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豊臣秀吉は女好きですか?
エピソードなど教えてください。

A 回答 (8件)

戦国時代は(戦国時代に限らず昔からですが)の大名は、自分の家臣と


男色(いわゆる「衆道」)を嗜みとしていました。それが常識でした。

かの武田信玄も、武田四名臣の一人高坂昌信に送った熱烈なラブレターが
今でも残っています。
また、寺院などでも昼間っから坊主同士が男色にふけっており、渡来人である
ルイス・フロイスがドン引きしていました。

また、このルイス・フロイスですが、信長の非常に友好な関係を築いており、
信長の自伝を事細かに残しています。
秀吉についても触れており、「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に
欠けていた。身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指が
あった。極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。抜け目なき策略家
であった」と残しています。

極度に淫蕩=異常なくらいの女好きというエピソードです。
自分の家臣の嫁、妾を奪おうとしたことも多々あり、男色傾向がないことを
不思議に思った家臣が、美少年を秀吉の部屋に仕込んでおいたが、「お前に
には、妹か姉はいないのか?」と聞くばかりでした。

有名な側室として、浅井長政の娘「茶々」、山名豊国の娘「南の局」
前田利家娘「摩阿」、成田氏長の娘「甲斐姫」、織田信長の娘「三の丸殿」
織田信包の娘「姫路殿」、足利頼純の娘「月桂院」 などなど、これらはほんの
一部です。

天下を治めた後は、年老いたにも関わらず「おみゃーの娘はいくつになる?」など
と家臣に尋ねては、親子以上年の離れた側室を続々と作っていました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
当事は男色が常識ですか。
うむむ、ますますなんで当事の殿方に男色が好まれたのか
気になります。
もしかして、今も?ですか。

武田信玄も男色ですか。おまけに僧侶まで!

秀吉はなぜ六本ある指を治そうとしなかったんでしょうね。
異形のものを神と崇めるような風習があったからではないかな、と
思ったりします。

ナルホド【異常】なほどの女好きなのですね。
その上、ロリータ好み?

皆さんの回答、たいへん面白く読ませていただきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/17 15:03

パソコンが違うので名前が変わっていますが、回答者:mouton1973です。



側室と言うくくりなら、簡単なところで歴代の徳川将軍でしょうね。
それと、大物武将しか資料が残っていないことを考えると正確には
把握できないのですが、資料が残っているものでは秀吉は15,6人の側室が
いたようです。
家康は20人を超えます。

はっきりと分からないが秀吉より側室いたであろう形跡がある有名武将では、
信長、大友宗麟、羽柴秀次あたりでしょうか。

どれもその地域の最有力大名や天下人ですね。
権力者は側室が沢山いて当たり前と言う事です。

ただ、あくまでも側室の数ですから、手をつけた女性の数はわかりませんが。。。

また、秀吉に関しては直後の天下人である家康によって相当の歪曲で
世間に広められているので悪いイメージは真に受ける訳にはいかないかもしれません。
なにせ家康は秀吉の墓まで掘り起こしたりしていますから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
家康には20人も側室がいたのですか。
そんなにいたら大変じゃないかって思っちゃいますね。

>家康は秀吉の墓まで掘り起こしたりしていますから。
このエピソードもおもしろいですね。

奈良時代には大友家持が墓を掘り起こされて
死体が流罪になっていますね。

本当にいろいろ教えてくださってありがとうございます。
楽しく読ませていただきました。

お礼日時:2010/02/19 22:40

6番さんそうだったんですか!


訂正ありがとうございます。

特に書きませんでしたが尼になったのは直家死去後ですね。
側室にしてから尼ですかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/02/19 16:48

あ!


ちなみに宇喜多直家の妻であり、宇喜多秀家の母のお福は
秀吉の正式な側室です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/02/19 16:48

女好きでしょう。



ただ、ドラマや小説で書かれるように秀吉だけが女を追っかけまわしていたかのような表現はおかしいと思います。

側室を持つ事は当時では当たり前の文化であって、秀吉の側室の数が
異常に多いと言う事はありません。
秀吉より側室を多く持っていた武将は沢山います。

最高権威の天皇がいるとは言え秀吉は実質、日本の最高権力者です。
武力も最高、経済力も最高、地位も日本人で最高の関白。

最高権力者には他の武将たちは人質兼、血のつながりを作ることによって自分の家も繁栄させるために進んで娘や息子を差し出すのです。

その最高権力者の秀吉より側室が多い武将がいるのにピックアップせずに秀吉だけが女好きの様に表現するのはおかしいですし、有名であるがためのゴシップ的な話なのでしょう。
有名人は話的にドラマになるし、『フロイスの手紙』や『おねが信長に訴えた』などのエピソードが元になって膨らんで言ったんでしょう。

文化の違う外人から見れば異常なハーレムなのかもしれませんが、
上記の二つのエピソード以外は資料もなく後の時代の物語などで
語り継がれたほんとかどうかも分からない話です。

ただ、普通に女は好きだったでしょう。
僕が同じ立場なら女はべらせますし、そうする人も多いと思いますよ。
その程度のもんです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>秀吉より側室を多く持っていた武将は沢山います。

たとえば、どういう人物がいますか。

よろしければ教えて下さい。

すいません、
この時代のことは不勉強で全く知らないのです。
恥ずかしながらテレビドラマや小説も全く読んだことがありませんでして。

お礼日時:2010/02/19 16:47

秀吉は女好きでまた、当時としては珍しく男の趣味がなかったそうです。


女好きのエピソードは宇喜多直家の妻(秀家の母)を側室にしようとしましたが、直家の妻がねねに相談してねねの助言により尼になり秀吉の
側室を逃れました。

男色では
信長の男色の相手は前田利家と森蘭丸、家康は井伊直政が有名ですが
秀吉の家臣がわざと美男子を秀吉の身の回りの世話に付けたところ、
姉か妹はいるかと聞いたそうです。
美男子ならば姉と妹が美人だと思ったのでしょう。
秀吉が男に興味を持たなかったのは百姓出身で百姓にそのような趣味が
なかった為と言われています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
男色は高貴な位の人の趣味だったのですか。
なんで、高貴な方々は男色を好まれたんでしょうか。
気になりますね。
そんな時代にあっても秀吉はなぜノーマルだったのかと
こちらもまた気になります。
単に趣味の問題だとも考えられますが。
他人の妻を側室に・・・
今ならびっくりですが、当事はそうスキャンダラスなことでもなかったんでしょうかね。
大変参考になりました!

お礼日時:2010/02/17 14:54

女好きではありません。


いろキチガイのエロジジイです。
側室(メカケ)300人とヤリ過ぎて脳梅毒で死にました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
秀吉は脳梅毒で死んだ、という説があるのですね。
参考になりました!

お礼日時:2010/02/17 14:47

まんこ好きだと思います。

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