秘密基地、どこに作った?

生活保護程度の生活で良いと割り切っても長時間労働を強いられている例が多いように思います。
人類史を振り返ってみても現代ほど安価に食料が生産(トラクターやコンバイン、化学肥料や治水があるため)できる時代は無いと思います。
にもかかわらず、最低限の生活で良いと割り切っている人でもかなりの時間労働が必要に思います。

なぜでしょうか?
医衣食住を最低行えるだけの労働時間はどの程度必要なのでしょうか?
また、余剰労働時間で発生した利益はどこに行っているのでしょうか?

当方経済は苦手な為、ずばりの回答でなくても良いので、参考になるお話も含めて教えて頂けると幸いです。

宜しくお願い致します。

A 回答 (24件中1~10件)

> 命題につきましては、


> 「最低限と考える生活のレベルや欲望が以前とは比べものにならない程に増加し、それに技術や生産性が追いつかず、結果として労働時間が延びてしまった。」
> このようになるのでしょうかね?

概ね私の考えはその通りですが、一点だけ指摘しておきたいのは、技術や生産性が伸びればのびるほど欲望も増加する、という点です。

例えば、洗濯機がない時代には、洗濯は洗濯板で行っていました。洗濯機の登場でこの労働から解放されたわけですが、最初は脱水が出来ず、ローラーで絞る機構が付いていました。次に二槽式が登場し、洗った後に脱水側に洗濯ものを移して脱水するようになりました。この後全自動(一槽式)が登場し、移し換えずに脱水が出来るようになりました。しかし、まだ服を乾かす必要があります。すると、乾燥までやってくれる機種が登場しました。

この流れを簡単に書けば、
洗濯機の登場 → 脱水もしてほしい → 二槽式の登場 → 移し替えるのは面倒だ → 全自動の登場 → 乾燥もさせてほしい → 洗濯乾燥機
となります。最初の段階で、洗って乾燥までさせてほしい、と考えていた人はほとんどいなかったでしょう。楽をしようという要求まで欲というのはナンですが、技術の進歩が欲を発展させたわけです。


> これの命題の回答が何割くらいで、残りが何割くらいあると思われますか?

欲をどこまででとるか、で大分答えが変わると思います。例えば私は、長生きするのを欲の中に入れていますが、長生きは欲ではないと考える人もいるでしょう。

社会的にみれば、この命題が9割以上だと思います。
ただし、個々人の範囲でいえば、この割合は大分減る可能性が高いです。特に現代日本の20代から40代くらいまでであれば、高齢者の分も負担する必要があるため、その分だけこの割合は低くなります。
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この回答へのお礼

一つの命題に納得できる回答が付きとても参考になりました。
また、私が想像できなかった回答であったことも、とてもうれしく思います。
回答いただきありがとうございます。

お礼日時:2010/12/08 10:26

noi_hhさんの判断基準から見て・・・あなた様の仰る通りでございます。



出会いを楽しみにしております◎
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この回答へのお礼

うーん、なんか伝わっていませんが、この条件がダメというのは、私の基準でもありますが、同時にzakkyさんが必要とする基準やラポールが非常に限定された状態とも云えます。
全てを満たすような基準をお持ちであれば、私の基準もその全てに内包されていると思うのです。
極端に限定した基準を設けられると、誰も理解できませんので、永遠に、誰も、出会えない机上の空論で終わってしまいます。他の多くの方同様、永遠に出会えないのは残念ですので、なるべく分かり易く生きている内に体現して頂きたく思います。
回答いただきありがとうございました!

お礼日時:2010/12/19 16:41

noi_hhさんの抱えておられる疑問や未解決問題は、既に解決しております。



ですが、その事とnoi_hhが出会う事は別問題でございます。それ故に、僕は判断基準の話を致しました。今までの古い悟りや思想哲学には明確に限界があります。それは同感です。そして、実は科学にも明確に限界があります。それは科学の世界においても明らかになっています。

結論から申しますが、悟りには科学化が必要です。科学には悟りが必要です。そして、それらは既に終了しております。僕は、それに出会っているとお伝えしました。日本で、既に誕生しておりますよ。

繰り返しますが、noi_hhさんご自身の中に判断基準がある事をご自覚下さい。

1.判断基準を持っていること。
2.判断基準は一人ひとり全部が違うこと。
3.違うからといって、全部一つにさせたらもっと問題。
4.人間の判断基準は不完全であること。
5.不完全なのに完全であると思っていること。

判断基準には1.~5.の問題性があり、この事を分からないままに何を考えても意味はございませんし、何も進みません。

僕から言える事は、noi_hhさんの疑問、未解決問題は既に誕生しており、現在進行形でもございますれば、いつか出会う事もあろうかと思いますのでご安心下さいませ。

この回答への補足

zakkyさんが信じておられる物がいかに素晴らしい物なのか正直よく分かりません。残念ながら今までお話した他の宗教や哲学、悟りを開いたと仰られる方と議論した時同様とても残念な気持ちです。

無限からの抜粋ですので矮小化しすぎですが「悟りを、広辞苑を知っているとします。」でも、悟った人に、広辞苑にある意味を聞いたら、知らないと言われているように感じます。でも、広辞苑は知っているのだ。こんな風に聞こえます。確かに、広辞苑の存在を知ることは素晴らしいですが、その中を見ることも大切だと思っております。

