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添削をお願いします。1週間以内に生活体験発表会があります。

6日後に生活体験発表会があるのですが、その作文の添削をお願いします。
テーマは「新しい自分」で「私は暗い性格でこれからどうしたいか」ということもとに、なぜ暗い性格になったのか、変わるためにどんな経験をしたのか、そして今どうしたいのか、といった流れで書いたつもりが「何か違う・・・」と思いまして、皆さまの意見やアドバイスを教えてほしいと思いました。




 突然ですが、私はどんなことがあっても、死ぬまで私という人間です。この事は誰でも当てはまることだと思いますし、当たり前のことです。ですが私はこの当たり前のことがいやになることがあります。自分が嫌いになり、「どこかに行ってしまいたい」、「生まれ変わりたい」と思うのです。こんなことを聞くとほとんどの人は暗い人間だと思うでしょう。事実、私は暗い人間で私の大きな悩みです。
 中学生のころの私は「学校に行きたくない。」と思いながら過ごしていたのを覚えています。中学生になると思春期や反抗期などがあり、生徒の一人一人の考え方が変わっていきました。今まで仲の良かった友達も会話が減り、一緒に行動することも少なくなっていきました。私はみんなの心の変化についていけず、学校の中では孤立した存在になってしまいました。私だけが取り残された気分になり、いつしか他人の目線や話し声に敏感になって行きました。私の前を通りすぎるひと、私の方を見ながら会話をする人、「自分はおかしな事をしていない。」そう思いこんでも、他人のことが気になり、日が立つにつれて、挙動不審になり引きこもりがちになりました。それでも、一緒に話し合ったり、遊ぶことのできる友達も少なからずいてくれたので、なんとか学校には行き続けることができました。
しかし、対人関係の方は神経質になったままで、「周りのことなんて気にするな。」、「うじうじしないでもっと明るくなれよ。」自分自身に日々説教されます。悩みに悩んだ末、「今の自分が嫌なら、自分の心を捨てて、新しい自分になればいい。」そう思った瞬間、ほんの少しですが自分の中で心の整理がつきました。ちょうどそのころが中学生を卒業して高校に入学する間の春休み、私にはタイミングがよく、自分が変わるチャンスだと思い。」頑張ってみようと思ったのです。
高校の入学式が終わりまだクラス全体が馴染んでないころ、できるだけ多くの人と話そうとしました。しかし、中学のこともあって思うように言葉が出ず、それでも何とかしようと思い、自分なりに声をかけ躓きながらも新しい友達を作ることができました。私は簡単変われるものじゃないとわかっていましたが、こんなに大変だとは思いませんでした。暗い人間ですから、暗い考えを根本的に変えていくのは何ともきついことで、全然前に進めないこともありました。中学に比べると明るくなったと親や友達に言われたことがあります。そう言われても心にある暗い心はなくなったわけではないので、落ち込む時は落ち込んでマイナスな考えをしてしまうので、まだまだなところも多くあります。また、私は自分を変えること以外にも学校で集中して取り組めることをしようと考えていました。私の高校では資格を多くとる機会が多かった事もあり、資格と勉強に力を入れるようにしました。そして、中間テストや期末テスト、資格テストが近くなると勉強会がよくありました。私はそういったことに励んでいたこともあり、クラスのみんなに問題の解き方を教えたりすることが多かったです。それがきっかけで滅多に話さない人とも話すことができたので「自分にできることがあってよかった」そう思いました。そのとき私は、たくさんのことを経験することで、人とのコミュニケーションが取りやすくなるきっかけになることに気がつきました。
高校生活を通して私はまだまだ自分変わりきれてないことを感じていました。積極性になれないことや自信を持って行動できないことなどがあります。しかし「きっと変わることができる。」そう確信できるようになれたことが高校生活で一番大きな経験です。
今私は、○○(勤め先なんで伏字を使います。)にいます。学生のころとは違い厳しい訓練行事を行っています。ですが、○○でできた新しい仲間としっかりと乗り越えていきたいです。これからの人生も様々な出会いがあり、楽しいことやつらいことが数多くあります。それを常に前向きに考え、何か新しいものを得るチャンスだと思い、自分を強く持って生きて行きたいと思います。



