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石田波郷の俳句「金雀枝や基督に抱かると思へ」の意味がわかりません。
特に最後の「思へ」は命令形でしょうか?どなたか文法的に解説していただけませんか。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

#3です。



>「附合」とは何なのでしょう

そうですね・・・。
一素人としては、波郷句自解の注釈から推測するしかないのですが。
再掲します。
「新緑の細枝、明るい黄色の蛾形花。五月の空は青いが社会は愈々(いよいよ)暗い。汝等何を恃むや。然し、この句はそんなことで作られたのではない。やはり、一種の附合か」

「汝等何を恃むや」というフレーズが詠嘆調であることに、私はまず着目します。
ここに波郷は、ある思いを込めるつもりで作ったのでしょう。
そして、「汝等」とは、「愈々暗い社会」に気も滅入りがちな(自らも含めた)庶民と推測しました。
金雀枝の写真を見てみると、黄色の可憐な花々の着いた枝が何本も見えますが、これが、人間の腕をこちら側に伸ばしているようにも思えてきます。
彼の伝説を知っていれば、その植物に関連のあったキリストが、悩めるものを抱きかかえようと両手を伸ばしているかのように見えてくるやもしれません。
http://photozou.jp/photo/show/115334/37437145
そこで、「基督に抱かると思へ」と、命令というよりは(自らも含めた)庶民に対して呼びかけるという形になった。

これが、「新緑の細枝、~汝等何を恃むや」までの部分の解釈です。
しかし、そのように自解した後で、
「然し、この句はそんなことで作られたのではない。やはり、一種の附合か」
と続きます。
ここでは「やはり」という文言が鍵になるでしょう。
「まあ、呼びかけるつもりで作ったのだが、そんな大仰な意図がこの句の本質ではない。単に、金雀枝を見てキリストとの関連性が想起され、その両者の附合が、この句の原動力であったにすぎない、と捉えるほうが自然だろう」
といったようなニュアンスを、私は感じたわけです。
   
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この回答へのお礼

丁寧な解説、本当にありがとうございます。


「彼の伝説を知っていれば、その植物に関連のあったキリストが、悩めるものを抱きかかえようと両手を伸ばしているかのように見えてくるやもしれません。」
それでこそ、腑に落ちます。

それにしても「附合」は「つけあい」と読むのですね。まったく勘違いしていました。

お礼日時:2010/10/24 21:36

#2,4です。


俳句の「附合/付合(つけあい)」について少し説明させてもらいます。

俳句は連歌の発句から、というのはご承知のことと思います。
連歌では発句からどんどんつなげて行くわけですが、それを付合(つけあい)といいます。
その付合に、対照の妙などいろいろな面白みが生じるわけです。
俳句の五七五の中でも「一種の付合」のようなものがあります。
下のURLより以下の文を抜粋しましたので参考にして下さい。

****************************************
小澤實句集「瞬間」息づく“付合のこころ”

蟇は蟇人は人恋ふ夜なりけり
蜩や男湯にゐて女の子
腹剖(ひら)かるる青鮫の笑ふなり

 巻を開いて数十頁を読みすすむうちに、こういうあざやかな句に出あう。そのあざやかさは言わば、俳句というこの上もなく小さな詩形の中で、二つの異質のものが瞬時はげしく触れあって、時に常ならぬ調和の、時に常ならぬ違和のひびきを発することの面白さだということができる。
*********************************

「俳句というこの上もなく小さな詩形の中で、二つの異質のものが瞬時はげしく触れあって、時に常ならぬ調和の、時に常ならぬ違和のひびきを発することの面白さだということができる」
・・・これが付合です。

さて、波郷が「金雀枝や基督に抱かると思へ」を「一種の付合か」と言っているようです。
たしかに、金雀枝の花と基督以下とが照応しているように思いますが難解ですね。
ご本人がそういうのですからそうなんでしょうけれども、私は頑固ですから#2の解でいきたいと思っています(*^-^)。

http://info.yomiuri.co.jp/prize/bungaku/ozawa.htm
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この回答へのお礼

たびたびありがとうございます。

すごく参考になりました。岡野弘彦氏の解説から、ああ、なるほどと目から鱗が落ちる気がしました。
「附合」とはそういうことだったのですね。一句の中で成立するものだとは知りほませんでした。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/10/24 21:29

#2です。


ちょっと補足しておきますね。
石田波郷は戦地で胸膜炎にかかりました。
現在医学会で使われている胸膜炎という名称は、当時肋膜炎と言われ、医者も素人も「ロクマク」と呼んでいました。
今で言う結核です。
波郷は結核性胸膜炎でした。
この句は、1948年3月刊の句集「雨覆」に所収されています。
雨覆の句は1945年~47年に作られたものです。当然結核を患っています。
そして、承詔以後という前書があるようですので、45年も終戦日以後のことでしょう。
この句集の解説には、「血痰甚だしき病床にて編んだ」とあります。
波郷自身がこの句をどのように解説しているのかは知りません。
ただし作品の見方は作者や俳文学者のものが唯一絶対のものではありません。