レスが、言葉遊び化している気がしますが、例えば、下記の例の様な形で結果を出せるほどの物を求めています。また、1~5が有り、前に進まないとのことですが、この判断基準は裏返せば、zakky74さんの思想の判断基準でもあります。私は、それらを持っていても、持っていなくても、理解せざるを得ないほどの人に対する理解も求めています。

言葉ではいずれにしても足りませんし、わかりにく過ぎますし、世界に影響を与えるほどの善意を見てみたくも思っています。
仮に、もし、全てを理解していると言う人がいるのであれば、とりあえず、これらを実践して頂きたいです。

・世界中の戦争を終わらせて、不幸な人を今すぐ0人にする。
・不治の病を無くす。
ちなみに、今の例えは、人に焦点を絞っていますが、物質の特性や科学的な性質も理解しているわけですから、食糧問題などもすぐに解決できるような、全てについての理解です。

これであれば、前提条件が、それやこれやとあってもなくても、分かり易く実践です。

補足日時:2010/12/17 14:58
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>了解いたしました。

長い間おつきあい頂きありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。それと共に恐らく難解かつ不可解な論理展開であったろうと推測致します。少し胸が痛むところです。

>なお、最後に、zakky74さんがこの話を思いついた切っ掛けや師となる書籍を教えて頂ければ幸いです。

東洋の知の叡智から表現を借りれば悟りによる感性です。
西洋の知の叡智から表現を借りれば最終理論による理性です。

そして東洋の悟りの感性と西洋の最終理論の理性が、日本の和によって高次融合された知識・技術・学問が存在するのですが、それが僕がこの話をする様になっているキッカケでございます。師は書籍ではなく人間で、僕が現代に生きる真の英雄だと心から認めている人物です。

全てをお知りになりたいnoi_hhさんでしたら遠くない未来に出会う機会があるやもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございました。

これは書くかどうか迷ったのですが、私の言いたかった全ての理解とzakkyさんの言われる理解には余りに大きな差がありましたので、書かせて頂きました。

私が求めているのは、"本当の意味で"全ての理解、ですのでzakkyさんの仰る事は過去、通り過ぎたかもしれません。これは非常に高度で且つその証明として実践可能なくらいに理解が進んだ状態のことです。既存の、宗教や哲学、悟りと呼ばれる物には限界があると感じ、これが我慢できず捨てました。今は、科学の発展の方に歩があると思っています。(これは直感)ま、結果さえ出ればどちらでも良いのですけどね。

例えば、全てを理解しているという人に下記のことを投げかけても、ワイドショー程度の見解しか得られず失望しています。

例えば、意思の疎通が難しい場合でも、全てが分かっている人であれば、雰囲気から察したり、相手を観察したり、はたまた、相手の脳のシナプスの結びつきから推測して、相手に理解できるような話し方で必ず伝えられるような実践的な行動に変換できるくらいの理解です。

他、戦争でドンパチやっている所へも、その人が行って諭せば、誰もが納得し、受け入れるしかないような話ができるくらい、人を理解していることです。

少なくとも、ここ数千年、人類は哲学をしていますが、その結果、今これだけの哲学や宗教が乱立し、戦争もありますので、哲学など人が単純に思索するだけでは辿り着けない境地だと思っています。

仮に、もし、全てを理解していると言う人がいるのであれば、とりあえず、世界中の戦争を、さくっと終わらせて、不幸な人を今すぐ0人にして欲しいです。
ちなみに、今の例えは、人の理解に焦点を絞っていますが、物質の特性や科学的な性質も理解しているわけですから、食糧問題などもすぐに解決できるような、全てについての理解です。

お礼日時:2010/12/15 19:04

色々と思案なさってくれている事は感じております。

ですが、イメージの違う箇所が相当数見られました。

◎補足についてです。

> 「認定」についてですが、様々な例を何度も読ませて頂きましたが、相互がそれぞれの価値観で納得し自由に取引を成立させていますので、自由市場と同義かと思います。

明確に違います。同じ解釈をされては困ります。

>>違います(:_;)。
>どの辺りが、どのように違うのか、細かく説明頂ければ、何らかの相互理解も得られるのではないかと思いますが難しい物でしょうか?

それよりも先に、判断基準の問題性に気付く必要性を感じております。

◎お礼についてです。

>神話ですと、知恵を付ける前の人があります。恐らく、食料にも困っていなかったと思います。この辺りの常識であれば、例えば、Aさんは、リンゴのみを、一切の労力無く無から創造できる。(中略)・・・これが、時代が経つにつれ、相手よりも有利な立場に立ちたいなど、知恵や欲が付き現代の取引に移行した。こんな感じでしょうか?

