公理っていうのは、数学のいろいろな定理を支える
真理みたいなものとしてあつかわれていますが、
たとえばその「公理」自体を証明することはできるのでしょうか。
「自明」であるとしてだれも証明したことはないのでしょうか。
その真理性みたいなものを疑った人はいないのでしょうか。

「ある原理A」みたいなものから、すべての数学の体系は導出できる
というわけでしょうか?
とすればその「原理A」とはどのようなものなんでしょうか?
そのA自体を疑うことは、その行為自体可能でしょうか?

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A 回答 (7件)

>しかしあえて、現実的でない仮定を採用してある公理系を


>構築すると、それは数学という体系と相似形をなす(←こんな言葉しか
>しらないもので。。。)、つまり一つ一つの公理は
>数学とある公理系とでまったく違うのに、公理系の表現する性質
>はきわめて類似している、といったものができるような気が
>するのですが、この可能性についてどう思われるかお聞きしたいです。

数学は自然科学の言葉である、つまり数学は表現の1つの道具である
という面とともに、数学それ自体の中に、独立の、抽象的な世界があります。
だから
>しかしあえて、現実的でない仮定を採用してある公理系を構築すると、
という試みが幾多となされてきたわけです。たとえば、
数学でのベクトル束の切断は物理の場の概念以前に発見されていた、
リーマン幾何学は相対性理論より以前に打ち立てられていた、
楕円関数の発見はある曲線の弧の長さの問題から出た、等々の
事例があるようです。

>構築すると、それは数学という体系と相似形をなす(←こんな言葉しか
>しらないもので。。。)、つまり一つ一つの公理は
>数学とある公理系とでまったく違うのに、公理系の表現する性質
>はきわめて類似している、といったものができるような気が
>するのですが、この可能性についてどう思われるかお聞きしたいです。

体系と体系の関係という意味での相応しい言葉は今浮かびませんが、
たとえば、まったく別個に研究され、それぞれ
定式化された2つの集合が、実は「同型」であったというようなことは
沢山事例が見つかると思います。たとえば、
行列(1行目がa b,2行目が-b aの2×2型の正方行列)の集合と
複素数の集合とは「同型」であるとかなど。
また、似たようなことで、
集合演算や論理演算での「双対性」や、
数の集合を拡張するときの形式不易の原理とか、
ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の関係、等々
gattoさんのいわれているような可能性は
確かにあるのではないでしょうか。

多分そのものズバリの答えにはなっていないかとは思いますが、
とりあえず。
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公理とは、現実に合致していようがいまいが、


証明なしにとにかく正しいと仮定する命題のひとまとまり。
この公理を出発点として、正当な推論を繰り返していって、
ある命題が真であることが証明されれば、その命題は1つの定理となる。
さらにまた、最初の公理と新たに証明された定理を組み合わせて、
次なる定理を証明する。こういう作業を繰り返していって、
1つの論理体系を作り出す。数学のいとなみとは、そのようなことかと思います。

つまり、何を仮定したら何が言えるかを問題にし、
その最初の仮定が現実的であるかないかなどには頓着しない、
そういう面を数学の世界は持っていると思います。

しかし一方、実験科学の分野は、
現実世界でのさまざまな現象を説明したり、原因の解明をしたいと願っています。
そこで、どういう条件のときにどういう現象が起きるかの因果関係を、
モデルを作って、条件をいろいろ変えながら、実験を何度も繰り返し行って
見つけ出そうとします。
それによって、さまざまある理論体系のどれを当てはめるのがよいか見極めます。

さらに、工学や経営などの実践的な分野では、数学の理論と、実験科学で
得られた知見をもとに、現実の世界で役立つ物や仕組みを
実際に作って運用しようとします。もちろん、現実世界には誤差や不確実性が
あるので、きっちり効率100%のものは作れないけれども、できるだけ
それに近いものを作ろうと努力します。
そこで、設計図と試験と評価の繰り返しの後、
品質保障つきの製品がようやく出来上がるというのがこの分野のプロセスです。

