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昨日、「木曜サプライズ、怒っとOSAKA」(日テレ)を見ていたら、死刑の賛否が論議なっている場面がありました。

山本モナさんなどが反対(死刑廃止)を訴えていました。

私的には、死刑は必要だと思います。
確かに、先日釈放された菅谷さんのような「冤罪」を考えると怖いです。でも、それは死刑を廃止して解決する問題ではありません。それに考えるウエイトは冤罪のことよりも、より凶悪化する犯罪の抑止に重きを置くべきだと思うのです。

平気で人を殺し、それをなんとも思わない。そういう犯罪者がこれ以上増えるのは何としても阻止しなくてはならない。それができるのは、死刑しかないと思うのです。

皆さんはどうですか?
勝手ながら、必ず理由をご明記ください。


私は、日本が何でもかんでも世界と同調しなくてもいいと思います。日本は日本の立場があるのですから

A 回答 (22件中1~10件)

例えば、光市母子殺害事件、感情的に犯人に死刑を求めたくなります。

「許せない。死刑にしてしまえ」と。死刑の目的には、抑止と報復とがあります。私は、死刑は報復の意味合いの方が強いと思います。人が罪を犯すとき、果たして、その頭の中に死刑が浮かんでいるかどうか疑問です。死刑があるから罪を犯さない、そんなことって多くあるのでしょうか。人に罪を犯させるものは高ぶる欲望や感情であり、冷静に死刑があるから止めておこう、という思考が常時働くならば、そもそも罪は犯さないと思います。
死刑を執行する国家に、その死刑を執行するにたる資格があるかにも疑問があります。巨額の不正を行いながらそれに値するだけの罰を受けない官僚や政治家、役人がどれだけのさばっているか。そいう官僚や政治家は、国の経済を疲弊させ、人心を退廃させ、どれだけ間接的に人々に犯罪を犯させているかを考えると、死刑にしなければならない人間は、国家側にこそいるようにも思えます。極論、北朝鮮のような国で死刑が許されるかどうか。悪いのはどっちだという話になります。
そんな政治家などが、世襲制になっていたりするのだからたまりません。まず、人が生まれて大人になるまでに得られる教育をすべて無料(税金で賄う)にする必要もあるでしょう。貧しく、ろくに教育を受けられなかった人間が犯罪を犯して死刑になるようでは困ります。給食費なんて無料にするのが当然で、支払わない親に無責任だなんて言う国のほうが無責任だと思います。まず、この世に無垢のものとして生を受けてから一人前になるまでは平等でなければ、公平な競争とはいえず、罰されるに値する責任が犯罪者にあるのかどうかも疑問です。
私は、無期懲役の刑を受けながら、娑婆にまた出てくる人間がいることの方が問題に思えます。無期懲役になれば、一生牢獄の中で労働を強いられる方が死刑よりも重い罪だとも思います。
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この回答へのお礼

>死刑があるから罪を犯さない、そんなことって多くあるのでしょうか

それは多くないと思います。でも、殺人犯が死刑になるニュースを目にする中で、間接的に人殺しがいかに重罪なのかを意識の中に刷り込んでいくのではないでしょうか?


>死刑を執行する国家に、その死刑を執行するにたる資格があるかにも疑問があります。巨額の不正を行いながらそれに値するだけの罰を受けない官僚や政治家、役人がどれだけのさばっているか。そいう官僚や政治家は、国の経済を疲弊させ、人心を退廃させ、どれだけ間接的に人々に犯罪を犯させているかを考えると、死刑にしなければならない人間は、国家側にこそいるようにも思えます。極論、北朝鮮のような国で死刑が許されるかどうか。悪いのはどっちだという話になります。


私も同意見です。まったくもっておっしゃる通りです。
だから難しいんですよね。


御回答ありがとうございます

お礼日時:2009/06/28 21:53

アフガニスタン、アンティグアバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、ブルンジ、カメルーン、チャド、中国、コモロ、コンゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、カザフスタン、朝鮮民主主義人民共和国、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、モンゴル、ナイジェリア、オマーン、パキスタン、パレスチナ自治政府、カタール、セントクリストファーネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シエラレオネ、シンガポール、ソマリア、スーダン、シリア、台湾、タジキスタン、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ベトナム、イエメン、ジンバブエ