文章のつなぎや構成、「こんなふうにしたら、こんな言い方をすれば相手に伝わりやすい」といったことをアドバイスしてほしいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

No.2,3です。

お礼をありがとうございます。

>よろしければこの作文の感想をしていただけないでしょうか。
では、私の文章は棚上げにして、遠慮無く率直な感想を書かせていただきます。どうか、お気を悪くされませんように。<(_ _)>
まず文体ですが、作文を最初に拝読したときは、ご自身の日常会話をそのままで書いていらっしゃる様な印象を持ちました。
その例を以下に幾つか挙げました。

先ず、第一段落の出だしの「突然ですが」は、例え断りを入れられても本当に唐突に感じられるし、「この事は~当たり前のことです」は、頭の中で整理が着かないまま、その場で誰かと会話したのを、そのまま書き起こした様な文章になっています。

次に、第二段落の「他人の目線」という表現にも違和感があります。
「目線」というと「目線を同じくする」とか、積極的に自ら進んで相手の心境を感じ取るとか、姿勢を倣うなどのニュアンスで使われる言葉だから、ここは、「他人の視線」でないと違和感があります。

同じ第二段落の、(「自分はおかしな事をしていない。」)そう「思いこんでも」も筆者である貴方自身に対して使うことに違和感を持ちました。
だって、本当におかしな事はしていないと貴方は解っていたときもあったんですよね? ここでハッキリ事実と言えるのは、当時の貴方は疑心暗鬼になっていて、自分も同級生も誰も信じられなくなっていたということだけではありませんか? おかしくなっていたのは貴方の行動よりも、心理状態の方にあったのではないですか? 「思い込む」というと「錯誤していること」になってしまいますから、この場合は「そう自分に言い聞かせても」とした方が自然だと思います。
―― つまり、(私は錯誤何かしていない、私の行動も価値基準も逸脱なんかしていない、不安をなんとしても払いたいので) “「自分はおかしな事はしていない」そう自分に言い聞かせても” とする方が、違和感や誤解無く、読み手に主人公である貴方の感情が伝わると思います。

また、第三段落の「自分自身に日々説教されます」ですが、これも言いたいことは解りますが、やはり文章にしたときに違和感があります。
このとき貴方が自分に掛けていた言葉は、寧ろ「叱咤激励」にあたると思います。ですからこの部分は「自分自身に発破を掛けていました」と手直しさせていただきました。


作文内容に関しての印象は、日記のように思えました。
まさに、回顧録なのですが、絵画で言えばスケッチのようです。
でも、そう思えたのも質問者さんが、

>実のところをいうと、作文を書くときは経験上のことを書いていっただけなので、「この文を読んでこう感じてほしい」って思って書いてはないんですよね・・・

と仰っているので、「私が感じた違和感の原因はこれだったんだな」と思いました。反省や不安は事細かに書かれているのに、主題の筈のメッセージ性が弱いのです。悩みの部分は良く伝わってくるのに、だからどうしたいのかが、原文からは、あまり伝わってきません。
「私」が表現し切れていない。そんな印象を受けました。

そうなってしまったのは、事実をめいっぱい書き起こそうとするあまり、スケッチのように平坦になってしまい、作文全体のテーマというべき焦点が、ぼやけて拡散してしまったからだと思います。
全体に、「何故そうなって何故そう感じたのか」の部分の表現が、やや甘く感じました。日記であれば、省いても書いた本人には解るけれど、そこの部分が掘り下げて書かれていないと、読み手には原因と結果という繋がりや、その時々の感情がどう変化していったのかが伝わりにくくなります。
事実の羅列だけだと感情が生き生きと伝わらず、報告文のようになってしまいます。それは、テレビの画面を見ないで音声だけ聞いていて状況が解らなくなったり、今ひとつ主人公の感情が掴めないのと似ています。

一番気になったのは、貴方の心を支えてくれた中学時代の数少ない友人のエピソードです。事実、貴方にとって大きな存在であったはずなのに、今ひとつ扱いが希薄です。最後の段落の職場の仲間の話にも感じられたのですが、どちらの存在も、時間の流れを追うためだけに登場している様な平坦な表現になっているのが惜しいと思いました。
私の添削文では、二つの存在を絡めて書きましたが、どうでしょう?
質問者さんの中では二つの存在は繋がらないのでしょうか?
正直それは有り得ないのなら、私の添削文は無視して練り直してください。原文にある真摯な持ち味が損なわれてしまいますから。


