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江戸時代、地方に住む町民や百姓を対象にした
通信教育(飛脚便で課題を送り、添削して返送するとか)のようなしくみはありましたか。
和歌や俳句ならできそうな気がするのですが…。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

佛大通信 vol.436に、掲載された佛教大教育学部教授 白石克己先生の文に


江戸時代の通信教育が触れられていましたので、紹介します\(^^;)

・本居宣長は「松坂の一夜」で有名である。若き宣長が老学者・賀茂真淵とたった一晩の面談で師弟の契りを結んだというエピソードである。しかし宣長は「一夜」の対面教育だけで学んだのではない。6年の長きにわたって真淵から遠隔教育を受けていた。宣長は真淵に『万葉集』の解釈などについて細々と質問を送り、添削指導を受けていた。真淵も宣長に時に破門寸前の叱責をーーもちろん書簡でーー浴びせて、熱心に指導した。宣長自身、その後、約500人の門人に対して遠隔教育にあたった。書簡の交流によって師弟関係は築かれた。その結果、地域によっては学習ネットワーク(社中という名の支部活動)ができていたし、遠隔地の門人同士が手紙の交換をしていた例もある。
 江戸時代は身分が違うと言葉を交わすことさえできなかったけれども、飛脚を利用した文通も盛んであった。この文通を活用して和歌や俳諧、和算などの通信教育があった。服装も髪型も言葉遣いも異なる者同士が直接、対面すると、両者の身分差を強化してしまうけれども、手紙のうえでは師弟関係でも対面時ほどの堅苦しさはない。文字コミュニケーションが2人の間柄を捨象することができるからである。まして学問上の真偽の探求をめぐる書簡の交流では師弟も対等になれる。両者の間柄、それぞれの人柄からはいったん自由になり、事柄の是非だけを文字で吟味できるよさがある。


※当時の手紙は、飛脚に、お願いするのですが、手紙一通の送料が、現代の金で数千、数万だとか。
よほどの金持ちでなければ、経済的負担も大変です。当時の人の知的欲求への熱意に、頭が下がります\(^^;)...
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この回答へのお礼

こんな例がありましたか!
驚きです!
ご回答の根拠も明快で、ご教示に感謝します。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/03 10:38

お初です


江戸期以前には制度としての「通信教育」はありませんでしたが、有名なところでは加茂真淵と本居宣長の手紙のやり取りでの指導があります。"通信教育"と言えなくもないですね。江戸後期には寺子屋の発達とともに識字率が上がってきますので(就学率は推定で4割程度)、平仮名や簡単な漢字の読み書きの出来る庶民がある程度いたようです。飛脚便は江戸市中であれば料金は数百円からありましたので(町飛脚)通信教育も出来そうですが、現実には寺子屋の先生で事足りるのではなかったかと思います。
通信教育が実施されたのは明治以降です。
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この回答へのお礼

「加茂真淵と本居宣長の手紙のやり取りでの指導」のような話を期待していました。
確かに「通信教育」は明治以降だと思いますが、ではいったい「だれが、いつ頃、何を」
始めたのか、また新しい疑問が出てきます。
ちょっと調べてみて、分からなければいつか質問してみたいです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/03 10:55

奥の細道



松尾芭蕉は知らない土地に行ったのではなく、それぞれの土地の弟子の元を訪ねていきました。
手紙のやりとりをしていたわけで、そのやりとりを通信教育というのであれば、通信教育と言えなくも無い。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私は、芭蕉を念頭に置いて質問しました。
正に通信教育、出張授業だと思っています。

お礼日時:2010/07/03 10:43

江戸時代の飛脚運賃は、江戸・大阪間で2~3分だったようです。


江戸時代の1両は4分ですから、幕末頃の米価1石(150kg)1両として、現代の貨幣価値に換算すると4~6万円になります。
即ち、1分は現代の1万円から1万5千円の価値ですから、2分は2~3万円です。
1回の添削に、このような高額料金が町民や農民に払えるでしょうか?
そして、江戸時代には戸籍制度がありませんでしたから、町民や農民には氏(苗字)もありませんし、住所の表示もありませんでしたから、個人を特定する事が出来ずに飛脚も配達出来ないはずです。
町民が飛脚を依頼する場合は、大店(おおだな)等に限られてようです。
飛脚の多くは武家の依頼で動いてたようですから、庶民が飛脚を依頼するなどは考えられない時代です。
そもそも、庶民(町民)や農民の大半が「読み書き」の教育を受けてない時代ですから、文字が書けなかった時代です。
和歌や俳句は、一部の知識人や公家・武家が嗜んでいただけで、町民・農民には無縁だったのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

江戸期後半には、地方の裕福な百姓や商人が数ヶ月に亘るような旅をしています。
かなり多くの旅日記も残されていて、その様子を知ることができます。
旅先から土産物や着替えを飛脚に頼んで、実家に送っている例もあります。
また、商人仲間には「歌仙を巻く」集いもありました。
裕福な人たちの知的探究心はすごかったと思い、質問しました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/03 10:41

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