違います(:_;)

>今までと同じような結論にたどり着いていますので、違うかもしれませんが、今までの話の中では、zakky74さんの仰りたいことに一番近いかもしれません。

近くはございません(:_;)

ここまでイメージが違う事についてnoi_hhさんはどう思われているのでしょうか?ほぼ全てが僕がお伝えしたい事と違っております。僕は、今後もこうした事が繰り返されるのではないか?と考えております。noi_hhさんの次のコメントを見て確信致しました。

>返信する前は、完璧には無理でも、なるべく先入観なしで、zakky74さんの言われるように読んでいるつもりです。それを読んだあとには、理解が必要です。理解するには、過去の経験や知識、日々の日常生活と何らかの結びつけを行わないと、理解の構築はできないと思うのです。

この判断基準をもたれている限りは、僕のお伝えしたいイメージや論理を理解する事は不可能でございます。

>その中で生まれてきた、疑問を既存の知識とを理解しやすいよう、現代の事例を重ね合わせながら返信として書かせて頂いています。

上記の事をもう一度ご確認下さいませ。一つも合っておりませんでした。

>他、意味の全く分からない、文章でも、単語単語を、国語辞典で既存の知識や経験に置き換えれば全体としての理解が可能になります。

意味が分からないのはnoi_hhさんの判断基準の外、全体としての理解が可能になるのはnoi_hhさんの判断基準の中。僕の判断基準には重なっておりませんし、お伝えしたい事とも違って伝わっている現状があります。

こうした事が今後も起こるかと思います。その事を感じました為に、先日は以下の様にお伝えしました。

>これは仰る通りかと思います。そして、もし理解したいのでありましたら、どうかnoi_hhさん、ご自分の判断基準を一旦はお捨て頂きますようお願いします。僕がお伝えしたい論理の流れがありましても、その度にnoi_hhさんご自身の判断基準が働きますと僕がお伝えしたい事は、かなり歪曲されてしまっています。
>もし、noi_hhさんの判断基準の外の事を僕が申し上げているとしたら如何でございましょうか?僕がお伝えしたい明確なイメージがあるのですが、noi_hhさんの判断基準を通して果たして理解出来るものなのでしょうか?

やはり歪曲されていますし、noi_hhさんの判断基準を通しての理解は出来ておりません。

>> 何か、普段使う経済に抜け落ちている大切な物を想像しておられるようで、そのことを理解したくは思っているのですが、
>と言っている反面、結局ご自身の判断基準から僕のイメージを受け取るのでありましたら、僕がやっている作業とは一体何なのでしょうか?
>ただ実は、noi_hhさんから何回か感じておりましたのは、自己流に、自分流に、解釈して受け取っている印象を受けています。

この話は「お金らしいお金の機能も、日に日に衰えています」の論理が分からないというところから出発しております。故に、noi_hhさんの判断基準の外の出来事ですので上の様なお願いやお伺いを致しました。そもそもnoi_hhさんの判断基準からは理解が出来なかったところから出発しておりますれば、noi_hhさんの判断基準が働いたりご自身の経験が働く瞬間に理解が難しくなるのは、確かに理解できますし納得できます。

ですから、ご自身の判断基準をもって理解する事を優先されたいのでしたら、この話題についてはここで打ち切る事を提案します。主題「経済 長時間労働が必要な理由について」については既にnoi_hhさんもスッキリしておられる様子ですし。僕もお伝えする事に未熟がありますし。
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この回答へのお礼

>>この話題についてはここで打ち切る事を提案します。
ご返信頂きありがとうございます。
了解いたしました。
長い間おつきあい頂きありがとうございました。

なお、最後に、zakky74さんがこの話を思いついた切っ掛けや師となる書籍を教えて頂ければ幸いです。私の場合、哲学的な問題など色々考えて、この考えは世界でオンリーワンだと思った時すら、探せば、映画の元ネタになっていたり書籍になっていたりしていることが良くありましたので・・・

お礼日時:2010/12/14 16:29

>これに少しでも正解があれば、このまとめを指摘や追加する形で訂正頂ければ、もしかすると理解しやすいかもしれません。



違います(:_;)。

残念ですが僕がお伝えしたい事はその論理の上に乗るものではございません。故に、理解が難しい状況が生まれているのだろうと思います。

>>「お金らしいお金の機能も、日に日に衰えています」
>の意味や、真に言いたいことが理解できずにおります。何か、普段使う経済に抜け落ちている大切な物を想像しておられるようで、そのことを理解したくは思っているのですが、全くと言って良いほど分かりません。

これは仰る通りかと思います。

そして、もし理解したいのでありましたら、どうかnoi_hhさん、ご自分の判断基準を一旦はお捨て頂きますようお願いします。僕がお伝えしたい論理の流れがありましても、その度にnoi_hhさんご自身の判断基準が働きますと僕がお伝えしたい事は、かなり歪曲されてしまっています。

この先も同じ事を繰り返さない様にする為に、今日は一旦内容から離れてnoi_hhさんにお願いとお伺いをしたいと思いました。

もし、noi_hhさんの判断基準の外の事を僕が申し上げているとしたら如何でございましょうか?僕がお伝えしたい明確なイメージがあるのですが、noi_hhさんの判断基準を通して果たして理解出来るものなのでしょうか?

noi_hhさんが自分の判断基準を一旦は横に置いておいたとしても、話の続きを聞きたいという事であれば僕は話を続ける事に申し分はありません。ですが、

> 何か、普段使う経済に抜け落ちている大切な物を想像しておられるようで、そのことを理解したくは思っているのですが、

と言っている反面、結局ご自身の判断基準から僕のイメージを受け取るのでありましたら、僕がやっている作業とは一体何なのでしょうか?もちろん、そんな中でも僕は最善を尽くしますし、伝わるまで根気良く続ける覚悟はあります。ただ実は、noi_hhさんから何回か感じておりましたのは、自己流に、自分流に、解釈して受け取っている印象を受けています。例えば、

