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ホメロスの「イリアス」とかは、現在原本が残されているのでしょうか?
それとも、イスラム語訳が最古の文献なんですかね?

また、ホメロスは何に詩を書いたんでしょうか。
石?羊皮紙?紙は当時なかったしなあ・・。
推測でもいいので、教えてください。

A 回答 (2件)

 


>ホメロスの「イリアス」とかは、現在原本が残されているのでしょうか?

ホメーロス(‘Ομηροs)は「伝説的な詩人」で、個人として存在したのか、または叙事詩口承集団の集団名であったのか、現在でも不明です。代表作は、『イーリアス』と『オデュセイアー』とされ、前者の方が少し古く、紀元前8世紀頃の成立とされていますが、この年代は、口承文学が、「独立作品」の体裁を整えた時代と考えられ、その際に、「天才的な個人=ホメーロス」の「劇的造形・創造力」によって、作品に纏まられたのだとも考えられるのです(つまり、それ以前から、口承として、物語は伝わっており、うたわれていたのです)。

(トロイエー戦争を軸とした叙事詩は、二大叙事詩以外にも、古代には複数の存在が伝えられており、ホメーロスの二つの叙事詩だけが、現存するのです。つまり、紀元前14世紀から12世紀頃にかけて、叙事詩の原形となる「物語詩」はあり、紀元前8世紀に、今日知られる形に近いものが成立したと考えられます)。

紀元前8世紀頃に形ができあがった二つの叙事詩は、「口承文学」で、口頭で伝えられ、記憶され、文字の形で記録されていたものではありません。従って、ホメーロスの『イーリアス』原典には、そもそも「原本」が存在しません。誰かが文字記録として残したとき、初めて、書物形態の「原本」が成立します。

ホメーロス自筆の原本は、こういう訳で、最初から存在していません。(また、口承文学の特徴として、うたを歌う詩人のときどきの感興に応じて、物語の展開や、言葉などが一定していないという特徴があります。ホメーロスという個人の口承詩人が仮に存在したとして、彼が、その天才で、二つの叙事詩あるいは、一方の『イーリアス』の「劇的構成」を造ったのだとしても(『イーリアス』の作者と『オデュセイアー』の作者は別人で、ホメーロスは『イーリアス』の作者だという説があります)、そのうたは、ホメーロスが朗詠する機会ごとで、違った形のものだったということです。基本的な筋は同じでも、途中で、飛ばしたり、詳しい場合があったりと、色々な変化があったと云えます)。

(註:フランスのエジプト学者兼作家のクリスチャン・ジャックの『太陽の子ラムセス』という大河小説を見ると、紀元前14世紀のラムセス2世の時代に、トロイエー戦争から帰還する途中のギリシア人がエジプトにたどり着き、ホメーロスもそのなかにいて、ホメーロスは、エジプトで、二大叙事詩を書いたことになっていますが、これは、どういう根拠があるのか不明です。しかし、小説構成上の虚構だと決めつけるのも躊躇があり、ジャックは、何を根拠に、こういう設定にしたのか興味深いです。……ジャックの云っていることが、何かの歴史的根拠があるのなら、ホメーロス自筆の原典もあった可能性があります。無論、その場合も、現在は湮滅して存在しません)。

ホメーロスの叙事詩は、紀元前6世紀後半に、繁栄の絶頂にあったアテーナイで、文字記録として、まとまった文書にされました。この時点から、ホメーロスの叙事詩は、テクストが確定します。口承文学でありつつも、文字記録の文学となったのです。(アテーナイは、アッティカ方言という古代ギリシア語が使用されていました。ホメーロスの叙事詩は、アッティカ方言でうたわれていたのではないので、この文字化で、変化が生じます。喩えれば、日本で、上方落語を文字記録にする際、標準語にしたような変化が生じます。ただし、上方落語を標準語にしては、面白さがなくなるように、元のうたの音の響きや韻律を保持するために、元々の朗詠の文体ができる限り保存されたということはあります。従って、ホメーロスの叙事詩は、アッティカ方言古典ギリシア語では、文法が異なり読みにくい部分が多数あります)。

この起源前6世紀後半のアテーナイでの文字記録化で、初めて「原本」が成立します。古代ギリシアでは、粘土板文書で記録のあったことが知られてますが、紀元前6世紀、5世紀から、3世紀頃までは、当時の地中海世界の標準的な書写媒体である「パピュルス紙」が使用されており、『イーリアス』の文字化原本もパピュルス紙で記録されたと考えるのが自然です。ホメーロスの叙事詩は、書写されて写本が作られ、また同時に、なお口承もされていたと思えます。

紀元前2世紀に、アレクサンドリアで、『イーリアス』の校訂が最終的に行われ、テクストは、今日伝わるものとほぼ同じ形になります。この時点では、まだパピュルス紙が使われていたと思えますが、この頃から、羊皮紙が使用され始め、羊皮紙写本も成立したと思えます。

ホメーロスの校訂写本原典は、湮滅したようで残存せず、紀元2世紀から3世紀頃の羊皮紙断片が残っています。(もっと古いパピュルス紙断片もありますが、今日知られる、叙事詩作品の内容とは、かなり違っています)。

>それとも、イスラム語訳が最古の文献なんですかね?

従って、これは違っています。古典ギリシア語で記された羊皮紙写本が存在し、ある程度まとまったものも、紀元6,7世紀頃のものが残っています(参考URL)。

参考URL(ただし、ページが何故か開かないので、「シモニデスのホメロス写本」で、Google で検索し、キャッシュを見てください):

>f.シモニデスのホメロス写本
http://www.humi.keio.ac.jp/japan/docs_j/report/a …
 
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この回答へのお礼

バカな質問の仕方をしてしまって少しはずかしいです(^-^;)
なにしろ、私はホメロスに文学者(ダンテ、ペトラルカ的な)イメージを持ってたので、こんなことを考えてしまった。まだ琵琶法師の方が近いですね。

すごく丁寧な解説をありがとうございました!

お礼日時:2003/08/14 15:56

ホメロスが伝承(口承)をまとめて物語として集大成したのが紀元前8世紀といわれますので、紙も羊皮紙もない時代です。

当時地中海世界で筆記に使われていたのはパピルスですから、当然ホメロスもパピルスに書いたものと思われます。しかし、後世の写本は羊皮紙中心となり、ついで紙に変っていったのでしょう。

ホメロスの書いた原本が残っているかどうかはわかりません。

http://times.iwaki.co.jp/Times/Bunka/bungaku/kob …

参考URL:http://www.littera.waseda.ac.jp/faculty/tokuyam/ …
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この回答へのお礼

いいサイトを紹介してくれてありがとうございました。m(_ _)m
なんとなく浮かんだギモンだったので、まさかこんなに奥が深いとは思いませんでした・・。

古代ギリシャは謎めいてていいですね。

お礼日時:2003/08/14 15:51

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