
A 回答 (13件中1~10件)
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No.13
- 回答日時:
すでにいくつかの回答がありますが、おじゃまします。
>一番打撃の大きい東京と京都に落とさなかったのでしょうか?政治の中心である東京と皇居がある京都に落とせば、完全に戦意喪失させる事が出来たはずなのに。
東京を原爆で破壊してしまうと交渉相手の日本政府自体が消滅してしまいます。皇居も明治の時代から東京に移されていますので、実際の統治機構と精神的支柱を同時になくしてしまう可能性がありました。そうなると日本は大混乱に陥り、連合軍は本土侵攻作戦を行わなければならないことになったかもしれません。この作戦を実施した際の連合軍側の被害見積もりは100万人を超えるという数字もあったとのことです。
また京都に落とさなかったことについては、ハーグ陸戦条約第27条に抵触することを嫌ったという説があります。通常の爆撃も他都市と比較して極端に少なくなっています。
>原爆の数もちょうど2発ですし。
すでに回答されていますが、種類の異なる二発の原爆の実験を行う必要がありました。ロスアラモスで成功したのはそのうちの一種類だけであり、しかも投下実験をしたわけではありません。
>ヒロシマとナガサキに落とす意味が分かりません。
B29の航続距離と地形、そのほかの状況などから選定された候補のうちの二つです。天候しだいでは変更になっていた可能性があります。軍港があった、軍需工場があったという説もありますが、呉軍港(工廠)は爆心地から25km、佐世保軍港(工廠)に至っては50kmも離れており、また最も誤差の小さくなる目視爆撃が指定されていたことから、軍事施設を狙ったとはとうてい考えられません。
特に広島の投下については、時間が8時15分という、朝礼時間(学校では生徒が校庭に、工場では徴用された作業員がグラウンドに整列します)を狙ったのではないかという説もあり、またいずれも被害が広範囲に及ぶ高空爆発を採用したことなどから、人体被害を含む実験であったとする説が有力です。
No.12
- 回答日時:
私の手元の資料によると、
○アメリカが20億ドルの巨費を投じて作り出した最初の原子爆弾の試験爆発が、ニューメキシコ州の砂漠の中、アラモゴードで行われたのが、1945年7月16日午前5時30分。
→原爆が出来た時には、すでに日本の大中都市は大空襲などで焼かれていていたので、いまさら原爆を落とす必要はありませんでした。
日本本土空襲とその被害について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
○1945年7月24日、トルーマン米大統領はポツダムでスターリン・ソ連首相に対し、「異常な破壊力を持つ新兵器をアメリカが保有している」ことをさりげなく告げた。スターリンはそれを聞いて驚いた色もみせず、「日本人に対し有効にそれを使用するよう希望すると述べた。」チャーチル首相も、「それが戦争終結の助けとなるならば、原爆使用に賛成だ」と何のためらいもなく答えたという。
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei: …
→新兵器の原爆は不凍港を狙い南下して来たソ連へのある意味見せつけであり、新兵器の威力を知らしめるためとより良い実験結果を得るためにはまだ無傷の都市を狙う必要があった。
○こうして、広島、小倉、新潟、長崎の4目標が選定された。
○8月6日午前8時15分ごろ、広島にウラン235を材料とした原爆が投下
○8月9日午前11時ごろ、小倉上空は雲にさえぎられていたため、戦闘機は急遽長崎へ、プルトニウムを材料とした原爆は風で目標をはずれ、浦上天主堂の上空で爆発。
○原爆投下後、アメリカ軍は原爆実験とも受けとめるような、極秘で情報収集をしています。
No.11
- 回答日時:
>ならなぜ、日本人にとって一番打撃の大きい東京と京都に落とさなかったのでしょうか?