> ただ、残念ながら、これは、今回の質問と直接関係ありません(Q&Aを通じてその何たるかには触れている気がします。)

この文章も、僕はそういう意味で申し上げたのではございません。僕がお伝えしたかったのは、「本当の意味で全てのことを知りたいと思っています」というnoi_hhさんをQ&Aを通じて感じておりますよ、という事です。その様にして、「お金らしいお金の機能も、日に日に衰えています」という事の裏づけとなる論理をお伝えする中でも何回か起きております。

勿論、僕側にもお伝えする力量がございまして、今までにも何度かの説明不足や伝えたつもりになっていたりなど勘違いもありました。そんな未熟さもありながらですが、ここからは僕もより一層気を付けます。

更にここからのQ&Aが実りある事を願いまして。

「本当の意味で全てのことを知りたいと思っています」というnoi_hhさんにお願いです。ここからはどうか、ご自身の判断基準を一旦は横に置いておいてもらえないでしょうか?僕がお話している事は、noi_hhさんの判断基準の外にあるものですから、noi_hhさんにおきましても判断基準の外に出て頂ける様、お願い申し上げます。

また同時に、僕側からもお伝えする力量に未熟な点は恐らく出てこようとは思いますが、情報提供不足や材料不足など起こらない様に極力、配慮・気配りをしますので、そんな中ででも構いませんでしょうか?

この回答への補足

ご返信頂きありがとうございます。

「お金らしいお金の機能も、日に日に衰えています」について

返信する前は、完璧には無理でも、なるべく先入観なしで、zakky74さんの言われるように読んでいるつもりです。それを読んだあとには、理解が必要です。理解するには、過去の経験や知識、日々の日常生活と何らかの結びつけを行わないと、理解の構築はできないと思うのです。
その中で生まれてきた、疑問を既存の知識とを理解しやすいよう、現代の事例を重ね合わせながら返信として書かせて頂いています。
例えば、他の回答で縄文時代の話もありましたが、現代とは大きく異なります。しかし、具体的な現代の経験や常識と結びつけることで相互の理解が進んだと思っております。
他、意味の全く分からない、文章でも、単語単語を、国語辞典で既存の知識や経験に置き換えれば全体としての理解が可能になります。

「認定」についてですが、様々な例を何度も読ませて頂きましたが、相互がそれぞれの価値観で納得し自由に取引を成立させていますので、自由市場と同義かと思います。
何がどのように違うのでしょうか?若しくは、Wikipediaやネット上に同じような解釈にたどり着いた方の記事などおられますでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1% …


>>「お金には、交換機能だけではなく、交換するときの喜びも含めて、物価を計算すべきである。」
>>とりわけ、現代は、喜びの多い無い取引は少なく、合計で考えた場合、お金の価値は低下していると言うことでしょうか?
>違います(:_;)。
どの辺りが、どのように違うのか、細かく説明頂ければ、何らかの相互理解も得られるのではないかと思いますが難しい物でしょうか?

補足日時:2010/12/12 09:04
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この回答へのお礼

先ほど、湯船でで考えていて思いついたのですが、もしかすると、こういう事でしょうか?

AさんBさんについて

Aさん、Bさんを普通の人・動物として考えていましたので難しかったです。
生物の進化や日常での事を考えた場合、それは起こりえそうも無い為です。

神話ですと、知恵を付ける前の人があります。恐らく、食料にも困っていなかったと思います。
この辺りの常識であれば、例えば、
Aさんは、リンゴのみを、一切の労力無く無から創造できる。
Bさんは、魚のみを、一切の労力無く無から創造できる。
労力が一切不要な訳ですから、交換できてうれしいという事にしか関心がありません。
また、交換も、相手の在庫状況などを指し計るだけの、知恵やそれを元に有利に取引しようという欲すら存在しない。
ただ、交換したらうれしいしか見えていない。
これが、時代が経つにつれ、相手よりも有利な立場に立ちたいなど、知恵や欲が付き現代の取引に移行した。こんな感じでしょうか?

この場合を、まとめますと、はじめは相場観という物が無く、無秩序な取引(交換)が行われていたが、次第に、相場という物がわかり始め(物価)取引を行うようになった。というこでしょうか?
ただ、これでは、貨幣の価値が下がると言うよりも、正しい交換比率にたどり着いたように見えます。

例えば、事前知識なしで、海外旅行すると、とりあえず、食料が欲しいなどで、適当に、米ドルを差し出して、相場観を知ることがあります。
ただ、1日もすれば、どのくらいでどのくらい交換できるかは経験で分かってきます。
分かってきたら、そこからは、正しい物価で交換するだけで、特に、貨幣価値が落ちると言うことはありません。

今までと同じような結論にたどり着いていますので、違うかもしれませんが、今までの話の中では、zakky74さんの仰りたいことに一番近いかもしれません。

お礼日時:2010/12/12 18:40

zakky74でございます。



P.S.の件ですが、noi_hhさんの仰る「本当の意味で全てのことを知りたい」という事ですが、このQ&Aを通じてその何たるかには触れている気がします。勿論、僕で応えられる限りにおいては存分に答えていこうと思いますし、noi_hhさんも分からないところ、納得のいかないところは今までの様に率直に仰って下さい。

ただ、僕がnoi_hhさんが8年ほど前にお話したzakkyかどうかまでは僕からは計りかねます。もし僕であれば、いやそうでなくとも僕はドラマを感じます。現に心がポッと温かくなりましたよ^^

