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母が「脳から来る(精神病的)神経症だと診断されました。
私なりに調べましたが神経症と精神病は違うという事がかいてあるので、どういうことなのか混乱しています。
先生が診断されたので当てはまるのだろうと思うのですがとにかく「かなり複雑だと言われました(最初の診断はうつでした)

症状は最初は体調の不良から来て、全てのものが恐いと言います。
全てが妄想ではなく、事実もあります。
認知症ではないといわれています。

神経症と精神病は同じなのでしょうか?

A 回答 (5件)

私の意見では、同じです。


例えば、「脅迫神経症」という言葉が少し古い本にはよく出ててきます。これは精神疾患のひとつです。不安神経症などというのもありました。
それで、今は普通「神経症」という言葉はあまり使わないはずです。
脅迫神経症も、今はむしろ強迫性障害、というのではないでしょうか。不安神経症は、不安障害かな。

神経系の障害は、神経障害というほうが普通だと思います。
また、「神経性XX」というのは、神経性無食欲症のように、精神疾患を指すことが多いです。

次に、うつ、というのは、今は症状を指すことが多いです。
例えば、『精神障害の診断と統計の手引き 第4版』に基づいて診断し、そのマニュアルでうつに当てはまれば、うつ病です。
極端に言えば、「咳がでてますね」というだけで、なぜ咳が出るのかということに注目して診断しているわけではないです。
ですから、うつ病だから他の病名が付かないということではないです。
たとえば、PTSDで同時にうつということもあります。『精神障害の診断と統計の手引き』では、当てはまる病名を全て列挙するように定めているそうです。
もちろん、あなたのお母様を診断したお医者さんが、『精神障害の診断と統計の手引き 第4版』で診断しているかどうかは知りません。

いま、メンタルヘルスブームで、わけの分からない本や適当なことを書いている雑誌などの記事もたくさん出ています。
まともなものを選んでお読みになることをお勧めします。例えば、ウェブで手軽に参照できる権威のあるサイトなら、メルクマニュアルがいいと思います。
http://merckmanual.jp/mmhe2j/index.html
これは、精神疾患だけでなく、いろいろな病気について詳しく・分かりやすく(家庭版、ですから)書いてあります。

また、神経症と精神病が同じか、認知症か、うつ病か、などというレッテル貼りには意味はないと思います。
医師のいうことを良く聞いて、家族としてお母様をサポートするという意識と態度が重要ではないでしょうか。
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この違いは大きく分けるなら同じ範疇に入ると思いますが、細かく分けた場合には大まかには三つに分類されると思います。

私は素人ですが『自分自身がノイローゼを完治した経験から書いています。』従って大多数の精神科医達よりは、自分自身の心の内側が分かるという気持ちになっていますが、その判断は読む人にお任せです。

人間が生きてゆく過程や、成長する段階で『悩んだり疑問を抱く事』も大きく分けた場合にも同じ範疇に入ると思います。

この訳を科学的な文献を載せておいてから、後で説明したいと思います。尚、心を奥底まで詳細に追求した場合には、宗教関係にまで話が広がってしまいますが、宗教に勧誘するとか、宗教がなければいけないと云う事を主張する事は在りません。只人間の脳は『元々宗教で成り立っていると云う事実が存在する事』は、話の進展上で話題になる課題になります。

人間の脳科学から話を始めます。一人の人間の脳内には意識が二つ在るという科学的根拠です。ウイキペデアからの抜粋です。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

この二つの意識は『誰の脳内にも存在する意識です。』脳梁を切断した場合には、この事に気付く人と、気が付かない人の違いは、確かに有りますが。

この場合、自我意識は『左脳に存在する意識です。』顕在意識とも言っています。この脳の機能は『言葉を持っていることが、自我意識の特徴です。』言葉に象徴されることを汲み取っていただけるなら、おおよその事が分るかもしれませんが、完全ではない事です。

その意味は『言葉では伝えられない事が人生にはたくさん存在する。』という意味があります。又物事を言葉にした段階で限られた意味になっています。何故ならば永遠という意味でさえ『言葉にした段階で、永遠という本当の意味が失われています。』

この意味は『永遠』とは限界がないという意味ですが、言葉の本来性が限界を造ってしまうことを意味します。割り切れない事が『永遠の意味ですが』言葉においては『有限を指し示している』からです。

従って『自我意識の思考方法では、有限の壁を超える事が出来ない事』を意味します。

言葉を持っている存在『自我意識=左脳の人格』の機能の説明は是くらいにして、次に『右脳に存在する人格』の機能を書いてみます。

この意識は『無意識の中に封印された形で存在するため』自我意識には認識出来ないシステムになっています。その理由は『誰も自分が、無意識になって、意識がない時の事を認識出来ないからです。』