以上が死刑存続国です 感情的には死刑賛成の私でも世界の現状からしてここはひとつ頭の切り替え時かなと思います 上記の表で日本は貿易立国で常識ある先進国という立場も考慮しなければなりません

唯一米国は銃器氾濫し殺人事件の圧倒的な数字ですからこれは仕方のない例外先進国と思うのですが・・・
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この回答へのお礼

おっしゃることはわかりますが、私は日本に死刑は必要だと思います。周りに合わせるだけが、賢明じゃありません。私はそう考えます

御回答ありがとうございます

お礼日時:2009/06/28 21:55

>平気で人を殺し、それをなんとも思わない。

そういう犯罪者がこれ以上増えるのは何としても阻止しなくてはならない。それができるのは、死刑しかないと思うのです。

死刑を廃止することで、犯罪が抑止することができるかどうか? というのは、私は確実かどうかわかりません。
死刑があるが為に殺人を思いとどまる人もいるでしょう。
しかし、死刑の有無に関わりなく犯罪を犯す人もいる。
死刑になりたいが為に、死刑になりたいがために犯罪を起こす人もいないわけではない。
死刑の廃止と存続と、どちらが犯罪の抑止につながるかは、想像でしか語ることが出来ない。
ですから、死刑の存続が犯罪の抑止につながるかどうかについては、つながる気もしますが、あくまでつながる気がする程度の感想しか、私にはありません。

現在、マスコミでは死刑に対して肯定的で、遺族の方の感情を重視し、しかも、死刑判決を出さない裁判官などに対しても批判的なコメントを載せる。

ですが、私はどちらかと言えば、死刑は慎重に行うべき、みだりに行うべきではないし、みだりに奨励するような言動を行うべきではないのではないかと思います。

死刑とは合法的な殺人です。
死刑せよ、とは「殺せ!」と言うことです。
「死刑せよ」「死刑せよ」と皆が頻繁に口にすることによって、殺人に関する忌避感が薄れてしまうのではないか、と思うのです。
殺人に関する忌避感が薄れれば、かえって殺人の増加につながりかねないとも思うのです。

死刑はあくまでやむを得ない状況において行う最後の手段である、どうしても仕方が無いから行うのだ!という認識を持っておくほうが、私は犯罪の予防につながるような気がします。

あくまで、思う、気がする、でしか、語ることが出来ないのですが。
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この回答へのお礼

おはようございます。
御回答ありがとうございます。

>「死刑せよ」「死刑せよ」と皆が頻繁に口にすることによって、殺人に関する忌避感が薄れてしまうのではないか、と思うのです。
殺人に関する忌避感が薄れれば、かえって殺人の増加につながりかねないとも思うのです。

おっしゃるとおりですね。死刑が犯罪の抑止になるかもしれない一方で、むやみやたらな「死刑要求」は殺人そのものの軽視にも繋がりかねませんよね。

お礼日時:2009/06/28 05:27

>>あいつ、許せんと思っても、ほとんどは「あいつ」を殺しません。


KUMACHANCEさんは、死刑にならない程度の暴力は犯しますか。
また、最高刑が無期懲役なら気に入らない奴は殺しますか。

>>死刑は遺族感情を考えたものであるとおっしゃいますが、仮にそうだったら問題なのでしょうか? 私はそういう理由で死刑が存在することに意義を感じます。
質問者さんが犯罪の抑止力だと言われるから、容認されている理由は別のところにあると言ったまでですが。
それとも私が指摘する前から、死刑の存在理由の大きな要因として考えておられましたか。質問文の中には見られませんでしたが。

>>松本サリン事件から15年だったと思います。
良い例ですね。オウムが地下鉄サリン事件を起こしていなかったら、河野さんは松本サリン事件の犯人とされていました。
また麻原には死刑が確定していますが、事件後15年たってまだ生きていること自体に問題があると思いませんか。
懲役刑なら労働を課せられますが、死刑の場合は刑が執行されるまでの間は3食付きの自由時間ばかりでしょう。死刑が執行されるまでに獄死されたら刑の意味もありません。
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この回答へのお礼

