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 モンゴルはチンギスハーン王朝の時にロシアまで占領した超大国に一時なったのにも関わらず、そのままの国力を維持することが何故できなかったのでしょうか?
 

A 回答 (4件)

詳しいわけではないので想像です。


世界帝国が黄昏を迎える場合ですけど、一人のカリスマが亡くなり、有能は後継者がいない場合。
マケドニアや秦、日本ですと織田家などがこれに当たると思うけど、幼少な後継者が群臣に担がれて分裂していく。
また世界帝国共通の欠点として、支配者の意志が全土に伝わりにくく、分裂する、ローマがこれに当たり、東西に分裂して別の国家になってしまった。
ライバルとの抗争に疲弊する、オランダ海上帝国などがこれに当たり、周辺諸国との抗争に疲れて、国家が破綻してしまう。

モンゴルですけど、チンギスハンというカリスマが亡くなり、息子たちが連合体としてまとまっていくが、要となるオゴタイが酒で亡くなってしまう(チンギスハンの子孫はたいがい大酒飲みで体をこわす人が多い、朝青龍も同じく酒で身を誤ったのはモンゴル人らしい)。
代が変わるごとに結束も薄れ、フラグのようにキリスト教と結びつき、モンゴル族本来の自由な発想を失い、世俗化していった結果、民族としての活力が失われていく。
決定的なのは、モンゴルの場合、東(日本)西(ヨーロッパ)遠征でいずれも失敗しており、軍事的には勝っているのに、本国の後継者問題から撤収している点。
これからみると、モンゴルが衰退するのは、きちんとした後継者指名のルールがないという点もあると思う。
各代の指導者は無能ではなく、有能な人が多いが、お家騒動で政治的空白が生まれ、いずれも前代末期よりマイナスのスタートとなってしまう。
5賢帝の時代のローマのように、皇帝が亡くなれば速やかに後継指名がなされて、中断なく政策が実行されていけば世界帝国も実現可能だったし、もう少し長く続いたと思う。
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既に指摘されていますが、質問の表題と内容が若干違っていますね。



過去の文明発達国が衰退に関しては、4大文明で中国以外の地域を始めとして、殆どの文明が数百年のスパンでは衰退しています。
ギリシャ・ローマ・マヤ・クメール等自分で衰退したものと、絶頂期に他文明の侵攻により滅びたものがありますが、元々長続きしないのが文明と言うものでしょう。
モンゴルの勢力拡大に関しては、騎兵隊の戦術活用と言う極めて限定的ながら強力な武力によって史上最大の領地を占拠しました。
海上戦があった日本やインドネシアとベトナムの湿地には苦しみましたが、騎馬が使える平地での戦いでは殆ど敗北は無かった事が、その強力さを示しています。
統治政策は現地に同化した形をとりましたので、人口や文化の自力から考えれば驚くほどの期間まで統治が続きました。
急拡大により基盤とする軍事力が薄まった事と、他勢力が戦術を学び模倣した事で衰退しましたが、前述の全ての文明は衰退する事からは、特異な現象ではありません。
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略奪で勢力を拡大するだけで生産をしなかったから


生産も建設もしていないので蒙古に文明はありません
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まずですが・・・


モンゴル文明は存在しません。
(モンゴルの文化自体イスラム、ヨーロッパにネパールの宗教などの文化
を取り入れて出来上がったものです、文明というと紀元前4大文明を
言いますよね・・。)

でもって・・。質問のお題と本文の内容がそぐいません。
(お題では"など"になってますが、本文ではモンゴル限定。)

まだ高校生か中学生なのかな?
学校の先生が出された宿題は自分でやるものですよ。
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