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ディベートに関して質問です。(ディベート未経験者です)

ある議題に関して賛成か反対か論じるとしたとして
賛成者反対者ともにデータなどを上げて自分の論が正しいということを証明していきますよね?

そこで対峙する話者が、反論しようのないデータを上げてきたとします。

そうしたら
1)そのデータは正しいと認めてしまってもいいのですか?(なんかその場だけでも負けを認めるのは自分に取っては格好がつかない感じがしてしまいます。)
2)そこから相手を切り崩すには、そのデータは正しいと認め、その後話題を変えて別の自分のデータを出していくことでまた応戦していくのですか?
3)ディベートっていかに多くのデータを出すことで、勝敗が決まるのですか?

以上の3つ回答お願いします。

A 回答 (2件)

(1),(2)


・否定しようのあるデータならば否定する
・否定しようのないデータならば、障らない。タッチすることで相手が有利になるのを防ぐ
・相手がこちらのスキのないデータをムキになって否定すれば、「ムキになっていないか? 自分の主張に自信がないのか? と煽る手もあり」
・場が穏やかであれば理路整然と進める。場が殺伐としていれば、自分だけ話して相手に全く会話させない、という政治家のようなやり方もあり。
(最終判断を実施するのは自分や相手ではなく、第三者である場合)

ディベートは個人の勝ち負けを競うものではなく、集団の責任を問う行為です。ムキになって集団の利益を損なってはいけません。

(3)
いかに自分の主張に信憑性をもたせるかで決まります。
信憑性の薄い100のデータに、自信に満ちた信念(根拠レス)一つが打ち勝つこともあります。
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この回答へのお礼

否定しようのないデータはタッチしないことも必要なんですね。いろいろおしえていただきありがとうございました!

お礼日時:2010/07/11 20:50

中学生くらいでしょうか?


データは正しく集められ、正しく処理されている限り、それ自体は「反論しようのない」ものです。

>1)そのデータは正しいと認めてしまってもいいのですか?

その通りです。疑うとしたらそのデータが「いつ」「誰が」「どのように」集め、「どのように処理したか」という点ですね。例えばネット上の「支持政党アンケート」なんてかなり片寄っている(実際の世論と違っている)でしょう? あれは、明らかに「どのように」にという手法に偏りがあるということです。

それ(偏り)が許されるなら、データ処理の専門家の手にかかれば、依頼者が望むようなどんなデータだって集めることが可能なのです。データがあったからといって丸ごと信じちゃいけません。

それはともかくとして、仮にある程度客観的・公正なデータが示された場合には、それ自体の正しさは認める必要があるでしょう。しかし、その正しさを認めたとしても「負け」じゃありませんよ。データ自体は中立なもので、要はそれをどう解釈するか、が勝負なのです。

例えば、日本の年間自殺数なんていうデータがありますよね。年間3万人以上の人が日本では自殺をしています。そのデータ自体は正しいとして、その数を「多い」とみるか「少ない」とみるかは解釈の問題でしょう? さらに、それを社会の問題としてとらえるか、自己責任論でとらえるかも解釈の問題です。

ですから「話題を変える」必要はありません。それをやったら「負け」です。もちろん、相手のデータに対する反証があるならそれを示すことも必要ですが、相手のデータをどのように解釈するか、「あなたはそう言うけれど、こういう解釈だって成り立つでしょう?」と反論すれば良いのです。

一例を挙げましょう。
女子大生がアルバイトでキャバクラ嬢をやっているという「客観的?事実(データ)」を示して「日本の女子大生は、このように勉強もせずに不道徳なアルバイトをやっている」と主張したとしましょう。
それに対して、「そうではない、キャバクラ嬢でさえ高等教育を受けられるようになったと言うことで、日本の大学教育は素晴らしいのだ」と反論?することが可能です。

まぁ、これはジョークですけれどね。ディベートをやるっていうのはそういうことです。
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この回答へのお礼

人の解釈によってデータはいかようにもとらえられるんですね。勉強になりました、ありがとうございます!

お礼日時:2010/07/11 20:47

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