二度の御回答ありがとうございます。

>死刑にならない程度の暴力は犯しますか。
また、最高刑が無期懲役なら気に入らない奴は殺しますか。

いいえ、刑罰が少しでもあれば何もしません。それ以前に、自分の道徳心とも相談します。それでも復讐してやりたいと思えば、いわゆる「合法的」にします。(今までに経験ないですけど)

だからこそ、多くを刑罰に規定しておいてほしいと思います。そしてその極刑は死刑であるべきです。人間って良心があるようでないようなものだと思います。このサイトでも「合法的に復讐する」なんて記述は山のようにあります。(おもに、人生相談のカテで)


二番目の御指摘に関しては、私の不手際です。御不快な思いをおかけした無礼を、心からお詫びします。申し訳ございませんでした。


三番目のご指摘に関してです。
難しい問題だと思います。河野さんが犯罪者の汚名を被せられたままでいいはずはありません。かといって、そのためにオウムの事件は発生して良かったとも言えません。あの事件で、東京メトロの霞が関駅の駅員さんなどが亡くなっています。

また、死刑までの間が長すぎることはおっしゃるとおり大問題です。死ぬまでに、労働を課すべきですね。

私、おかげさまで勉強になりました。
厳しくも鋭い御指摘を下さって、ありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします

お礼日時:2009/06/27 12:42

死刑に犯罪抑止効果がないという人がいる。


実際に、「死刑になりたかったから人を殺した」というおかしな奴まで出た。まあそういったことは例外として、死刑に犯罪抑止効果は間違いなくあります。

たとえば悪いことをしたら美人の婦警さんが来て「そんなことはやってはいけませんよ」と優しく注意するだけとしましょう。これは犯罪抑止効果はどの程度あるでしょうか? 美人の婦警さんにやさしい言葉をかけて欲しくて却って増えるかもしれません。

悪いことをしたら厳しい罰がある - これによって秩序は保たれます。究極は死刑です。もし雨露を凌げる頑丈な家、暖冷房つき、健康的食事つき、医療つき、衣服つき、年をとったら懲役を免除され死ぬまで介護つき。このような施設に入れられることは、すでに生活が破綻してホームレスになるしかない者にとってはなんら恐怖の対象ではありません。生命を絶たれる死刑のみが恐怖です。

殺人など人の道をはずれたことをしたら死刑になる - これを国が決めて実施することにより、大きな犯罪抑止効果になっていると考えます。
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この回答へのお礼

私も同意見です。
御回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/27 05:53

>私的には、死刑は必要だと思います。


その結論が出ているなら、これ以上何を聞きたいのですか?

>確かに、先日釈放された菅谷さんのような「冤罪」を考えると怖いです。でも、それは死刑を廃止して解決する問題ではありません。
確かに解決はせんが最悪のケースは防げますよ。

>平気で人を殺し、それをなんとも思わない。そういう犯罪者がこれ以上増えるのは何としても阻止しなくてはならない。
すごく高尚な思想の元に考えた結論で社会の為みたいなご意見ですが、ひとがひとを殺すと言うことは相当高い障壁みたいなものがあり簡単にはできません。そしてそれを行うには相手を憎悪(少数の快楽も)対象としてある意味ひととして見なくなるでしかできないと思います。
KUMACHANCEさんも犯罪者を憎み人として見なくなっている思います。自分の思う安心な社会の為なら犯罪者は人間ではないから死刑としています。
そんなKUMACHANCEさんなら自分の感覚でこれは良くない人間だから殺すという行動もしなねないですね。
このことは私も含めてだれもがもっていますが・・・・

>皆さんはどうですか?勝手ながら、必ず理由をご明記ください。
ご自分で「私的には、死刑は必要だと思います。」と書いておきながらこう書くと議論をしましょうといっているようなものです。何を知りたいのかわかりません。Q&Aサイトなので


死刑がそんなに抑止力があるのなら、振り込め詐欺はお年寄りがかわそうだから死刑、飲酒運転も危ないし未必の故意だから未遂でも死刑も推進したらいいですね。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

