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人間は何の為に生き、何の為に働くの?
いろんな考えがあるのでしょうか?
毎日クタクタになって仕事から帰るとよくこの疑問がわきます。
様々なご意見を聞いてみたく質問いたします。

A 回答 (31件中1~10件)

物質に「目的」はありません。


しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。

であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

本来それは、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”であるにもかかわらず、いつの間にか(助け合っているはずの人々と)それを奪い合い、お金をもらうために仕方なく働くようになってしまっているのだ。
(その錯覚の端的な例が、取引きに於いて、役に立つものをもらう=助けられている方ではなく、手あかで汚れた紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙)
その結果としての“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北となり、人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。
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この回答へのお礼

お忙しい中、長文のご回答恐れ入り、誠にありがとうございます。
記録しまして、じっくりと時間をかけ、考えてみたいと思います。
お金=“矯正具”として発達=悪魔のツール、が印象的です。

お礼日時:2010/01/14 23:17

>私の質問は「様々な回答」を要求しておりますが、「本来、人間は何の為に生き、何の為に働くの?」という方が適切で申し訳ないです。

>>「本来」が付くとあなたのご回答は、私の希望方向ではなく、失礼ですが「単なる現象面の具体例の羅列」であり、とても簡単なお答えとして右から左へ抜ける感じです。(すいません)

いかにも人を馬鹿にしたような物言いで、胸糞悪すぎて今夜は眠れないだろう・・・。
もう二度と貴様の質問には答えない。
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この回答へのお礼

誤解をさせてすみません。私は正直に書く(馬鹿にする意味はなく)方が「誠意があっていい」と思いましたので、あのような表現になりました。ご不快を与えてしまったようなので、ここで謝罪させてください。ごめんなさい。

お礼日時:2010/01/23 05:07

働かなければならないという法律はない。


働く必要がないなら働かなくてもいい。
あなたは何で働くんですか?金がほしいから?親が悲しまないため?それとも自分の見てくれのため?
僕は人それぞれ働く理由はあっていいと思うのです。
「本当は莫大な資産があるけど、暇つぶしで仕事してます」なんていうのもいいし、「親の都合で15歳から必死こいて働いてます」でもいいし。

この回答への補足

レスありがとうございます。
私の質問は「様々な回答」を要求しておりますが、「本来、人間は何の為に生き、何の為に働くの?」という方が適切で申し訳ないです。「本来」が付くとあなたのご回答は、私の希望方向ではなく、失礼ですが「単なる現象面の具体例の羅列」であり、とても簡単なお答えとして右から左へ抜ける感じです。(すいません)

補足日時:2010/01/21 21:30
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自分に問うべきでは?


なぜ毎日クタクタになってまで働いているんですか?
なぜそんなにまでして生きてるんですか

それはあなたの外側に価値があるからではなくて、あなたの本能が命令しているからです。
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NO.24ですが、補足します。



>レベルとは単なる技量という意味ではなく
と書きましたが、技量は関係ない、という趣旨ではありません。
技量のレベルもありますし、その分野の真髄を追及して行くという意味ではレベルそのものでもあるという面もあるでしょうし、ともかくそれ自体大切なものです。
ただ、その技量を善用するか悪用するかで、違いが全く異なる、という面もあるわけです。
また、私利私欲についても触れていますが、これ自体も適切なものであればいいわけであり、ただ、他者や社会を害してまで私利私欲のみに汲々とするようでは問題があるでしょう。
ついでに言えば、仮に私利私欲の実現を、適切な範囲を超えて際限なくしかも他を害してまで果たすことを目的とした場合には、その精神的あり方自体が既に「渇望」状態であるとも言えるわけで、常に満たされないという「苦」の状態にあるとも言えるでしょう。
更には、この世においては常に欲望を満たし続けたとしても、死後霊魂状態となると、自分と同様に他者を害して自己満足に浸りたいという者と一緒になった場合、その実現は困難であるということもあるでしょう。
更には、そうした悪なるあり方であること自体、神仏的な善なる性質に反するために、神仏は温かい光を放っていても、自らそれをさえぎる形ともなり、自分で自分を苦しめている状態であるという面もあるでしょう。

なお、私利私欲と言っても、神仏のようになって行きたいという意味での私利私欲によって、自分がすばらしくなって行くことで他者や社会へも一層の貢献ができる、というあり方であれば、むしろそれこそがNO.24にも書きましたとおり、人生の目的そのものであると言える面があるでしょう。
そしてそれはこの世の1回限りで終わるのではなく、転生輪廻を繰り返しながら、神仏やそうした理想社会の実現へと向かって、限りない幸福の過程を歩むことができる、ということも言えるでしょう。
試行錯誤等々もありますが、よりよくして行くやりがい・充実感として行ければいいですね。
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簡単なことです、悩むことでも何でもない


