牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

昔々、ある宗教Aに♪さんは入りました。

初めは素直に少しだけ頑張れていたのに段々と頑張れなくなりました。

月日が経つにつれ♪さんは思いました…
お正月は神社さんへ初詣へお彼岸には各お寺さんの御先祖様へのお墓参り…そんな幼い頃からの信仰心が向いているのではと悩みはじめました。


深い宗教の世界でも合う合わないを思うのは間違いでしょうか。

A 回答 (5件)

間違いではないと思いますよ。


だって、仏教だって宗派はいろいろあるじゃないですか?
もともとの教えはお釈迦様一人ですが、それを習得する為の方法=宗派はさまざまです。
お釈迦様だって、悟りを開く前は、さまざまな師の元を渡りながら修業されたんですよ。

この回答への補足

皆様回答ありがとうございました。

皆様の回答が参考になりました為始めに回答戴きました回答者様をベストアンサーとさせて頂きます。

誠にありがとうございました。

補足日時:2010/07/03 12:15
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

無知でした。
ありがとうございます。
参考になります。


間違いではないと回答頂き少し安心致しました。
誠にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/02 18:16

深い宗教の世界でも合う合わないを思うのは間違いでしょうか。



○宗教は「信仰心」の部分と「知識(特に霊界の知識)」の部分があるのですね。
知識をおろそかにして「信仰心」を追及するばかりでは疲れてしまうこともありますね。
知識が軽薄な場合「信仰心」のみに重きが置かれますからね。
「信仰心」と同時に宗教における正しい知識をしっかり身につけると、正月には神社へ、葬式も、12月はクリスマスケーキで良いことがわかるのですね。
クリスチャンであろうと仏教徒であろうとイスラム教徒であろうと何教を信じようと日本に生まれるには神道の神様(アマテラス所管)の許可がいるのですね。だから何教であれ神社での感謝は必要ですね。こんなのも知識ですね。
お盆に地獄の釜の蓋を開けるのは仏教系の諸菩薩の所管ですね。だから、先祖参りや仏閣への感謝も必要なことですね。(註:転生輪廻のシステムは仏陀が作ったので仏教系の所管と言うことです。)
宗教といっても洗脳の世界ではなく、もっと広大で深遠な世界があるのですね。
だから、どのような宗教で「信仰心」を深めても「心の欲するところ」は大切にしないといけませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。


参考になりました。


ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/03 07:38

>深い宗教の世界でも合う合わないを思うのは間違いでしょうか。



 組織の規模の大小に関わらず、いずれ合わなくなります。家族も組織だからいずれ消えるし、合わなくもなります。

 最小単位は自分自身です。

 No.2,3さんについてはすいません、他者の主張や吐き出されている情報を詰め込みすぎて自分で考える能力がなくなってしまったようです。

 いずれにせよゴミを積み重ねていけば消えていきます。若いとき、元気なときは組織に入っている安心感もあり、調子に乗っていることもできますが、いずれその反動がきます。

 仏教でさえ仮の宿です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

参考になります。

『大小に関わらず…』
…それぞれ信じる心次第ということですね。


定まらない心は本当に難しいです…。


『ゴミを積み重ねていけば…』
ゴミ=疑問と捉えますと納得致しました。


元気云々や組織の大小に関わらず宗教は多かれ少なかれ考える世界ですね…本当に難しいと思いました。


No.2様に関しましてですが…回答を戴き有り難いと思っておりました。

仏教でさえ仮の宿…


仏教なのに…


答えはシンプルで良いのかもしれないと思ってしまいました。
とても参考になりました。
誠にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/03 04:16

>勉強させて頂いているところは誠に誠実な真剣勝負な良いところです。



ええ、死刑囚の林郁夫も誠実で真剣勝負なところに、「ここしか無い」と確信したんだと思います。


>なのに何故悩むのかとなりますが…
>やはり幼き頃からの信仰心への考えが根強くあり自分には自然なのではと思う為だと思います。

まっ 某宗教だとしたら、あそこはその宗教が神とする人というか物意外を拝んではいけないからでしょ?
ご先祖を拝んだりするなんてご法度だし、神社仏閣に言って参拝しても駄目。
見学ならいいらしいが。

幼い頃から信仰することに強い関心を持っていたのは、家庭が機能不全だったからじゃないんですか?
それで帰依 つまり 心のよりどころを外に求めたんじゃないんでしょうか?

