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「これあればかれあり、これ滅せばかれ滅す」というのが縁起であると聞きました。
これをP、かれをQとすると、縁起は「P→Q、¬P→¬Q」となりさらに「¬P→¬Q」の待遇は「Q→P」となります。つまり縁起は「P→Q、Q→P」となりPとQの相互依存性を示しており、その相互依存性が空であると考えてよいのでしょうか?
またPとQあるいはこれとかれは変項であるので、この相互依存性から
「五蘊皆空」であり、「五蘊皆空」であれば「色即是空」であると考えてよいのでしょうか?
また「色即是空」は色⇔空なので「空即是色」であると考えてよいのでしょうか?あるいは「色即是空」と「空即是色」は別の意味なのでしょうか?
質問が多くて申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

十分ぐらい悩みました。

確かに間違いやすいですよね・・・
「因果関係」と「空間の関係」は別物なんでしょうねえ。

元々が因果関係(縁起)を示す文章なので、「あれば」というのは「生じる」の意味です。その意味で考えていくと

ア.「Aが生じればBが生じる」
イ.「Aが滅せばBが滅する」

イ.の対偶は
「Bが滅していなけばAは滅していない」

合成すると
「Aが生じればBが生じる。Aが滅せばBが滅する」
「Aが生じればBが生じる。Bが滅していなけばAは滅していない」
質問者様のいう
「Aが生じればBが生じる。Bが生じればAが生じる。」
とは意味が異なると思います。

「滅していないこと」と「生じる」ことは違うということではないでしょうか。

また縁起を離れ「あれば」で考えるならば「存在する」「存在しない」で考えるべきでしょう。
「完全な自動車があるならば、それにタイヤもある。それにタイヤがなければ完全な自動車ではない」

>色即是空」は色⇔空なので「空即是色」

「青森県人は日本国人である。よって、日本国人は青森県人である」が成り立たないのと同じですね。
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仏教では、この世界を、仮の世界とか、諸行無常とかいいます。

また科学者アインシュタインも、相対世界とか幻想世界といいました。パソコンのシュミレーションの世界です。つまり宇宙の大元の、実像の世界から投影された、影絵の様な世界です。だから色があっても、中身は空、無です。中国の老子の、縁起の説明では、宇宙の大元から、陰という幻想が現われて、次に陽という幻想が現われて、打ち消しあって、中和して無、空、になり、また元の宇宙の大元に、帰っていきます。だからこの世界は、すべて二元世界です。世界の調和と不調和、電気のプラス、マイナス、人の男と女、化学の酸アルカリ、味の辛い甘い、道徳の善と悪、運勢の吉凶、文明の繁栄と滅亡、心の自我と無我、天気の晴れと雨、気候の温暖化と寒冷か、など
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>「五蘊皆空」であれば「色即是空」であると考えてよいのでしょうか?



ちがいます

>「色即是空」と「空即是色」は別の意味なのでしょうか?

別の意味です。
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 補足



 五蘊皆空 という言葉は見たことがなかったので、質問部分後半の色即是空と空即是色についてのイメージを 書かせてもらいました。

 五蘊皆空 と、 色即是空 空即是色の関連性については全く知りません(調べたり考えたりしたことがありません)。
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 ‘心’‘精神’のことを言っているのではないでしょうか。



 我々の存在を、‘空’(ない、無である)なんて思えません。

 実際、我々は存在していることを実感できます。

 この宇宙は本来ないのだ、なんて思ったら、何でシャトルは宇宙空間を漂い地球に戻ってこれたのでしょう。

 すべてその現象を捉える‘心’のことを言っているのだと思います。

 この宇宙が、物質が、我々が、存在しないのではないのです。

 それを受け止める‘心’が在るようで、無いに等しいといっているのだと思います。

 我々自身の心を見つめれば、心当たりがあるのではないでしょうか。

 昨日、腹が立ったことも今日はそれほどでもなかった、なんてことが。心の持ちようですよね。

 「これあればかれあり、これ滅せばかれ滅す」

 質問、「縁起と空」からちょっとずれた回答ですが、参考になるかと思い投稿しました。
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これは、素人の、補足要求です。