人間は何の為に生きるのか、それは真理を探求するためでしょう、それ以外に何かありますか
ありません、真理の探求、宇宙の何たるかについて答えを求めることです
 
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こんばんは。

No.22です。
要領を得ない拙文をお読み下さったのですね、ありがとうございました。
そして私も、OtamaFJ様のお礼を何度も拝見させていただきました。

>貨幣制度がダメなら他の制度に変えればいいだけです。
>富の偏った格差社会
>好きなことをがそのまま仕事になるようで

はい、仰ることは私にも理解できるのですが…。
やはり、「時計の針」は戻せないのだと現実的に思います。
理屈の上では「貨幣制度の再考」など、幾らでも可能なのでしょうけれども、
これだけ全世界的に広汎なシステムを、いとも簡単に変革し得るかといえば…実際には、さて、どうでしょうね。
私もOtamaFJ様の趣旨はわかるのですが…。

映画『ターミネイター』や『マトリックス』のシリーズをご覧になったことがおありでしょうか。
あれらを見るたびに、私はつくづく思うのです。
あくまで極論としてなのですが、格差のない平等な人間社会を実現すると言うのであれば、
あの未来世界は一つの可能性を暗示しているのではなかろうかと。

つまり、人間が機械化を推し進め、自ら煩雑だと感ずる労苦の作業を機械に押し付け支配することにより、
人類が一様に豊かに、そして平等に、暮らすことは出来るかもしれないですよね。
まあ、映画はエンターテインメント性を重視する手前、「人間対機械」の構図を鮮明にするのでしょうし、
多分に戦争形式により観客にカタルシスをもたらすのでしょうけれども。

でも、仮に映画の如く、機械が人間にレジスタンスを企てなかったとしてもですよ、
人間が機械に一切の下働きをやらせ、自らは好きなふるまいをするということ、すなわち、
人間は機械に依存し、機械なくして生きるのが難しくなるとしたら、
人間は生きながらして機械化してしまう(=機械により管理されて生きる)ことに繋がるのではないかしら、なんて思ったりもして。

そう考えるとですね、OtamaFJ様の

>人間は何の為に生き、何の為に働くの?
>いろんな考えがあるのでしょうか?
>毎日クタクタになって仕事から帰るとよくこの疑問がわきます。

という疑問もですね、何だかとっても人間らしくてほっとするわけなのですよ。
誰かがふと思いつき、そして問いかけて、
「ああ、そうよね…」と思ったり、或いは「そんなの当たり前でしょう」と感じたり。
恐らく個人の内にも、体調や仕事の波という時々によって、考え方に開きが生じる類のものではないでしょうかね。
もちろん、昨今の不況は深刻ですから、社会制度や貨幣経済にも思いを馳せることも当然ありましょう。

この点につき、≪誰においても「パンドラの箱」である≫と申し上げたつもりなのですよ。
でも、人間だからこそ、このように自らの所為について、ふと立ち止まり、考えたくもなるわけで…。

今回も、何らロクな回答になっていなくて、申し訳なく思っております。
でもそれでも…OtamaFJ様のご職業が何かは存じませんけれども、
かけがえのないあなたの御仕事を通じて確実に社会と結び付き、そしてそれが、
巡り巡って誰かのためになり、結果として周りから感謝されていることは疑いようもない事実で、
これこそは貨幣経済云々とはちょっと違うもののような気もするのです。 違いますでしょうか。

絶対にね、お金のためだけじゃあないですよ。

この回答への補足

温かなレスありがとうございます。
>かけがえのないあなたの御仕事を通じて確実に社会と結び付き、そしてそれが、巡り巡って誰かのためになり、結果として周りから感謝されていることは疑いようもない事実

そのとおりですよね。でも、ついお金に困って「残業をしなきゃ」なんて我々サラリーマンは考えますよね。残業代がないと生活できないくらい不況ですから。psytexさんが下で言われているように、お金の誕生はそもそも物物交換のときの「感謝の気持ち(情報)」を「貨幣」という物質に転嫁したために、独立してお金が価値を持つようになったと思います。よってお金には本来価値はなく「助け合いの情報」であると考えます。
ではどうすべきか?おそらくお金を「完全に」情報化して、持てる口座(国家管理)は1つにし、資産や生活状況に応じて、携帯端末で支払うと、口座に残高がない場合は国庫から直接支払う、ていう「物流コントロール情報制度(助け合い情報制度)」がいいと考えます。これで、現在分割されている各種の社会保障は1本化できると思います(助け合いポイントが無くなり次第、国庫が自動で支払うだけなので手続きも不要)。もちろん最低限の生活保障しかできませんし、貧富の差はあっていいと思いますが、最低限だけの生活保障はデンマークのように必要と思います。でも現在の「大きな所得格差」には大反対の立場です。
「助け合いポイント」みたいな情報こそ、貨幣制度に代わる新たな制度と思いますが、どう思われるでしょう?