後半は蛇足でした。ご質問の主旨からははずれたかもしれませんが、
ご質問から受けた私なりの印象で、上のようなお答えをしました。

この回答への補足

nrbrtさん、ご回答ありがとうございます。
回答者のみなさんへのフォローがおそくなっています。
もうしわけございません。

公理自体の定義を明確にしてくださり、僕にとっては
だいぶ見えてきました。

>つまり、何を仮定したら何が言えるかを問題にし、
>その最初の仮定が現実的であるかないかなどには頓着しない、
>そういう面を数学の世界は持っていると思います。

ただ、実際のところは数学は現実に即した仮定を公理として採用
しているのはいうまでもない、ということなのでしょう。

しかしあえて、現実的でない仮定を採用してある公理系を
構築すると、それは数学という体系と相似形をなす(←こんな言葉しか
しらないもので。。。)、つまり一つ一つの公理は
数学とある公理系とでまったく違うのに、公理系の表現する性質
はきわめて類似している、といったものができるような気が
するのですが、この可能性についてどう思われるかお聞きしたいです。

補足日時:2001/04/01 23:22
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(1)現代の理系の人々の多数派の常識的な回答は、と思われるところを想像を交えて書いてみます.



客観的存在しての「原理A」は、見つかっていない、とするのが現在のコンセンサス. 客観的存在としての「原理A」は、将来も決して見つからない、と論理的に主張する人もある. 根拠として数学の不完全性定理等がそれを隠喩しているから、とする. この主張にはある程度の妥当性がある、とも考えられている.

(2)現代の文系の人の常識的な回答のうちの一例を想像を交えて書いて見ます.

(客観的存在としてでなく)主観的存在としての「原理A」を見つけた、と思った人はいてもおかしくない.おかしくないどころか、人間が生きていくに際して、そのような「原理A」をなんとか工夫して持たぬかぎり安定して生きていくのは難しい、のではなかろうか.ここで「原理A」の表現形態は、お話、物語などの形態をとっていることが多い.個人にとって価値のあるお話、物語は、その個人の各種の知識や価値の体系を「基礎づける」ために重要なものである.時に、個人にとって非常に強い確信を持つお話は、その個人にとって「原理A」となる.一方、天才によって創設されたある優れた物語が、ある程度の普遍性を持って、文化の多数の人々に受け入れられたとき、その文化における共通の物語となることもある.このような優れたお話を、一定の集団の人々が受け入れることが出来たとき、受け入れた個人にとっての「原理A」となる.実例としては、中世の敬虔なカトリック教徒にとって、ある「原理A」とは、超越者の存在そのものに他ならない.このような例は各文化において枚挙に暇が無い.

(3)理系と文系の接点を考えた人の意見として、ふと思い出すのに「宗教と科学の接点」という書籍があります.それを読んだときの記憶を思い出してその一部の論旨(と私が把握したところ)を記憶で以下に書いてみます.

近代西欧文化は、文化史上稀有とさえいえる”強靭な”自我を発展させることに、成功した.その結果他の文化圏には決して成長しえかかったような、近代科学を発展させることに唯一成功した.西欧文化の特徴とも言える近代科学とキリスト教、は相反するものとして論じられることが多い.その証左として相互の紛争事例である宗教裁判が挙げられてきた.しかしこの論点ばかりが強調されすぎ、かえって両者に共通うする性格と文化における両者の補完機能が見誤まられてきた感がある.実際は近代科学とキリスト教は西欧文化の発展において相互に補完しあってきた.両者に底通する思想は、gattoさんが質問中で仰っている「「ある原理A」みたいなものから、すべての」科学の「体系は導出できる」はずだ、という強い確信である.この強い信念に基づいて構築された科学は、その有効性において今や全世界を席捲しているとさえいえるほどとなった.実際問題として科学技術なくしてはもはや一日も過ごせないほどとなった.科学技術で月へもいけるし、近代医学によって多くの病にも勝てるようになり寿命も延びた.このように科学技術があまりに「有効」なので、あたかも、科学が示す世界観のみが有一の真実だ、とさえ考える人さえいるほどのものとなった.従来のキリスト教的価値観と科学が、文化内で保持していた相互補完機能も、今や崩れ、キリスト教的世界観の存在感は薄れてきている.西欧文化も、この平衡の崩壊による倫理の混乱状態が生じてきている.以前であれば科学の知を統御する存在として、キリスト教の倫理観が機能した.現在では強くなりすぎた科学を統御すべき指標が見当たらない.これが西欧文化の現在の行き詰まりの図式といえる.現代においては、この行き詰まりは世界を席捲している.ある「原理A」をなんらかの普遍的物語に見出すことのできる人はそれでよい.なんら問題ない.もしそのような既存の物語に見出すことのできなかった人は、個人の責任において、自らを基礎付ける物語の創造を行なうことが自分の人生を意味付けるためには必要となった.
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
博学な多くの方からのご回答に正直驚いています。