さて、認定のイメージと取引のイメージを共有いたしましたが、先日は文字数制限もあり続きが書けずすみませんでした。それ故、あとはANo.13をお読み下さいだなんて、ちょっと不親切かなぁと反省していたところです。

noi_hhさんは物価を底辺に、或いは中心に据えて考えていらっしゃる印象を受けますが、それでは僕がお伝えしたい事は確かに見えにくい事でしょう。僕はそこを前提にしておりません。先刻お伝えしていた通り経済は生き物の様なものであり、今だけの経済を見ていては経済の本質は見えてこないと思っています。

noi_hhさんは昔々にもお金があったとお考えなのでしょうか?或いは昔々物価があったとお考えなのでしょうか?AさんとBさんの出会いの話の中にも物価は存在するとお考えなのでしょうか?

お金・物価がなかった時代があります。

そこから、一体お金・物価は何によって生まれる様になっているのか?という観点をも含めまして本文章も、今までの文章もお読み頂ければ幸いです。少なくともこれを書いている僕側のイメージではそうなのです。よろしくお願い致します。

AさんとBさんの出会いのストーリーを道具にして、再度確認しておきたい事がございます。それは、取引の基本でございます。それが、双方の認定が存在する事と、双方の問題解決または喜び・感動に出会える事、でございました。

そして、認定がされない内は取引が起きないという事、喜び・感動に出会えないならば、これもまた取引が起きないという事も見ました。双方が、同時に問題を解決し、同時に欲しいを満たす事が出来たお話です。

問題とは、Aさんであれば「常にりんご」という事でございます。欲しいとは、Aさんであれば「魚が欲しい(りんごではない何か)」という事でございます。大抵の場合はこの様に、問題解決と喜び・感動は繋がっておりますね。

話を前に進めます。

さて、AさんとBさんは、満月の日に会う事にしてお互いに魚とりんごを交換する様に取り決めました。AさんもBさんも、ずっとその様にしておりました。ずっと、それを繰り返しておりました。

ところがある時、Bさんは「No!」と言いました。Aさんは驚きます。Bさんから魚を提供してもらえない。一体なにがあったのでしょうか?

理解不能な時は、時間を遡ったり観点を動かしてみれば多分に見えてくる事があります。

りんごと魚は、1:1対応によって交換してきました。ところがりんごと比べて魚はすぐに傷みます。魚の傷みを気にしながら食べる事となりますから、魚の減りの方が激しい。それでBさんから提供してもらった魚をAさんは5日ほどで食べてしまいます。一方、Aさんから提供してもらったりんごはBさんは満月の頃には未だ1個は残っているんですね。

そしてずっと繰り返してくるとBさんには徐々にりんごが溜まってきます。ある満月の日、りんごと魚の交換を行う日には、Bさんは既に20個ほどのりんごがあって、次の満月の時までには充分りんごが事足りる状況が起きたんです。

ですから事情を知らないAさんは、いつもの様にりんごを持ってきてBさんから魚を提供してもらおうとしました。ところがBさんはまだ次の満月までには充分にりんごがあるので、Aさんからりんごをもらう必要はないと判断しました。

それ故にBさんは「No!」と。

それでもAさんは魚をもう何日も食べておりません。満月から5日ほどで食べているから、もしここで魚が手に入らなければまた次の満月までりんご、りんご、りんご・・・と前の生活に戻ってしまい、これは問題。

Aさんはそこまで明確にイメージはしませんでしたが不安感がありました。

Aさんは、Bさんから認定を得なければ魚を提供してもらえません。そこでAさんは「よし、いつもよりも5個多くりんごをあげるよ。だからいつもの様に魚を提供してくれないか?」とお願い。Bさんは了承し、AさんBさん双方に認定が起きます。そして取引が成立しました。

重要な事は、認定がなければ取引は起こらなかったという事です。それともう一つ。取引パターンが変わったという事、そこにも認定が働いていたという事です。

この回答への補足

回答いただきありがとうございます。

>物価を底辺に、或いは中心に据えて考えていらっしゃる印象を受けますが
その通りです。

>認定について
>Aさんは、Bさんから認定を得なければ魚を提供してもらえません。
こちらも、いまいちよく分かりませんが、現代の取引習慣そのままに思います。
店先に値段を付けておき、購入希望者は、この位でどうか?と聞きます。通貨でなくても、店の社長が欲しい物であれば物々交換交換でも成り立ちます。
それで良ければ売る(交換)ような感じです。


>noi_hhさんは昔々にもお金があったとお考えなのでしょうか?或いは昔々物価があったとお考えなのでしょうか?AさんとBさんの出会いの話の中にも物価は存在するとお考えなのでしょうか?
お金の発明はともかく、物価は存在したと思います。
AさんとBさんがは人ですので、やはり、何らかの物価的な思想はあったと思います。それを完全に排除してと言うのはかなり無茶な論理展開にならないでしょうか?
例えば、生物の進化を見るとき、動物の世界では、多くの食料を提供できる雄を雌が選び、雌はこれを判断できる雄を選び、子孫を残すと思います。仮に、これに全く頓着しない個体がいたとしますが、その形質(遺伝子)を持った個体は長い年月の間に餓死などにより、その形質を持った個体は数を減らし、結果として今は殆ど残っていないと思います。故に、それなりに、物の価値を差しはかる思考回路(物価を考える)を持った種が生き残っているように思います。なお、現代は福祉が充実してきており、今までの動物の進化とは違ったステージに上っていると思います。
この辺り、zakky74さんの想定する仮定と、私の私の考える仮定に大きな開きがあるかもしれません。

