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理論的に、心理学的にどんな方法が存在するでしょうか?

催眠療法や前世療法、または瞑想・座禅に至るまで種類があると思います。(前世療法はちょっと疑問ですが)。

でも、なかなか瞑想などで無意識、潜在意識との対話は難しく、催眠にしても浅い状態しかはいることができませんでした。
そこで無意識、潜在意識に救ってしまっている神経症の原因を壊して解決に導くことが可能な方法を教えて下さい。

その際、どのような感覚体験だったのか教えていただくととても参考になります。

A 回答 (2件)

私も無意識・潜在意識に訴えかけることで、神経症が良くなりました。



具体的な方法ですが、その道の卓越した実力者の力を借りました。
岩波先生という非常に卓越した無意識、潜在意識へのアプローチが可能な技術とノウハウを持っている人のおかげでした。
岩波先生の誘導や暗示で何度も無意識と対話しているうちに
意識が変容する状態がすごく深くなっていきました。
その時が手の届かない無意識に触れることができた状態だと思います。

無意識、潜在意識は脳の原始部分、つまり本能です。
なので理路整然したものじゃなく、感情的・感覚的な体感でした。理性が極端に少ない状態です。意識が極度に変容し、時には泣きたくなるくらい、また時には怒りたくなる、いつまでもその中に浸っていたいと思う時(極度のリラックス状態)と様々でしたよ。その人のその時の精神状態によるものだと思います。体感したことがない人は距離が遠い話になりますが、たしかにある世界です。岩波先生にお世話になっていた人もみんな似たような感覚体験をしていましたから。

「無意識との対話」と書かれていますが、もっと混乱した感情と感覚だけの世界です。それでいてどれだけ自分の心が抑圧されてきたかはっきりとわかりました。それが対話といえば対話といえるかもしれません。

文章では正確に描写できなくてすみません。でも感覚体験ですから、それは体で覚えた血肉の通ったものでした。衝撃的な体感に100万回本を読んでも耳に聞いても太刀打ちできないのと同じですね!

体感すると人間はどれだけ脳の潜在部分が大きいか気づかされました。
瞑想や座禅だけではそこまでたどり着くには何十年の修行が必要だと思いますが、岩波先生の技術ですぐ入ることができました。細かいことをいえば、そこでは呼吸法をやることがベースでした。

私なりの経験ですが、無意識との対話は、大きなマイナスの感情に直面し、意識の変容状態が終わった時に、意識的に考えてはじめて対話できると思います。いろいろな思いもつかなかったことに気づきましたし、心の闇も知ることができました。何よりも良かったことは、無意識部分に直面することで、心が楽になったことでした。催眠療法なんかである無意識への訴えかけの最終目的ですね。でも催眠療法ですと私も難しかったです。浅い状態しか入れなかったし、あれでは潜在意識へははるか遠くでした。

無意識に粘着してしまった悩みの原因は、触れたりのぞくことができるとそれへの「こだわり」がなくなる性質があります。
抑え込んできた悩みを誰かに聞いてもらって心が楽になるというのと同じですね。まあ、はるかに次元が違っていますが(笑)
「こだわり」が消えていくと、意識する回数が減り、どんどんなくなっていきます。つまり悩みそのものへとらわれることがなくなりました。

本当に人間の意識の深さ、脳の神秘性は計り知れないです!
あと、一度深い意識の変容状態を経験すると、脳が感覚として覚えていて、次にはもっと深い状態に入れますし、さらに無意識の奥深くに届くことができますよ。それは私の財産になっています。

あくまでこれは私の感じたことです。参考になるかわかりませんが、無意識・潜在意識に強く訴えかけることは誰だって可能です!
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この回答へのお礼

詳細の書き込みありがとうございます。
>無意識・潜在意識に強く訴えかけることは誰だって可能です!

そう書いてくださるだけでも希望が芽生えます。お薦めの先生のような方がいれば可能ということですね。

>「無意識との対話」と書かれていますが、もっと混乱した感情と感覚だけの世界です。それでいてどれだけ自分の心が抑圧されてきたかはっきりとわかりました。

なるほど! 体験者しか書けないことですね。無意識に直面するってどういうことか本を読んでもぴんと来ませんでしたが、つかめたような気がします。

>心の闇も知ることができました。何よりも良かったことは、無意識部分に直面することで、心が楽になったことでした。催眠療法なんかである無意識への訴えかけの最終目的ですね。でも催眠療法ですと私も難しかったです。浅い状態しか入れなかったし、あれでは潜在意識へははるか遠くでした。

催眠療法に通った時も浅い状態にしか入れず、いくら理論で「無意識からの解決」と言われても実感ができませんでした。やっぱり潜在意識に巣くう問題に触れると心が解放に向かうみたいですね。貴重な体験ありがたいです! 

>本当に人間の意識の深さ、脳の神秘性は計り知れないです!

そういうものなんですね。奥が深くてわくわくします!

