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この質問コーナーについて疑問があります。なぜ哲学の中で宗教を尋ねなければならないのでしょうか。イエス様を哲学の対象にすることはすでに異端者の集会ではありませんか。

宗教という独立したコーナーの新設をせつに願います。

A 回答 (12件中1~10件)

「犯罪者・加害者」優先保護の「意識」を


このQ&Aから
率先してなくしていくように努力していくことも大事です。

比較の対象)
極論として
「すり」・「ちかん」の現行犯逮捕は原則ですが、痴漢に関し加害者保護の可能性を見ることは、ある意味、合理的かもしれません。

しかしながら、仮に北方及び半島から蛮人が攻めてきて日本を占領したとして、「自分の名前(苗字の例バツバツスキー)を変えて適応せよ。」というのはひどいやり方でしょう。納得できません。

「痴漢には、護身用の武器を持って対処せよ」というのもひどい言い方。武器を携帯したくない人の自由はどうなるのでしょう?

「普通に質問したい人のため」を思うことは、非常に大事です。

現状として「哲学カテゴリー」の「荒れ様」は、呼び水的な不心得者が遠因であり、服装の乱れが学級荒廃の先鞭であるように、こころない違法の自己宣伝質問投稿が、更にひどい「嵐質問」の誘因になっていると結論付けられます。

個々人が注意深く見守ってゆくべきです。「被害者だけ」が心がけていくべきであるというのは、「片手落ち」です。

「哲学は神学のハシタメ」というかんがえ
「(特に宗教について)ここなら何を質問してもよい+
オレ様は、楽しむ為に生きている!なんでも自由だ!」という考え
           は慎んでゆくべきです。

宗教家は、「ここでは哲学者の助力を得ているのだ」という意識を
もっと高めていくべきです。
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 ああ、あれを見てしまいましたか、あれを見た瞬間の衝撃は、見慣れているはずの私でさえ、いまだ目を覆うものがあります、笑いもしましたが。

ウケ狙いで無いとしたら、天然ボケなんです、許してやってください。

 彼に変わって弁明しますが、彼はイエスをけなしたのではなく、自分の中での勝手なイエス像と自分を重ね合わせ、あのような文章を書いたのでしょう。たぶん、悪気はないんです。しかし、交通事故にでもあったと思ってあきらめたところで、解決とはならないでしょう。半分本能的に、しかし確実に狙ってきますからね、悪気が無いから、たちが悪い。とも言えます。ペンネームを変えたところで、同じでしょう。

 別に対策を採るべきか、どうしたら良いものか...
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 お久しぶりでございます。

Hidocchiです(以前、”聖骸布”について回答させていただいたものです)。

 もし、「わたしも実はその方から離れたいのです。」とお思いでしたら、余り意味がないかと存じます。ご質問者様のご回答欄を以前から拝見させていただいてきましたが(”聖骸布”の際もそうでございましたが)、たとえ”宗教”のカテゴリーを設けましても、結局は同じかと考えられるからでございます(過去に何があったのかはお聞き致しませんが)。

 いっそのこと、ペンネームをかえる等の方が実際的かと見受けられました。

 それか、鉄壁の”理論武装”をして、ご質問されるぐらいでしょうか。ですが、これをしてしまいますと、何のためのご質問かは分からなくなってしまいかねます。

 余りお役に立てず、心苦しいのですが、ご参考になれば幸いでございます。 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

それと、この場を借りてご回答くださっている方々にお詫びとお礼を申し上げさせていただきます。かねてからのわたしの方針なのですが、良回答と称してポイントを差し上げるシステムのようですが、わたし自身みなさまの貴重なご意見やご教示に数値をもって応えるなどという愚かなことはしたくありません。回答に数値をつけとはなんという傲慢なことでしょうか。
従いまして、みなさまのご回答にはポイントは付きませんのでご了承くださいませ。それと、このテーマでご回答くださったすべてのみなさま、貴重なお時間を頂きまして本当にありがとうございました。

また、別の質問をさせていただく際にはよろしくお願いいたします。
このお礼をすべての回答された方々が目にされることを願いつつ。

お礼日時:2009/09/30 20:06

 スウェデンボルグによれば、虚言を弄したパウロは、地獄に行ったようです。

ホントかどうか解りませんが。
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#5です。



>わたしは知識はありますが、議論は好きではないのでこれくらいにさせてください。
:わかりました。
わたしは議論は好きですが、知識がないのでこれくらいにしておきます。
 
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 No.3です。



 ○ 異言ではなく 預言(その解釈)を!
 ☆ についておぎないます。全文 パウロからの引用です。

 ▲ (コリントの信徒への第一の手紙14:1-7) ~~~~~~~~
 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。  
 異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。
 しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。
 異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。
 あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。
 だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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賛成


「神学」項目でよいと思う。目障りな約一名の名を見なくてよいというだけでかなりの効果を期待できる。

PS
解釈と予言とは似てもにつかぬものです。
宗教と哲学の違いよりひどい「かんちがい」。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
わたしも実はその方から離れたいのです。

ご賛同ありがとうございました。

補足日時:2009/09/27 01:06
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私はキリスト者ではありませんが、キリストを信じるという行為を否定しようとは思いません。


生きるということは悩ましいことであり、救われかたは千差万別であって良い、と思うからです。
しかし、それなりの根拠を欲している方もいらっしゃることでしょう。
その方々に代わってお聞きしますが、どうして、

>なぜ哲学の中で宗教を尋ねなければならないのでしょうか。
:という疑問が生じるのでしょうか?
つまり、「>哲学の中で宗教を尋ね}られると、何か問題でもあるのでしょうか?
それほど根拠、あるいは論理性に乏しい宗教なのですか?

>イエス様を哲学の対象にすることはすでに異端者の集会ではありませんか。
:「対象にすること」だけで、なぜ「すでに異端者の集会」という結論が導き出されるのでしょうか?
論理的な説明を求めます。
それとも、キリスト教(と言っていいのかな?)は論理性とは無縁のものである、と考えるべきですか?

>宗教という独立したコーナーの新設をせつに願います。
:こういうことを言ってるから理解を得られないんじゃないかな。
根拠も無しに他者を異端視することが、自ら異端視される立場に追い込んでいくという当然の理に気づくべきでしょう。
別に興味はありませんが、これだけ多数の信者さんがいらっしゃるわけですから、それほど了見の狭いものとは思いたくないのですけどね。
いいとこだってあるんだから、そこを現世に上手に適用しつつ広めようとしなくちゃね。
押し付けと牽強付会だけはご勘弁願いますが。
 
 

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

一つ例を挙げれば、ハイデガーは宗教を哲学に持ち込み宗教を異質な物にしてしまいました。知の介在によってグノーシスもカタリ派ももはや宗教ではなくなっているのです。つまり、それを喜んで論じているのはまさに異端者の集会でしかありません。

わたしは知識はありますが、議論は好きではないのでくれくらいにさせてください。

補足日時:2009/09/27 01:08
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同感。

賛成。
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 こんにちは。



 ○ 哲学にも貢献しうるからです。

 ☆ またそうでなければ その宗教というのは 単なる思い込みにしか過ぎず 人びとの鼻つまみです。

 ○ 異言ではなく 預言(その解釈)を!
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