自分が他人の心のよりどころになれば済むことなんじゃないかと。
それはいや? 責任はとりたくない? 子どものままでいたい?
うーん 保護されたいってやっぱり幼児時代に親からの愛情をちゃんと注がれなかったために 常に欠乏感にさらされることになってしまったんじゃないかな?って思います。
視床下部ってのが動物の原始的な欲求の発生場所で、発達する幼児の頃に適切な愛情を注がれると、視床下部から発生する欲望をうまくコントロールできるようになり、心の飢えが起こらないみたいですよ。
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この回答へのお礼

<(_ _)>御親身に再度の回答ありがとうございました。

参考になります。ありがとうございました。


当方の文章がいたらない為誤解させてしまいました所を改めてお伝えさせて頂きます。

『誠に誠実で…』と申しましたのはお勉強に参加させて頂いていた期間に感じた部分の感想でございます。

御先祖様供養に関しましてでございますが、宗派関係なく御先祖様のお墓のお有りになるお寺様へお墓参りされていると伺いました。

経本要典には御先祖様供養させて頂く部分がございまして朝夕真面目にお勤めされている方々は朝夕御先祖様供養されていることとなります。


神社仏閣への参拝に関しましてですが、今は自由で良いですよと教わりました。


そして幼き頃の愛情に関しましては不器用ながらも両親の愛情をいっぱいいただき育てて頂きました。
信仰心でございますが地蔵盆があればお菓子を戴ける嬉しさに大きな御数珠を回させて頂いていたり、初詣りへ神社さんへ行かせて頂いていたりと自然な感覚でして強いものではございませんでした。

とても参考になる回答をありがとうございました。


人様の心の拠り所になれる様に頑張ります。


誠にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/02 21:55

1Q84ってのがヒットしているらしいです。


多読症の私ですが、何故か科学の方に今関心が向いており、本屋でどっちにしようかな?と悩んで科学雑誌買ってしまった・・・

ただ wikiを読んで興味を覚えたので、そのうち読もうとは思っています。

どこらへんに興味を持ったのかというと

『ごく普通の、犯罪者性人格でもない人間がいろんな流れのままに重い罪を犯し、気がついたときにはいつ命が奪われるかわからない死刑囚になっていた??そんな月の裏側に一人残されていたような恐怖」の意味を自分のことのように想像しながら何年も考え続けたことが出発点となった。』


『僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる」

「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです」』


最近やどかりに興味を持っていて、らぶりー とかネットのホームページを眺めている。
適当な宿を見つけるとおひっこしするらしい。
体がでかくなるとまたお引越しして自分の身体にフィットした宿を背負うらしいです。
移動式シェルターですね。

やどかり君は自分だけのマイシェルターを持っている。
人間の精神的なシェルターの最小単位は家庭だとしたら、最大シェルターは国家かな?
宗教はその中間なのかそれ以外のものなのかよくわからないが、一種の宿ではあると思う。

裸だと危ないので、シェルターに所属することで安心感とか仲間意識とか芽生えて安全の確保ができるわけです。
人間って所属の本能がありますから。
ただ、マッチしないと、やがて息苦しくなり、それでもなんとか囲い込みの形に身体を捻じ曲げ合わせようとはするが、結局 自分とは形が違う箱にとうというマッチできないと、箱からプハーって出ることになる。

遠藤周作氏がそう。
人生の多くをキリスト教信者になることに捧げた。
でも結局 どんなに身体を捻じ曲げてもキリスト教を心から支持することができず、晩年仏教に帰依してやっと落ち着くことができたらしいです。

探していたのは自分の足元にずっと前からあったってことですね。

最小単位の家庭ってものに属していたら、それで十分で、それ以上欲張ると、組織に利用される駒になってしまうんじゃないかと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます…。


申し訳ございません。
当方理解力が乏しい為か回答戴きましたのに非常に難しい文章でして…頑張って繰り返し読み返してみます<(_ _)>。


『探していたのは…』の部分には考えさせられます。


そして誤解があるといけません為お伝えさせて頂きますと…私が勉強させて頂いているところは誠に誠実な真剣勝負な良いところです。


なのに何故悩むのかとなりますが…やはり幼き頃からの信仰心への考えが根強くあり自分には自然なのではと思う為だと思います。


誠にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/02 18:34

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