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「何事も勉強だ」という言い回しは、ややふざけて「何をしても勉強になる」(役者の「芸のこやし」のように)という使い方が目立つ気がします。「何事も勉強になる」という意味と別に、「何事するにも勉強が必要だ」という使われ方もしています。後者が本来の意味だったのでしょうか。

A 回答 (1件)

こんばんは。



> 「何事も勉強になる」という意味と別に、「何事するにも勉強が必要だ」という使われ方もしています。後者が本来の意味だったのでしょうか。

「大衆の間で、先に広く使われていた意味はどちらなのか」というご質問であれば、実際に過去の何らかのデータを分析したわけではなく、語義の変遷からの推測になってしまう部分もありますが、「先に存在していた意味はどちらなのか」ということであれば、少しはご希望に添えるような気がいたしますので、少しお話しさせてください。

「勉強」の語釈を大辞泉より引用します。
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【勉強】
1 学問や技芸などを学ぶこと。「徹夜で―する」「音楽を―する」

2 物事に精を出すこと。努力すること。

・ 「何時までもこんな事に―するでもなし」〈福沢・福翁自伝〉

3 経験を積むこと。「今度の仕事はいい―になった」

4 商人が商品を値引きして安く売ること。「思い切って―しておきます」
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ご質問の二つの文のニュアンスは、次のように言い換えられると思います。

「何事も勉強になる」=「何事も【経験】になる」=「大辞泉 語釈3」

「何事するにも勉強が必要だ」=「何事するにも【努力】が必要だ」=「大辞泉 語釈2」


次に、「勉強」の語釈の変遷が述べられているサイトを添付します。

http://homepage2.nifty.com/osiete/s766.htm
> 「勉強」の語句自体は、孔子の孫・子思の作と伝えられる『中庸』(元『礼記』の一編)にも見出され、読んで字の如く「強いて勉める」ことで「つとめはげむ。精を出す。努力する。」等を意味して、本来対象とする事物・分野等を特定・限定していた訳では有りま せん。
>
>
> 「勉強」の語源は中国語で「無理をすること」という意味だそうです。つまり商人が無理をして値引きするという意味で「勉強する」という使い方をする様になったようです。「勉強」が現代のように「学習」の意味で使われるようになったのは明治以降のことで、「無理をして知識をつける」ことが美徳とされて「勉強=学習」となったそうです。

おそらく、日本での最初の語義も「2 物事に精を出すこと。努力すること」であったと思われます。上記サイトでは「3 経験を積むこと」についての記述がありませんが、その成立の如何にかかわらず、「努力」が最初の意味である以上、ご質問の「本来の意味は?」の回答は、後者「何事するにも勉強が必要だ」になるのではないかと思います。

成立の時期から推し量りますと、(当初は)「勉強」の唯一の語義として存在しながら大衆に根付いていないことなどは考えにくく、もちろん“勉強”という語句を使わずに「“努力”が必要だ」という言い回しもされたかとは思いますが、「勉強=努力」の意味であった以上は、「何事するにも勉強が必要だ」の言い回しも大衆の間では当然使われていた、と考えるのが自然ではないかと推測いたします。

幾分か飛躍もあるこのような拙文でも、少しはご希望に添えることができましたら幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
二度三度と読み返しました
漠然とした質問に 丁寧にお答えくださり まことにありがとうございました

お礼日時:2009/08/26 08:16

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