>その道の卓越した実力者の力を借りました。
岩波先生という非常に卓越した無意識、潜在意識へのアプローチが可能な技術とノウハウを持っている人のおかげでした。
岩波先生の誘導や暗示で何度も無意識と対話しているうちに
意識が変容する状態がすごく深くなっていきました。
その時が手の届かない無意識に触れることができた状態だと思います。

ちょっと調べたら、岩波英知先生のことですよね? 相当の実力者だとお見受けしました。他の方の書き込みも絶賛が多く、とてもファンが多いみたいですね。本当に無意識アプローチ技術があれば支持も高いのも頷けます。回答者様も書き込みも実体験した人にしか書けないものだと思います。まだまだ僕は修行が足りませんね! とても心強く感じています。回答者様に出会えたことを感謝します。それだけの達人がいるなら僕の心の問題も何とかなりそうな気がします。

お礼日時:2008/12/01 16:52

神経症とは、自我意識と無意識の意識との対立と矛盾が引き起こしている事が原因です。

ですがこの事を指摘しても、悩みを持っている、或いは神経症で苦しんでいる人に分かってもらおうとしても、無理が有ります。

そもそも神経症と云うものは他の言い方をした場合には、世の中の見方を誤って見ていると云う言い方も出来ます。正しいものはこうですよ、と教えても「それは、そうではない」と頑固に主張して、譲りません。その頑固さが症状の原因になっています。従って正しいものの見方を教えようにも、聞く耳を持っていないと言えます。

貴方に教えると云ってもこの場では理論のみとなってしまいますが、知らないよりは良いかも知れない、と云う事で書いてみます。神経症の症状は「人間の意識した事」が症状として顕れます。従って様々な事が症状となっています。貴方も自分の症状だけではなく、他の症状にも興味を持って神経症と云うものを学ぶ事が大事かと思います。

その症状の元は、感じた事と云っても良いかと思いますが、感じた事を意識上に挙げてことさら問題にしています。この事が本当の問題を作ってしまいます。人間が感じたらそのまま「感じた」と云う事なら何も問題は有りません。

人間は自我意識が全てで、それしか無いと思っている事が本当の問題を作っています。人間が自我意識でやっている事は、やった仕事の半分もしていないと思います。眠る事さえも自我意識で眠ろうとした場合には出来なくなってしまいます。それが不眠症の全てです。自我意識だけで書こうとすれば、書けなくなってしまいます。是が書痙と云うものです。不安にしても「自我意識」だけで対処しようとした場合には、対処できません、そのためにますます意識して不安を大きくしてしまいます。

貴方に学んで頂きたいとすれば、人間の意識と云う事と、不安と云うものです、それも自分の症状と云うものでは有りません。人間が意識すると云う事と、不安と云うものが密接に関係しています。貴方が人間はどうして悩み苦しむのか、と云う事を学ぶ事が、神経症の解決になると思うからです。貴方が今言った事が体で分かった時は「悟り」です。

悟りを開くと云う事は「悩ませているものと、直接に会う」と云う事です。神経症と云うものは「それ」と自我意識の心の矛盾です。自分で自分を苦しめていた、と云う事が分かります。

神経症の完治をお望みならば、症状と云うものと、神経症と云うものを切り離して考えた方が近道となります。症状は、無くしたい、今までの様に楽しく生きてゆきたいという想いが症状となって顕れています。そうして、その症状を無くしたいと云う心が、症状の固定をしているからです。症状を相手にしている事が神経症です。症状の相手にならない事が、治りのきっかけとなります。そうしないと悪循環になって、一生を棒に振ってしまうかも知れません。

症状は云っても、書いてみても何にもなりません。返って症状の固定につながるかも知れません。症状は有ったまま、そのままで、普通にして暮らしてゆく事です。辛い事ですが、それより仕方が有りません。生き難いという思いを抱いたまま、普通の暮らしを続けてゆくのです。

神経症が治ると云う事は、症状を気にしなくなる、或いは意識しなくなる、或いは症状を受け入れる事です。是は同じ事を云っています。症状を受け入れられない事が、精神疾患と云う事です。言葉を替えて言うなら、現実の今の自分を受け入れられない事でも有ります。もっと言うならば、自分の良いところばかり受け入れて、自分の嫌なところだけは受け取ろうとしないと云う事です。

神経症の完治とは、自分の全てを肯定して受け取ると云う事になります。分別して、或いは、好きと嫌いで世の中を自分の気に入ったように解釈したい、と云う認識の誤りが、神経症の原因になっています。自分の気に入った事ばかりを望んでいて、そうならない事を、忌み嫌って地獄と云う風に解釈してしまう事が、神経症と云えます。

現実の世界を、ありのままに見れるようになると云う事が完治と云う事になります。それは症状は有っても無くとも、自分の生き方には、別に関係しないと云う生き方です。そういう情態、心境になった時が完治と云えます。それは自分の気分には左右されない生き方、或いは、世の中で何が大事かが分かるようになると云う事です。

神経症は大事な事と、そうではない事が分からない状態と云えます。或いは、反対に受け取っていると云う事かも知れません。分別に眩ませられている、と云う言い方が当てはまっているかも知れません。
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この回答へのお礼

とても詳しく書いていただき感謝します。

たしかに自我意識に直面し、その威力に恐れおののき、病的に反応してしまっています。まさに悪循環です。

回答者様の文章で「神経症とはなにか」の理解がまずはできたと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/30 01:04

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