私自身はまったく理系の人間ではないのですが、
なぜ数学について聞いたかというと、数学の体系が
もっとも論理的に「正確」にできているような気がした
からです。
で、数学がすべてのーというのは言い過ぎにしても、多くのー
科学を記述する言語だとすると、その言語によって限界もまた
あるということが予想されるような気がしたので、
数学自体の基礎は、じゃあどうなんだ、と思ったためです。

もっとちゃんと勉強しようと思います。(しかし
自分は頭が悪いなとさいきんつくづく思います。。。)

お礼日時:2001/04/02 00:24

gattoさんがお持ちになったような疑問は19世紀頃に生じてきて


それは「数学基礎論」という学問として20世紀にまとめられてい
ます。panchoさんのお答えになっているゲーデルの「完全性定理」
とか「不完全性定理」というのは、その中で得られた重要な結果で
す。

公理や公理系や証明ということに関してのさまざまな歴史的経緯に
ついては省略しますが、現在では、公理とはある公理系を満たすた
めの出発点の命題でしかなく、任意に選べるものとされています。
(この「任意」という言葉の意味は絶対的必然性はない、ぐらい
に考えてください)もちろん、公理系自体は無矛盾であるように
慎重に設定されなければなりませんし、数学のできるだけ広い範
囲を定理として証明できるようにしなくてはいけません。

1931年に発表された「不完全性定理」では「ある公理系の定理
の中にその公理系では証明も反証もできない命題を作り得る」こ
とが証明されました。すなわち、これはgattoさんの思うような
>「ある原理A」みたいなものから、すべての数学の体系は導出できる
>というわけでしょうか?
が不可能であることを示しています。

これでgattoさんの疑問にはお答えできたのではないかと思います。
さらに詳しく知りたければ「数学基礎論」または「数理論理学」の
入門書などをお読みになることをお勧めいたします。

以下は余分なことですが、panchoさんのお答えの中の
>もちろん、逆に「公理系が矛盾を起こすことの証明」
について詳しい説明をお聞きしたく思いますのでよろしく。
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この回答へのお礼

僕の甘い問題設定にもかかわらず、
意図を汲んでご回答いただきありがとうございます。
お返事が遅くなり申し訳ないです。

ゲーデルのそれは聞いたことはありましたが、ちゃんと
いまだにちゃんと理解していません。
当たってみるべき分野まで教えていただいたので、
その方面を探ってみることにします。

お礼日時:2001/04/01 23:57

 完全性定理と不完全性定理の正しい記述です(笑)


 とは言え数学は詳しくないので哲学の方面から。

 「証明できる」とはどういうことか? 問いを考えてみます。
 すると、「見える」「証拠がある」「理論的に考えてそうとしか思えない」などという答えが出て来るでしょう。
 では次に、「自分自身に自我があることを証明出来るか」という問いを考えてみます。すなわち、自分の自我が催眠術か何かによって作られたものではなく、自分の意思で1から作り出したものであるという証明。

 考えてみれば分かると思いますが、できないんです。
 まあ、途中経過は省きますが、なぜできないのかというと、「自我」は「主観」――つまり「絶対」の産物だからです。あなたが絶対的(主観的)に「今自分はここにいる」と思っているからこそ自我は存在するのであって、それを他人に見せることはできません。
 ゆえに、「絶対的なものは証明できない」のです。
 「証明」を行うためには、その事象が「相対的」なものでなければいけません。(ここでいう相対は、絶対という言葉の対となる)

 ですから、ある事象を完全に証明しようと思ったら、それ全体を相対的に見なければいけません。
 するとどうなるでしょう。
 「すべての物は相対的である」という絶対法則が成立してしまいます。
 ところが、「すべての物は相対的である」ということは「すべての物は相対的である、という絶対法則も相対的である」という絶対法則が成立するんです。

 この法則自体、文法的にすらおかしいですよね(笑)

 ゆえに、ある事象(この場合は「数学公理」)を完全無欠に証明することは不可能ということになります。
 これが「完全性定理」です。

 ということはどういうことでしょう。
 仮に「完全無欠な数学公理」があったとすると、先の証明から「完全な証明は不可能」ですから、その「不可能な部分」はもしかしたら嘘かもしれないもので補完されているということになります。
 ゆえに、「完全な定理は、もしかしたら嘘かもしれない証明が混じっている」という法則が成り立ち、これが「不完全性定理」です。

