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そろそろ梅の季節ですね。さて。

菅原道真の

「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

に関して、

「春な忘れそ」の部分が、出典によっては

「春を忘るな」
「春ぞ忘るな」と

いろいろあるのは、まあいいとして、
それらを陳述したサイトの多くは

「春な忘れそ」と係り結びを用いた-などとしています。

たしかに、「な(連用形など)そ」の呼応の関係にはありますが、

コレ、禁止の終助詞「そ」が「な」を呼んでいるだけですよね。

つまり、「係り結び」は誤りではないですか?

そして、この「な(連用形など)そ」という呼応の関係は、何と呼ぶのですか?=まぎらわしいですね(笑い)。国語学会などでのテクニカルタームは何ですか?という意味で、お尋ねしています。

よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

 No.5・No6です。



 確かにおっしゃるような問題があり、◆の注記からは私もすっきりしないものを感じておりました。

 私は前にも述べましたように国語学会とは縁のない者で、専門書を手に取れる環境にはおりませんので「専門家」の登場が待たれるところですが、いささか追加報告をいたしたいと存じます。

 一般的な文語文法のテキストを何冊か見ましたが、「副詞の呼応」は、副詞が、ある特定の意味の語を要求する現象として説明されています。やはり、呼応の副詞=クシャミ、後出の表現=魔王、という関係だと思います。
 「な~そ」が特殊なケースであったとしても、高校の古典レベルではそこまで触れる必要もないかとは思うのですが、「な~そ」の場合は「そ」が「な」を呼ぶと注記したものはありませんでした。(「な」のみ、あるいは「そ」のみの用例があることに触れたものはけっこうありました。)

 また、それらの文法テキストの例文を見ますと、「など」-「『か』生きざらん」(反語)、「たとひ」-「切れ失す『とも』」(仮定)、「いかで」-「見『ばや』」(願望)等、の例があげてありますので、助動詞でなく助詞との呼応というのは「な~そ」だけの特徴というわけはないと思います。(「いまだ」-「なし」と形容詞と呼応するケースが指摘されているものもありました。)

 ただ、同じ禁止でも「な」は「そ」としか呼応しないが、「ゆめ」「決して」「断じて」等は終助詞「な」や、「まじ」「べから・ず」と呼応することに触れたものはありました。

 文末まで達しないとその文が肯定やら否定やら推量やら分からない日本語において、呼応の副詞はそれが出現した時点で文末に示される判断を予測させるという利点を指摘したものもありました。
 「◆上代は「な」だけで「そ」を伴わない例もあり」とのことですが、これは、

1 あとに動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)を伴って、禁止の意を表す。…するな。
・「妹があたり我(あ)は袖振らむ木の間より出て来る月に雲―たなびき」〈万・一〇八五〉
(『大辞泉』)

というケースです。
 命令形でなく連用形なのに、否定の「命令」を表すことになるので、「そ」と呼応させることで禁止の意味を明確化するということで「な~そ」の言い方が広まったのではと思ったりするのですが、これはあくまで素人の根拠のない想像です。

 私が「回答」できるのはここらが限界だと思います。
 ともかくも、当然のことと見過ごしていた問題点に気づかせてくださった質問者さまに感謝を申し上げます。

 また、はじめのご質問の内容とは、ずれてしまったことをお許しください。


 なお、たびたび重箱の隅で申し訳ないのですが、「呼ばれて『飛び出て』ジャジャジャジャーン」が正しいかと存じます。
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この回答へのお礼

たびたびありがとうございます。

自分では調べきれない内容でしたので、たいへん感謝いたします。

副詞-助詞/助動詞の関係については、ご指摘のように、
品詞というより、意味(禁止だったり、当然だったり、否定だったり)が
重要ということのようですね。

とすると、「内容の予告」というのは説得力がありますね。


話言葉の場合、しゃべり出しに、発言内容の結論を予告するにも似た接続詞を使用したり、語順の変更などもすることがよくあります。
それを文章に起こすと、やや幼稚なので、
再構成すると、内容がわかるのがやっぱり文末になる。

