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私は、どもり(吃音)に悩む33歳です。今まで吃音で注意をされるたび、転職をしてきました。今はWEBの知識を生かして、WEB広告に携わっておりますが、電話開拓では吃音で失敗ばかりです。そこで新規開拓や営業に詳しい方、アドバイスをください。

誰とも話さない仕事は多くありますが、私はWEB広告が好きで、転職をしたくありません。今、転職をしても、吃音がある以上どこに行っても同じ事の繰り返しと身にしみて思っています。

そこで、先日、新規開拓を全てメールで行うような書籍を読みました。営業の開拓で電話アポをせずに新規開拓は可能なのでしょうか?もしメールでの新規開拓でよいアドバイスがありましたらぜひ教えていただけますでしょうか。

ネット検索で、「Eメール 新規開拓 例文」で検索しても中々ヒットしません。

A 回答 (2件)

吃音は神経症の中の一つの形です。

神経症は治す事が出来た場合には、人生においてかなりプラスのものを、受け取った事になりますので、神経症が治ると言う事と治らないという事を書いてみますので参考にして下さい。当方は18年の悪戦苦闘の末に完治した経験が在ります。もうそれから30年ほど経っています。

今の貴方に、私の言う事がすんなり飲み込めないかもしれませんが、その時は、軽い気持ちで読み進んで下さい。わかる時期が来たらぴたりと判るはずです、又質問があるなら言って下さい、お答えします。

神経症とは人間の最も人間らしい一面から表れる症状の事です。一面とは『意識する』と言う事です。意識するの反対語は『意識していない』という事になります。或いは『無意識でする、或いは無意識的に出来る』と言う事です。或いは思わずにやると言う言い方でも可能と思います。

吃音にしても、上がり症にしても、社会不安障害にしても、全ての神経症と言うものは『意識』した具体的な『もの』が症状名になっています。この事で『症状』になったものを意識して苦しい想いをしていますが、本当に乗り越えるために必要な事を書いて見ますので、学んで下さい。

症状として具体的な行動が出来ない事に悩んでいると思いますが、本当の根本は症状にはありません。只神経症としての表れた具体的な症状が吃音になっています。神経症の症状を起こしている元を学ぶ方が神経症から抜け出すのには近道になります。

それでは神経症が何によって発症しているのかを書いてみます。それは『意識する事』によっています。症状を問題にしている間は神経症は治りません。症状は在っても無くてもどっちでもかまわないと言う態度になる事を学ぶ事です。

そうして『症状を無くしたい、或いは症状が無かったら』と言う考え方が、症状を発生させて固定させている事を学ぶ事です。症状を起こしている元は『意識すると言う事』です。

具体的には吃音である事を忘れている時には吃音にはなっていません。誰もいない野原で『独り言を言って下さい』たぶん自然に話が出来ていると思います。それは話す事を忘れていられるからです、言い方を替えるなら、話すのに『自我意識』が介入していないからです。思わないで話す事が出来ているからです。

貴方の話し方は、思ってから話しているからです。人間は『しよう』としたら出来なくなる場合があります。しようと思わないで、『すっとする』という事になります。思わずにする、或いは思う前にすると言うことになります。

歩く事でも言えます、誰もいない野原を歩くなら『心は』自然を堪能しています。『心は』歩く事には使われていません。意識は歩く事には使われていません。

その反対に人前で、大勢の人の前を歩いて壇上に上がるとしたなら如何でしょうか。『意識』が出てきて意識が歩く邪魔をしてしまいます。

畳の上を歩く場合は如何でしょうか?地面に畳が引いてあるなら『自由に歩けるはずです』何故なら歩く事に『意識する』必要が無いからです。それでは100メートル上空に畳が引いてあるなら如何でしょうか?『意識が出てきて』自由には歩けなくなります。

今言った事が関係してきます。是はメンタル面が弱いという言い方でも構いません。自我意識が出てきて人間の自由を奪っています。

大事な場面になった時の一打を打つ場面です。自我意識が出た場合には、失敗しやすくなります。自我意識が出ないようにした場合にはうまくいきやすくなります。この場合に『自我意識が出ない』と言う事と関係してきます。

自我意識が出ないときは『誰が』出るのでしょうか?と言う事がカギになっています。

人間の暮らしは意識と無意識が交代制になって無事に成り立っています。吃音とは自我意識で話をしている事です。自我意識が出ないように話が出来た時には、直っています。

神経症と言うものは『無意識の自分に任せられなくなった状態のことです』自我意識が引っ込めなくなった状態という事になります。

神経症の治りと言う事を書いてみます。症状が在った事を『意識』しない時は、症状が在っても無くても意識には上がってはきません。症状の事を問題にしない時は症状は在っても無くとも意識には上がってはきません。

本当の問題は『症状を問題にして意識している事』だけです。従って、神経症の完治を望むなら、症状は『不問として』在っても落ち込まない、なくなったといっても喜ばない、症状は問題としない人間性を育てる事が大事な事になります。

症状が無いことを願う心が『症状を』作り出して、更に固定させています。症状があるとかないとかを言わなくなった事が、治った事になります。それは吃音を受け入れた時の事です。受け入れたくない事を、受入れなくしている心が勝手に作り出している事が吃音です。
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不可能ではないと思いますが、


最後まで一切会話をしないで仕事が成立するなんてないと思いますよ。
文章だけでは誤解を生むこともあるでしょうし。
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