 駆け足で分かりにくい説明だったと思いますが、分からないところは補足ください(^_^;
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数学のことは全然詳しくないのですが、興味があったので書き込みをさせてもらいます。


以前、大学の友人から同じようなことを聞かれました。
その友人は哲学を学んでました。
ちなみに私は工学部卒です。

物理の世界では、実験から導き出された実験式(名前は良く知りません)
というのがあったと思います。例えば有名な運動方程式
ma=F
もそうだったと思います。これらの式は完全に証明されたとは言い切れない
と思います。しかし様々な実験、その他で正しいことが”確認”されています。
数学の世界にもこういうことがあるのかな?と。
間違いがあったらすみません。
専門家の話を私も聞いてみたいです。
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ゲーデルの「完全性定理」と「不完全性定理」というのはご存じでしょうか。



「完全性定理」とは、「その公理系の中では、公理が矛盾しないことの証明はできない。」で、「不完全性定理」とは「その公理系では、正しいとも正しくないとも証明できない問題がある」だったと思うのですが、いずれにしてもお考えになっている「公理」自体の証明はできません。
もちろん、逆に「公理系が矛盾を起こすことの証明」や「公理系内で正しい(または間違っている)ことが証明できる問題」は、あります。

どなたか、「完全性定理」と「不完全性定理」の正しい記述をお願いします。

以上。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

つまり数学自体によって数学の正しさを証明することはできない、ということ
でしょうか。(早合点だったらすみません)


>もちろん、逆に「公理系が矛盾を起こすことの証明」や・・・
本題とははずれますが、「公理系が矛盾を起こす」なんてあり得るのでしょうか?
言葉の定義として、それがありえないのが「公理系」であるとおもってました。

お礼日時:2001/03/30 13:49

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ttp://blog.livedoor.jp/calc/archives/50760599.html#
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/9587/tips/zahlen.html


複数のパラメタを考慮して記述された置換公理
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Zermelo%E2%80%93Fraenkel_set_theory
↑6.
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Axiom_schema_of_replacement
ttp://pauli.isc.chubu.ac.jp/~fuchino/tmp/kikaku03-proj.pdf
↑10頁
ttp://page.mi.fu-berlin.de/geschke/ModelleMengenlehreV2/MMskriptV2.pdf
↑1頁(7)

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「複数のパラメタを考慮して記述された置換公理」を自分なりに記述した物( ∧ , ⇒ 等かなりいい加減です)
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Q米国Ph.Dで公理的集合を学べる大学は?公理的集合論の今後の展望は?

日本の大学(A大学)で修士を終公理的集合論えました(専攻は数論)。
以前から公理的集合論に興味があり
アメリカの大学院Ph.Dで公理的集合論(数学基礎論)を学びたいのですが
(英語ではAxiomatic set theoryというんですかね)
どの大学で学べるのでしょうか?
公理的集合論はエリートの学問のような気がしますが(日本の数学学部の講義で公理的集合論を開講してる所は少なく,書籍の著者も東大や京大の教授の方ばかりのような気がするからです)
論文を閲覧できるサイトは高額の年間契約金を払わねばならず現在A大学では部外者となってますので大学に潜入して調べる事もできません(っていうか飛行機で行かねばならない遠方なのでそう簡単に赴けません)。
市内の図書館もインターネット使用不可なので調べようもありません。
逐一,各大学のHPでチェックしていくしかないのでしょうか?
現時点でプロフィール欄でAxiomatic set theoryを研究対象にしてる教授は発見できずです。

何かてっとり早く探す方法は無いものでしょうか?

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こんばんは
t-h1970さんも仰っしゃっているように、米国のPh.D.コースを目指しておられるのでもまずは国内の専門家に相談されることをお勧めします.(米国でPh.D.を取得した後 日本の大学で教えている集合論の専門家も何人かいます.)去年、京大の数理解析研究所で「公理的集合論と集合論的位相空間論」という研究集会が開かれました.その出席者を調べてみたらいかがでしょうか? そこからたどっていけばきっと集合論が学べる米国の大学院や「公理的集合論の将来の展望」についても知ることが出来ると思いますよ.

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(a+1)(a+2)の計算方法は、

(a+1)(a+2)=a+a+1+2
     =2a+3

であっていますか?

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(a+1)(a+2)なら、(a+1)×(a+2)です。従って
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