>失望してしまいましたらごめんなさい。
こちらこそ不躾なことを書いて申し訳ないです。
遠慮無く添削文のおかしな所はどんどん直して、要らないところも省いて、貴方らしい作文に仕上げて下さい。
発表会、頑張って下さいね。

この回答への補足

すいません。十分すぎるほどの添削をしてもらったのに、もう一文、添削をお願いできませんか。

第一段落の出だし、「人間とは~」から始まりますが、自分なりですが客観的にみると「急に何を言い出すんだ?」って感じに思えてしまいます。

もっと出だしを何というか・・・スムーズな形?で入りたいのですがどんな文にすればいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

補足日時:2010/07/11 21:01
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>>作文内容に関しての印象は~
鋭い指摘でグサリときました。
私自身、この作文を何度も読み直すと違和感がありました。それこそ最初の質問に書かれた「何かが違う・・・」だったと思います。そして自分がそんな文を書いていた一番の理由も中学生時代(高校生も若干含みます)が私自身のトラウマで「できるだけ書きたくない」という思いがあったからだと思います。
なので、生活体験発表会に選ばれたとき「過去の自分を言いたくない」という気持ちでいっぱいでした。
いまだに過去にしがらみついている私自信、まだ前向きになっていないと思います。
ただ、回答者さんの添削した作文を読んで、改めて前向きになろうという気持ちがありました。
なので、添削してくださった以外にも感謝をいいたいです。


>>私の添削文では、二つの存在を絡めて書きましたが、どうでしょう?
私にとっては十分すぎるほどです。ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/11 09:36

No.2,3,4です。


返信が遅くなり、誠に申し訳ないです。
言い訳になってしまいますが、中々文章が拈り出せませんでした。
他にも気になる箇所がありますが、第一段落だけ手直ししました。

今回が投稿の最後になります。
発表に間に合うと良いのですが…。

以下が添削文になります。
-----------------------------------------------------------------
 私には、未だに克服仕切れていない大きな悩みがあります。人には、その人その人の個性と、影を形作った過去があるものです。如何に前向きに変わりたいと願おうとも、私の中には、一足飛びには変えられない自分がいるのです。その悩みと向き合い続けることは、死ぬまで自分であり続けることに他なりません。私は、この当たり前の現実が嫌になり、「どこかに行ってしまいたい」、「生まれ変わりたい」と思わずには要られなくなることがあります。これでは、自己否定感の強い人間だ、暗い人間だと受け取られても仕方のないことです。このことは、自分でも認めざるを得ない現実でもありますが、私を可能性に向かわせる人間に変えて行った大きな力でもありました。
-----------------------------------------------------------------
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No.2です。

ご返信、ありがとうございます。

>回答者さんが「少し余所余所しく感じた」と思われたのは~。

こちらこそ、お気遣いありがとうございます。<(_ _)>
本当のところ、その「余所余所しさ」こそが、当時の質問者さんの心情を良く表した言葉だとも感じていましたので、手を入れることが本当に良いことなのか迷いました。
生の感情が伝わって、そのままの方が良いように思えたのですが、第三者からみると不自然な引っ掛かりを感じるのではないかと、つい、手を入れてしまいました。
多少違和感は感じられるものの、第二段落の「生徒の一人一人の考え方が~」とか、第四段落の「できるだけ多くの人と話そうと~」などは、「クラスメート」と直さずに、そのままの方が、当時の質問者さんの疎外感が伝わって良い面も感じられます(最終判断は、筆者である質問者さんにお任せします)。
また、各段落のテーマについて、以下(*** から下の部分)のように展開すると流れが良くなり、全体のテーマを浮き彫りにすることが出来ると思います。

私が、質問者さんの作文を読んで感じたテーマとは、「人は、コミュニケーションを取ることによって可能性を広げることが出来る」ということですが、もし、違っていたら補足してください(返信は出来ないかも知れませんが、どなたかの目に留まるかも知れませんので)。
また、補足の必要を感じなければ、以下の各段落の要旨から、ご自分の意図に合致した部分を参照しながら、ご自身の言葉で原稿をお書きになって下さい。