この意識の機能を書いてみます。この人格の機能とは『命そのものの働き』と言う機能です。人間の命をあらゆる形で守っている機能です。

と言う事で『命を守る働き』という観点から少しその機能を書いてみます。始めに書く事は『人間の植物学的な機能です。』この意味は、生命体としての身体の機能です、血流から、酸素の吸収や、栄養を吸収する機能から、不要なものを体外に排出する機能です。

この機能の説明をする場合では、桜やその他の植物等が、その種特有の香りを発したり、色を独自に持っている事に『通じています。』或いは芽を出す時期や、花を咲かせている時期にも通じています。全てが『その種独自なものを、学校や、学ぶ事無しに、全てその細胞に刷り込まれた記憶という、状態での働きをする事です。

言い換えるなら、生命として芽生えた瞬間から働き始めている働きそのものの意思を持っている事に通じています。

二番目に書く事は、生物学的な機能です。生物が『命を守る働き』としての機能です。生まれたばかりの赤ん坊でさえ『全てが備わっている事実です。』蛙が蛇に出会った場合の『記憶』と言うようなものです。蛇が蛙を見た場合に『食物』としての行動をする記憶とも通じています。この記憶とも言いうるような働きを『全ての生物が独自に持っています。』

赤ん坊が、習う事無く、不安になったり安心したり、恐怖に打ち震えたりする働きの事です。人間の場合では『身の毛もよだつ』という場面では『身の毛をよだたせている者』として働く働きの事です。

三番目に書く場合ではその機能は行動学上の機能です。身体を自在に働かせる機能を持っている事をあげる事が出来ます。この説明をする場合には、説明し難い部分がありますので、分かり易い話でする事にします。

この行動学上の機能から説明出来る事が『神経症』の範疇に入るからです。私なりの『神経症論』です。

神経症とは、自我意識が自我意識単体で行動が出来ると勘違いする事から発症しています、言い換えるなら、『無意識の自分』への信頼関係を失ってしまう事に相当します。全ての神経症は自我意識と『命の働き=右脳の意識』の交替制が崩れる事に起因します。

人間の心は『意識する自分と言う意識』と『無意識の時の自分という意識』が交替制をキープする事から、正常な生活が保障されています。

神経症の場合には『意識する自分』から『無意識の時の自分』に交替制が出来無くなった事がその発症する原因です。その交替出来無くなった事が、具体的な症状です。それは『無意識ですらなら、只すらすら出来るのに』意識した瞬間から出来なくなる事です。その出来ない事によって『生活が守られないために』尚更意識するようになっています。

症状がなくなる事を意識して益々『意識地獄にはまっている』状態です。しようとする事で、益々出来なくなる事です。

従って神経症とは『意識する事によって行動が制限されてしまう症状』という言い方が出来ます。

是に対して『心を病む事や、精神病』とは、意識の力で精神の健康を保とうとする事による歪です。心が休まっている状態とは『意識しない事』です。意識しない事とは『無意識の自分に心を預けた状態』です。

この反対に『心を病む事や精神病』は自我意識が出たままになって、無意識の自分に切り替わる事が出来ない状態で『心を詮索する事』です。

神経症とは、自我意識が出たままで『行動しようとする事です』

始めに書いた『身体の機能のうち植物学的』という表現の場合には『自律神経失調症』が当てはまります。

この三つは、基本的には同じです。『心の矛盾』を別な形で受け取っているという意味になります。その意味する事は、『自我意識には出来ない事をしようとしている意味においてです。』

無意識の自分なら出来る事を、無意識の自分と仲違いしているために(信頼できない状態)自我意識=左脳の人格がやろうとしている事を意味します。幾等努力をしても出来ません、何故なら、出来る機能が備わっていないからです。

無意識の自分に切り替える事が出来ない状態を意味します。この場合の意識に挙がる事柄が『行動上の場合』を神経症。

心や感情の場合が、心を病む。

身体的な機能に疑いを持った場合が、自律神経失調症と云う事になります。

それは『自分自身に疑いを向ける』という意味です。自身の中に存在するもう一つの意識に『気が付いた』と言う意味になります。そういう人の事を神経質な人、あるいは不安になり易い人と形容しますが、『自分自身に敏感』と言う意味になります。

自分自身の何処に敏感かというと、『自分自身の命の働き』に敏感と言う意味になります。命そのものの働きの事を、お釈迦様は『仏性』と名前をつけました。

キリスト教では『神』です。脳科学的に言うなら『右脳の意識』です。何処に存在するかというと『自分自身の無意識の中にです。』

如何いう働きをするかというと、身体の機能全てを掌握していて、自分自身の命を働かせています。暑かったら汗を流す仕組みです。おまけに心には涼しいところや、水分の補給をするように働きかけています。

身の毛もよだつような場合では、身の毛をよだたせていながら、自我には身の毛がよだっている事も『情報として教える働きもしています』当然脳内ホルモンはそのときその時の最善の量が、出ています。

