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「植物の葉は、ほとんどが緑色をしています。」
と思ってた。
しかし、よく考えると、その言い方はおかしい。
なぜなら、太陽光は(赤、青、黄色、緑、ピンク、紫・・・ect)
と、様々な色を持って、地球上に振り注ぐいるのだ。

植物の葉が「緑」色に見えるのは、「緑」の色を反射・散乱させているからだ。
つまり、植物の葉は、「緑」の色を嫌いっているのだ。
故に、「食物の葉は、緑じゃない」と言えるのではないか?
(これは、海や空が「青い」のも同じ理屈だ。)

ちなみに、黒い着物が黒く見えるのは、ほとんどの光を吸収しているからだ、これは正しい。透明も、同様に正しい赤色表現だ。

植物の葉が緑色じゃないのは、言葉場の遊びか、パラドックスか?
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A 回答 (41件中11~20件)

No.24です。



>しかし、今回の質問の趣旨はそう言う事ではなくて、
>なぜ、生きている植物の葉が「緑」なのか?
>と言う事です。
>水色じゃなく、黄色じゃなく、紫でもなく・・・・
>「緑」である、必然性は、何なのか?という問いなんです。

なるほど。哲学的な答えをお求め、ということです。

では、逆に問うて見ましょう。
「緑である必然性はあるのか」

陸上に生活し始めた生物のうち、最も早く上陸した生物は間違いなく
「植物」です。

海の中でも同様ですね。
では、何のために植物は「緑色」の体色を有するようになったのか。
答えは簡単です。「光エネルギーを吸収するため」。

つまり、光エネルギーを吸収する役割を果たす葉緑素が、たまたま緑
色(に見える色)をしていたため、緑色をしているんです。

で、植物は光エネルギーを吸収した後、葉緑体の中で酸化還元反応に
よって酸素を二酸化炭素から分離し、対外へ放出します。

考えていただきたいのは、この世にエネルギーを生み出すための手段
として酸素を必要とする植物以外の生物が誕生したのは、植物より後
であると言うこと。

つまり、「植物」が体色として緑色を選択したのは、偶然であって必
然ではない、ということ。むしろ、必然であったのは緑色を「心地の
良い色である」と選択した生物の側です。

少し表現に嫌悪感を抱かれるかもしれませんが、動物は性的な行為を
行った際、快感を覚えます。これはどうしてなのでしょうか。

仮に不快だと感じるのであれば、動物は性的な行為を行わなくなりま
す。=生物としての役割を果たすことが出来なくなり、結果、その種
は滅んでしまいます。

つまり、動物がそういった行為に対して快感を覚えるのは、種がその
存続のために選んだ必然。進化に於ける、「種」としての必然であっ
たわけです。

これと同じことが植物の緑に対してもいえるのではないでしょうか。

植物が結果的に緑色をしているのは偶然ですが、動物の側が緑色に対
して心地よさを覚えるのは必然。進化の結果として、種が選んだ選択
なのです。

「哲学的」といいながら、結局別の分野のような回答になってしまい
ましたね。ごめんなさい。

それと、もう一点お詫びしなければならない部分があります。
葉緑素においては、色のとらえ方に誤りがあったようです。

葉緑素は青が属する波長の光と赤が属する波長の光が最もエネルギー
効率が高いため、青の光と赤の光を吸収して利用する性格があるよう
です。

ですから、青と赤の間の光「緑」「黄」「橙」の光を反射するため、
緑に見える、というのが正しいようです。

お詫びとともに訂正いたします。
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。
おおむね、同意します。

>葉緑素は青が属する波長の光と赤が属する波長の光が最もエネルギー
効率が高いため、青の光と赤の光を吸収して利用する性格があるよう
です。

なぜ、そうなのか?
なぜ、青と、赤がエネルギーが強いのか?
と、問いたい所ですが、ここまで来ると、生物学、物理学の問題となるのでしょうね・・・・
ありがとうございます。
 

お礼日時:2010/01/26 16:41

>人間の心の何にたとえられますか?


=なら、たとえられるでしょう?

 さあ、言葉の数より色の種類(数)のほうが多いですよね。

 言葉に出来ないかもしれないね。出来るとしても、考えたことがないから詳しくは言えないけど、色が「心」にも対応はするだろうな とは思うけど...「色」(物質)の世界だから。

 やはり色はそれぞれ、各々の特性、特質を持っているでしょう。
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この回答へのお礼

 
ENERGEARさんは、「哲学」すると、「空想・想像」するの
違いは何だと思いますか?
 

