No.3ベストアンサー
- 回答日時:
神道と一口に言いましても、実は仏教で言う宗派のようなものがあるんですよ。
ですから、どの神道系の宗教によるかでまた違うと思うので、一概にこうとは言えませんが、少しお話をさせていただきます。>>神道は仏教の饒舌さと比べれば寡黙のように感じられます。
では、質問の中にある仏教と比較しながら、考えてきましょう。
仏教はご存知の通りお釈迦様がお開きになった宗教ですが、実はここが重要です。このように誰か特定の人が開いた宗教を「創唱宗教」とよびます。創唱宗教はいうなれば「誰かの主張」なわけです。ですから、仏教は「お釈迦様の主張」といえます。つまりここには「誰かに伝えよう」と言う意思が仏教には明確に存在しているわけです。ここが質問者さんの言う「饒舌さ」ということになるのではないかと思います。
それに対して神道は、自然発生的に生まれた宗教です。こういった宗教を「自然宗教(自然を信仰する宗教という意味ではないのでご注意を)」と呼びます。自然宗教は創唱宗教とは違い「誰の主張でもない」わけです。どちらかと言うと、「なんとなーくあるもの」として日本でのほほんと信仰されておりました。ですから、「誰かに伝えよう」なんて考えはあるはずもありません。ここが神道の持つ「寡黙さ」なのではないでしょうか。
また、このような違いは「創唱宗教」「自然宗教」の分類だけではありません。別の分類では仏教は「世界宗教」に分類され、神道は「民族宗教」に分類されます。世界宗教とは世界中あちこちに伝わり信仰される宗教のことで、民族宗教は特定の民族の中で信仰される宗教のことです。仏教は世界宗教ですから広く多くに人に伝わっていくという性質を持っています。だから饒舌さを感じるのでしょう。神道は民族宗教ですから世界中の人々に広まっていくと言う特性を持ち合わせていない。だから寡黙さを感じるのでしょう。
このように、饒舌と沈黙の違いは、創唱宗教と自然宗教の持っている特性の違いや、世界宗教はと民族宗教の持っている特性の違いによって生まれるものと言う観かたも出来ると思います。
そして、日本古来の民間信仰が神道として体系化されていくときのお話を少しさせていただきます。
それにはまず仏教伝来が大きく関わってきます。仏教伝来の時期は諸説あるものの、538年か552年ということで落ち着いています。そして、日本の古来の説話等をまとめて現在神道と呼ばれる思想体系の基本になる書物を「神典」と呼びますが、成立がもっとも古いものが『古事記』です。その序文によれば712年に成立したと記されています。また『日本書紀』は720年ということになっているようです。こう見てみますと仏教伝来のほうが日本古来の信仰の体系化よりも早いことになります。つまり、日本古来の信仰を神道として体系化していく草創期において、すでに仏教の影響下にあったことが考えらるわけです。
しかし、神道はただ沈黙していたわけではありません。仏教の影響を受けながら神道は自分自身を体系化していくのみならず、仏教の中にも神道の思想は影響を与えてきます。
たとえば、仏教には「山川草木悉有仏性」という言葉がありますが、中国では本来「主体である衆生(有情)が成仏し仏様になると、その周りの環境として存在する植物や山や川などの無情のものも成仏した仏のように光り輝いて見える」というような意味で捉えられてたようです。ところが、日本においては「山川草木のような無情のものであっても、仏になる意思を起こして(発心)仏となることができる」という解釈になります。これは仏教思想が自然に神という有情が存在するという神道の思想を根拠としているといえます。
このように、神道は寡黙なだけじゃなくてちゃんと主張をしてるんですよ。
さて、後半の質問ですが、
>>その寡黙さは、言わず語らずという、別な意味での雄弁なのでしょうか?
>>言ってはいけない、言う必要もない、という力のある沈黙なのでしょうか?
>>それとも無力の沈黙なのでしょうか?
>>清浄な自然崇拝と結びついた、古来からの沈黙の宗教が日本の心の原点のようにも思えるのですが・・・
>>皆さんはどう思われますか?
私としても回答No.2さんと一緒で一番上かなと、思います。現在仏教もそのように言われることがありますが、神道は仏教よりずっと前から日本の「市民宗教」になってしまっているのかもしれません。市民宗教とは、社会学の用語で乱暴に言いますと「文化とか習慣とか常識と言う範囲に納まっちゃうくらいに馴染みすぎちゃって、もう宗教かどうか分からないっていう宗教」のことです。つまり、神道は(と言うよりここでは日本古来の信仰といったほうが正しい気がしますが)私達の気づかぬ間に私達の中にあるものであって、「誰かに伝える」という饒舌さを必要としないのかもしれません。けれども、誰の中にもいつの間にかあるという沈黙は、最も饒舌な沈黙であるのかもしれません。
急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛
広い視野からのご教授有難うございました。
神道の体系化が外来宗教の仏教よりも遅れていた、とは少し意外な感じもいたしました。
逆に見れば、仏教は外来であったが故にという見方もできるのかもしれません。
政的な思惑も絡んだ日本の歴史の一面でしょう。
一般の家庭に神棚と仏壇が共にあるという不思議さも、日本人に延々と受け継がれてきた二つの宗教の重みを感じさせるものです。
どちらも捨てられないという事でしょうか。
ごく一般的に見れば、仏教は人の死を主に扱う教えで必要と見られていますが、肝心の仏様というものが分からない
片や、神々は身近であり永遠につづくものかもしれない、しかし、死を扱うとなると仏教の方が・・・といった感じがあります。
仏は神を否定せず、神は仏を否定せず、人は神も仏も否定せず・・・
ずっとそうしてきたのですね。
しかしながら、現在は神も仏も否定されつつあるように感じられます。
自由という拠り所を失った混乱を感じます。
精緻な饒舌と言葉なき雄弁と、どちらも続いてゆくのでしょう
それが、自分が生まれた国の宗教の自然な姿だと思う事にしましょう。
先の事は分かりませんが、どちらにもお世話になったという気持ちで終れれば幸せと思います。
有難うございました。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
★ 清浄な自然崇拝と結びついた、古来からの沈黙の宗教が日本の心の原点のようにも思えるのですが・・・
☆ ということですよね。もののあはれという言葉で示すこともありましたが。
人間のおこなう行為についても もしそこにひとの自然本性にふさわしい或る種の言い方でかみわざを見たとするなら あはれ⇒あっぱれと言ったでしょうし。あるいは なにごとにつけても あはっ(つまり Ah ! Oh ! )と言って受け止めることであるなら そのように自然とのつながりを見ていた。身に帯びていた。と思われます。これを《あはれ(憐れ・哀れ)= Ahness < Ah 》と呼んだのでしょう。
けれども 人麻呂でしたか 外(と)つ国に旅立つ友に《ことだまのさきはふ国だが こと挙げぞわがする》と言って 道中の無事とその務めのよき結果を祈っています。
要するにこういうことではないでしょうか?