>割合させていただいた部分とはどこの文でしょうか?そしてその文はどの辺に入れるもでしょうか。

割愛させていただいた部分とは、原文の第四段落の
『(中学のこともあって思うように言葉が出ず、)それでも何とかしようと思い、自分なりに声をかけ躓きながらも~マイナスな考えをしてしまうので、まだまだなところも多くあります。』の部分です。
これは、No.2の添削文に対応させると、第四段落の、
《しかし、中学のこともあって、思うように言葉が出ませんでした。》の直後の、
《それでも、ネガティブな自分に負けない様、諦めずに声を掛け続けると、新しい友達を作ることが出来ました。》の部分にあたります。

No.2では、当初は原文を生かした添削文を書いていたのですが、文字数制限に引っ掛かってしまったことや、苦難や反省を書き連ねるよりも、「どうやって悩みを克服していったのか」ということに焦点を当てた方が、テーマが伝わりやすいと思ったので、あの様な形で添削することにしました。

*  *  *  *  *  *

【第一段落】私は自己否定感の強い人間である。故に、自分を「暗い人間だ」と思っているし、「前向きな人間に変わりたい」と心から願っている。私がそう願うようになったのは、過去にコミュニケーションが上手く取れず、対人関係に悩んでいたからだ。

【第二段落】私の悩みは中学生の頃始まった。何故なら、思春期や反抗期に入り、「生徒の一人一人の考え方が変わっていったから」だ。
周囲の変化について行けず、「取り残されていく私」、「自信を喪失して、人間不信になっていく私」。しかし、私が潰れずに済んだのは、数少ない友人の支えがあったからだ。

【第三段落】高校入学前の春休み。相も変わらず、対人関係に悩む私。しかし、中学の二の舞は踏むまいと、新しい高校生活に希望を託し、以前の自分から脱皮することを誓った。

【第四段落】私という人間をどう成長させていくかという、具体的な対策と実践(1.同級生に積極的に話し掛けて友達を作る 2.資格取得・勉学に励む 3.勉強会に積極的に参加する)。
その結果得たものは、「多くの経験を積むこと、それこそが、コミュニケーションのはじまりで、要である」ということだった。

【第五段落】現在、私は○○の一員である。私は、ここでもコミュニケーションの大切さを痛感している。何故なら、私が厳しい訓練に耐えられるのは、中学時代、数少ない友人に支えられたことと同様に、今の仲間に支えられているからだ。故に、私自身も仲間の支えになりたいと心から思う。私には、意識転換を図った高校時代にも成し得なかった課題と、新しい課題があるが、コミュニケーション力をつけることで、乗り越えて行きたい。「コミュニケーション力を付けることとは、私がなりたい自分に変わること」だと知ったからだ。人は、「死ぬまで自分であり続ける」が、コミュニケーション力を付けることによって、「死ぬまで成長し続けることが出来る」し、「苦難は乗り越えられるものだ」と私は確信している。

この回答への補足

添削をしていただいたのもなんですが、よろしければこの作文の感想をしていただけないでしょうか。

補足日時:2010/07/10 15:36
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
素晴らしいアドバイス本当にありがとうございます。

>>私が、質問者さんの作文を読んで感じたテーマとは、「人は、コミュニケーションを取ることによって可能性を広げることが出来る」

実のところをいうと、作文を書くときは経験上のことを書いていっただけなので、「この文を読んでこう感じてほしい」って思って書いてはないんですよね・・・

失望してしまいましたらごめんなさい。

ただ、自分で読み返していくと回答者さんのいうように「人は、コミュニケーションを取ることによって可能性を広げることが出来る」っていったテーマになりそうです。

月曜日に発表会にあるので、添削してくださった回答者のためにも頑張ってみます。

お礼日時:2010/07/10 14:46

不要だと思った言葉や表現は省いたり、逆に必要だと感じた表現は足しています。

また、「人」や「他人」といった表現が、少し余所余所しく感じたので、「クラスメート」や「みんな」に直しました。他にも同じ言葉の繰り返しを避けるため、手を加えた箇所があります。また、説明的な言葉を単語に置き換えた箇所もあります。以下が添削文になります。


