると思います。



戦争の指揮官としての強さであれば、近代までは中央アジアの遊牧民族が最強でしたので、
・匈奴の冒頓単于
・モンゴル帝国のチンギス・ハンとバトゥ
・ティムール帝国のティムール
のいずれかになるかと思います。

個人の戦闘能力については、三国志の呂布といいたいところですが、1800年も前のことなど確認しようがありませんし、数百年前のことでも客観性をもって測定するのは無理です。
個人的には、銃の時代になっても新政府軍に対し刀で最後まで戦い続けた新選組の近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八か、北辰一刀流千葉道場の塾頭だった坂本竜馬を推します。幕末はせいぜい150年ほど前なので、信頼できる資料は山ほどあります。
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武田勝頼の家臣、土屋右衛門尉昌恒。


「片手千人切り」といわれているので、誇張したとしても百人以上の敵と戦い勝利したと思われる。

彼の子孫は徳川家の大名となっているので、信頼の置ける事例だと考えられる。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B% …
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確かな記録、がどこまでを指すのかがわかりませんが…


映画”スリーハンドレッド”はご存じですか?
またはオデッセイアのアキレスなんかはどうですか?
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Q戦争から帰ってきた侍(兵士)

戦争から帰ってきた侍(兵士)
戦争から兵士が帰ってきた(戦国時代なら侍、一揆とかなら百姓、近代の世界大戦なら兵士)場合、彼らの取り扱いは果たして普段通りだったのでしょうか?

海外のいろいろな民族について聞くところによると、戦争で人をころしたり血をながしたりした人は清めの儀式やら隔離やら、非日常的な待遇を数日から数ヶ月とられていたようです。食事等の制限もかかったりと。帰ってきてからのみならず出発前も制限がかかったりと。

日本では、時代劇を見る限り、またはとある時代小説を読んだかぎり、戦争前後の戦士の取り扱いは普通っぽいですが、実際はどうだったのでしょう? 血まみれでかえってきた家の人は、どばっと五右衛門風呂にでも入って血を落としてあとは多少殺した相手の血の匂いが体に残っていても普段通り周りの人と日常生活を送れたのでしょうか。

それともやはり何か清めや避忌の慣習があったのでしょうか? 例えば、現在の葬儀後、帰宅して家に入る前に塩をまく慣習のように、戦争からかえってきて家に入る時は塩をまいたとか、そういう些細な慣習でもかまいません。


よろしくおねがい致します。

戦争から帰ってきた侍(兵士)
戦争から兵士が帰ってきた(戦国時代なら侍、一揆とかなら百姓、近代の世界大戦なら兵士)場合、彼らの取り扱いは果たして普段通りだったのでしょうか?

海外のいろいろな民族について聞くところによると、戦争で人をころしたり血をながしたりした人は清めの儀式やら隔離やら、非日常的な待遇を数日から数ヶ月とられていたようです。食事等の制限もかかったりと。帰ってきてからのみならず出発前も制限がかかったりと。

日本では、時代劇を見る限り、またはとある時代小説を読んだ...続きを読む

Aベストアンサー

補足に対する、回答したいと思います。

村民の殆どは、戦に行った人を暖かく迎える人と言う事は
余り無く、村の全体で生還者を厄介者として迎える事が多かったそうです。

村の殆どは、戦=悩みの元と言う思考が殆どで、戦場に近い村民ほど
戦の後遺症と呼べる敗残兵に悩まされていたようです。

戦から帰ってきた者を一度、神社やお寺に集めて身元確認をして、
夕餉を開き村長や長者様達と話しをして、村民を確認します。

村民以外のモノは役人に引き渡して、報奨金か年貢の軽減の恩赦のどちらかを
選択します。

もしも、村民で無い者を匿った事が知れると、村自体が焼かれるという処罰も
あったそうなので、村としては確認作業は村を守るというよりは、自分の命を守る
作業と言う方が正しいかもしれません。

戦の後遺症となる問題はまだまだ沢山あり、その解決は政府や領土を管轄する
役人に賄賂などを納めなければ、解決はしてくれませんでした。
色々と戦には村民を苦しめる後遺症となる事案が多く、その解決には人手も足りないし、
金子の用立ても出来ませんし、戦が起こる度に村民が苦しむという歴史の教えは
この辺からだと思えます。