この自然――自然環界とひとの自然本性――とつながって生きていた人びとのそのこころは たしかにムラのやしろに ひとつには 目に見えるかたちを採ったかも知れません。それでも神はその神社の奥の森や山なのでしょうが。
そしてむろん ムラの祭りは このやしろの下に人びとが その年の収穫を神々にささげるところから来ています。初穂を奉(まつ)り 言わば神々と共食するところからだと思います。
この・どんちゃんさわぎをも伴なったおごそかなまつりが じつは すでにいづれかの時に すべて束ねられ言わば第二階のスーパーヤシロに寄せられてしまいました。
平屋建ての自然に満ちた社会にあって営まれていたムラムラのマツリは その上のお二階さんのおこなうマツリゴトのもとに従うという世界へと一変しました。
まつりという言葉から出た《まつらはす・まつろふ》と言うのは 支配する・従属するの意味になります。
これは お山の大将になりたいと言って どこまでもどこまでも駄々をこねる者が出て来たので 人びとは社会にも神だなをつくって そこにかれらを祀り上げたということのようです。《くにゆづり》と言われています。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その寡黙さは、言わず語らずという、別な意味での雄弁なのでしょうか?
言ってはいけない、言う必要もない、という力のある沈黙なのでしょうか?
それとも無力の沈黙なのでしょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これにつきましては どうでしょう? 一番目のがもっとも合っているでしょうか? 上に見たように歴史が推移したとするならです。
人びとは その遠い昔にアマアガリを行なったお二階さんたちがその《自然本性 つまり おのれが人間であること》を自覚するのを俟っている。これが 正解であるように思います。
しかも この間 第二階から号令を発してつくった国家神道というものも現われましたから もともとの神道は 嘆くところもあると考えます。
さらにその後 世の中がいろんな意味でここまで来ると 嘆こうにも嘆かわしいとも思えなくなったり あわれましく思えたかと思うと憐れむに値しないのではないかとさえ思えて来たりする。こういう情況になってきているほどでしょうか?
それともまだまだ ほほえんでいるでしょうか?
言霊というよりは 事霊がさきはふ国であるなら 事の一大事はやがて起こるかも分かりません。どうでしょう?
言葉なき雄弁・・・と思われますか
自然が神の場であり、場そのものが言葉に等しい・・・という事になりますでしょうか。
人が神の場の中にいる、という謙虚な自覚をもたらすものであったなら、やはり雄弁と見るべきでしょう。
その事が様々に利用されてきた歴史は、嘆かわしいと思わざるを得ない面があるという事ですね。
私もそのように思います。
威圧ではない、静かな雄弁がこれからも語られますようにとも思います。
有難うございました。
No.1
- 回答日時:
神社については、
祝詞本来の、神のお告げを降ろして言葉にする行為と神へ言葉を挙げることほぎの行為によって、
神明の光と通じようとする場所や機会であると同時に、
黄泉国に通じる虚洞(ウロ)へ、村社会の禁忌を押し込めるという行為の暗闇
と通じた呪(マジナイ)の場所や機会であるということ、
これを、かつての日本人は、ひとりひとりの内側で
何か明暗のうったえるところと照らし合わせて、受け入れてきたのではないかと思います。
合意がそのように形成された社会であったと思います。
それらの明暗を対象化する認識、言語を持たないので、
いわくいいがたいもの、なんだかわからないもの、として、
それらは強さ、ハレ、畏怖すべきものといった力の性質をおびるのではないでしょうか。
仏教は、言語を尽くして体系化されたことによって思想哲学となりえていますので、
ある面では西洋哲学と同様に、認識と言語で叩きだされる対象化をもって、
明記しつくすことによる力を背負い込んだものではないかと思います。
それが、無記という唐突な外宇宙を持つ構造になっている気がします。
人の生き死にの道を説く性質上そうなっているのかもしれません。
>かつての日本人は、ひとりひとりの内側で何かの明暗のうったえるところと照らし合わせて・・・・・
日本的な感性や情緒というものを感じる言葉です。
清浄と明暗、そして静けさと申しますか
言葉でない佇まいから受け取るもの、それは少し大げさに言い変えれば、厳かさというものに通じると思います。
日本的な場、というものに慣れ過ぎてしまった事を見つめ直す必要があるように思いました。
有難うございました。
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