ショボ短歌会

なぜ彼は死ななければならなかったのか
この問いかけをする者に対する適切な回答はなんでしょうか。
どのような回答であれば彼らは納得するでしょう。

A 回答 (27件中11~20件)

死なない人がいたら教えて欲しいです。

命或る者は何時かは終わりが来ます。誰にも明日の事は分りません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

頭ではわかっていてもいざとなると理由を求めてしまうんでしょう。

私は死なない。
死んで無になるなら私は私の死を確認できない。
もしあの世があるなら私は死んでいない。
どちらにしても私は私の死を確認できないので
私にとって私の死は無い
つまり私は死なない。

お礼日時:2010/05/12 19:59

例えば肉親が、事故や犯罪などで、理不尽にも命を失った場合、


遺族が納得する回答などないでしょう。加害者側が理由を明らかにして、
謝罪し、賠償したとしても、その無念の感情はいやしがたいと思います。
第三者ができる事はその気持ちを受け入れ寄り添ってあげるしかないと思います。

また何らかの人道的な目的や志があって敢えて危険を冒し命を失った場合
その人の命は失われても志は残ります。肉体を滅ぼしても魂を滅ぼすことはできない
というや意味の言葉をどこかで読んだのですが、・・・。
ご遺族も彼の死を空しいものとは思はないでしょう。
例えば登山や冒険など自分が選んだ生き方の結果として死があったとしても。
それは生き切ったと云う事だと思います。


結局人間は誰も自分自身の明日の命すら保証する事は出来ない。
生きていると云うより生かされている存在なのだ。
という考えにたどり着くのではないでしょうか。
生かされているものが勝手に命を絶つのは間違っていると云うほかありません。
答えになってなくてすみません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「なぜ死ななければいけないのか」という問いは誰に対してしているのかと考えると
人間に対してではないように思います。
生かされているという感覚が逆に神(定義は別にして)に対して「なぜ」と問いかけるのかもしれません。

お礼日時:2010/05/12 19:47

 「彼はなぜ死んだのか」ではなく、「死ななければならなかったのか」と問うということは、



 運命とくに死は誰か他のものに決められたものであるという考えからだろうか。

 それとも「自分の行為によって」死ななければならなかった、と考えたのだろうか。そうであったとしても、その人の行為をみて判断した誰かが彼に死を与えたと考えているということになりますね。

 いや、自分の行為によって自分自身に罰(死)を与えた、と考えても、そのように問うこともできますか。

 いずれであっても「原因があったからです」が答えとなるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

恐らくこの世の論理(道理、道徳など)では説明することは無理なのではないでしょうか。
私たちはそのことを無意識に感じているのかもしれません。

お礼日時:2010/05/12 19:42

これは、


「なぜ彼は死ななければならなかったのか。いや、こんな問いに答えがあろうはずは絶対に無い 」
という反語文でしょう。

「死ぬ理由など決してなかったはずだ」という強い感情の表現ですから、「納得」に最も近づけるとすれば、その問いかけをする者に[共感する/寄り添う]ことではないか、という気がします。
言葉は、むしろ邪魔ですが、敢えて添えるならば「本当に・・・」ぐらいでしょうかね。
  
  
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど、そういう心理も含まれているかもしれませんね。
場合にもよるでしょうが、犯罪がらみなら納得しろというのが無理な話ですよね。

お礼日時:2010/05/12 19:39

そうでしょうか?


身体という60兆の細胞が伝達するものを
うまく感じられないことが
彼にとって恐怖だったということです。

それなら何にも伝達されない恐怖のほうが
彼には都合が良かったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

だとすれば死んでも楽にはなれませんよ。
むしろ永遠の地獄を覚悟しなければなりません。

お礼日時:2010/05/12 18:38

ここで聞いているから哲学的にどうなのかと言うことですよね・・・・



「死に至る原因がそろったのでしょう」

これしかいえないような気がします^^

しかしこれで人が納得するかは別です。
どのような証拠論拠があっても
それを受け入れなければ人は納得しませんからね。

けどなかなか受け入れないことが困難な回答だとは思います。

お役に立てば幸いです^^
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

仏教でいうところの因・縁・果でしょうか。

お礼日時:2010/05/12 16:20

では、あなたは生と死の境をどのようにお考えですか?

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

身体と精神を分離しておきながら、身体を殺せば精神も死ぬとおっしゃるのでしょうか。
少し矛盾しているように思うのですが。

お礼日時:2010/05/12 15:27

またまたNO3です



私、妻1子2ですが、仮に死のうかなって思ったとして、
死ぬ直前にはきっとその理由は自分でも解らなくなっているような気がします。
自ら命を絶ってしまう人ってそのほとんどが誰にも相談できなくて(誰にもわかってもらえなくて)思いつめての最期だと思うのです。
最初のきっかけはほんの些細なことだったのかもしれないけど、自分の想像ばかりが悪い方へ悪い方へ膨らんでいき、どうしたらいいかわからなくなって命を絶ってしまうのではないでしょうか?

例えば仕事で毎日上司に怒られる人
それを物凄く真摯に受け止めてしまう人もいれば、ヘラヘラと聞き流す人もいます。
前者が自ら命を絶ったとしてその理由はなんでしょうか?
「毎日上司に怒られてストレスで鬱になって・・・」でしょうか?
怒られた事実はあっても、それをどのように受け止めどのように解釈しどのように解決しようとしたのかなんて誰にも知る由は無いのではないでしょうか。

自分がそのしがらみから抜け出す方法の中に「死」という選択があり、彼がその選択をしただけだと思います。
その選択肢に「殺」というものがある人間が最近増えているじゃないですか。自分が上手く生きれない事を「殺」によって解決・・・否、結論の先延ばししようとする人間が。「殺」の理由を彼らに聞けば「生きる希望が無くなった」「いじめられた」とか、他人である我々には到底理解し難い理由ばかりです。

(何書いてるか解らなくなってきたので)
結局、本人にしか解らないことなんですよってことで・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ストレスを感じない人はいませんが、なぜストレスが死の原因となるほどにまで膨れ上がってしまったのか当人は分かっているでしょうか。
ストレスが原因ですでは理由にならないと思うのですが。

お礼日時:2010/05/12 13:07

生きていて、


身体という実体と精神とが
一致していないのであれば、

死んでいて、
精神だけになるほうが、

彼には都合が良かったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

身体は関係ないのではないでしょうか?
60兆の細胞達に何の罪があるのでしょう。
そもそも生きることに対して悲鳴を上げているのは精神のほうではなかったでしょうか。

お礼日時:2010/05/12 12:58

>想像してみればすぐにわかることで、「なぜ死ななければならないのか」という問いをする人はだいたい近親者です。



自殺した政治家についてそういう問いを発するコメンテーターもいるね。
小説を読んでいて死んだ登場人物についてそう言う問いを発する人もいるし、
オレの考えを読めという質問は、質問の名を借りた「課題」だよ。

>そういう人はそもそも「なぜ彼は死ななければならなかったのか」と問うたりはしないのではないでしょうか。

理由がない方が救われる場合もあるだろう。

>>どんな理由でも納得しない人もいるだろう。

>ならばなぜ問うのでしょう。

どんな理由を聞いても納得できないことを表現するための問いもある。

ところで彼はなんで死んだんだい?それによって変わる場合もあるだろう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

例えば犯罪に巻き込まれて亡くなった方の遺族が発する「なぜ死ななければならなかったのか」という問いに対してどのような回答が望ましいでしょう。

お礼日時:2010/05/12 12:53

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