石田波郷がそれについて次のように書いています(末尾URLより)

・・・(前略)俳句といふものは、何しろ十七字といふ短いものですから、散文のやうな意を尽して叙べきはめるといふことはしません。句によっては二通りも三通りもの解釈ができる場合もあります。勿論作者は一通りにしか表現してゐないつもりなのですが、省略や抽象によつて、さういふ解が生れるのです。作品は作者を離れて一人歩きをします。二通りに解釈ができて、両方の解とも句をよく生かしてゐるのであれば二解があつてよく、時には作者の意図とちがつた解の方が世間で通用することもあります。作者としては不見識な話といふことになりますが、私はさういふこともあつてもよいと思つてをります。
(中略)「選句は創作なり」といつた虚子に倣つて、「鑑賞は創作なり」といつてもよいほどです。
(中略)私はこの句の作者ですが、この鑑賞者の解釈を「名解」だと思ひました。私は私の作に対する解をすてることはできません。ただ私自身の句を離れて、さう思つたのです・・・。

★鑑賞は創作なりです。
ご本人がそのように言っています。
質問者さんもご自由にいろいろと想像して「創作」してみてください。
楽しいですよ(*^-^)。

http://www.k3.dion.ne.jp/~ousia/haikuhaikai/kans …
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この回答へのお礼

bacaisaoさん、たびたびありがとうございます。

賛成です。基本的には、文学作品はみなそのようにして楽しめばいいと思います。
ただ、大家の意見には影響されてしまいますね。

お礼日時:2010/10/23 22:31

#1です。


ちょっと補足しておきましょう。

1942年に太平洋戦争が勃発し、1943年、波郷は30歳で出征しています。
その翌年胸膜炎を患い戦地療養することになります。
この句は、1948年の句集「雨覆」に所収されていますが、作句されたのは(確認はとれていませんが)おそらく戦前から戦中にかけてでしょう。
終戦は1945年でしたが、それまでの間、人々は戦争への不安に常に脅かされ続けていました。
2003年に発行された「波郷句自解」では、この句について本人の次のような注釈が載せられています。(抜粋)

「新緑の細枝、明るい黄色の蛾形花。五月の空は青いが社会は愈々(いよいよ)暗い。汝等何を恃むや。然し、この句はそんなことで作られたのではない。やはり、一種の附合か」

つまり、当時の暗い世相に鬱屈としている人々への慰藉のようにも見えるかもしれないが、いや実は、単なる附合として出来た句なのだ、と述べているのだろうと思います。
無論、このように注釈するということ自体が、当時の暗い世相が背景になっていることは間違いありません。
胸膜炎発症前か後かは不明ですが、いずれにせよ、(この句に関しては、)そういった肉体的事情とは直接的には無関係と捉えるほうが適切だろうと考えます。
  
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この回答へのお礼

hakobuluさん、詳しい注釈ありがとうございます。

戦地で療養ですか。今の私には想像もできません。

「附合」とは何なのでしょう。自作句が世間と一種の共振を起こしたものと捉えて言っているのでしょうかね。

お礼日時:2010/10/23 22:28

石田波郷は、当時は不治の病であった結核に、長い間苦しんだ人です(そして最終的には結核で死にました)。


今で言うと、癌で余命○年と宣告されたのと似たようなことでしょう。
この俳句は、その間の闘病俳句の一つだろうと思います。
闘病中はずっと死と向き合っていたと思います。
彼がキリスト教の信者であったとは聞いていませんが、キリスト教に関する知識は十分に持っていたはずです。
キリスト教の信者は、キリストに抱かれて永遠の命の天国へ行くことが望みです。
「思へ」は命令形です。
そして彼は自分に命令しているのだと思います。
「金雀枝が咲き誇っているよ、自分はキリストに抱かれると思うことにしよう」
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この回答へのお礼

bacaisaoさん、ありがとうございました。

そのような背景を考えると、すっきりと納得できます。

お礼日時:2010/10/23 22:20

聖母マリアが赤ん坊のイエスを抱いて逃げている時に、金雀枝(エニシダ)の草とすれる音でつかまりそうになった、という伝説があるようです。


そのような伝説と五月の青い空に映える金雀枝との附合で作られた句。

確信はありませんが、「思へ」は、詠嘆を含んだ命令形、のように思います。
  
  
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この回答へのお礼

hakobuluさん、ありがとうございました。
そんな伝説があるのですか?キリスト教はまったく門外漢なもので参考になります。

私が一番知りたかったことは「思へ」です。
質問には詳しく書かなかったのですが、塚本邦雄さんが「百句燦燦」の中で
『たとへば最後の「思へ」にせよ、「こそ」を省略した係り結びであるのか、
あるいは「思へども」の助詞切捨であるのか、軽率に断定できるものではない。』
と書かれているところに出くわしたもので、とても違和感を覚えたということなのです。
でもやっぱり命令形と解釈していいのですね。

お礼日時:2010/10/23 22:18

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