 人間とは、どんなことがあっても、死ぬまで自分であり続けるものです。私は、この当たり前のことが嫌になることがあります。「どこかに行ってしまいたい」、「生まれ変わりたい」と願わずにはいられないのです。これでは、暗い人間だと言われても仕方のないこです。このことは、自分でも認めざるを得ない大きな悩みでもあり、私を変える原動力でもあります。

 中学生の頃の私は「学校に行きたくない」と、日々そればかりで過ごしていました。仲の良かった友達とも会話が減り、一緒に行動することが少なくなって行ったからです。この頃になると、私たちは思春期や反抗期を迎えます。その為か、身近に感じていたクラスメートでさえ、考え方が変わって疎遠に感じられるようになりました。私は、その様に周囲の変化について行けず、いつしか、クラスの中で孤立した存在となりました。「取り残されてしまう」そのことに恐怖を感じて、みんなの視線や噂話に敏感に反応してばかりいました。私の前を通り過ぎる人、私の方を見ながら会話をする人…。「自分はおかしな事をしていない」そう言い聞かせても、どう思われているのかが常に気になっていたのです。そうこうするうちに、私は挙動不審になり、引きこもりがちになってしまいました。しかし、そんな中にあっても希望は残っていたのです。現実には、完全に取り残されていたのではなく、一緒に話し合ったり、遊ぶことのできる友達が少なからず側にいてくれました。ですから、どうにか学校に通い続けることが出来たのです。

 話変わって、高校に入学する前の春休みのことです。その日も変わらず、対人関係の方は神経質になったままで、「周りのことなんて気にするな」、「うじうじしないでもっと明るくなれよ」と自分自身に発破を掛けていました。そして、悩みに悩んだ末、「今の自分が嫌なら、今の自分を捨てて、新しい自分になればいい」そう思った瞬間、僅かですが心の整理がついたのです。今にして思えば、春休みとはタイミングの良い時期でした。この日を境に、「自分が変わるチャンスだ」と、中学生の自分と一緒に古い自分も卒業することに決めました。

 高校の入学式が終わり、まだクラスに馴染めないでいた頃、私は出来るだけ多くのクラスメートと話そうと試みました。しかし、中学のこともあって、思うように言葉が出ませんでした。それでも、ネガティブな自分に負けない様、諦めずに声を掛け続けると、新しい友達を作ることが出来ました。また、私は自分を変えること以外にも、新しいことに取り組むことも考えていました。そこで母校の高校では、在学中に資格を取る機会が多かったので資格の取得に努め、勉強を頑張るとにしました。母校では、中間テストや期末テスト、資格テストが近くなると勉強会がよくありましたが、私は普段からも勉学に励んでいたので、クラスのみんなに問題の解き方を度々教えていました。それがきっかけで、滅多に話さなかったクラスメートとも話すことが出来たので、「自分にも出来ることがあって良かった」と思いました。そのとき私は、多くのことを経験することが、コミュニケーションのきっかけになることに気がつきました。
《回答者補足:説明がなくともその後の繋がりで苦労は充分伝わるし、投稿文には、文字数制限もあるので、やむなく割愛させていただいた箇所があります。》

> 高校生活を通して(中略)高校生活で一番大きな経験です。
《回答者補足:これは、最終段落に手を加えることで、内容を簡潔に伝えることが出来ると思いましたので、内容は最終段落に移しました。》

 今、私は○○で、厳しい訓練をこなしています。そして、○○で出来た新しい仲間と共に、苦難を乗り越えて行きたいと考えています。私が、その様な思いに至ったり、厳しさに耐えられるのは、辛い中学時代を支えてくれた数少ない友人の存在、そして、状況の変化を新しい自分に変えて行くチャンスだと意識転換できた高校時代にあります。何よりも、高校生活で得た数々の出会いは、今日の私を支える貴重な経験となっています。これからの人生にも様々な出会いがあり、楽しいことや辛いことも数多くあることでしょう。そんなとき私は、「きっと変わることができる」そう確信できるようになれた高校生活を思い起こし、これからも、自分に与えられた課題に立ち向かい、「前向きに変わり続ける私でありたい」と思っています。

この回答への補足

返信ありがとうございます!!
読んでてすっきりした文章になっていて本当に感謝感激です。
回答者さんが「少し余所余所しく感じた」と思われたのはこの作文を書く際に先生から自分の言葉を使えと言っていたからかも知れません。(言い訳なので気にしないでください。)