因みに、兵士の徴収は3つあり、村民や町民に告知して参加者を募る場合と、
強制的に徴収される場合と褒章の受託にて徴収される場合があります。
募集の場合には、仕えていた場所を失った野武士や、力や剣技に覚えがある
人が多く居たとされており、強制は文字の如く村人や罪人を強制的に参加させていましたが、
村民の参加の殆どは、褒章の受託による一種の人身売買での参加が多かったそうです。

つまり、褒章の受託と言うのは、村民一人につき米一表と引き換えに年貢の年貢の軽減や、
金との引き換えなど色々とありましたが、生きて帰ってくるという保障は無く、
もしも 生きて帰ってきた場合には半分は返すという約束を強いていた事があり、
その約束事にて、生存者の帰還には家族といえど歓迎してもらえないと言う事情がありました。

徴収をされた村民の殆どは、この事を知って戦に参加しますが稀に家族が内緒にして参加させるという
事案もあったそうで、生存して帰ってきた家族を、その夜に殺してしまうという事もあったそうです。


村民が戦場で、手柄を挙げるコトは稀で、敵武将の首を持ち帰って来ても、
参加側の大名や野武士などにころされて、手柄を横取りされると言う事は多々あったそうですし、
ドラマや時代劇などで村民が手柄を立てて、生存して帰ってきたとしても歓迎されるコトは
余り無いとされています。

多分、自分が聞いているコトと貴方がお知りになりたい事にズレがあると思えますが、
何等かの手助けになれば良いと思います。

補足に対する、回答したいと思います。

村民の殆どは、戦に行った人を暖かく迎える人と言う事は
余り無く、村の全体で生還者を厄介者として迎える事が多かったそうです。

村の殆どは、戦=悩みの元と言う思考が殆どで、戦場に近い村民ほど
戦の後遺症と呼べる敗残兵に悩まされていたようです。

戦から帰ってきた者を一度、神社やお寺に集めて身元確認をして、
夕餉を開き村長や長者様達と話しをして、村民を確認します。

村民以外のモノは役人に引き渡して、報奨金か年貢の軽減の恩赦のどちらかを
選択します...続きを読む

Q南京戦での中国兵が鎖で繋がれていたという話について

>そうそう、南京大虐殺の話で、中国人が奴隷をくさりでつないで逃げられないようにして、って話、あれ、機関銃とかはないんです。地下や小屋にくさりでつながれてた奴隷を日本軍が一方的に殺したってだけの話。
まぁ、真実など・・


という記述の、この掲示板で見たのですが本当なのでしょうか?
よろしければお教えください。

ちなみ私の知っている話は、南京攻略戦に参加された元兵士が、敵の塹壕を攻略すると中国兵が鎖で繋がれていて塹壕から逃げられないようにされてあったという話です。

Aベストアンサー

A:>>そうそう、南京大虐殺の話で、中国人が奴隷をくさりでつないで逃げられないようにして、って話、あれ、機関銃とかはないんです。地下や小屋にくさりでつながれてた奴隷を日本軍が一方的に殺したってだけの話。
まぁ、真実など・・

B:>という記述の、この掲示板で見たのですが本当なのでしょうか?

回答B:嘘だと思います。(理由は後述)

Bですが、Aの記述がある「この掲示板」とは↓でしょうか。
役に立つ回答を求めるなら、質問の元となる資料は提示していただきたいですね。
(私は、それらの努力は質問側の義務であり、回答側に探させるのは傲慢な思い上がりだと思っています)

C:【第二次大戦中、日本軍が撤退まぎわに台湾軍属のアキレス腱を切って連合軍が使えないようにしたってホント?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9201355

↑の質問では、私はAが事実であるという根拠は全く示されていないように思います。



D:>ちなみ私の知っている話は、南京攻略戦に参加された元兵士が、敵の塹壕を攻略すると中国兵が鎖で繋がれていて塹壕から逃げられないようにされてあったという話です。

「塹壕」ではなく「トーチカ」ではなかったのでしょうか。
(Aの回答では、トーチカとなっています)
不正確な引用は、悪意のある者に揚げ足を取られる元になります。


E:
https://www.youtube.com/watch?v=OHaZh901LqA
(2:25 戦いが終わって、敵のトーチカを検分して見た。
するとトーチカの中国兵は足を鎖で繋がれており、中から出られず、死ぬまで機関銃を撃ち続けるように強制されていた。