お礼日時:2010/01/25 18:29

>「緑」である、必然性



確かなことはなかなか言いにくい問いですね。
【必然性がある】・・・様々な色の植物(あるいは葉緑体のもととなる生物)が存在したが、光合成の効率などがもとで、他の色の植物が淘汰された結果、緑色だけが残った。
【必然性がない】・・・発生した光合成生物がたまたま緑色だった。
と、ちょっと考えただけでも、どちらのパターンでも、仮説は立てられますね。かなり理屈っぽいですけど。

当初の問を蒸し返し、「(好き/嫌い)と(吸収/散乱)の対応付け」いう視点で考えてみるならば・・・
【好き=吸収/嫌い=散乱】・・・パラドクス的
【好き=散乱/嫌い=吸収】・・・論理の筋が通る。好き=散乱となるのは、「人間に好きな色を見て貰いたい→だからわざわざ散乱」している、など何とでも説明付けられると思います。この場合、こじつけ・言葉遊びチックになるのは、やむを得ませんね。理系人間としては、先に触れた「必然性」という問のほうがしっくり来ます。

ちなみに、質問者様自身はどのように考えておられるのでしょうか。物理的に正しい描像を理解されましたでしょうし、当初とは視点も変わっていらっしゃるのでは??
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。
>【必然性がある】
ということで、#32の回答者様が、回答していますね。

私の考えも、ほとんど、#32さんと同じですね。
実は、科学的な検証が必要と思い、「生物カテ」でも、類似の質問を立てています。それも、同じような答えでしたね。
 

お礼日時:2010/01/26 16:50

No.26 言葉遊び論者 です。



ご指摘の問で、改めて考える、ということは私にはできそうにありません。それって、とても不自然な問だと思うからです。

質問者様の仰るとおりなら、植物―人間とグレートーンな(もしくは無色透明の)な関係ありきで、人間の都合によって植物が「緑色をさせられている」と捉えても良いことになりませんか。

時系列的に考えて不自然であり、かつ、あまりにも人間中心的なとらえ方だと、私の目には見えてしまいます。
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。
それでは、#27のお礼で書いた様に質問を変えます。

言葉遊びとして、人を介在させましたが、人を外します。

味気ない質問内容になっていますが、回答者様への質問も、趣旨はこの様な事ですから・・・・・
 

お礼日時:2010/01/22 18:36

>色彩が心情に作用を及ぼすのと、色を人間の心にたとえるのは、全く、別の次元の話だと思います。

少なくとも=とは言えないでしょう。

 そうかな...?

 「かれは真っ青になった」とか、「火のように真っ赤になって怒った」とか、「今日はブルーな気分だ」などと、人間の心の働きと色に例える表現もあるからね。

 それから、やはり色はそれぞれの性質を持っているでしょう。

 色は見る人によって違うように見えるのではなく、同じように見えているだろうし...
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この回答へのお礼

 
それでは、
緑は?
黄色は?
黄緑は?
茶色は?
ベージュは?
紫は?
濃い紫は?
茶褐色は?
水色は?


etc
人間の心の何にたとえられますか?
=なら、たとえられるでしょう?
 

お礼日時:2010/01/22 18:31

No.24です。



波長や電磁波で用いられる「波」を、海で満ち引きする波のようなも
のと勘違いされていませんか?

これも、実際には異なるでしょうが、イメージ的には一つの光子(光
電子)が膨らんだりしぼんだりする、その大きさが振幅、だと私はと
らえています。

放射線、紫外線、可視光、赤外線、電波の順でこの振動の幅が大きく
なります。

振動の幅が大きくなればなるほど、当然ながら、通り抜けるすき間
は、より大きなすき間が必要となります。

葉緑体では、放射線、紫外線、可視光のうち、紫、藍、青までの光は
通り抜けることができますが、緑より大きな振幅を持つ緑、黄色、
橙、赤、赤外線、電波は全て通過することが出来ずに反射されている
ということが出来ると思います。

この表現が正確かどうかは分かりませんが、実際の様相に一番近い表
現だと思います。

それが証拠に、葉緑体が死に、緑色の光が通過できるようになった葉
銀杏や楓、紅葉の色は何色をしているでしょうか。

黄・橙・赤色をしていますよね。

電磁波は本当に波打っているわけではありません。(電価を持つ電子
や陽電子、光電子は磁場に影響されるでしょうが、光子は電価を有し
ていませんから、直線に、まっすぐ進みます。まっすぐ、と言う表現
も少し誤りがあるかもしれませんが・・・)
あたかも波であるかのような振る舞いをするから、「電磁波」と呼ば
れているだけです。
実際に波動の性格を示すのは、電磁波という「場」ではなく、一つ一
つの粒子(量子)です。
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。
光の、物理学的解釈が謝っていたなら、お詫びいたします。

しかし、今回の質問の趣旨はそう言う事ではなくて、

なぜ、生きている植物の葉が「緑」なのか?

と言う事です。
水色じゃなく、黄色じゃなく、紫でもなく・・・・

「緑」である、必然性は、何なのか?という問いなんです。

宜しくお願いします。
 

お礼日時:2010/01/22 18:26

先の議論にもあるように厳密には、補色云々というものがありますが、それは傍らに避けておいて・・・



問題の本質は、「吸収=受容、反射=拒否」という対応付けにあるのではないでしょうか。逆に対応付ければ、植物の葉は緑色をしていると言えます。言葉の遊びに過ぎないのでは??
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。
他での、回答していますが、言葉遊びとも言えます。

しかし、なぜ、植物は、何故、植物は人間の「目に優しい」「癒される」緑色を選択したか?