補足日時:2010/01/22 03:47
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人生を楽しむため。


仕事を楽しんだ結果で収入が得られることに何も問題はないはずです。
仕事を楽しむことで自分の能力アップもできるでしょう。

全てのことは自分に用意されていると思います。
それを使いこなすのが人生です。

これをしたから楽しめるようになるのではなく
この中から楽しめることを見つけ出すことが楽しいのです。
何処からか楽しいことがやってくるのではありません。
いまここにいることを楽しめる能力を育ててあげましょう。
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人間とは、霊界にいた霊魂が、この世の物質世界の肉体に宿って生まれて来ているだけであり、物質的肉体の寿命が来れば基本的に霊界へ帰って行くだけです。


霊魂とは意思・思考・感情等を有した電磁波エネルギー体のようなものであり、自らの念波のあり方等によって存在形態も変化したりします。
光は粒子としての面と波としての面があるようですが、霊魂も同様であり、粗雑なあり方であると沈下して同様な波長の者と集合し、精妙なあり方であると浮上し同様な波長の者と集合する感じになるようです。
また、色に黄、青、赤、等々の違いがあるように、趣向の違いによっても、同じ趣向の者同士は集合する傾向にあるようです。
つまり、霊界においては、電磁波そのもの的な存在形態になるため、波長の似通った者同士が集合する感じになるわけです。
以上は理系的な表現ですが、これを文系的に表現すると、例えば、音楽が好きな者でそのレベルが同様な者同士は集合しやすいし、政治が好きな者でそのレベルが同様な者同士は集合しやすい、という感じです。
ちなみにレベルとは、単なる技量という意味ではなく、その心境境地レベルをいうものであり、医者でも政治家でも事業家でも、私利私欲のためだけにやっている者と、他者の幸福を自分の幸福としてやっている者とでは違う、といった類のものであり、更にその質ももっともっと細かい違いがあるようです。
では、何のために生き、働くのかというと、まず、霊界では似た趣向・レベル同士が集合しやすいため、ある意味で居心地はいい反面、退屈したりする面もあるようで、そうすると、この世の物質的入れ物(肉体)の中に入ることで、自分とは違う趣向やレベルの人達と交流しやすくなるわけで、そこに刺激を得ることが可能になるわけです。
(空気中では分かれて存在する水素やヘリウムや二酸化炭素をそれぞれペットボトルの中に入れるような感じでもあるでしょう。)
また、霊界では比較的思ったことが実現しやすい面があるわけですが、この世では思いを実現する過程に相応の力を要する面もあり、そこに充実感を味わうことも可能になる、という面もあるでしょう。
更には、働くことを通して自己や他者や社会をよりすばらしくして行くことに充実感を味わって行くこともできるわけです。
もちろん、現実的にはクタクタになったりすることもあるでしょうが、大きな観点から言えば、本来的には上記のような意義はあるようです。
私は以上の主旨を本等で収得し、納得できています。
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No.14です。


哲学も宗教も両方学ぶとよいでしょう。
哲学はこう生きろとは言いません。
宗教はこうあるべき、こうしなさいと言うでしょう?

>哲学は答えがない学問です。
>では、単なる言葉遊びでしょうか。思索サークルのようにも感じますが。
そうは言っておりませんよ。哲学者は文学者同様死にものぐるいで悩んでいたはずです。

>宗教は答えを出すものです。
>宗教をしないのも、ひとつの宗教でしょうから、言われた内容がピンときません。
あいにくそのような宗教とはであったことがなく私が学んだのは世界三大宗教のみです。

言いたかったのは、過去という事実です。
系統樹という過去の事実があるということです。
それを悩むのは悪いこととは思いません。ただ不毛に単純な答えにたどり着くんじゃないかと思います。

脳科学の本もおもしろいです。小脳と大脳新皮質のジレンマなんだと思います。
人間がいかに不完全な生き物かが分かるといいのですが。
つまり、いいじゃんそんなこと。人間らしく生きればいいんじゃないですか?
働き食べて、生きる。そして子を残す。おかしいですかね?
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