2:55 敵はトーチカの外部を鎖で巻き施錠してあった。
内部の守兵にとっては墓場となっており、人道上許し得ない暴状であったと述べている)


↑の動画に「銃声がしなかった」という証言から→反撃をしない中国軍を虐殺したという意見があるようですが、
動画では以下の内容になっています。

2:20 南京雨花台は激戦だった。第三大隊は最左翼を進み敵の機関銃をまともに受けた。
4:10 (南京滞在中)銃声など聞かれましたか?一発の銃声も無かったと思います。


私は↑からは、南京攻略時の戦闘は激しかったが陥落後は平穏だった という解釈しかできません。
(少なくとも、無抵抗な兵士を虐殺したという内容には思えません)
「奴隷」がいたとも思えません。

そのようにお考えになれる方は、どのような貴重な資料をお持ちなのでしょうか。



確かに、Eの動画の証言が嘘である可能性はあります。
(ゼロでない=可能性がある というならですが)
しかし、仮に嘘であったとしても、それが虐殺があったという証明にはなりません。
「あったかなかったかわからない」という状態になるだけです。

↑は逆に考えれば、日本を非難したいなら「虐殺があった」という事を証明する義務があるということです。
しかし、私はここでの過去の質問で、虐殺肯定派が明確な証拠をだした例を知りません。

虐殺肯定派が出した「証拠写真」は捏造と判定されています。

【南京事件で使用される・ニセ写真】
http://www.history.gr.jp/nanking/photo.html

【最新!「南京事件」関連資料】
http://www.history.gr.jp/nanking/new.html

【大虐殺派のウソ写真と証言】
http://www.history.gr.jp/nanking/lie.html

【南京大虐殺のそぼくな3つの疑問】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=CIuPz7zrVX0



よく議論の場で「なかったという証拠もない」という屁理屈を叫ぶ方がいますが、公の場でそれを言ったら笑いものになるだけです。

無実の場合は「していない」という証拠自体が存在しないので、それを証明する事は不可能です。
(これを【悪魔の証明】といいます)

その為に、裁判では、原告が被告の犯罪の証拠を出す義務があります。
これを【告発側の立証責任】といいます。

↑の主張(無罪だという証拠がない=有罪)が認められるなら、裁判では常に原告が勝ってしまいます。



数を問題にする意見もありますが、
そのような方は たくさんのひとがしにました = 虐殺 と短絡的に思い込んで思考停止して、「虐殺の定義」については(故意に)無視しているように思います。

戦時中の「戦闘」で兵士が何人死んでも「戦死」であって、(国際法上の)「虐殺」ではありません。
である以上、殺した方の責任でもありません。
そんな犠牲が出るような戦闘をした(させた)方に問題があるだけです。

南京では占領後の戦闘による死者が出た事はありますが、それはゲリラ(中国では便衣兵)の掃討であって虐殺にはなりません。
国際法では、作戦中の兵士は軍服の着用が義務付けられています。
それをせず、民間人の服装で、一般人に紛れて作戦行動をすればゲリラやスパイと見做されます。
実際、南京陥落後、逃げ遅れた中国人兵士が、降伏勧告に従わず市街に潜伏しゲリラ活動を行いました。
それらを掃討する時に、民間人に犠牲者が出たこともあったかも知れませんが、これはゲリラ側の国の責任です。

中国側は南京以外でも、このようなゲリラ戦を行っており、民間人の犠牲を避けようとする日本兵の方が苦労をしていました。

A:>>そうそう、南京大虐殺の話で、中国人が奴隷をくさりでつないで逃げられないようにして、って話、あれ、機関銃とかはないんです。地下や小屋にくさりでつながれてた奴隷を日本軍が一方的に殺したってだけの話。
まぁ、真実など・・

B:>という記述の、この掲示板で見たのですが本当なのでしょうか?

回答B:嘘だと思います。(理由は後述)

Bですが、Aの記述がある「この掲示板」とは↓でしょうか。
役に立つ回答を求めるなら、質問の元となる資料は提示していただきたいですね。
(私は、それらの努力は...続きを読む

Q信長の野望・蒼天録の兵士数の割り振りの方法

信長の野望・蒼天録を最近、始めました。
寡兵で兵士を雇うと、自動的に武将に兵士が割り振られますが、
武将ごとの兵士数を後で編成する事は可能でしょうか?