今の精神医学では『症状の軽減』を目的にしています。ですが症状の軽減を図る事が、何も異常がない事までも『意識上に載せて問題にして』症状として発症させています。

その発症した症状を取り除く努力が、その症状を硬く固定させています。今の精神医学では寛解が限度かも知れません。何故ならその原因まで切り込んでいないからです。

精神科医が処方している薬は『脳梁から送られる情報を遮断する効果で成り立っています。』

本当の問題とは『その情報を受け取ってしまう事』だからです。自分自身からの情報を分け隔てしないで受け取る事を『自分自身を知る』といいます。

言葉を替えて言うなら、自我意識たる意識が『好きと嫌いで、脳梁からの情報の受け取りを拒否する場合があります』その場合には、その情報を送る者が『受取ってもらっていない事が分かる事によって』その情報を少しずつ大きくして再送しています。

益々自我意識は受け取れなくなっているからです。

是は言葉を換えるなら『頭の中の世界と』現実の世界が食い違ってしまう事を意味します。この場合の『頭の中に作られた世界が、妄想です。』

今の精神医学は妄想の相手をしている事を意味します。その行き着く先が『寛解』になっています。
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いろいろと意見が出ているようなので・・・



私はいろいろと精神医学の本を持っていますが、
その中から、一説を引用します。

心理学・精神医学 概論のHP
~:~:~:~:~:~:~:~:~:~:~:~:~:
ここで、One Pointを書きます。
精神病と神経症、あなたはどのようなことを想像しますか?

(1)
「神経症」という用語であるが、これは非常に誤解されやすい概念である。
つまり、あたかも神経に異常が生じているために発生する症状であるかのように
受け取られやすいのである。しかし、臨床心理学や精神医学において神経症と
呼ばれるのは、中枢神経系における異常が認められない(疑われない)場合である。
したがって、研究者によっては、このレベルのものだけを[心の病]と呼んでいる。
(2)
「精神病」という用語も非常に誤解を招きやすい。これは逆に、神経には異常が
生じていない「心の病」であるかのように受け取られるからである。しかし、
臨床心理学や精神医学において精神病と呼ばれるもののほとんどは、中枢神経系に
おける何らかの異常が疑われる(認められる)ものである。したがって、精神病レベル
の症状が出ていると認められるときには、通常、医師による投薬等の処置が求められる。
(出典:岩波書店 現代心理学入門 5 臨床心理学)

ちなみに神経症はneurosisというそうで、これはノイローゼと読むそうです。

DSM-IVの分類には神経症という項目はありません。これは以下の理由によります。
(1)の定義に従い、神経学的に異常が認められていないものを神経症といいますが、
実は、研究が進むにつれて、神経学的、もしくは、生物学的な異常が見つかって
きたものが、多々あります。そのたびにその病名が神経症のカテゴリから
外されていたのです。そんなことを繰り返しているうち・・・とうとう、神経症という
カテゴリそのものをなくそうという動きになったのだそうです。
そういえば、最近は、特に医師からはノイローゼという言葉は聞かなくなりましたよね。
ただし、ICD-10の方にはまだ、神経症という言葉が残っているようです。
    F4 神経症性障害、ストレス関連障害および身体表現性障害

今回はこの辺で。
~:~:~:~:~:~:~:~:~:~:~:~:~:

ご参考まで。
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神経障害や神経疾患という神経の病気と「神経症」は別の概念だということはご承知と思います。



さて精神病と神経症ですが、一般的に「ちがう」という場合は、だいたい以下のような点について区別していいます。(●あくまで「だいたい」で厳密に分類することはできません)

 神経症 心理的な原因による。心因性。
     身体的(器質的)な病変はない。
     精神的/身体的な自覚症状が強い。

 精神病 主に内因性か器質性。
     神経の異常による。
     統合失調症と躁鬱病(二大精神病)。病識がない。

しかし一方、うつ病は神経症か精神病か。そう簡単にきめられないのですが、「精神病性うつ病」という病名(詳細は検索してください)も使われることがあるため、ふつうのうつ病は「神経症的」なのかもしれません。

また妄想や幻覚があるというと「精神病性」と考えられがちですが、PTSDや解離性障害にも(傾向は異なりますが)ある症状です。このPTSDや解離性障害は昔「ヒステリー」などと言われた神経症ですが、現代では統合失調症にまちがわれてしまったりしています。

診断や分類の上では神経症と精神病という区別はあまりしなくなっています。

一般的にどうということでなく、ご質問中のドクターの説明では私もよくわかりません。より詳しくうかがってはいかがでしょうか。
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神経症と精神病は違います。



神経症は例えば脳の神経に外傷とかがあって、それが原因で病状が出るもの。
精神病は、何らかの原因で脳の神経伝達がうまく行かず、それが原因で症状が出るものです。

体の病と心の病の違いといえば、わかりやすいかと思います。
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