沢山の回答を頂いておきながら誠に恐縮なのですが、zakky74さんが
>「お金らしいお金の機能も、日に日に衰えています」
の意味や、真に言いたいことが理解できずにおります。何か、普段使う経済に抜け落ちている大切な物を想像しておられるようで、そのことを理解したくは思っているのですが、全くと言って良いほど分かりません。

とりあえず、No.16のお礼にて、私がまとめました、
「お金には、交換機能だけではなく、交換するときの喜びも含めて、物価を計算すべきである。」
とりわけ、現代は、喜びの多い無い取引は少なく、合計で考えた場合、お金の価値は低下していると言うことでしょうか?
これに少しでも正解があれば、このまとめを指摘や追加する形で訂正頂ければ、もしかすると理解しやすいかもしれません。


P.S.について
私も、ドラマ的な物を感じており、何か核心を求めておられるようでしたのでもしかしたらと思い書かせて頂きました。ただ、残念ながら、これは、今回の質問と直接関係ありません(Q&Aを通じてその何たるかには触れている気がします。)。以前、zakky氏とお話した時、この辺りの話をかなり深くお話して、強く覚えていますので、これがキーワードになるかなーと思い書かせて頂きました。zakky74さんも何かを探していらっしゃるように思ったので。 http://pia.skr.jp/hp/what_do_you_live_for/ この辺りの話なのですが、一言で言えば、全てが分からない限り、それが本当(数学的な意味で100%確実)に正しいかどうかは呼べない余地があるみたいな意味です。また、それが分かる未来が来ればいいなーというお話をしました。全てが分かっているなら、その他人が理解できない事を、シナプスの結びつきや配置から分からない理由を分析すれば、全ての人に分かるように伝えることすらできる、みたいなな感じです。

補足日時:2010/12/10 17:52
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>厳密には、そうだと思いますが、ある程度仮定や近似値を付けないと話が進みませんし、私自身がそこまで経済に詳しくないのであまり適切な指標を提示できていないのも原因です。

こういった状態ですので、とりあえず、物価を考慮した貨幣価値は、その時代の労働量に比例すると仮定しています。

昔の大八車を引いていた運送屋さんと今のトラックでの会社組織での仕事量が一緒であるわけありません。物価を考慮しただけではダメだと思いますよ。

>縄文時代の労働時間は1日3時間程度ありましたので、1日2100円程度で過ごせても不思議はない。

しかし、仕事に参加していない老人は今ほどいなかったはずです。生産年齢を過ぎたころ=生存できない、であったことは容易に想像できます。したがって、縄文時代の家族は、年寄りをそれほど養わなくて済んだはずです。非生産者はそれほどいなかったはずですから。

つまり、労働は短時間でもみんなの平均寿命までは食わせることができたと考えるのが妥当ではないでしょうか?

>非生産人口の増加についてですが、彼らは、将来リタイアしてもやっていけるだけの仕事を現役の頃行い、リタイアしているはずですので、基本的には現在の労働者に負荷は与えてないような気がします。

質問者様は公的年金の仕組みぐらい知っているでしょう。基本は、自分の積み立てたお金で食っているわけではなく、今の現役の人が積み立てたお金と税金で養われているのですよ。

その人たちの分まで働かないと可処分所得が減ってしまいます。

”生活水準が上がったから”それは取りも直さず、働かない人まで食えている現状がそれをさしていると思います。生活水準が本来平均に達しないような人の分まで働いている人が、それらの人を養っているからにほかならないでしょう。つまり、働かない人の分まで支えている人が長時間労働になっていることに最終的には帰着します。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

>昔の大八車を引いていた運送屋さんと今のトラックでの会社組織での仕事量が一緒であるわけありません。物価を考慮しただけではダメだと思いますよ。
今も昔も、例えば、1時間働けば、その時代の水準に応じた、物やサービスを同程度受けられるため、物価という考え方は良いと思います。
また、これが、命題でもあるんですが、物価を考慮したとき、何か変。そこで、昔と今では、同程度の仕事量でも、技術の発達により、成果物には大きな差が出ている!では、何故、暮らしが遙かに楽になっていないのかという命題に行き着いています。
例えば、大八車で米を配達するのと比べ、同じ成果を出す場合、現在の技術は遙かに進んでおり、非常に短時間で済んでいるように思います。節約できた時間は膨大です。

>生産年齢を過ぎたころ=生存できない、であったことは容易に想像できます。
>つまり、労働は短時間でもみんなの平均寿命までは食わせることができたと考えるのが妥当ではないでしょうか?
>その人たちの分まで働かないと可処分所得が減ってしまいます。
これらの問題は、年金と医療費である程度説明できるかと思います。
また、彼ら自身もアルバイトによる税金、預金の取り崩しなどで自腹で支払っていますのでその割合はさらに減ると思います。
年金は、過去の積み立て、現在は、賦課方式ですので、将来受け取れる、積み立て金(預金・老後の蓄え)ともとれます。また、国民年金に占める、公的年金の支払額の割合は10%程度です。
http://www.sia.go.jp/nenkinweb/pdf/01.pdf
医療費は8%程度。(内65歳以上半分がを占める)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/iryouhoke …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82% …
生産人口の1日の労働時間を8時間と仮定した場合、1時間程度が非生産人口の為に使われていると仮定した場合これは無視できる程度にはならない物でしょうか?