 
 引用>「これ あれ ば かれ あり 、
 引用> これ 滅せ ば かれ 滅す」 
動詞”ある”は状態動詞。持続性を意味する。 
動詞”滅す”は状態変化や動きを意味する。
 引用>これをP,かれをQとすると、 
 引用>「P→Q、¬P→¬Q」となり・・・・  
この論理式は、元の自然文の意味とズレていませんか? 
あくまで本音を打ちましたので・・・これにて失礼します
【】終【】 
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難しい論題です。

私の場合は、あくまでも釈迦のパーリ聖典を読んだ上での意見となります。ご質問の内容から、あくまでも「縁起と空」のご質問ですから論理学上の議論はいたしません。

まず、ご存じかと思いますが、十二因縁を簡単におさらいしてみますと、
釈迦の「縁起とはなんであろうか」というご説法を相応部からの簡単に引用します。

「比丘たちよ、縁起とは何であろうか。比丘たちよ、無明によって行がある。」

以下、同じ繰り返しとなります。

無明→行→識→色→六処→触→受→愛→取→有→生→老→死

そして、このあと、釈迦は、「比丘たちよ、無明を滅することによって行は滅する。行を滅することによって識は滅する。」と続くことはご存じかと思います。

「縁起」とは、因果律であり、英語で言えば Cause and Effect (以下、Cause=C, Effect=Eとします)です。つまり、原因から結果が起きるわけであり、E→Cではありません。
十二因縁の中で我々にわかりやすいのは、「生、老、死」ではないでしょうか。生があるから、老があるわけです。ところが、老があるから生があるとは言えません。

従って、

>つまり縁起は「P→Q、Q→P」となりPとQの相互依存性を示しており

この部分は私は違うのではないかと思います。つまり、EからCは出てこない、つまり因果律に反するためです。「相互依存性」とはなんでしょうか。論理学的に言えば、それは C→Eになり、同時にE→Cとなるということなのでしょうか?
「結果」によって「原因」が生じることは、無明から死までの少なくとも1ループの中ではあり得ません。

>相互依存性が空であると考えてよいのでしょうか?

空というものが何であるか。この答えに対して明確に答えることができる人はまずいないかと思います。私自身は、空を無とは考えていません。空とは条件によって成立し、絶対の存在条件を持たず、永遠ならざるものと考えています。
少なくとも、「相互」を取り除けば、依存性=因果律ですから、それは空であると言って良いかと思います。

>「五蘊皆空」であれば「色即是空」であると考えてよいのでしょうか?

五蘊は全て条件によって成立しているものですから、存在するものは全て空と言えますから、これは貴殿のお考えでよいかと存じます。

>「色即是空」は色⇔空なので「空即是色」...

ここは私も悩みます。空は有とも無とも言えない、存在以前の存在です。
その存在以前のものが、存在になるのが、「空即是色」です。その原因とは何なのか。ここで私も思考が停止してしまいます。空とは条件のないエネルギーではないかと思うことがあります。

思いつくままに書かせていただきました。これらは単なる言葉のもてあそびではなく、実際には実践によって体得するものですから、論理学では決して分別できるものではないのではないかというのが私の率直な感想です。
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>>その相互依存性が空であると考えてよいのでしょうか?


● これは良いと思います。空を縁起で説明する場合は、相互依存による仮の存在という意味が空になりますね。

>>この相互依存性から「五蘊皆空」であり、「五蘊皆空」であれば「色即是空」であると考えてよいのでしょうか?
● これは少し無理がありますね。肉体の器官が相互依存していることは確かですが実体がなく何もなくなるでは修行にもなんらの意味も無いということになりますね。仏教はそんなことを教えてるのではないですね。
「五蘊皆空」は肉体生命は80年、永久に続くものではないということを、人霊の永遠性という視点からみて仮の(一時的存在・人生)という意味の空に置き換えたということですね。
「色即是空」は、後の「空即是色」と一体で可逆的意味ですね。ここでの色は肉体生命、空は霊的生命という意味で転生輪廻のことですね。
空と言ってもいろんな意味(多意性)を含んでいますから、数学的に一義的に全ての空を論じられるものではないのですね。
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 韓国の国旗に見られるような陰陽のマークがありますね。



 で、それぞれの陰陽の中に、言わば「陰中の陽、陽中の陰」があります。

 こんなイメージでどうですか?
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すみません


参考情報です
数学は じつは哲学 
そのようにみえました
これは、質問に共感して応答した者でございます。
お邪魔いたしました(ペコリ)
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