と、考えて問い直すのはいかがでしょうか?
この問いで、自然の秘密に触れられる、エキサイティングな問題になると思いませんか?
その問いで、もう一歩考えてみませんか?
 
 

お礼日時:2010/01/21 20:33

>仮説の域を出ないと思います。



 全てを生み出す元となる黒、闇 が、混沌であり、いまだ未分別としての混沌を、人間が嫌うなら、「悪」となるのでしょうか。

>色を、人間の心にたとえるのは、論理的にどうだろうか?・・と疑問に思います。

 色彩が人間の心情に及ぼす作用が、実際にあるとされています。

 例えば、黄色なら朗らかな気分になり、暗い色合いだと暗い気持ちになります。まあ、人によっては明るい色合いは落ち着かず、暗い色合いはかえって心が安らぐ人もいるかもしれませんが。その人の性質、今の心境によっても変わってくるのでしょう。

 ゲーテやシュタイナーの色彩論は興味深いと思います。

>「神」= 「悪」 とは、感覚的にギャップがある気がしますが、考えとしては「有り」かもしれないですね。

 「神は、善でもあり、悪でも在る」これも 在り かも知れないですね。
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。

色彩が心情に作用を及ぼすのと、色を人間の心にたとえるのは、全く、別の次元の話だと思います。少なくとも=とは言えないでしょう。

>「神は、善でもあり、悪でも在る」

これは、面白いですね。一つのテーマとして、議論したい誘惑に駆られますね。
でも、今回の問題の趣旨から大きく外れるので、保留ですね。
 

お礼日時:2010/01/21 20:27

なかなか面白い議論が進められているようで、参加してみたくなりま


した。

私は、皆さんとは少し違った視点から。ですが、これも立派な物理学
的な視点なので、決定的に「異なる」、と言うわけではないと想いま
す。

私の考え方では、「色」は、元々「存在しない」と想うのです。

これは、「エントロピー」に関する新書を読んでいるときに出会った
考え方ですが、光は「光子(フォトン)」と呼ばれるたった一つの量
子でしかないわけで、これに色がついているかというと、これもまた
おかしな話です。

たまたま振動の幅が異なるだけで、青く見えたり、赤く見えたりす
る。振動の幅(これもまた実際に振動しているわけではなく、便宜上
そういう表現を用いているだけ)が、小さければ簡単に物質を通り抜
けてしまうし、大きければ通り抜けることが出来ない。

たまたま、葉緑素は「青、藍、紫」の範囲の振動の幅の光しか通過さ
せることが出来ない。

そう考えると、実際に葉緑素が嫌っているのは、「緑」だけではあり
ませんね。しかも、その「緑」は、便宜上「緑」と言う表現をもちい
ているだけで、実際は、緑色以上の大きさに見える振動の幅を持つ同
じ種類の光子に過ぎないわけです。

ですが、過去に誰かがその色を「緑色である」と定義づけた以上、葉
緑素の死んでいない葉の色は「緑である」といったほうが、便宜上
都合が良いと想うのですが。

なぜならば、元々「色」など存在しないのですから。
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。

確かに、光に色は存在しないでしょう。
しかし、可視光線は、様々な周波数の電磁波です。
それが、人間の目を通して電気信号に変換され、脳に色として識別される訳ではないでしょうか?
それは、人間の目に入る前の電磁波か、目に入った後の電磁波かの問題で、本質的なポイントではないと思います。

問題は、
>たまたま、葉緑素は「青、藍、紫」の範囲の振動の幅の光しか通過さ
せることが出来ない。

どうして、そうなのか?
と、問うているのです。
 

お礼日時:2010/01/21 20:18

こんにちは。

No.13です。

>植物は、人間だけのために存在しているわけではないですね。
>どちらかというと、人間以外の動物を相手にしている場合が多いのでは?
>B)進化したのでは無く、最初からそうだったと考えるのも有りじゃないですか?

同感、「最初からそうだった」のかもね。
で、「そう考えた方が、ミステリアスで、面白いと思う」が「植物の葉は、なぜ緑色じゃないのか?』同様に、
人間らしくてとても面白い問題提起だなあと思うわけなのです。

何故青い薔薇は自然界に存在しなかったのか、そして何故今では売られるようになったのだろう、
そして同様に、白うさぎが蛍光クラゲを利用して蛍光緑色に光るようにアートとして生み出されたのは、一体なぜだろう?なんてね。
ご参考までに、どうぞ↓
http://wiredvision.jp/gallery/200810/20081016085 …

この件に関しても、「緑色か」「いや違う」「偽か」「真か」などと喧々諤々なわけでして。 これもミステリアスではないかと。
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この回答へのお礼

 
青い色の不思議は自分も感じています。
何故、青い色の花は少ないのか?
何故、青い色の発光ダイオードの製造は、こんなにも困難だったのか?
海や、空の青に紛れない様に、自然の生物は青色の発色を嫌ったのか?
・・
とか
 

お礼日時:2010/01/21 20:01

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