お礼日時:2010/12/10 17:44

>正確には、仕事量と言った方が適切でした。

お詫びして訂正いたします。

ここであえて、質問者様の命題の一部分をきりとって「最低限の生活で良いと割り切っている人でもかなりの時間労働が必要に思います。なぜでしょうか?」

にしてみますね。

この場合の答えは簡単です。最低限の生活で良いと言っても長い労働時間によって生活をしている人は、現在、比較的、金銭的評価を受けていない仕事に従事しているから、長時間働かなければならないということでしょう。

しかし、そうなると、現代における社会全体の労働について言っているのではなく、個人が従事している労働の金銭的評価の違いについての回答になると思います。もちろん、質問者様はこのような質問をされているわけではないです。

質問者様は、「人類史を振り返ってみても・・・」とおっしゃっていて、個人間の違いではなく時代の違いをおっしゃっているわけですから。

しかし、時代によって、各職種の労働の金銭的評価は違って来る上に、その時代でのお金そのものの評価が違うので、単純に金銭換算した仕事量で比べることは不可能ではないかと思います。

ですから、その他のことは同じとして、総人口と生産年齢人口の違いよる、説明をさせていただいたわけです。

100万の総人口のうち生産年齢人口は50万の社会。(現代に近い社会)

100万の総人口のうち生産年齢人口は100万の社会。(昔はこちらに近い社会)

その上で、現代は、機械等の導入により、50万人が働くだけでも昔より生活水準が高い社会が実現しました。しかし、福祉の増大によってリタイヤ人口や教育制度の充実によって教育期間も増加したので、生産年齢人口の総人口に占める割合が低くなりました。そのため生産年齢人口の総労働時間は短くすることはできなかったわけです。もしも、完全雇用が実現し、生存における年齢制限が生産年齢の上限で行われた場合や教育期間が短くても良くなったと仮定し、これ以上は、生活水準をあげなくて良いとすれば、現代はもっと短い労働時間で良くなるはずです。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

>各職種の労働の金銭的評価は違って来る上に、その時代でのお金そのものの評価が違うので、単純に金銭換算した仕事量で比べることは不可能ではないかと思います。
厳密には、そうだと思いますが、ある程度仮定や近似値を付けないと話が進みませんし、私自身がそこまで経済に詳しくないのであまり適切な指標を提示できていないのも原因です。こういった状態ですので、とりあえず、物価を考慮した貨幣価値は、その時代の労働量に比例すると仮定しています。
例えば、縄文時代であれば、木の実を取りに行くという単純労働。大正の頃ですと、肥料を得るために山に落ち葉を拾いに行く単純作業。現代であれば、言われた通りに行えばお金の貰える簡単なアルバイトあたりを同じ仕事量と想定しています。仕事量は全て物価を考慮して計算しますので、これらの作業は、今ですと全て時給700円くらいに相当すると思っています。縄文時代の労働時間は1日3時間程度ありましたので、1日2100円程度で過ごせても不思議はない。しかも、現代は、技術が非常に進歩していますので、更に短時間でも良いのでは?と言う感じです。更に将来、進歩すれば人は最低限の生活をするために働く必要が無くなるのでは?という含みもあります。

生産年齢によって差は現れると思いますが、特に、単純作業の場合、年齢差は極端に現われないのではないかと思っています。また、全体として見た場合、年が多い場合、経験があり、労働量に置き換えた場合、若い人よりも遙かに多くの仕事量をこなせるのではないかと思っています。
非生産人口の増加についてですが、彼らは、将来リタイアしてもやっていけるだけの仕事を現役の頃行い、リタイアしているはずですので、基本的には現在の労働者に負荷は与えてないような気がします。ただ現実には、年金や国保の見通しは甘く税金頼みになってはいます。ただ、これらを考慮しても、近年の機械化には目を見張る物がありますので、労働時間は減るのではないかと思っております。(これは直感です。)

なお、at9_amさんの回答から、「最低限と考える生活のレベルや欲望が以前とは比べものにならない程に増加し、それに技術や生産性が追いつかず、結果として労働時間が延びてしまった。」という結論に達しています。ただ、他にも原因がある可能性はありますし、他の可能性も常に探してはおります。

お礼日時:2010/12/08 14:38

ANo.14にてat9_amさんが『#13の回答に気になる部分が多くあるので』として2点を中心に幾つかの質問がありました。

そこに回答をしながら、補足の説明を加えます。

> 例えば、日本銀行券はだれか(菅総理か白川日銀総裁か?)に対する信用で成り立っていると思っているのでしょうか?

いいえ。思っておりませんよ。それはat9_amさんの誤解でございましょう。

> 市場に参加する全ての人間の認定、とは、一体全体何を認定するのでしょうか?
> しかしながら、その価格を誰かが「認定」したのでしょうか? 単に出来るだけ安く買おうとした結果に過ぎません。参加しながら買えなかった人や、買えたけれども相場よりも高く(或いは安く)買うことが出来た人はどうなるのでしょうか?