【例】
武将A 兵士100
武将B 兵士50



武将A 兵士50
武将B 兵士100

に変更したいのですが…

やり方をご教授お願い致します。

Aベストアンサー

PC廉価版ですが仕様は同じと思うので回答します。

知行を変えればおkです。
人事から知行を減らせば忠誠とその兵士数が持てる兵士が減ります。
逆に兵糧の収入が増えます。
これ以外方法がありません。
また、知行が50が上限だったら兵士は50より増やすことはできません。

ちなみに知行は見えないポイントで増えます。
戦争より外交を行った方がポイントがたまりやすいのでまめに戦争屋にも外交をさせるのを忘れないでください。
また、大名は一条みたいなやつでも知行が200ですので、6つ目のシナリオの前田利家みたいな鉄砲使える奴に野戦始まってすぐ三弾打ちさせると全滅しやすいです。全滅できないなら後方にもう一部隊鉄砲部隊をおくればおk。

流言とか朝廷とかうざったらしいですが頑張ってください。

Q南京侵攻時の日本軍の兵数は?

日中戦争の南京侵攻時の日本軍の編成と兵数を教えて頂けませんか。
又、南京陥落後の弾薬の残りや補給が可能だったのかもお願いします。

Aベストアンサー

南京攻略戦では主兵力は中支方面軍3個師団半、第十軍3個師団半でその他に包囲部隊が参加しており約12万と見られています。
上海戦での消耗もあり無理な急行軍を強行してきたので第一線の実兵力は編成より下回っていたとおもいます。

これに対する中国軍は兵力10~8万と見られますが、編成と兵の士気、装備がまちまちで、精鋭部隊は訓練、装備、士気とも優秀でした。
幅画陣地により頑強に抗戦しました。

当時日本軍には首都を攻略すれば戦争は勝利で終わるという幻想を抱いていたのは事実と思われ、弾薬の節約などは行われなかったと思われます。
南京には航空機による空爆支援もありました。

補給の配慮は事実上なしに近く、南京占領後食料の確保に苦しみ、これが捕虜、避難民を保護出来なかった原因の一つでした。

Qフランス語で「戦士」は?

フランス語で「戦士」はどう言えば(書けば)良いのでしょうか?

女性戦士、男性戦士で違いはありますか?

できましたら、カタカナで、読み方も(だいたいでよいので)添えてください。
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

一般的な兵士、un(e) soldat(e)以外にも

un guerrier (アン)・ゲリエ
une guerriere(eの上にアクセントをつけてください)
(ユヌ)・ゲリエール

というのもあります。軍人の総称とか昔の戦士の意に使います。

un(e) combattant(e)コンバッタン(ト)
は闘士、戦闘員、軍人などに。
アクセント、詳しくは辞書を見てください。

Q【日本を創った人物、世界を創った人物】日本を創った人物、世界を創った人物を見ていて傾向が見えて来たん

【日本を創った人物、世界を創った人物】日本を創った人物、世界を創った人物を見ていて傾向が見えて来たんですが、、、

まず

宗教家が世界を作り、

帝国時代を迎え皇帝(天皇も含む)が世界を作り、

政治家が世界を作り、

文化人が世界を作り、

経済人が世界を作り、



経済人の次に世界を作るのは誰だと思いますか?

後世の歴史教科書に載るとしたら安倍首相ではなくアップルの創業者だと思いますし、次に載るならテスラモーターズの創業者かバージングループの創業者だと思うんですよ。

いま世界を作っているのは明らかに政治家ではなく経済人が作っている。

政治家は経済人から金を巻き上げている一昔前の皇帝と政治家の図式と同じなので政治家が世界を作る時代はもう終わりになる気がします。

政治家は汚職ばかりで安倍首相も麻生太郎も汚職してると思います。お金は貰ってないけど口利きはしていると思います。政治家の仕事は口利きですよね。政治家から口利きを取ったら何も残らない。

