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北方領土という用語と概念はいつどのようにして生まれたのでしょう。千島列島や樺太という地名ではなく北方領土という考え方で一定の地域をくくるのは、誰がいつ始めたことなのでしょう。

A 回答 (3件)

こんにちは




現在の北方四島は 以前は「南千島」と呼んでいたと思います。

政府ないしは官公庁が、北方の四島を"北方領土"と呼ぶ、あるいは
そう定める、という類の決定をした、という記録は見当たりません
でした。

公文書の類を探すと一番古くその名称が登場するのは
1956年(昭和31年)3月10日の衆議院外務委員会における政府の
答弁中のもので

「・・・御承知のように講和会議では、日本政府の希望するような
北方領土の定義は下されませんでした。そのかわり日本政府の希望
するような定義は下されませんでしたが、他のいかなる定義も下され
なかったのであります。そこで吉田総理は桑港会議の席上、南千鳥
につきましてはそれが日本の固有の領土であるということを明言せ
られておる。記録にとどめる措置をとられたのであります。・・・」

という記録が残っています。

1956年3月というと、まさに日ソ交渉の最中(共同宣言は 同年10月
署名、12月発効)のことであり、交渉の経緯がそのような名称を
生み出すきっかけになったのではないか? と想像されます。

この「北方領土」という呼称が その後どのようにして普及していっ
たか、までは検証できませんが、その後 国会議事録以外の 公文書
に同名称が登場するのが

1970年(昭和45年)1月に総理府が実施した
「時事問題に関する世論調査(日米共同声明、安保条約、北方領土
問題について)
が最も古いものです。

以上のことから
50年代後半(56年以後)から60年代にかけ、政府(及び官公庁)が
意識的にその名称を使用し始め、60年代後半には一般化していたの
ではないかと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。中学公民で「北方領土」の名称を記憶する問題に接して、この名称を記憶させることは、どのような意味があるのか疑問に感じたことから、名称そのものの由来についても知りたくなりました。沖縄を「沖縄」と理解するのとは何か本質的に違う気がします。南千島を政治的にどのように処遇すべきかという国際問題に「日本領でしかありえない」という固定観念を吹き込む教育のように思えて一抹の不安を覚えます。

お礼日時:2010/09/08 09:59

概念としては江戸時代中後期からあったと思います。


商場(場所)知行制から、クナシリ場所が置かれていますし、明治期には「千島国」としてまとまっているので、東京のある場所を武藏国、京都地域を山城国といった感じで一体的に見ていたと同様、北方領土も1つの(旧)国として見ていたように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「千島」という地理的な名称は理解できるのですが、「北方領土」という名称がいかにも政治的であるように思えて質問させていただきました。そういう観点で何かご存知でしたらよろしくお願いいたします。

お礼日時:2010/09/08 10:02

日本がポツダム宣言を受諾して以降のことでしょう。


日本の支配権が及ばなくなってしまって、日本人の住人がいないわけですから、「領土」 という表現になったのでしょう。
個人が命名したわけでなく、政府、特に外務省が 「北方領土」 という用語を用いたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/08 09:59

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