>>《回答者補足:説明がなくともその後の繋がりで苦労は充分伝わるし、投稿文には、文字数制限もあるの
で、やむなく割愛させていただいた箇所があります。》

割合させていただいた部分とはどこの文でしょうか?そしてその文はどの辺に入れるもでしょうか。

補足日時:2010/07/07 21:00
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第一パラグラフ。

これからの話の概要を述べるパラグラフ。
伝えるべきは、「性格が暗いことが悩みであったこと」です。
さらに、「悩みが克服できた」という結論だけを先ず述べておくと、この後の克服のストーリーが伝わりやすいです。
また、自己嫌悪に陥ることがある、生まれ変わりを望んでいる、だから暗い人間、という論法がおかしいです。
「性格が暗い」とはそもそもどういうことを指しているのか。
後の文を読むに、周囲と上手く交流できないことを指していると思いますので、
「自己嫌悪に陥り生まれ変わりを望む⇒暗い人間」ではなく、
「自分の暗いところに悩みを抱えていた⇒自己嫌悪に陥り、生まれ変わりたいと思っていた(しかし、今では克服できた)」
という展開にすべきと思います。

第二パラグラフ。性格が暗くなってしまった過去を述べるパラグラフ。
色々と文章がおかしなところことが気になります。(例えば、同級生を生徒と表現していたり。)
また、以下のような流れですが、いきなり仲の良かった友達が減ったというのがおかしいです。
「思春期で周囲の同級生が変わっていった」⇒「仲の良かった友達が減った」
⇒「周りの変化に私はついていけなかった」⇒「私は周りから孤立していった」
⇒「引きこもりがちで暗い性格になっていった」
⇒「それでも友人が少しはいたので学校には行き続けることができた」

順序を変えた方が良いでしょう。
「思春期で周囲の同級生が変わっていった」⇒「周りの変化に私はついていけなかった」
⇒「仲の良かった友達が減った」⇒「私は周りから孤立していった」
⇒「引きこもりがちで暗い性格になっていった」
このパラグラフの伝えたいことからは、最後の友人が少しはいた云々は不要と思います。

第三パラグラフ。克服に向けてのがんばりをアピールするパラグラフです。
伝えたいことがあれこれとあって、話が無茶苦茶になっています。
「高校入学を期に、出来るだけ多くの人に話しかけるようにしたこと」
「それでも中学時代に染み付いたマイナス思考から、なかなか上手くいかなかったこと」
「諦めずに根気良く変わろうと努力したこと」
「結果、多くの友人を作れて、周囲からの孤立した状態ではなくったこと」
ここら辺のポイント絞って伝えた方がわかりやすいです。

第四パラグラフ。高校時代に得た教訓をまとめるパラグラフ。
後半は良いが、前半のまだまだ変わりきれていないという部分で、
なにを伝えたいのかわからない。
「(くじけずににがんばることで)自分を変えていくことができるということを確信できた。」
と伝えることが重要。

第五パラグラフ。得られた教訓を今後どう生かしていくのか伝えるパラグラフ。
得られた教訓と関係ないことが書いてある印象です。
これまでの話では、「変わることができる」ということが主軸だったのに、
「仲間と乗り越えること」とか「前向きに考えるのが大事」という主張になっています。

この回答への補足

詳しい内容での回答ありがとうございます。

すごい回答ありがとうございました。とてもわかりっやすいです。

まず暗い性格ですが、今現在、完全に克服できてないなので、最後のパラグラフは克服できるよう一人であれこれ悩まないで、これからはみんなと協力しながら克服したい。
と伝えたかったのですが・・・

なので、第三パラグラフも完全に克服できてないにしろ、何かを得る、経験することが仲間とのコミュニケーションをとる事できる経験につながることに気付いたで終わらせてみました。

暗い性格=積極性がない、マイナス思考 → 自分が嫌になるってイメージを勝手に作っていましたし、明るい性格=前向き思考という念が私にはつよいのでその文も入れていました。


あの・・・できればなんですけど簡単でもでいいので私の作文を編集してくれませんか。いろいろ指摘があった、作者さんの回答を参考にうまく編集できる自信がないので・・・

よろしくお願いします。

補足日時:2010/07/07 06:42
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