先ず、アメリカの原爆(ウラン型・プルトニューム型)の実験場が日本になっていました。
核爆発の実験は、アメリカ国内で成功しましたが、原子爆弾としての実験は行っていません。
ドイツで実験する予定でしたが、ドイツが既に降伏したため、実験場は日本になります。
先ず日本の「軍事施設である広島・長崎」で実験を行なう必要があったのです。
京都・東京に投下するには、100%確実に原爆が核爆発を起こす必要がありますからね。
事前に、実験を行なったのです。
広島に原爆が投下されても、政府・軍部・皇室は「国体維持の保証を、連合国側に要求」していました。
長崎に原爆が落とされた後で「天皇制は、日本国民が決める事だ」との回答が、連合国より届きます。
「これでは保証が無い」とポツダム宣言受諾を拒否する考えが体制を占めましたが、次期投下目標が「政治の中枢部」との最後通告で「天皇が、無条件降伏を決断」したのです。
地方都市までもが無差別爆撃を受けた時点で、降伏受諾していれば原爆投下は防げた!との歴史家の意見もありますね。
占領を順調に行なう目的で、京都・東京の投下は計画に無かったとか、天皇を利用した!との説は、終戦後の逸話です。
1945年4月27日。原爆投下実験場は「広島・京都・新潟・長崎」が候補に上がり、トルーマン第33代大統領が承認しています。
>原爆の数もちょうど2発ですし。ヒロシマとナガサキに落とす意味が分かりません。
アメリカ製原爆は、ウラン型とプルトニューム型の2種類ありました。
実験は、ウラン型(広島)とプルトニューム型(長崎)それぞれについて行なう必要があります。
ウラン型とプルトニューム型それぞれの長所短所を、実験実証する必要があるのです。
No.10
- 回答日時:
広島、長崎は強大な軍需工場があったから。
他の爆撃候補地も軍需工場があったようです。
東京に落とさなかった理由は東京は皇居があるため、一発で天皇まで殺してしまうから。米軍は日本占領後、占領統治に天皇を利用することを考えていたため、皇居のある東京は爆撃候補地にしなかった。
No.9
- 回答日時:
原爆を落とした理由は、二つ。
第1にどれぐらいの威力があるのか知るために使ったのです。その証拠に、広島に落としたのはウラン型・長崎に落としたのはプルトニウム型と違う種類のものを使っています。
第2に議会対策です。原爆を開発するためには莫大な費用がかかっています。これを使わないまま戦争が終わってしまえば、戦後「無駄な兵器を作った。税金の無駄使いだ!」と議会でたたかれてしまう。
それを防ぐために使ったという実績をつくりたかった。
この二つです。
広島と長崎が選ばれた理由は他の人が書いているとおりです。
付け加えるなら、原爆は相当な重量があり原爆を搭載した爆撃機は極端に燃費が悪くなるということです。もともと原爆を落としに来ているのであり、持って帰ることは想定されていないのです。
小倉が天候不順で落とせなかったため、搭載したままでは帰りの燃料がもたないと判断したパイロットが、機体を軽くするために長崎に無理矢理落としたのです。(実際 長崎も天候不順でした。小倉よりましという程度です。)
No.8
- 回答日時:
軍事的な理由から言えば
広島は「第二総軍」の所在地でした。
これは本土決戦を見越してとられた措置で、
日本軍を箱根のあたりで二つに分け、東京の第一総軍、広島の第二総軍として、
細長い日本の地形により東西の連絡が途絶した場合も交戦継続できるようにと言う措置でした。
元々広島は日本陸軍の重要地点のひとつで、「軍都廣島」と称されていたものです。
宇品港は重要な兵員の海外積出港として
それに付随する施設とともに西日本随一のものであり
ここをつぶすと言うことは軍事的にも無意味なことではありませんでした。
また廣島は典型的な三角州地形で、
島由来のいくつかの丘をのぞけば平らな地形のため、
爆風を遮るものが少なく、
爆弾の威力効果を検証するのに適当な地形であったということも言えます。
つまりこれは実験としての側面です。
このため、原爆攻撃の目標候補となった土地はいわゆる「バージンターゲット」であることが求められたため、
通常爆撃の主目標からは外されていたといいます。
これも東京が原爆攻撃されなかった理由のひとつかと思います.
つまり3月10日の大空襲以来東京はある程度以上既に破壊された都市であったため原爆の効果を検証することが難しかったということです。
長崎も造船所など軍事工業を擁している土地で
これも軍事的にもターゲットでありますが、実は長崎は第一候補ではなく、9日の爆撃の第一目標は小倉陸軍造兵廠のあった小倉でした。
しかし天候不良のため小倉ではなく第二目標であった長崎に,
しかも雲の切れ間からちらと見えた市街地に投下するというやり方であったため
長崎市街地からは離れた現在の爆心地に投下されたといいます。
京都も地形的には原爆向きであり、人口も多く研究機関も存在し,原爆の威力のデモンストレーションとしては絶好の土地ですから
当然投下目標には入っていました。
しかし,戦後アメリカによる軍事占領を円滑にするためにはむしろ日本文化の象徴的な京都を原爆攻撃することはあまり好ましくないとする考えもあり、原爆を使われぬまま戦争が終わったと言うことです。
No.7
- 回答日時:
> アメリカが原爆を落とした理由は戦争を早期終結させて
> これ以上犠牲者を出さないようにする為と学校で習いました。
本当の理由はわかりませんが、戦後、日本を統治したのはアメリカです。
戦争は大量殺人ですが、『100人殺す事で1000人助かるのならば、100人殺す人は正しい』と言う考えを否定できる人は少ないと思います。ですから、そう言う事にしておけば不満はあるけれど、被害者は文句を言えない状態に出来ます。
> ならなぜ、日本人にとって一番打撃の大きい東京と京都に
> 落とさなかったのでしょうか?