というのが、よくあります。

例「だから大いにね、その、福祉というのもの存在価値から考えて、ね、
やっぱり、女子の権利の確立というのは進めていかなきゃならんのです」

「福祉というのもの存在価値から考えて、やはり女子の権利の確立というものは、大いに進めていかなければならない」


素人考えですが、「日本語の初め」もしゃべりだったのは間違いないだろうから、
それが発達して呼応という文法になったのかもしれませんね。


PS
「呼ばれて『飛び出て』ジャジャジャジャーン」が正しいようですね。
前回、ああ使いましたが、自分では、「飛び出す」だと思い込んでいました。
こちらもおおきに。ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/03 10:59

さっそくのお礼ありがとうございます。



ありきたりですが、下記URLはyahoo!辞書収録の『大辞泉』の終助詞「そ」の項目です。
 「な」を伴う場合、単独の場合両方が掲載されています。
 ただし、単独の用法は院政期以後とのことですが。
 なお、「◆」印の注記もごらんくださいね。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …
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この回答へのお礼

たびたびありがとうございます。

まさしく私の疑問の根源は、◆注記の部分なんです。

フツーの「副詞の呼応」はだいたい、先行する副詞が文末に助動詞を呼びます。
そして、kogotokaubeweさんがおっしゃる通り、副詞が助動詞を呼ぶのであって、文末の助動詞が先行の副詞を決定するわけではない。だから、文末の助動詞だけでも文は成立する。

ところが、
「春な忘れそ」の場合、先行副詞に文末で呼ばれるのが助動詞ではなく助詞であるうえ、◆の言うように、時代が下がってからやっと先行副詞なしでの文章が成立するようになっています。

呼応の副詞に呼ばれるあいだがらであろうとなかろうと、アプリオリに文末の助詞/助動詞だけ単独でも文が成立するところへ、あえて先行副詞が文末の助動詞を決め付ける呼応の関係もとれる-というのが、副詞+助動詞の関係のようです。

くどく繰り返しになりますが、
上代に文末の「そ」だけで禁止のファンクションがあったのに、やがて時代がさがって「な」と呼応するようになった....というなら話はわかります。

しかし、昔は「な・・・そ」しかなかったのに、やがて、「・・・そ」だけでも通用するようになったと◆は述べているわけですから、フツーの「副詞・・・助動詞」という副詞の呼応/呼応の副詞とは逆です。


つまり、「な・・・そ」の場合はやっぱり、呼び手が文末の「そ」であり、呼ばれて出てくるジャジャジャジャーンが先行副詞の「な」ではないのか。
「な・・・そ」は、文末に助動詞を呼び出す呼応の副詞とは別の解釈が必要なのではと思ってしまうのです。

お礼日時:2010/02/01 00:27

 国語学会とは縁もゆかりもない市井の一古典マニアです。



 文法現象としては、他の方の回答にもあるように「副詞の呼応」、この現象を起こす副詞(な、ゆめ、え、いまだ、つゆ、おそらく、いかで、あに、もし、すべからく、決して、等々)は「呼応の副詞」(「叙述の副詞」あるいは「陳述の副詞」とも呼ばれます。)ということでよいと思います。

 高校用の古典(文語)文法のテキスト・中学用の口語文法のテキストは私の見た限りではいずれも上の通りで、いわゆる「学校文法」ではそう呼んでいます。

 学術論文でも同様かと思います。以下のURLをご覧下さい。

http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E5%89%AF%E8%A9%9E% …

http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E5%89%AF%E8%A9%9E% …


 それから、重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですが、

> コレ、禁止の終助詞「そ」が「な」を呼んでいるだけですよね。

とありますが、これは「呼応の副詞の『な』が、『そ』を呼んでいる」というのが正確だと存じます。

 剣術道場の玄関で、編み笠を取った浪人が「頼もう」と呼ぶと、「どうれ」と応ずる声がして、まだあどけない顔つきの門弟が走り出てくる。浪人は「拙者は×州浪人、○野▲兵衛。◎◎流△山□□斎先生の御高名を承り、一手お手合わせを所望いたしたく存ずる次第。」(以下略)

