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保護者会で役員決めがありました。
嫌がる人たちが多いので、もめたりジャンケンで決めて
誰かが全部やるのは散々見てきたので
今年は役員をやることにしました。(ちなみに乳幼児持ちです。)

他の係りを決めるときに
かなり重要な係りは「やりたくない」お母さん達で
ジャンケンで決めることになりました。

ジャンケンの最終メンバーに、日本語ができない外国人ママが含まれていて
私は彼女の代わりに急遽係りを引き受けたこともあるので
いくらなんでもこの係りは無理と思い・・・。
挙手して言ってしまいました。

「いくらなんでも荷が重過ぎる。最悪、一人で全部やることになるよ。
だったら二人(日本人)でやった方がいいんじゃない?
私だって手伝うから。」

と、言ってしまいました。
「やりたくないやりたくない」と二人ともに
文句ぶーぶーでしたが、納得して引き受けてくれました。
後から文句言っているようでしたが
自分さえ良ければ良いって人が多いと思います。
どうして親になったのに「ボランティア精神」でやろうと思わないのでしょう?
仕事があったり、下に子供がいたり
向き不向きもありますが、子供が団体に属している時は
仕方がないのでは??と思っています。

私、空気読めてなかったですかね?
モヤモヤしています。

A 回答 (2件)

その方を直接知っているわけではないので、確かなことは言えませんが・・・



その方たちは外国人というだけで、職場で差別されていたり、差別までいかなくとも話の輪から外されたり、厄介者あつかいされたりしているのではないでしょうか?
または、地域社会にとけこもうと努力しても相手にしてもらえなかったり。
公園でママ友を作りたかったのに、外国人なせいで嫌われたのかもしれません。
あるいは、夜にネットで外国人を誹謗中傷するような記事を読んで、心をいためているかもしれません。
「外国人に子供手当てをやるなんてとんでもない!」という人も多いですしね。

疎外されている、嫌われている、何かわからないことがあって聞いてもまともに答えてもらえない。日本語や日本の習慣がわからないから苦労しているのに、「わからないおまえが悪い」と言われる。「わからないなら国に帰れ」と言われる。
もし、そんな状況が長く続いたら、コミュニティや保護者会に協力しようという気はおこらなくなるでしょう。

町内の活動や保護者会の行事に参加することで、何かの楽しみや達成感を得る人もいます。友達作りに一役かうこともあるでしょう。
それとは反対に、疎外感だけを味わい、こんな事に参加したくなかった、という経験をする人もいると思います。

誤解しないでほしいのですが、その保護者会が外国人をなかまはずれにしているとかそういう事ではありません。仲間に入ってほしいからこそ役員をやってほしいと思うのででしょうし。
そこにたどり着くまでに、すでにそういう経験をしてしまったのではないでしょうか。
外国人は、外国人であるというだけで、日本では疲れ切っている。私にはそう見えることがあります。
地域社会にとけこもうなんて無理だ、と思っているのかもしれません。
ですので、相手に努力を求める前に、あなたたちはここの公式メンバーなんです、仲間なんです、ということを十分理解させないといけない気がします。
そこを納得すれば、きっと協力すると思うのですが。

最後に一言、外国人にもいろいろいると言わせてください。
積極的にお役をひきうけたり、近所の子・園の友達をまとめて面倒みようとする「肝っ玉母さん」な人もいますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
おっしゃりたいことわかりますよ。

ただ、外国人ママたちのドタキャンで何度もいきなりお手伝いをすることがありましたし
それだけで外国人ママ全部がやらないと思っているわけでもありません。

私が言いたいのは、日本人で言葉も通じるのに
外国人のママをもう少しフォローしながら、やれることをやってもらえるように
みんなで意識しようよと言うことです。
日本人でも「やだやだやだやだ」と大騒ぎするギャルママがいました。
はっきり言って、周りの保護者は冷ややかにみていました。

なぜ、自分が出来ることを人のためにできないのか?
それが言いたいのです。

私は外国人のママの友人はいますし、信頼はあついです。
だからこそ、逃げてしまうような重い役をむりやりジャンケンでさせるのではなく
みんなで一緒に出来るところに配置して、楽しくやろうと言っているのです。

お礼日時:2010/05/15 22:43

mookbookさんは正しいと思います。


社会性が発達していて物事を色々な面から捉えられる聡明な方という印象を受けます。

しかし、資本主義の考え方とは違うと思います。
もともと日本人は農村や大家族を主体に、割と社会主義的・共産主義的な行動を躾けられてきて、親の世代ではそれがかなり残っていたけど、今は大人がみんなサラリーマン世代で、思考回路も目の前の損得勘定を最優先するのが染み付いてしまった。

オレ様が1時間作業をすると3,000円、3,000円くれるならやってやるよ、みたいな気持ちが当たり前というか。わたしはバッカじゃないの、と思いますが企業内ではそういう考え方がむしろ奨励されてます。

資本主義の仕組みの中で、対価としてお金を得られなくても時間を提供させるには、法的に罰するしかない。
または、宗教によって道徳教育を行い、極端な利己主義が集団全体を蝕むことを理解してもらうか。

一神教の諸国はその2本立てで歯止めを作ってますよね。
日本には村の目、世間の目という歯止めがあったけど、なくなってきてるから綻びも大きくなってきてる。中国の勢いなんか、誰にも止められない。

すぐに変えるのは難しいでしょうね。もっと悪くなるのかも。
でも、地道によい手本を示すことで、少しでも集団の雰囲気に影響はあると信じます。
がんばってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

聡明なんて滅相もない。
ただ単に正義感だけなんです。それで失敗も多いです。

世の中は自分が損しないようにだけを考えて生きてる人が多いと思います。
いつから、こんな世の中になってしまったのでしょうか?
私は、やることはやった人しか言えないことがあると思っています。
やることもやらずに文句ばかり言う人が多いですが、
誰のためでもない、自分の子どもや仲間のためなのに。

どうしてもやりたくないって言えば、誰か代わりにやってくれるとおもってるんでしょうか?

私は自分の子どもの見本になるような生き方がしたいと思っています。
が、世の中の人全員が何かを深く考えて生きているわけではないのですよね。
これからの世の中が益々心配です。

お礼日時:2010/04/10 19:43

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