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中学生の野球大会での応援「あるよあるよ~!」って、アリですか?
中学生の野球大会で、凡打の際に応援席から「あるよあるよ~!」という声がかかったのを何度も聞きました。野球をあまり見ないので、何が「ある」のかを聞いてみると、「相手のエラーが“ある”から全力で走れ」という意味だそうです。
なるほどとは思いましたが、相手にしてみれば「お前らはエラーをする」ということを大声で言われていることになります。それって、どうなんでしょう?
よく応援を聞いていると、相手のエラーに「ラッキー!」とか、動揺させるためなのか「ピッチャーびびってるよ~!」とか、フライが上がったら「とれないとれない!」とか、相手への配慮のない言葉がドンドン出てきています。
プロ野球ならば野球が仕事なので何でもありなのかもしれませんが、スポーツで若者の心と体を育てるという意味合いでやっているであろう少年野球で、そのような応援はアリなのでしょうか?
また、そのような応援は珍しいのでしょうか?

A 回答 (5件)

No.2です。


元来こんな感覚的なことを態々言葉で説明するのには抵抗がありますが。

>>『走れ』ではなく『あるよ』の理由
私は、状況把握の必要からこうなっていると考えます。
ただ『走れ』といわれるより、エラーがありえる状況だと認識することで次のプレーへの準備になります。

もうこうなると、単純に『感覚の差』としか言いようが無いですね。
競技者自身に『こういうこと言われてどう思うか』と問いかけるしか確認する方法がなくなってしまいます。
貴方の感覚では異常、ですが多くの野球選手には別に気にするほどのことでもない。
貴方のボーダーラインが多くの選手より低い、それだけのことではないですか?
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この回答へのお礼

重ねての回答ありがとうございます。
「貴方のボーダーラインが多くの選手より低い、それだけのことではないですか?」ということなのでしょうね。
野球をしている人は野球をしている人を基準にするし、私は自分と同じような人を基準にすると言うことなのでしょう。お互い、別の価値観の人と接するときには注意が必要ですね。

お礼日時:2010/07/06 22:44

回答してなかったので



>そのような応援はアリなのでしょうか?

普通のことなので、ありです。

>また、そのような応援は珍しいのでしょうか?

普通のことです。
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この回答へのお礼

重ねての回答ありがとうございます。
普通のことなのですね。
スポーツを通して、相手のことを考えられない、対戦相手に敬意を払う行動がとれない、そんな子ども達がたくさん育てられているとしたら、とても残念です。

お礼日時:2010/07/06 22:51

守備してるときって


あんまり相手の野次って聞こえてないので。

味方の応援はよく聞こえるんですけど

相手の応援席からなんてほとんど聞こえてないというか
気にしてないから聞いてないです。
ベンチとかにいると相手のヤジは聞けるんですけどね。

中学野球ならその程度のヤジで動揺するのは
一つ一つのプレイに集中できていないことになるので
そちらの方が問題かなと思います。

私としては雑音に負けずに一つ一つ自分のすべきことをしなければならない
という点からすれば十分心を育ていると思いますけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「雑音に負けずに一つ一つ自分のすべきことをしなければならないという点からすれば十分心を育ていると思いますけど。」
なるほど。受け手としてはそういう視点もありますね。
私としては、野球の世界では「中学生が平気でヤジを飛ばすようなことで良いのか」という点が、あまり考えられていないようなのが残念に思います。

お礼日時:2010/07/06 22:48

大雑把に言えば、『味方を鼓舞する』のか『相手を揶揄する』のかが分かれ目になるでしょう。


たとえば、『あるよ』の掛け声は味方に全力疾走を促すための言葉です。
これは十分にありでしょう。
同じような内容で、四球のあとに『初球甘く来るよ』という言葉を掛けることもあります。
あくまでこのあたりは注意喚起です。
『ラッキー』(『儲けた』など)も、『ここからチャンスをつかもう』という味方への声掛けという意味合いが強いですから、問題ないと思います。

ですが、『ピッチャーびびってる』や、『取れない』(あるいは『落とせ』)などの相手を揶揄する、あるいは目的そのものが相手を動揺させるためのものなどは好ましくないでしょう。
(味方を鼓舞するための言葉に相手が動揺してしまうのは、相手側の問題だと思います)

味方に掛けている声か、敵に掛けている声かである程度は判断できるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
言っている側の主張としては、すべて「味方にかけている声」なので問題なしとのことでした。しかし、その声は間違えなく相手側にも聞こえているわけで、そのことへの配慮無く「自分の側にかけている声だから相手がどう感じても関係ない」という態度はどうなのかと思うのです。

「『あるよ』の掛け声は味方に全力疾走を促すための言葉」であれば、「行け!」でも「走れ!でも「全力!」でも何でも良いじゃないですか。それを「(エラーが)あるよ!」とするのはなぜなのでしょうか?

「『ラッキー』(『儲けた』など)も、『ここからチャンスをつかもう』という味方への声掛けという意味合いが強いですから、問題ないと思います」という点についても、スポーツによってはバッドマナーとして禁じられている行為です。(その競技の大会でもそれが周知されていないようで残念な思いをいつもしているのですが)
相手のミスであれば、黙ってほくそ笑んでいればいいわけで、相手に聞こえるように「ラッキー」と叫ぶ必要があるのでしょうか?

自分の仲間に言った言葉だから、それ以外の相手がどう感じても関係ない。という考え方は、まずいんじゃないかなと思うのです。

お礼日時:2010/07/05 00:30

「心と体を育てる」ということが建前にすぎないからです。

指導者という人の中には野球バカで社会人としては非常識な人だということもあります。高校野球で甲子園に出場するレベルと言うとそこの監督も指導者としては優秀なはずですが、昨年も問題発言をして辞めた監督もいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「心と体を育てるということが建前」というのは残念ですね。問題発言の一つや二つは人間だからあるんだろうと思うんですが、日常の活動の中で「心を育てる」に向かわないのであれば、真面目にやっている子ども達はかわいそうですよね。

お礼日時:2010/07/05 00:35

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