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刑法に詳しい方に質問です。
刑法12条は、懲役の上限を20年と定め、刑法14条は、併合罪による懲役の上限を30年と定めています。
しかし、これらの規定の必要性が全く理解できません。
例えば、死刑や無期懲役が科されない犯罪で、かつ刑の下限が定められている犯罪(149条や177条)は何度犯しても最高で懲役刑は30年しか科されません。極端ですが100万回その犯罪をしても30年ということになります。けれども、今日において、犯罪に対する刑法的評価が犯罪行為及びその結果に対してなされなければならない、という客観主義の考え方がとられている以上、刑の下限が3年であれば普通に考えて懲役300万年以上ということになるのではないでしょうか。そうせずにわざわざ1個の犯罪に対する評価を軽くしてしまうこの規定の必要性と、これが客観主義に反しないという根拠を教えてください。
まだ法律を勉強し始めたばかりなので間違っている部分があるかもしれませんがよろしくお願い致します。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/2010030115394 …
最近ですが、この事件のように刑の上限が存在するために適切な刑とは言えない判例もあります。刑法は何度か改正されているのに刑の上限の撤廃を誰も唱えないだけでなく必要性の議論さえされていないのが不思議です。

A 回答 (3件)

>1個の犯罪に対する評価を軽くしてしまうこの規定の必要性



質問者様が仰っておられる現行刑法上の有期自由刑の併合罪規定の在り方は、加重単一刑主義と呼ばれます。
これに対置される概念が、貴方の仰っておられる単純に加算していく方法で、併科主義と呼ばれます。
そして、現行刑法が、有期自由刑について加重単一刑主義を採用しているのは、端的に、立法的評価としてあまりに重すぎると考えられているからです。

とはいえ、そもそも「なぜ重すぎる」と言えるのか。
これは一定程度価値判断になりますので、そういう疑問を当然もたれることと思います。

しかし、ここでは次の2つの観点からもう一度考えてみて下さい。

第一に、併科主義を採用した場合、人間の寿命を大幅に越える有期刑が可能となり、無期刑をあえて作らなかったということの意味がなくなってしまうという点です。
むしろ無期刑がないから実際上それと同等の扱いができるよう併科主義を採用すべき、という意見もあり得るかもしれませんが、乱暴な議論でしょう。
それは個々の条文(177条なら177条だけ)について個別の改正を行うべきであり、全ての犯罪に通則的に適用される併合罪規定自体を改正して対応すべき問題ではありません。

第二に、刑罰は応報的要請のみから課されるものではないということです。
国家の刑罰権の発動を肯定する要請として(すなわち、人は何故処罰されるのか)、応報、一般予防、特別予防があります。
応報とは、簡単に言うと「やったことへの報い」です。
これは最も一般的感覚に合うもので、これのみが刑事処罰だと誤解されている方が多い所以でもあります。
これに対し、一般予防とは、それを処罰することで、社会の将来的な犯罪抑止に繋がるかという観点です。
最後に、特別予防とは処罰される本人の再犯予防の観点です。

刑法学上かなり熾烈な争いがありますが、現行刑法は相対的応報刑の考え方を採用しているというのが一般的見方です。
これは、応報の限度を限度を上限として、一般予防・特別予防の必要性の観点から、刑を減らすという考え方です。

この考え方は、何も処断刑の形成だけでなく、法定刑の設定自体にも影響を及ぼします。
なぜなら、相対的応報刑論の考え方は、「応報の限度を限度を上限として、一般予防・特別予防の必要性の観点から、刑を減らす『ことができる』」という考え方でなく、「応報の限度を限度を上限として、一般予防・特別予防の必要性の観点から、刑を減らす『べきである』」という考え方だからです。

以上を前提に、加重単一刑主義の話に戻ります。
例えば、一般予防について言えば、同じ犯罪を5回犯した場合に、5倍刑を科したからと言って、抑止効果が5倍になる訳ではありませんよね。
この観点があるから、応報的側面だけを前面に押し出した併科主義はとられていないのです。
質問者様の考え方はあまりに応報的側面だけを念頭に置いたものとなっているのではないかと思います(もっとも、応報的側面からも併科主義はやり過ぎな気が個人的にはしますが)。

ここまで述べてきたことが、現行刑法が加重単一刑主義を採用している所以です。
もっとも、それらを考慮してもなお、現行刑法の在り方はおかしいという意見も十分にあり得る訳で、そういった世論が今後高まっていけば、改正の動きも出てき得るところでしょう。
有名どころでは、慶応義塾大学の井田良先生が、一定程度、併科主義的要素を取り入れたドイツ刑法53条以下に肯定的な態度を示しておられます。

最後に、客観主義との関係ですが、これは完全に理解が間違っています。
客観主義は犯罪論の問題であり、併合主義の加重単一刑主義の問題は刑罰論の問題です(もっとも、両者は密接な関連がありますが)。
客観主義は主観主義に対置され、犯人の性格・悪性などを考慮に入れず、ただ行為と結果とを違法評価の対象とすべきという考え方です。
これに対し、加重単一刑主義の問題は、そうして違法であると評価されたものにどの程度の刑を科すべきかという判断であり、(一応)論理的に区別できる議論です。
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この回答へのお礼

抜群に丁寧でわかりやすい回答でした。今までずっとモヤモヤしていたのが一気に晴れ渡った気分です。
自分は今まで六法を中心に勉強してきたのですが、これからは犯罪学や刑事学も勉強してみようと思います。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/16 18:55

刑法ができた当初、平均寿命では40代で死亡。


1さんの回答とおり、事実上、無期懲役でした。

現代人は、いいものを食べているので、人生80年が当たり前の時代になっています。

この問題は、司法府の問題、というよりは、立法府の政策的な課題となるでしょう。

明治時代と現代とは人間の生活状況、食状況が変わりました。

私も弁護士とこういう件について「おかしい」と雑談がてら話をすると、弁護士は「明治と今とでは時代が違うから。昔は無期懲役のようなもんだった」と言ってました。

今後、刑法を見直す必要があるかも知れませんね。

それには、まず世論の形成が必要です。
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人生60年ぐらいが普通の次代なら、30年も入ってれば、


普通は、無期と大差がない、と考えられたからでは?

> 刑の上限の撤廃を誰も唱えないだけでなく
> 必要性の議論さえされていないのが不思議

いや、そこらのマニュアル本でなく、学者の書く体系書と
呼ばれるものを何点か読みましょう。そうしたら、
問題提起してる人がそれなりに見つかると思いますよ。
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