取引そのものが成り立つ事の認定でございます。at9_amさんが仰る「誰かが」ではなく、取引に関わる「全ての人が」認定しています(本来は、です)。

at9_amさんもnoi_hhさんも、僕が使っている認定という言葉を僕が使っているのとは違ったイメージで受け取られていられる可能性を感じましたので、認定について詳しく触れますね。

お二人に共通しているのは、現在の経済を見ていらっしゃると思うのですが、僕は違います。経済は生き物の様なものでありますし、経済だけでなく社会そのものが常に変化している生命の様なものであると受け止めております。ですから、今の経済や少し前の経済だけを見ていては経済の本質を見誤ると思っております。

「お金らしいお金の機能も、日に日に衰えています」という僕の論理によってnoi_hhさんのご質問にお応えしたものに対して、その点よく分からないとの事でした。僕は、衰えているという事を時間軸を交えてお話する必要性を感じ、お金についても今の経済や少し前だけを見るのではなく、そもそもお金がなかった時の経済、お金がなかった時の取引について触れた上で、現在の経済に戻ってくるという論理展開の必要性を感じました。今までの回答はそうした話の流れでございます。

ですから僕の話を、今ある経済の事情だけで読もうとすれば確かに分からなくなるのだと思います。ANo.13もそうでございます(文字数制限のため、引用はここでは省きます)。

ただ、ANo.13の中で特に認定について説明不足があった様に思います。ここをもう少し膨らませた方が良いと思いました。ここからは、昔々のお話に遡ります。今、起きている現象の事ではございません。まだ何も取引が起きていない時まで遡ります。

Aさんは、りんごばかり持っていました。Aさんは、毎日りんごばかりを食べていました。昨日もりんご、今日も、明日もりんご、Aさんはりんごが豊富。同じ様にしてBさんは魚ばかりです。昨日も魚、今日も、明日も魚。

そんなAさんとBさんをイメージしてみて下さい。そして、AさんとBさんが出会いました。Aさんにとっては、魚はとても衝撃的な出会いです。Bさんにとっても、りんごはとても衝撃的な出会いです。

Aさんは、ずっとりんごと付き合ってきましたからBさんの魚を欲しいと思います。

この段階では、まだ魚は手に入らず、欲しいは満たされません。一体なぜでしょうか?まだ欲しいという意欲を相手に投げかけていないからです。

AさんはBさんに、その魚が欲しいという意欲を伝えます。

この段階では、まだ魚は手に入らず、欲しいは満たされません。まだBさんが、Aさんに対して魚を提供する事を承認していないからです。

BさんがAさんに対して魚を提供する事を承認した時に始めて、AさんはBさんから魚を得る事が出来て、欲しいが満たされた事になります。ずっとりんごと付き合ってきたAさんにとって、一体どれくらいの喜びがあり感動がありますでしょうか?

めでたしめでたし・・・ではないじゃないですか?まだBさんにとっての満足が。Aさん個人としての幸せはありますが、Bさんも含めた社会全体としては幸せになっていないんですね。

ではどうすれば?AさんとBさんとの間の社会全体としての幸せとは、ちょっと端折りますが、りんごと魚を同時に提供し合おうとするものでした。

BさんがAさんから欲しいと思っているりんごを提供する事にAさんは承認し、逆にAさんがBさんから欲しいと思っている魚を提供する事にBさんは承認し、AさんBさん双方に同時に承認が起きた時に、何とAさんもBさんも同時に欲しいが満たされました。

この同時に承認が起きている事を指して、双方の認定と言っておりました。そして同時に欲しいが満たされる為に起こっていた現象の事を交換、もしくは取引と言っております。

以上、認定と取引についてのイメージを補足しました。字数制限が。お手数ですが再度ANo.13などをご覧下さいませ。

この回答への補足

回答いただきありがとうございます。

とりあえず、物やサービスについては、No.13のお礼に書きましたように、物価を考慮すれば、それは以前と変わらず入手可能。これは事実かと思います。

>「お金らしいお金の機能も、日に日に衰えています」
残念ながら、まだ、この理論が分かりません。

お金には、交換機能だけではなく、交換するときの喜びも含めて、物価を計算すべきである。

とりわけ、現代は、喜びの多い無い取引は少なく、合計で考えた場合、お金の価値は低下していると言うことでしょうか?

>ずっとりんごと付き合ってきたAさんにとって、一体どれくらいの喜びがあり感動がありますでしょうか?
No.6のお礼で、現代において喜びは少ないとかきましたが、一点しか見ていなかったかもしれません。
場合によっては、その当時のリンゴ以上の感動のえら得る取引をしている人もいるような気がしました。
例えば、身近なところでは、医療技術の進歩で、死の淵にいた人が助けられた時など、リンゴとは比較にならない喜びを交換しあっているようにも思います。

この場合、AさんBさんと単純ではありませんが、関わった人は多くの喜びがあった物と推測できます。
他の例ですと、時代を追うごとに、エンターテイメントなど別の形で享受している例も多いような気がします。

P.S.
偶然だとは思いますが、zakkyの名前に覚えがあり、以前(8年くらい前)オフラインで一度お話したことがあるような気すらしています。この質問とは直接関係ありませんが、私は本当の意味で全てのことを知りたいと思っています。

補足日時:2010/12/08 10:42
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