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今、吹田市の名前の由来について調べてるんですが…

『三島地方には渡来氏族が多く、定着して集落をなしていました。
彼らの村(スキ:三韓の言葉)に属する田「スキ田」が「鋤田」や「次田」などと書かれる様になり、
音便の転化と、「次」と「吹」の草書体が似ていたことから、吹田(すいた)となったと言われています。』


と出たのですが、
三島地方と検索すると(島本町 高槻市 茨木市 吹田市 摂津市)をまとめて言われているようですが、
これは昔の言われ方でしょうか??
今は三島地方とかは使われませんか??
あと、地図では三島郡島本町となってるのですが…どういうことでしょうか??
何か意味が分かりません;;
誰か教えてください。
よろしくお願いします。

http://www.suita-town.com/history/

http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/busi/jmp …

A 回答 (2件)

今も教育事務所などの単位として三島地区、豊能地区、


北河内地区など使われていると思います。
ですから、小学校や中学校の部活動の大会もこの単位の地区で
実施されています。

もっと昔は嶋上郡嶋下郡という地域分けで、今なくなりましたが、
島上高校という学校が高槻にありましたし、今、三島高校という学校もあります。
今の摂津市は以前たしか三島郡三島町という名称だったように記憶します。
今この地域で市制でないのが島本町だけなので三島郡島本町と昔からの郡名を頭に残しているのでしょう。
調べますと、嶋上、嶋下の更に昔は三島郡だったようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました^0^

お礼日時:2010/07/13 00:27

古代の摂津、河内は今のような大阪湾ではなくて、特に三島地方は、海の中に三つの島が浮かんだような所だったと思います。



そんな中で、神武天皇時代には例えば
http://74.125.153.132/search?q=cache:gJLfE9e3cmU …にあるように三島溝杭姫が出て来ます。事代主神(ことしろぬしのかみ)の妃神で、神武天皇の皇后である五十鈴媛のお母さんです。
大阪の淀川と並行して流れる安威川の水利を管理していた三島溝咋の娘で、事代主神は奈良盆地から木津川(当時は鴨川と言った)。

次には例えば
http://74.125.153.132/search?q=cache:in9hhQGser4 …
にあるように、安満(あま)遺跡などが出来ました。

それから天武天皇の崩御によって、今の吹田市には原田神社が出来たと思われます。以上ご参考まで。




oniisama_0
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この回答へのお礼

ありがとうございました^0^

お礼日時:2010/07/13 00:27

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