電子書籍の厳選無料作品が豊富!

なぜ「分業化=間接的助け合い」を認識できないのか?

「根源的な生命的な衝動」て、一体なんでしょう?
おそらく「助け合う気持ち」だと推測いたします。

例えば、バス乗り場で、迷っている人を見かけたとき、
「どの乗り場か、わかります?大丈夫?」と言ってしまうこと。
車いすで段差にひっかかって動けない人を見かけたとき、
後ろから「大丈夫ですか?」と言って押してあげること。
こうした「直接的」なものの拡大として「間接的」なもの
も該当すると思います。それは「会社で働くこと」が一般的
であるが、そのへんの認識が誰しも困難であり、
「お金のために働く」と豪語する人がほとんど。
なにせ会社は中央集権的な恐怖政治ですから。

なぜ「分業化=間接的助け合い」を認識できないのか?
(なぜ自己チュー化するのか?)
そういう安易な社会性を保つシステムを選んできたからなのか?
「安易な社会性を保つシステム」とは「金で釣って働かせる」こと。

自由なご意見、お願いいたします。

A 回答 (2件)

>「根源的な生命的な衝動


おそらく身もふたもない「おれが、おれが」という自己中的なものでしょう。だって、
自分が生きることがなければ何も始まらないのですから。
いのちあってのものだね、ですよね。
残念ですが「助け合う気持ち」は人間という生物にとってはずいぶん格下の衝動だと思います。
そもそもそんな衝動が基本的にDNAに備わっているのか疑問です。
まず生き残る、これが最優先であるべきなのです。
日本人は謙譲精神「おさきにどうぞ」の人種だといわれますが、グローバリズムでは中国的な
「弱みを見せるな、押して押して押し捲れ」が一般的だといわれます。
日本はいずれ滅び行くべき民族なのかも知れません(涙;)。

進化論でも「犠牲的精神」がどうやってDNA に残っているのか(確かにないとはいえないのですが)なぞだといわれています。原初にはあっても、それが残ってくるという理由がないのですね。
闘いの先頭に立つ者は死ぬ確率が高いわけで、個としてはなーんにもいいことがない(涙)。
ただ、社会集団として必要なことは確かです。
何らかの集団的意思がそのDNA 集団に痕跡として人為的に残してきたということはありえるのかもしれません。
たとえば、こんな例があります。
40歳を過ぎたら集団としては無駄飯、死んでもらったほうがいい(原始的社会の姥捨てルール)。
でも、ながーく生きた人間は貴重な稀に起こる天変地異に対処する知恵を持っている可能性が高い。
これは使える。
お年寄りを大事にするのはメリットがあるかも。
こういったことが人間の長寿のDNA を保存してきた理由なのかもしれないのです。

本論に戻って
キリストの愛の精神は「助け合いの一般化」に貢献したかもしれません。
いずれ、私は人間のじこちゅう傾向を正すには人為的な教育が必須だと思います。
    • good
    • 0

>こうした「直接的」なものの拡大として「間接的」なもの


>も該当すると思います。
「直接的」を拡大しても「間接的」にはなりません。
論拠の飛躍です。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!