プロが教えるわが家の防犯対策術!

仕事はキチンとしてますが、ここ数年、ストレスからか過去のことが頻繁に頭をよぎり、イライラして、(過去の情けない自分)に対して怒鳴ったり、日頃は、すごく敬愛している人のことを悪く思ってしまう自分が、本当に嫌になります。

敬愛している人のことを悪く思う度に、頭を振って、「自分に違う。違う。」と言い聞かせます。

これって、他の人も同じ様な症状なのでしょうか?
何かの病気かなと思ってしまいます。

確かに、過去に受けた屈辱を、根に持つ方ではありますが、こういうのって、
やはり、仕事などに集中するしかないのでしょうか?

A 回答 (3件)

完璧主義なら自己否定で自己嫌悪に陥ります、過去の事を思い出す自分が居心地良いから追追その思考回路で蟠る自分が居るんです。


 キチンとして居る事を判断するのは他者です、自分を自分で認めるなら自画自賛その物で有り、敬愛して居るからその方が全てでも無いし、人間は多角面から見ないで一方向から景観する事が全てと思い込む、ステレオタイプその物と思いますが・・・
 ストレスとは、現実逃避をしたくなる物であり、関わりを避けるのも防衛本能です、ストレッサーが有りストレスになるんです。
 自分を自暴自棄に駆り立てて居る現実相当疲れは来ていると思います、他人を悪く思うのも自分の一部です、有って当然です。
 一度気分転換で遠出をして見る気分を変える事です、このまま行けば鬱傾向で身動き出来ない自分になるだけです。
 自己嫌悪は鬱の始まりですけど・・・

>確かに、過去に受けた屈辱を、根に持つ方ではありますが、こういうのって、やはり、仕事などに集中するしかないのでしょうか?
 それだけ否定される事は心的屈辱です、萎えて当然では無いですか?
 無闇に追い込む事が良いとも思えませんし、過去分析出来た居ない段階なら自己洞察をどうするかです。
 過去の自分が嫌と思う理念は何かです、カウセリングも時には必要かも?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/07 08:46

そういう時には頭の外に出てみたらどうでしょう。

外から見るとそれは頭の中んで考えていることだと思えると思います。つまりほかには存在しないことになります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/07 08:45

程度にもよりますが、このご質問文の範疇ならば、誰にでもあることです。



ところが、この「誰にでもあること」を「特別な・異常なことなのか?」
と心配している貴方様の生きる態度が、少し心配なのです。

ひっくり返せばこれは、「自分だけ特別だ」という自己中心的な態度にも成りかねません。

するとこの自己中心的な生きる態度が、時には周囲と軋轢を生んだりもする。
自分が悪いものまでをも「屈辱」と感じてしまう体験を積み重ねてしまうかも知れません。
するとますますこんがらがったりもするのです。

又、この頭を振って違う違うと言い聞かせる行動というのは、万一これが進めば強迫観念症にも至ります。
遺恨恐怖症というものがあります。

で、そのような重篤な状態を治療するものとして森田療法などがあります。
森田博士は「ありのまま」こそがその治療の根本だ、と云いました。

過去に受けた屈辱を思い出し、胸がムカムカする。
そしたらそれでいいのです。そのままにしておくのです。それができれば良いのです。
その心を自由に解放しておけば良いのです。
仕事に集中して忘れようなどとすれば、返ってこのムカムカする心が増大するものです。
勿論仕事に集中することで、気がついたらこんな心が去っていた、という体験は、誰もがするものでしょう。
しかしだからといって、自分の意識を意志でコントロールしようとして、この心境になろうとするのは間違いです。
眠ろうとする「自我意識」がある間は、「自分」がありますから、なかなか眠れないものです。
しかし眠ろうとする心を離れた時、人は眠りに落ちるものです。

要は逃げ腰なのですよ。ズルいのですよ。
他人から屈辱を受けるというネガティブな経験は、誰でもするのです。生きている以上仕方ないことなのです。
ところがそれを、何か心の工夫などで感じないようにできる手段があるのでは、と考え、
それをあさる。それを探す。根本的には間違いなのです。恨みがあるなら恨んでいればいいのです。
恨みそのものになり切れば、その心は最短時間で去るものです。

で、そんな工夫よりも、その屈辱の内容そのものを考え進めるのです。
それは本当に屈辱だったのか。相手は悪意だけだったのか。もし悪意だけなら、
そういう人間も世の中にいるのだと、切り捨てるしかありません。
或いは悪意だけではなかったかも知れません。何か実は、自分の側にも悪いところがあったのかも知れません。

もし今会うことができる人ならば、あまり深刻なら聞いてみればいいです。
そのように、今この心境を付け焼き刃・応急処置的に回避しようとする工夫を止め、
問題そのものについて考えるべきです。

障子を破る幼児がいて、しょっちゅうやらかす。破いたところだけ張り重ねる。
そんなことをいくら繰り返していても、ラチがあかないようなものです。
幼児そのものを何とかしなくてはなりません。

森田 正馬 著 "神経衰弱と強迫観念の根治法" という本などお薦めします。
宜しかったらお読み下さい。程度が酷くなり遺恨恐怖に至った人の例などが、
貴方様の心の問題の役にも立つと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2009/10/07 08:45

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