けどもう口利きで国を作っていく時代は終わったのだと思う。

国を創っている人物は文化人と経済人で政治家は経済人や文化人の口利きに動いているに過ぎない。

その文化人、経済人が世界を創る時代が終わったとして次に世界を創っていくのはどのジャンルの人になるのか予想してください。

民主主義と言いながら民主主義として機能していない政治の時代は終わりました。

政治家は口利きしてなんぼなので口利きしただけで汚職と言われ逮捕される時代が来ます。韓国はまさにそれで日本もそうなると思います。口利きが出来なくなった政治家に存在価値はありません。民主主義という名の口利きの時代は終わりです。

【日本を創った人物、世界を創った人物】日本を創った人物、世界を創った人物を見ていて傾向が見えて来たんですが、、、

まず

宗教家が世界を作り、

帝国時代を迎え皇帝(天皇も含む)が世界を作り、

政治家が世界を作り、

文化人が世界を作り、

経済人が世界を作り、



経済人の次に世界を作るのは誰だと思いますか?

後世の歴史教科書に載るとしたら安倍首相ではなくアップルの創業者だと思いますし、次に載るならテスラモーターズの創業者かバージングループの創業者だと思うんですよ。

いま世界を...続きを読む

Aベストアンサー

貴方にお勧めしたい本があります

古典
史記
文学 特にロシア

よくお勉強してから 質問しなさい

Q「veteran」 退役兵士という意味

「veteran」のロングマンの語義

someone who has been a soldier,sailor etc in a war

これは「a soldier」を今までの経験と考え「退役兵士」とするか、継続の用法で「(現在まで現役の)兵士」という2つの意味が考えられます。

「I have been a soldier.」だとすると「私は今までずっと兵士です。」みたいな継続の意味で考えていたのですが、経験の意味で「私は兵士でした」のような意味にもなるような気がします。

これだけだと文が単純なのでどちらの意味にもとれませんか?

継続の意味なら「for ten years」なんかをつけて明確にします。
経験の意味なら文脈次第で「兵士でした」のようにするのでしょうか。

もしこれが「(現在まで現役の)兵士」だとすると和英辞典に書いてある「退役兵士」はロングマンとオックスフォード辞典の語義に書いてないことになります。和英辞典ではアメリカ用法だと書いてあるのですが、ロングマンとオックスフォードではアメリカ用法の表記が見当たりません。

やはり、このような「have been a NOUN」は継続の用法で「(現在まで現役の)兵士」という意味でしょうか?

longman
http://www.ldoceonline.com/dictionary/veteran
oxford
http://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/veteran

「veteran」のロングマンの語義

someone who has been a soldier,sailor etc in a war

これは「a soldier」を今までの経験と考え「退役兵士」とするか、継続の用法で「(現在まで現役の)兵士」という2つの意味が考えられます。

「I have been a soldier.」だとすると「私は今までずっと兵士です。」みたいな継続の意味で考えていたのですが、経験の意味で「私は兵士でした」のような意味にもなるような気がします。

これだけだと文が単純なのでどちらの意味にもとれませんか?

継続の意味なら「for ten years...続きを読む

Aベストアンサー

★「I have been a soldier.」だとすると「私は今までずっと兵士です。」みたいな継続の意味で考えていたのですが、経験の意味で「私は兵士でした」のような意味にもなるような気がします。これだけだと文が単純なのでどちらの意味にもとれませんか?
→現在完了の意味は、文脈や状況によって違うというのは確かです。おっしゃるようにどちらでもとれます。ただし、意味はたいていの場合、文脈でわかるものです。

継続の意味なら「for ten years」なんかをつけて明確にします。
→そんなことはありません。戦場にいる兵士に聞けば、経験でなく継続としかとりようがありませんね。どこにいるか、どういう状況かで決まります。特定の語を入れなくてはならないのではありません。

経験の意味なら文脈次第で「兵士でした」のようにするのでしょうか。
→たとえば、もうどうみても仕事のできないご老人でしたら、経験ですね。辞書とか、問題集の例文とかは、文脈がないものですから、何か明らかになる単語を入れているだけであって、実際は文脈や状況でわかるというものです。

