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おくのほそ道を読んでいて、平泉はすばらしい場面だなあ、と感心させられます。ところで、あの場面で詠まれた曾良の句なんですが、
 卯の花に兼房見ゆる白毛かな
ですけれども、直前の「夏草に」直後の「五月雨を」の中にあって良さがわからないのです。
 白い卯の花が揺れている。その卯の花の白は奮戦した兼房の白髪の白である。卯の花の中に兼房の姿が甦ってくる。

 俳句というのは風景を切り取った写真のようなものと考えています。するとここに見える風景はたとえば心霊写真のようなものになってしまう。この句の良さ、そして芭蕉がこの句をここに挿入した意図を教えていただきたいものと思います。
よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

こちらを参考にされてはいかがでしょうか。



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

私は趣味で俳句を嗜んでいます。
私見になりますが、「テレビアニメで登場するの俳句人のイメージ」でしょうか。案外と一般の多くの方が、俳句というと、実際に見た風景や花などを詠むもの。とのイメージがあるようで、なるほど。もっともだと思います。
が、(ど素人の私のような自称俳句師もどきであっても、)実際には、目前の原風景のみならず空想であったり、理想、妄想、回想等、人の心に介在するものは、おしなべて「俳句」となりえます。短歌や小説、絵画等と同様です。
 芭蕉や楚良などであれば、古文や漢文、短歌などへの傾倒も半端なものではないでしょうし、尊敬する人物への思いは相当なものでありましょう。

そう考えると、芭蕉、楚良には当地に於いて、双方の共通の意識感覚に「兼房」への思いを強く揺さぶられたのだと想像します。そんな時は「形にしたい」そんな意識の衝動が起こります。それが自然と形になったのだと思います。

ご指摘のとおり、「心霊写真」のようなもの。素晴らしい!!!
そのとおりだと思います。短歌、俳句、漢文、文学。。。。時空間を瞬時に移動できるタイムマシンのようなもの。(そう私は思います。)
その「心霊写真」のようなもので、芭蕉も楚良も兼房への対面をされたのでしょう。(もちらん心の内で。)

ところで、良い句かどうかは、良くわかりません。この句の背景がわかれば良いと思えてくるかもしれませんね。私もこの句を調べてみようっと。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。URLも参考になりました。卯の花の中に見える兼房の様子も、なるほど、奮戦中の忠義の臣としての雄雄しさ・たくましさを見ればよいのですね。討ち死に直前の苦悶のみを見ようとしていました。なるほど、少しわかってきたような気がします。というのは少々、思い上がりかもしれませんが。
 ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/20 02:13

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