私は皆さんの御意見を聞いてみたかったのです。

お礼日時:2009/06/27 05:22

あまり、普遍的に説得力のある論ではないのですが廃止が望ましいと思います。



近代法の基本的な姿は「お互いの都合」を取り決めたにすぎない、というところにあると思います。
そこが、宗教法などとは違うところで「善悪」を決めてはいないのですね。

で、人の生死についての取り決めは「お互いの都合」というレベルで決めてはいけないんじゃないか、と思うわけです。“都合が悪いから死んでくれ”はイカンでしょう。
これが、「善悪」ならば“殺してもいいほど悪いやつ”ということはいえる(=つまり、善悪は個人を超越しているから)と思うのです。

どうも、生死の問題は思想信条や恋愛とおなじで、法の介入すべき分野ではないと思う、というのが理由です。


抑止効果についても「これがバレたら死刑だろうから止めておこう」というように考えるのでしょうか?逆に「死刑じゃないならやっちゃえ」となるのか…?
もし、ホントに抑止効果を考えるなら「仇討ち権」のほうが有効な気がするのですけどね。

いかがですか。
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この回答へのお礼

そうですね。一理あると思います。
御回答ありがとうございます

お礼日時:2009/06/27 05:23

まず、池田小事件の宅間守をたとえに出して「死刑に犯罪抑止効果がない」とする理屈は、飲酒運転がゼロになってないから飲酒運転厳罰化に抑止効果はなかったと結論付けするのと同じです。



死刑の犯罪抑止効果は未然に対してのものですから、それを証明するのはいわゆる「悪魔の証明」になります。
それでも、闇サイト殺人事件のような具体例はあります。

【Wikipedia:闇サイト殺人事件】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9F%A5% …

【2007年8月27日配信 産経新聞】
名古屋市の路上で、女性(31)が拉致されて殺害された事件で、死体遺棄容疑で逮捕された3人が、犯行翌日の25日も別の複数の女性を襲う「第二の犯行」を計画していたことが27日、愛知県警千種署捜査本部の調べで分かった。

死刑廃止派の理屈とは逆に、抑止効果はたとえ0.01%であっても効果になります。

──────────────────────────────

つぎに統計です。こういった死刑論議で出てくる統計の殆どが、ただ単に相関関係を出しただけのものです。

・ 犯罪者の98%はパンを食べている。
・ パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である。
・ 暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている。
・ 18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、平均寿命は50歳だった。

パンは危険な食べ物という「因果関係を無視した無意味な統計」を揶揄したジョークです。

【殺人の認知件数 犯罪白書 1999年-2002年】
1999年 日本の殺人の認知件数:1,265件
2000年 日本の殺人の認知件数:1,391件 前年差 ▲126件
2001年 日本の殺人の認知件数:1,340件 前年差 ▽ 51件
2002年 日本の殺人の認知件数:1,419件 前年差 ▲ 79件
(2003年 1,419件・2004年 1,392件)

先進国の中で殺人発生率が最も低い日本で、99年から02年の僅か3年で認知件数に154件も差が出ています。
ずっと死刑存置ままの日本でさえ約10%の増減が出る最近の統計データに、死刑の犯罪抑止効果の有無を論理的に導き出せるわけがありません。
実際の犯罪発生の原因が一元化しない限り、死刑廃止国の統計は「無意味な統計」になります。

──────────────────────────────

> 先日釈放された菅谷さんのような「冤罪」を考えると怖いです。

よく宗教観が引き合いに出されますが、イギリスの世論は圧倒的多数で死刑賛成でした。
それでもイギリス議会が死刑廃止をしたのには、やはり「冤罪による死刑執行」の可能性です。

【Wikipedia:エヴァンス事件】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4% …

【Wikipedia:ハンラッティ事件】
http://ja.wikipedia.org/wiki/A6%E6%AE%BA%E4%BA%B …

イギリスでは、こエヴァンス事件とハンラッティ事件で冤罪で死刑が執行されたとの疑いが拭いきれないとして、死刑廃止運動が巻き起こり、死刑執行のモラトリアムを経て死刑廃止になった。
(DNA鑑定によりハンラッティ事件は冤罪ではなかったことが証明されています)

つまり、抑止効果云々と欧米の死刑廃止とは関係ないということです。

──────────────────────────────

> 平気で人を殺し、それをなんとも思わない。
> そういう犯罪者がこれ以上増えるのは何としても阻止しなくてはならない。
> それができるのは、死刑しかないと思うのです。

闇サイト殺人事件を具体例に出すまでもなく、今回の質問や議論が頻繁にあるということは、人が死刑に畏れ(おそれ)を感じている証拠であり、畏れは死刑制度に犯罪抑止のある証明になります。

> 私は、日本が何でもかんでも世界と同調しなくてもいいと思います。
> 日本は日本の立場があるのですから

死刑廃止国をたとえに出す死刑廃止論者の多くが、9条信者の護憲派で「ダブスタ」だったりします。
こういった自己矛盾を解決しない限り、廃止派の理屈が識者に通用することはないでしょう。

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> 皆さんはどうですか?