★もしこれが「(現在まで現役の)兵士」だとすると和英辞典に書いてある「退役兵士」はロングマンとオックスフォード辞典の語義に書いてないことになりま す。和英辞典ではアメリカ用法だと書いてあるのですが、ロングマンとオックスフォードではアメリカ用法の表記が見当たりません。
→質問の意図がわかりにくいのですが、退役兵士にあたる表現が辞書に書いていないのは、英英辞典だからではないでしょうか。いちいちそういう表現を入れるわけにはいかないと思います。
反ゲリラ兵士
無名兵士
新米兵士
逃亡兵士
海軍兵士
職業兵士
志願兵
歩兵
傭兵
老兵
正規兵
帰還兵
負傷兵
などなどいちいち乗せたら、すごい分量の英英辞典になりますね。
ちなみに私のLongmanには
He did three tours of duty in Vietnam (=three periods working in a foreign country as a soldier, government officer, etc.)
とありますよ。

★やはり、このような「have been a NOUN」は継続の用法で「(現在まで現役の)兵士」という意味でしょうか?
→上記説明のごとく、文脈によります。

以上、ご参考になればと思います。

★「I have been a soldier.」だとすると「私は今までずっと兵士です。」みたいな継続の意味で考えていたのですが、経験の意味で「私は兵士でした」のような意味にもなるような気がします。これだけだと文が単純なのでどちらの意味にもとれませんか?
→現在完了の意味は、文脈や状況によって違うというのは確かです。おっしゃるようにどちらでもとれます。ただし、意味はたいていの場合、文脈でわかるものです。

継続の意味なら「for ten years」なんかをつけて明確にします。
→そんなことはありません。戦場にい...続きを読む

Q沖縄戦で良い日本兵はいなかったのか?

『証言沖縄「集団自決」謝花直美(著)』を読んでいます。
沖縄戦に関する本は今までに何冊か読んできました。
そこで質問です。戦場に良い日本兵は存在しなかったのでしょうか?
※ 「助けてくれた」、「食料を分けてくれた」等
もし、活字になっているものがあれば書名を教えて下さい。
やりきれなくなってきた時に、
『沖縄県民斯ク戦ヘリ』を読むと少しホッとします。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

スパイの摘発に励み沖縄の治安を守った日本兵の話が『沖縄県史』に出てきます。
『伊江島の戦中戦後記録』には日本人の誇りを何よりも大切にし、県民に捕虜になるなどの恥をかかせない様、貴重な手榴弾を自主的に譲ってくれた親切な日本兵の話が出てきます。

Q戦争から帰ってきた侍(兵士)

戦争から帰ってきた人(戦国時代なら侍、一揆とかなら百姓、近代の世界大戦なら兵士)の取り扱いって、果たして普段通りだったのでしょうか?

海外のいろいろな民族について聞くところによると、戦争で人をころしたり血をながしたりした人は清めの儀式やら隔離やら、非日常的な待遇を数日から数ヶ月とられていたようです。食事等の制限もかかったりと。帰ってきてからのみならず出発前も制限がかかったりと。

日本では、時代劇を見る限り、またはとある時代小説を読んだかぎり、戦争前後の戦士の取り扱いは普通っぽいですが、実際はどうだったのでしょう? 血まみれでかえってきた家の人は、どばっと五右衛門風呂にでも入って血を落としてあとは多少殺した相手の血の匂いが体に残っていても普段通り周りの人と日常生活を送れたのでしょうか。

よろしくおねがい致します。

Aベストアンサー

平家物語では、西国の武士について、親が戦死すれば供養をして、喪にふしてしまうし、子が戦死すれば嘆き悲しんで、いずれも戦をすることがない、と書いています。
これは東国武士は「親も討たれよ子も討たれよ」と戦に邁進する、という比較の部分なんで、誇張もあるかもしれませんが、そのようなことがあることはわかりますね。
時代も移って戦国時代ですが、織田信長は、稲葉山城を落城させた翌日にはもう軍団に北畠攻めの命令を出したと言われています。
武器の手入れや物資の買い入れで大童になったと言いますから、明らかに平安時代のような配慮はされていません。
この織田軍団が全国を席巻するわけですので、対抗勢力は同じような改革に迫られる訳です。その一つとして羽柴軍が播磨進出の際に地元で不興を買ったのは、そうしたしきたりを無視したからだと言われています。
だから、時代差、地域差は大きいと思われます。

Q日本兵は何故、降伏せずに万歳突撃で玉するまで戦ったのでしょうか?

日本兵は何故、降伏せずに万歳突撃で玉するまで戦ったのでしょうか?

Aベストアンサー

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/8320.html


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