> 政治の中心である東京と皇居がある京都に落とせば、
> 完全に戦意喪失させる事が出来たはずなのに。
恐れ多くも現人神であらせられる今上陛下を害したら、日本国民のホボ全員がレジスタンスと化してしまいます。「一億玉砕」「八紘一宇」「七生奉国」「国民は赤子。君に忠、親に考。」がどのような思想なのかを知れば、突飛な考えでない事が理解できると思いますよ。
更に、軍部や政府の要人を殺してしまったら、終戦の講和も出来ません。
もっとも、何時頃・誰が言ったのか不明ですが、『新型爆弾の威力を誇示するのであれば、何処かの無人島でいいから、日付と時間を通告して公開実験すればよかったのではないか?』という意見があったそうです。しかし、それでは人的被害による効果が得られないし、日本軍は『ノコノコ出て行って、つかまるような馬鹿ではない』と考えるでしょうとの反論があります。
> ヒロシマとナガサキに落とす意味が分かりません。
別の方が書かれていますが、当時、投下予定地は5箇所といわており、広島は呉の軍港があったためと言われております。
長崎は、当初は小倉に落とす予定だったが、雲が掛かっており投下目標が見えなかった。そこで、予備として指示されていた長崎に向かうと、雲が切れており、市街地がハッキリ見えたので投下されたとの事です。
なお、被爆された広島及び長崎の方々には不快な事実ですが、被爆者が全員死ななかった(新型爆弾でも生き残れる)と言う事実は、終戦を遅らせたといわれております。もし、広島市街地が跡形も無く吹き飛んで、生物が一切生きていない状態であれば、長崎(当初予定は小倉)投下は無かったのかもしれません。
No.6
- 回答日時:
最初から東京に落とさなかったのは、前者の回答でも判る通り。
また米軍は、この2つの原爆で日本の放棄を求めなければ、関東と九州への上陸作戦によって、数倍以上の日本人の犠牲が出ていただろうと答えている。
元々原爆を投下する候補は、当初の時点で、京都と広島、横浜と小倉‥その他、となっていたようである。軍備の中心という事を考えれば当然だったのだろう。ただ、この選定の組み合わせは米軍の原爆投下選定委員会によるもので、一般的には定かとなっていない。
まず、第一候補の一つだった京都について。
京都への投下が避けられたのは、当時のソ連が日本との不可侵条約を破棄した事(これによる日本の反ソ感情)をアメリカが有効に活かす事を考えた、作戦上の変更があったと言われている。
実際には、米軍内部(H・スチムソン長官)からの強い反対 ( 京都への投下は日本人の反米感情がソ連の不可侵条約破棄より上回ってしまう危れ ) があったからとされる。
更に、誰もが単純に話すような【京都に貴重な文化財があるから‥】と言うのは最終的にはウソ。最後まで京都を避けた訳ではない。日本が広島・長崎の原爆でも戦争を放棄しなければ、次の候補が京都であった事は変わらなかった。
簡単に言えば以上の通り。いずれにしても原爆を落として良い理由にはならないが‥。
No.5
- 回答日時:
いろいろな考え方や伝聞や証拠があるようなので、確定したことは無いようですね。
目標物も「天候が悪かったので」変更した、なんて話もあるみたいですし。
ただし「戦争の早期終結のために」というのは、どう考えても変ですね。
時間軸を見てみると「そこまでしなくても」と、いつも思います。
私見ではありますが「原爆はアメリカの、他国へのアッピール」だというのが、私の思うところです。
この時点ではすでに「制空権」は確立してしまっていて、本土爆撃もされていたわけで、普通に考えるなら「大量破壊兵器」を使用する必要性はありません。
東京などの中枢を攻撃するのは、むしろ「混乱」を生みますので、早期講和のためには悪影響をもたらします。
京都も同じです。

No.4
- 回答日時:
重要な軍事基地であった事はもちろんです。
いずれも「盆地」(海は無視する)のため、空中爆発の効果が大きい事が上げられました。
長崎は「冷戦対策」で、全く米国の「都合」の割を食いました。
北の方のどっかの国が作ってますが、プルトニウムの方が製造コストが低いのです。
ウランは爆発させるのは簡単なのですが、同位体から分けるコストが大きいのです。
但し上記の国がなかなか成功させられないように、プルトニウム爆弾には高度な爆縮技術が必要です。
そのためロスアラモスで実験に使われたのもプルトニウム爆弾でした。
米国はソ連との戦争を見据えてプルトニウム爆弾の実戦使用が是非とも必要でした。
そのため、日本政府が降伏手続きを踏んでいる期間に長崎で実戦演習を行いました。
私は長崎の被爆だけは許せません。
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