あたりまえですが、冤罪の可能性を極力無くすように努力するべき。
警察・検察の仕事ぷりは正直怖いです。司法制度も不満だらけです。
それでも、極刑をもって処断したい犯罪者がいます。月並みですが、冤罪と死刑制度は別けて考えたいです。

ちなみに感情論を省いた法律などあり得ません。感情が入るからこそルールが存在するのです。
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この回答へのお礼

わかりやすい御回答ありがとうございます

お礼日時:2009/06/27 05:24

人口100万人あたりの殺人検挙率は、戦前から1955年ごろまで35人で、その後減少しています。

現在は当時の3分の1以下となっているでしょう。

普通、殺人を起こす可能性が高いのは20歳前半男性が一番ですが、日本ではこの層の殺人が減少し、戦後から今日に至る殺人率の減少の原因となっています。
http://www.h4.dion.ne.jp/~jssf/text/doukousp/pdf …

この殺人の減少について、死刑制度に抑止力があったという証明にはなりません。死刑は当時から刑罰として存在していました。

一方、無期刑の方で2007年に仮釈放されたのは1名で在所年数は31年10ヶ月です。その前年2006年は3名で平均在所年数は25年1ヶ月であり、2003年以降在所年数20年以内で仮釈放になった人はありません。2008年の調査時、無期刑受刑者で在所年数が一番長い人は51年4ヶ月となっています。
http://www.geocities.jp/y_20_06/parole.html

このように、事実上終身刑に近づいています。

また、重罰化という流れの中で、死刑や無期刑の判決が増えています。
http://www.jca.apc.org/stop-shikei/news/82/2.html

死刑制度の正否はともかく、自己責任といい、自分とは異質なものを排除し安心したいというということなのでしょうか。青少年に「早く帰るように」ということが声掛け事案として通報されるのか。昭和35年頃までなぜ殺人事件が多かったのでしょうか。それがなぜ減少したのでしょうか。定規に合わない人を排除するだけで明るい未来はやってくるでしょうか。

世の中では、ケアとかバリアフリーとか言っていますが、自己責任という言葉はこれらを一挙に切る捨てようとしているようにしか見えません。排除で動く社会はとても恐ろしい社会です。いつなにかのきっかけでわたしを含め質問者や回答者の方々が排除の対象となるか分かりません。事態はより過激な方へ向かうのが通例です。

参考
http://www.malaysia-navi.jp/news/090623070523.html

違いはあっても共生できる社会、失敗しても再チャレンジできる社会を作っていくことが、結局は自分を守ることになるのではないかと考えます。死刑制度はそんな社会のなかでどんな位置を占めるのでしょうか。結論はそれを考えてからでもよいと考えます。
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この回答へのお礼

おっしゃること、よくわかります。
御回答ありがとうございます

お礼日時:2009/06/27 05:26

「廃止すべき」とは思いませんが、「存続すべき」だとも思いません。



死刑に犯罪への抑止力があるとは思いません。
(死刑廃止国の変化について調べた結果)

死刑を廃止するべきと思うほどの強い理由は自分にはありませんが、単純に人が殺されるのはどんな人間でも嫌だからです。

たとえ何かの犯罪者だとしても、ニュースでどんなことをやったか知っただけの人について、「死刑になればいいのに」って誰かがぼそっというような、そんな世の中が大っきらいです。
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この回答へのお礼

おっしゃることはわかるんです。

ただ、オウム真理教のような犯罪(今日は、松本サリン事件から15年だったと思います。参考、昨日のフジテレビドラマ)って、どう考えても「死刑が適当ではないか」って思ってしまいます。

あまりに身勝手だからです。
でも、御回答者様のご意見も尊重します。ありがとうございます

お礼日時:2009/06/27 05:29

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