 「呼」ぶ方が先で、「応」じる方が後だと思うのです。

 確かに禁止の終助詞「そ」は副詞の「な」と呼応しますが、たとえば打消の助動詞「ず」は、呼応の副詞の「ゆめ」にも「え」にも「いまだ」にも応じることができます。
 もちろん「ず」は副詞と呼応せずに単独で用いることもできます。
 そして、たとえば古語の呼応の副詞「え」は通常は後に打消の助動詞「ず」を伴って不可能の意味を表しますが、必ずしも後に来るのは「ず」でなければならないということはなく、
 「『いみじき盗人を。なほ【え】こそ捨つ【まじけれ】』とて見騒ぎて」
のように「打消」の意味を含む語であれば、「まじ」や「じ」でもかまわない訳です。

 したがって、係り結びが結びの語によって引き起こされるのではなく、係助詞によって引き起こされるように、副詞の呼応も副詞によって引き起こされると考えるべきだと思います。(細かい話ですみません。)
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

おっしゃるとおり、副詞「な」が禁止の終助詞「そ」を呼んでいるわけですね。

ただ疑問なのは、「そ」は「な」を伴わないでの単独でも機能するのでしょうか? つまり「春を忘れそ」という禁止の文は成立するのでしょうか?

もし成立しないとしたら、このケース「な(連用形など)そ」だけは、終助詞が事実上の呼び手になっている特殊ケースなのか...

お礼日時:2010/01/31 08:24

NO.3です。

「と」が抜けていました。ごめんなさい。
「な」は終助詞「そ」呼応関係にあります。
  ↓
「な」は終助詞「そ」と呼応関係にあります。
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 「な(連用形など)そ」の場合、「な」は副詞なので、「副詞の呼応」です。

「な」は終助詞「そ」呼応関係にあります。「係り結び」ではありません。
 「な」が文末にある場合(「春を忘するな」の「な」)は、禁止の終助詞「な」です。同じ「な」でも品詞が違います。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

たぶん、「係り結び」としている方々は、「呼応関係」と
ごっちゃになっているんでしょう。

お礼日時:2010/01/31 08:12

 お示しの例、良い勉強になりました。



 「決して」とか「夢にも」などもそうしたにおいがしますね。

 地方言語にも九州西部の「かんみゃあて、、、すみゃあど」決してそういうことしてはいけない」とか
            「得てくぁんじゃった」食べることが出来なかった(外部の事情で)
            「食いきらんじゃった」食べることが出来なかった(お腹いっぱいで)と区別されます。
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この回答へのお礼

たびたびありがとうございます。

>「得てくぁんじゃった」食べることが出来なかった(外部の事情で)
>「食いきらんじゃった」食べることが出来なかった(お腹いっぱいで)

テーマ外ですが、この例で思い出したんですが、私の田舎では
「惜しい」を「もったいない」の意味でも使います。
使い分けは文脈しだいです。

最近流行の「mottainai」はいささか、
あざとくて不愉快ですけどね。

お礼日時:2010/01/31 08:09

 「な」と「そ」の両方で、禁止ですから、一種の不連続形態素(discontinuous morpheme)ですね。

こう言うのも聞いたような。

 東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花

  主無しとて 春を 忘るな
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「禁止の挟み助詞」とか言えばいいのにと思います。
ほかにも、こういう特殊形態があるのか気になってきました。

「よう言わん=得も言われぬ」なんかは、
「すべからく~べし」と同じく呼応の副詞ですね、たぶん。

「よう描かん=絵にも描けない」は冗句です。

お礼日時:2010/01/28 15:31

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